ラフレシアを見ることはとても難しい。

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死ぬまでに一度は見たいラフレシア

たった一度の人生だから、できるだけたくさんの素晴らしい経験をしたいと思う。

感動の人生を望む。それは誰しも同じだろう。

感動の種類にもたくさんある。読書の感動なども捨てがたい魅力がある。そのことに気づいた人は読書家になる。

ところが世界には本からはもらえない感動の種類がある。この肉体を使ってこそはじめて感じられる情感がある。これを「生の感動」と呼ぼう。

そのことに気づいた人は旅人になる。

旅人はエジプトのピラミッドや、カンボジアのアンコールワットや、ペルーのマチュピチュに自分の足で旅をして自分の目で見て感動を味わう。

旅人にとっての感動対象は何も滅び去った遺跡ばかりではない。たとえばヒマラヤ山脈や、キリマンジャロや、アイガー北壁にも感動がある。日本の富士山にはそれに勝るとも劣らない感動がある。

自然である。夜空の星はどんな書物よりも哲学的だ。

私がこれまでで一番感動したのは「皆既日食」である。あんな凄いものは見たことがない。

その他にも、自然や、人間の作ったものに、感動する。市場や人々の暮らしに感動する。

旅人が味わう感動にはたくさんの種類がある。

しかし限られた人生だ。何かを選ぶということは何かを捨てることだ。

どこに旅しよう。何を見よう。どんな感動を味わおう。旅人の旅先はそうやって決まる。

旅人として、限られた命の中で絶対に見たいものは何だろうか。

私には長年どうしても見たいと思い続けていたものが一つある。

それは世界最大の花、ラフレシアである。

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ラフレシアとはどんな花?

マレー半島、フィリピン、スマトラ島、ボルネオ島など東南アジアの熱帯雨林に自生する世界最大の花である。

大きなものは花弁の直径が1メートルを超す。赤く鮮やかな花が咲く。

寄生植物であるため開花時期がなく、現在のところ人間が繁殖させることもできない。

植物園などで見ることができないため、人間が森の中に入っていかなければラフレシアには出会えない。

すなわち日本人である以上、旅人しかラフレシアを見ることはできない。

森の中で約9カ月かけてやっと開花しても、1週間もたたずに枯れてしまう。枯れると溶岩状に黒くなって腐り果ててしまうのだ。赤く開花したラフレシアを見ることは、旅のスケジュールが、寄生花の開花と合致しなければ見ることができないのだ。

ラフレシアは茎、根、葉を持たず大きな花弁だけで存在している。養分は寄生主からもらっているというのだ。

「幻の花」と呼ばれている。

ボルネオ島のコタキナバルに旅することがあったら、ラフレシアを見る千載一遇のチャンスである。

まさにこの大地にはラフレシアが咲く。

ラフレシアが幻の花なら、ボルネオ島は幻の大地のようなものだ。

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このスマホ時代なのに情報が全然ないラフレシア

コタキナバルから車で1時間30分ほど行ったところに「ラフレシア・インフォメーション・センター」(Rafflesia Infoemation centre)という施設がある。

この施設はラフレシア植物園ではない。ラフレシアは人為的な繁殖が今のところはできないからだ。

施設の中にラフレシアが咲いている場合がある、という施設である。

この「ラフレシア・インフォメーション・センター」の最大の謎は、インフォメーションセンターなのに全然ラフレシアのインフォメーションがないところである。

公式Facebookを運営しているから期待して見てみたが、ラフレシアの開花情報が全然載っていない。

いちばん知りたい情報はそれなのに「君のどこらへんがラフレシアインフォメーションセンターなんだ?」と施設長に問いたいところである。

全く情報がない施設に、往復3時間もかけて行くわけにはいかない。こちらはただでさえキナバル山登山で脚の筋肉がズタボロなのだ。ラフレシアでなければ、ホテルで寝ていたい気分なのだ。

ラフレシアだからこそゾンビのようにベットから起き上がれるのだ。

模型や蕾が見たいのではない。赤く鮮やかなラフレシアが見たいのだ。

必要なのは開花情報なのだ。情報はどこだ?

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ホテルのコンシェルジュにもラフレシア情報がない

私は英語も流暢とは言えないレベルで、トラベラーSIMのような最新機器を使うつもりもないオールドタイプのバックパッカーである。

古いタイプの旅人が次に頼ったのはホテルのコンシェルジュである。コンシェルジュは地元の情報に精通していて、宿泊者に観光情報をくれて、世話をするサービスが仕事である。遠慮なく利用するといい。

ところがコンシェルジュにもラフレシアの情報が一切ないのだ。

「コタキナバルