アバター3の低評価。走れるという歓びがあたりまえのものになっている
もうすぐ映画館での上映が終わるというので、駆け込みで『アバター3 ファイアー&アッシュ』を3D映像で見てきました。そりゃあ映像は綺麗だったのですが、どうにもストーリーには物足りなさを感じました。結局、アメリカ映画にありがちな「家族、大事」「サークル・オブ・ライフ、大事」というテーマで説明できるものだったからです。
パート3に比べるとパート1には感動がありました。
サム・ワーシントンの演じるジェイク・サリーは、半身不随の海兵隊員でした。彼は歩けませんでした。車いす生活者でした。しかしアバターに乗り移っているときには、自分の足で立ち上がって歩けるのです。その瞬間はファースト・アバターの最大の見せ場でした。はじめてアバターに乗りうつる映画の大ネタに係るシーンであったことに加えて、やはり主役の感動が観客にひしひしと伝わってきたからです。もう一度自分の足で歩ける歓びにサリーは笑いがとまりません。そしてとうとう彼は走り出します。もう一度走れる歓びを感じて、ジェイクのはじめてのアバター体験は大成功でした。
もうこの時点で、ジェイクは、車いすの現実よりも、走り回れるアバター暮らしの方を選んだといってもいいでしょう。その感動がファースト・アバターのキモだったのですが、パート3ではもう歩けること走れることがあたりまえのことになっていて、何の感動も呼び起こさないのです。
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雑誌『ランナーズ』のライターが語るマラソンの新メソッド。ランニングフォームをつくるための脳内イメージ・言葉によって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。
(本文より)
【入力ワード】写真からランニングフォームを学ぼうとする人が多いので注意喚起したいと思います。写真からフォームを学ぶのはお勧めできません。写真というのは瞬間を切り取ったものなので、間違った解釈をする可能性があるからです。「振り上げた脚」(往路)なのか「戻ってきた脚」(復路)なのか、写真ではわかりません。大地を蹴ったように見えている脚が本当に大地を蹴っているのか、大地を蹴ったように見えているだけなのか、写真からはよくわからないからです。写真で振り上げた膝の高さを見て「ふむふむ、膝はここまで上げるのか」と思い込んでマネするのもよくありません。慣性の法則で結果として脚がそこまで上がっているだけで、実際のランナーの意識としてはそこまで上げようとしていないかもしれません。「結果としてのフォーム」と「ランナー本人の走るときのフォーム意識(入力ワード)」は、必ずしも同じではないのです。
【腹圧をかける走法】そもそも息をするのは、酸素を吸うためです。吐くことよりも、吸うことに意識をおくほうが自然な発想です。肺の中に残っている空気(残気量)は、どうせゼロにはできないのです。吐き切るという努力は、動かない壁を押すような無駄な努力です。そこに力を割くべきではありません。持ち上がらないバーベルを無理やり持ち上げようと喘ぐと、余計に息が苦しくなってしまいます。楽に息するのとは真逆のことです。それよりも思いっきり吸うことです。そのための走法が腹圧をかける走法です。肺を絞って痩せた人のように走るのではなく、腹はたるんたるんと力を抜いてだらしなく腹が太った人のように走ります。そもそも重力は下向きなのだから、横隔膜を下げることは理にかなったことです。それに対して、吐き切ることを意識すると、重力に逆らって横隔膜を持ち上げながら肺を絞らなければなりません。どちらが楽にできると思いますか?
【ストライド走法】ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も効果的な方法はストライドを狭めることです。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。
【踵落としを効果的に決める走法】私はカラテ素人ですが、サブスリーランナーとして、すくなくとも「踵落とし」を無力化する方法をすぐに思いつくことができます。答えはカンタン。攻撃側が踵を振り上げて止まったポイント(これを上死点といいます)に、自ら打撃ポイント(脳天など)を近づけていくことです。上死点では運動エネルギーがゼロになっているために、破壊力もゼロです。上死点から距離をとらないことで「踵落とし」というキックを無力化できます。
ストライドを稼ぎたいあまりに、未熟ランナーほど振り出した前足が最も伸びきったところで着地してしまうのです。つまり「膝が伸びきったまま」「踵から着地」してしまうのです。これは「踵落とし」の運動エネルギーがゼロになっている上死点で着地してしまっているのと同じことです。これでは速く走ることはできません。
言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化して速く走れるようになる新理論の書。言葉による走法革命。とくに走法が未熟な市民ランナーであればあるほど効果的です。本書はあなたのランニングを進化させ、市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」「ハサミは両方に開かれる走法」「腹圧をかける走法」
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
●【肉体宣言】生きていることのよろこびは身体をつかうことにこそある。
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鳥に生まれ変わる体験。自分で飛ぶのは飛行機に乗るよりも楽しい

その後、アフリカをほうふつとさせる異星パンドラで、現地人と恋をして、その国の文化を愛し、自然を愛して、アメリカ的な資本主義社会(自分の母国)を裏切って、ジェイク・サリーは戦うことになります。
惑星パンドラ(アバター世界)でジェイクは飛竜に乗って飛ぶことができました。竜のからだを自分のもののように感じて飛ぶことができたのです。これは楽しいに決まっています。鳥に生まれ変わったような体験ですから。はじめて飛んだ時、やはりジェイクは笑いが止まりませんでした。飛行機の座席に座って空を飛ぶのとは大違いです。
自分で飛ぶのは飛行機に乗るよりも楽しいに決まっています。どっちを選ぶかと言われたら、私だってアバター世界を選ぶよな、という圧倒的な説得力がファースト・アバターにはありました。
だからジェイク・サリーは戦います。「自分が走り回れる世界を選ぶ」「飛竜で飛べる楽しい世界を選ぶ」という自分勝手さが理由の中に確実にあったはずです。こんな理由で母国を裏切る戦士の話しなんて、これまでに聞いたことがありません。だからファースト・アバターは名作だったのです。
しかしアバター3だと、母国と戦う理由が、「家族が大事」「命の循環が大事」だから、というアメリカ映画にありふれた理由で戦っているようにしか見えません。これまでその理由で戦う戦士は飽きるほど見てきました。それがアバター3がイマイチな理由です。
自分が走り回れる世界を選ぶ。それが自由を選ぶってことさ

車いす生活者のジェイク・サリーが、本体よりもアバターを選んだのは、自分の足で走れ回れる快楽からだと私は理解しています。
しかしパート3になると、もうその自分の二本の足で走れ回れる歓びなどどこにもありません。
はじめてあじわった飛竜に乗って飛ぶ飛翔感の快楽のようなものも、まるで描かれていません。
それらはもうあたりまえのこととして、コモディティー化してしまいました。
部族の一因だから部族を守る、とか、家長だから家族を守る、とか、そういった聖人君子のような理由でなく、もっと単純に自分が走り回れる世界を選ぶ、自由に空を飛べる世界を選ぶといった理由で戦ってくれた方が、斬新だし、説得力があります。だってそれが自由を選ぶってことですから。

