ドラクエ的な人生

南方・南洋の石油は帝国海軍の役に立たなかったのか?

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南洋の石油は帝国海軍の役に立たなかったのか?

日本にいると疑問に浮かばないことであっても、旅をすると不思議に思うことがある。おそらくそれが「旅が人を成長させる」ってことのひとつなのだろう。

マレーシア・コタキナバル旅行ではふたつ疑問に思ったことがある。

①ボルネオ島の石油は大日本帝国海軍の軍艦に役に立たなかったのか?

②この地域を長く植民地支配していたヨーロッパのキリスト教徒は、イスラム教を改宗させなかったのか?

今回は、①を考えたい。ボルネオの石油は大日本帝国海軍の役に立たなかったのか? 私の興味はそこにある。

②については下記をご覧ください。メチャクチャ面白い内容になっています。

マレーシアの国教がキリスト教ではなくイスラム教であることの不思議
ヨーロッパ人は貿易と布教をワンセットで考えていた 日本にいると疑問に浮かばないことであっても、旅をすると不思議に思うことがある。 マレーシア旅行ではふたつ疑問に思ったことがある。 ①ボルネオ島の石油は大日本帝国海軍の軍艦に役に...
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大平洋戦争開戦当時の日本には戦争遂行に必要な物資が何もかも不足していた

靖国神社の『遊就館』に行ったことがあるだろうか? 主に太平洋戦争の展示をすることで英霊たちのことを忘れないようにしようという施設であるが、私が一番驚いたのは日本がどれほど太平洋戦争開戦当時アメリカに軍需物資を依存していたかを示したデータであった。軍艦をつくる鉄鉱石など軍需物資のほとんどをアメリカに依存していることを示した円グラフの前で私は愕然としたものである。

「社長にケンカを売る社員のようなものじゃないか。こんな相手に勝てるわけねえだろ!!」

私は全力でツッコんでいた。鉄鉱石だけではない。その他、ありとあらゆる軍需物資を米国に依存していた。中でも看過できないのが原油である。原油がなければ戦艦大和も浮き砲台になってしまう。

開戦当時の日本、石油の外国依存率は92%であり、その81%をアメリカから輸入していたというのだ。

バカじゃなかろうか。私は対米開戦を決断した当時の政治家・軍人たちを心からアホかと思ったものである。

白人に脅されただけで、先輩たちが血を流して獲得した領地をむざむざ返すことがサムライのプライドとしてできなかったことは理解するが、勝てると思うのはアホすぎる。

空母赤城や戦艦大和を動かすための石油をアメリカから禁輸され、このままではじり貧になるとサムライ日本は対米宣戦布告をする。と同時に石油や鉄を求めて南洋・南方に軍を進めて、マレーシアからスマトラ、ボルネオ島などを占領していくのだが、これらはアメリカと断交して禁輸されても石油などの軍需物資を日本の経済圏だけで手に入れることができるようにするための作戦であった。

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ブルネイの一人当たりの国民総所得は日本以上

さて、先日、キナバル山に登るためにボルネオ島を旅してきた私であるが、コタキナバルに飽きてしまったので、いっそ隣国・ブルネイに陸路で行ってみようかと思った。

時代はよくなるというが、そればかりではない。世界はどんどん便利になっているが、面白くなくなっていく
文化の差異こそ面白かったのです。しかし世界は均一化しています。均一化すると面白くなくなるのです。これだけば確実なことです。時代はよくなるというが、そればかりではありません。世界はどんどん便利になっているが、だんだんと面白くなくなっているのかもしれないからです。

ブルネイというのは、5765平方キロメートルしかない小さな国である76km×76kmで5776㎢だから車だったら簡単に国土一周できてしまいそうな小さな国だ。しかし石油が産出されるので一人当たりの国民総所得は日本以上であり、非常に豊かなのだとガイドブックに書いてあった。

「ふーん。こんな熱帯雨林の島で日本人よりもお金持ちなのか。。。そんなに石油が出るのか……なにい!!」

ここで私が思い出したのが、第二次世界大戦の石油獲得作戦である。旧日本軍は石油を確保するためにボルネオ島を占拠していたのだ。

コタキナバルもジェッセルトンと呼ばれていた英領だったが、日本軍が追い落としたという歴史をもっている。

沖の小島にアイランド・ホッピングするための船着場がジェッセルトン・ポイントと今に名前を残しているが、コタキナバルの旧名だ。

ブルネイ人を日本人以上にお金持ちにしている油田地帯を当時の日本軍は制圧していたのだ。その石油は帝国海軍の軍艦を動かすのに役に立たなかったのだろうか?

その謎を調査するのが本稿の目的である。

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石油が足りなかったのではなく、輸送手段が足りなかった。脳ミソの知恵が足りなかったのだ

連合艦隊の歴史を読むと、軍艦を動かすためのアブラが無くて、戦艦大和のような重たい船は出撃できなかったと書いてある。駆逐艦の方が使い勝手がいいから大和のアブラを抜いて駆逐艦に回したという有名な話しがある。

戦史を調べるとどうやらボルネオ島をはじめとする南方の油田制圧はうまくいったようだ。石油技術者を現地に派遣し、現地の協力も仰いで、軍部どころか庶民の生活を含めた日本全体の必要石油量をまかなえるだけの石油の確保に成功したらしい。兵站をまるっきり無視したわけではなかったようだ。

やるじゃないか大日本帝国。これで大和も縦横無尽に46センチ砲をぶっ放せるはずだ。いや、はずだった。

ところが米軍は、ドイツがイギリスに対して行ったのと同じ作戦を大平洋でとったのである。それは潜水艦による輸送船の攻撃であった。

ここらあたりが「軍艦以外は攻撃せず」のサムライ・ニッポンヤンキーの根本的な考え方の差ではないだろうか。レイテ沖海戦では、帝国海軍は丸腰の輸送船団への攻撃を捨てて、武装した敵艦隊との決戦を選んだ。

丸腰の町人を斬るのはサムライではない。刀を抜いた武士だけをサムライは相手にするという潔さ・美学であったが、残念ながら戦略眼がない。

米軍の潜水艦の最優先の攻撃目標は軍艦ではなくタンカーであったという。

しかも暗号も読まれていた。山本五十六連合艦隊司令長官が空中で撃墜されたのも飛行機での移動計画を米軍に知られていたからだ。とうぜんタンカーの輸送計画も米軍には筒抜けで、潜水艦で待ち伏せて効率的に沈めることができたわけだ。

これじゃあいくらブルネイで石油を産出しても足りるわけないじゃん。っていうか、石油足りてるけど必要なところに届かないじゃん。必要な場所に届かなければ、あってもないのと一緒じゃん。

ブルネイの石油は日本軍に役立たなかったのか?

石油は十分に産出したが、実際には役に立たなかった。

石油が足りなかったのではなく、輸送手段が足りなかった。足りないのは石油ではなく、脳みそだった、知恵が足りなかった。

潜水艦によって石油はタンカーごと海に沈められてしまった。

こうして世界最強・戦艦大和は動けなくなったのである。

いや、そもそも使えない戦艦を世界最強と思っていたところからアホだった。

駆逐艦でスピードを出して軽快に近づいて魚雷をぶっ放した方が、重たい戦艦の46センチ砲よりも戦場では効果的だった。そこから設計ミスだった。

もちろん駆逐艦なんかよりも航空機で空から雷撃した方がはるかに効果的だったのだ。

ああ、アホらしい。

もう二度と戦争なんかしないでいただきたい。

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