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人生、ホルモンバランス論

人生、ホルモンバランス論

わたしはこのブログで、言葉の力で一人でも多くの人を走ることに駆り立てられないか、をテーマにしていきました。その集大成がこちらの書籍です。

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しかしいくら人を走ることに駆り立てるといっても、マラソンのように「いくら練習しても、したりない」「練習に終わりがない」競技は、あまり結婚前の若者には向いていない気がします。

わたしだって10代20代のころに最も大切だったのは「走ること」ではありませんでした。

自分を顧みてもそうですが、人間はホルモンバランスで生き方を左右される生き物です。結婚適齢期の若者には異性関係の方が走ることよりも重要ですよね。

走友会の若いメンバーの中には結婚を機に走るのをやめてしまった人がたくさんいます。

人間はホルモンバランスで生き方を左右される。これを「人生、ホルモンバランス論」として世に問いたいと思います。

人間はホルモンバランスで生き方を左右される生き物

人間はホルモンバランスで生き方を左右される生き物です。

もちろんわたしもそうでした。若い頃は今よりももっと尖っていて凶暴な生き物でしたよ。動物園の檻の中の暴れ狂うサルみたいでした。

そういうものが一段落して、ホルモンバランス的にも落ち着いて、ようやく走ることに集中して取り組めるようになった、というのが実際のところです。

テレビで犯罪者などを見ていて思うことがあるのですが、犯罪に走る心なんていうのもホルモンバランス次第ではないかと思います。

ホルモンの命令で意思喪失した奴隷のようにした行為に対して「絶対に許さない」「二度と社会復帰できないように」という罰はいかがなものでしょうか。

とくに痴漢とか性犯罪者というのは「ホルモンコントロール」でいかようにも善導できるのではないかと思います。

若さゆえの過剰なホルモン分泌が起こしたことに対して、「許しがたい犯罪」とか「人生終わったぐらいの罰をあたえよ」というマスコミの報道に対して強烈な違和感を感じます。

必要なのは「牢獄に閉じ込めること」ではなく「ホルモン注射」ではないでしょうか。

人生、ホルモンバランス論

昔、極悪のワルで有名だった暴れん坊が、おっさんになるとアブラが抜けたように好々爺になってしまっている……そんな人をたくさん知っています。

彼らも本質的なワルなのではなく、ただホルモンバランスの命じるままに暴れただけで、そのホルモン分泌が止まったら、やはりホルモンバランスの命じるままにおとなしくていい人になったのでしょう。

罪を憎んで人を憎まず、とよくいいます。

この場合、人を罰するべきでしょうか。ホルモンバランスさえ正常だったら、その人は悪いことなんてしなかったのです。

抗男性ホルモン薬というのがあります。テストステロンなどの男性ホルモンが作用するのを阻害する薬ですが、暴れん坊にはそれを服用させるだけで大人しくなるのではないかと思います。

わたしはランニングにであい、そこで攻撃ホルモンを消化してしまうことを覚えたからよかったのですが、過剰なホルモン分泌が原因で人獄につながれてしまうような人には、ちょっと同情してしまうところがあります。

若い頃の過剰なホルモン分泌が原因で、ホルモンバランスのとれたおちついた中年以降の男性が、人生に何かレッテルを貼られてしまうのだとしたらすこし気の毒なことです。その人の意志ではなく、ホルモンの意志が、その行為を行ったのですから。

これだけ医学が進歩したのですから、もうすこしホルモンバランスのことを研究すればいいのに、と思います。

「人間は育った環境で決まる」論に対して、これを「人生、ホルモンバランス論」として世に問いたいと思います。

元気のない人を元気づけるとか、自殺を防ぐとか、ヤクザを矯正させるとか、うつ病を直すとか、「人生、ホルモンバランス論」は、いくらでもこの社会のお役に立てる研究なのではないか、と思うのです。

わたしたちは生き甲斐も含めてすべての行動がホルモンバランスに支配されているかもしれないのです。

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