ドラクエ的な人生

狩猟採集民族の方が農耕民族よりも忙しい。従来の定説は間違い

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二大師匠(カレル・チャペックとサン=テクジュペリ)をもつ園芸界の超エリートの自己紹介

園芸家のアリクラハルトと申します。現在、いちご、にんにく、ニラ、そして枝豆を育てています。

私の園芸家としての師匠はロボットという言葉の生みの親であり、「ほんとうの園芸家は花をつくっているのではなくって、土をつくっているのだ」と喝破したカレル・チャペックです。

趣味の園芸家になるために。『園芸家12カ月』カレル・チャペックの内容、感想、書評、評価

技術的な師匠はカレル・チャペックですが、園芸の魂の師匠は「ぼくの星のバラはバラ園のバラ全部をあわせたよりももっと大事だ。なぜってあれが僕が世話した、僕の花だから」と喝破したサン=テクジュペリです。

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カレル・チャペックとサン=テクジュペリを師匠にもつ私は園芸界のエリートだといっても過言ではありません。

イロハ

究極の頭でっかち、よね。

師匠が二人とも園芸家じゃなくて作家ってどういうことよ

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狩猟採集から農耕になったのが人類奴隷化のはじまりだというが本当だろうか?

私は『氷点下で生きるということ』という現代の狩猟採集民族のドキュメンタリー作品が大好きで、熟視聴熟読するように視聴すること)しています。

『氷点下で生きるということ』(LIFE BELOW ZERO°)の魅力、内容、評価、感想、ツッコミとやらせ疑惑

視聴していて感じることは、とにかく狩猟採集民の暮らしは忙しいなということです。

ベストセラーになった『サピエンス全史』など学説では、狩猟採集時代は人間はもっと多彩な食べ物を食べていて労働時間も少なかったのだが、農耕時代になって(人や小麦の)奴隷化がはじまった、ということになっています。

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』人生の意味、意義はフィクション。おのれが選んだ物語

私も『氷点下で生きるということ』を熟視聴するまでは「なるほど」と流布する学説を全面的に信じていたのですが、今では「ほんとかな?」と思っています。実際に農耕時代になって人類は余暇がなくなり奴隷労働者となったというのは壮大な間違いなんじゃあるまいか?

だって『氷点下で生きるということ』の狩猟採集民はおそろしく忙しそうにしています。

アラスカと日本の差を考慮しながら、狩猟採集時代と農耕時代をイメトレ比較してみましょう。

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狩猟採集時代のイメージをつかもう

氷点下で生きるということ』の登場人物たちは現代アラスカに生きる狩猟採集民族です。会社員じゃありませんし、農耕もしていません。狩猟採集をして暮らしをしています。食べ物は猟銃か漁獲かあるいは野原からピックアップしています。

このアラスカ人たちですが、ものすごく忙しく暮らしています。「生きる(自給自足の暮らしの)ためには、この仕事をやらざるをえないんだ」とものすごく忙しく働いています。この番組が人気なのは、彼らが暇そうにのんべんだらりとしているからではなく、生きるために必死に働いているからでしょう。その必死の姿が人気の秘密です。

現代人ですから、すこしは金銭社会に組み込まれていて、衛生受信機を設置してスマホをもっている人もいますし、チェーンソーは使うし、移動はボートかスノーモービルです。貨幣経済から完全に離れているわけではありませんが、限りなく遠くにいます。スーパーマーケットのない世界で、狩猟した獣の皮でつくった衣料や、死体の角などを使った工芸品などを売ってお金を稼いでいます。そのお金で燃料を買い、スノーモービルや四輪バギー車を乗り回して、チェーンソーで薪を斬り出しています。

自給自足生活なんて無理。スーパーマーケットのない場所で、人はどうやって生きていけるのであろうか?

昔の狩猟採集民は、現代アラスカ人よりももっと忙しかったことは確実でしょう。チェーンソーや四駆車がなければ仕事はもっとたいへんになるはずですからね。

それでは、アラスカではなく日本だったら、もっと楽に暮らせるでしょうか?

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狩猟採集民は農耕民ほど働かなくて済んだという論拠がわからない

日本の農耕民族の暮らしというのはテレビ番組『ポツンと一軒家に登場してくる人たちから想像することができます。自分の家のまわりの菜園から採れた食べ物で暮らしている人たちですね。彼らを見ていると、狩猟採集民(アラスカ人)は農耕民(ポツンと一軒家)ほど働かなくて済んだという論拠がわからなくなります。ポツンとの人たちは悠々自適でアラスカ人ほど忙しそうにしていないからです。

既存の論理に反して、農耕民よりも狩猟採集民の方が忙しいんじゃないかね。

狩猟採集民族(氷点下で生きる人々)と日本農耕民族(ポツンとの人)を比較してみましょう。

衣食住のうち、木の家を自分で建てる手間はどちらも同じです。また、冬に薪が必要だというのは日本の冬だって同じです。もっとも薪の量はアラスカの方が大量必要なはずですが、薪そのものは日本の森林地帯の方が近くにあります。手間は同じぐらいと考えていいでしょう。

服の手間も同じです。アラスカ人もポツン一軒家もお店で購入しています。さすがにどちらも服まで自作していません。ただし服を自作していた時代なら、麻の糸から服を縫った農耕民の方が、動物の皮をなめして作る狩猟採集民よりも、はるかに手間で時間がかかったことでしょう。

問題は食料です。たしかにカリブー(トナカイ)一匹狩猟できれば、瞬時に何十キロもの肉が手に入ります。射撃の一瞬だけしか考えないのは、収穫の時しか考えない農耕と同じです。実際、農業の収穫は数か月待たなければなりません。カリブーの狩猟も同じで、そもそも獲物に出くわさないとか、出会うために何十キロも移動しています。家の前ですぐに狩れるわけじゃありません。スノーモービルがなければ歩いての移動です。定住しない暮らしではテントだって担いで移動しなければなりません。そうとうたいへんだったはずです。家の周りで農耕していた方が楽じゃないかと思います。

農耕民は単一の食材(自分が育てたもの。たとえば小麦)ばかりで栄養が偏っていたというのが従来の説ですが、それは狩猟採集民だって同じことです。彼らもカリブーやムースの肉ばかり食べています。時期によってはシャケやベリーを食べたりしますが、それほど多彩な食生活ではありません。

しかも従来の説は物々交換のことを忘れています。農耕民は収穫作物を物々交換していました。小麦ばかり栽培したとしても小麦ばかり食べなきゃいけないというわけじゃありません。小麦と大豆、人参、ホウレン草やレタスやダイコンなどと交換すれば、多彩な食材が手に入るじゃありませんか。貨幣経済以前だって、物々交換は可能だったはずです。

ぜんぶ自分でやるよりも、分業した方が余暇ができるんじゃないか?

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常に飢餓に追い立てられているのは狩猟採集民の方

そもそも従来の説のように、農業はそれほど忙しいのでしょうか?

そもそも単一作物の栽培はそれほど難しくありません。種の時期も、追肥の時期も、気をつけなければいけないことも、収穫の時期もぜんぶ同じですから。小麦の奴隷になったといいますが、小麦だけなら難しくありません。

むしろ複数の作物を育てた方が頭を使います。土の種類も、追肥の時期も、気をつけなければいけないことも、作物ごとにみんな違うので頭を使うのです。

水稲だって忙しいのは時期が決まっていて、農閑期というのは暇なんですよ。

「いや、食うためにわらじを編んだりして忙しかったんだ」と反論のある方、それは狩猟採集民も同じですよ。食うためにウサギの罠猟をしたり、氷穴釣りをしたりしています。毛皮でジャケットを編んだり、休んでいる暇はありません。

そもそも肉は腐りやすく、植物の方が保存が効きます。常に飢餓に追い立てられているのは狩猟採集民の方だと思います。従来の説では単一食物は全滅の危険性があるから農耕民の方が飢餓に怯えていたとされていますが……逆でしょう。

また農耕民は村落で暮らしているために、いざ労働力が必要になったときに、ご近所さんを頼りにすることができます。白川郷の屋根の葺き替えをご近所総出でやっている映像を見たことがあると思いますが、あんなふうにご近所さんの労働力を当てにすることができます。

しかし狩猟採集民はそもそも近所に家族以外誰もいないので、他者を当てにすることができません。生活の快適度でも農耕民族の方が狩猟採集民族よりも上だったんじゃないかな。生活条件が下がったというのは嘘ではないのかね?

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暇なのは農耕民族で、忙しいのは狩猟採集民。従来の学説は間違い

また、協生農法という「ほったらかし農業」もあります。昔はずっと協生農法だったんじゃないかしら? そもそも農薬なんてありませんでしたし、毎日せわしなく水をやらなくても植物は根を張って育ちます。

よく考えれば、従来の学説は間違いで、暇なのは農耕民族で、忙しいのは狩猟採集民なのではないかな?

とくに足腰が弱って遠くまで歩けなくなった老人にとって、農業は天の恵みでした。遠くまで移動できなくなったら、農業ならできるけれど、狩猟採取はできません。移動する獲物を追いかけて自分も移動するのはキビシイ。口だけ出して自分は移動できない老害は嫌われたでしょう。でも農業なら頭脳労働が可能です。栽培計画を立てるとか、害虫対策、栽培ノウハウを知っているというのは大きな権力に換えることができたでしょう。

以上の検証の結果、従来の定説では「狩猟採集時代の方が農耕時代よりも余暇があって多彩な食生活だった」というのが定説です。しかし私はそうじゃないんじゃないかと思います。「農耕時代の方が余暇があって、多彩な食生活だった」と思います。とくに社会の決定権を握っている老人層にとっては、狩猟採集時代は生き抜けないほど過酷だったでしょう。

人類は楽チンだから狩猟採集をすてて、農耕を選んだのですよ。

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農耕民族の未来。食べるために働かなくてもいいフルオートメーション機械化の時代

この稿では、従来の定説に反して、農耕民族の方が余暇があり、食べ物が豊か。狩猟採集民の方が忙しく、食べ物も単調だと検証しました。

その農耕民族の未来ですが、将来、農業はフルオートメーション、機械化、無人化できるといわれています。田んぼの区画の中をトラクター走らせるだけならGPS入力して今すぐにでもできるでしょう。交通事故の心配もありません。

将来、人間はもう食べるために働かなくてもよくなるかもしれません。

そんな未来も予想できますが、それはまた別のお話しです。

ほんとうに農耕民族は人類の(小麦や支配階級への)奴隷化だったのか、よく自分の頭で考えてみる必要がありそうです。

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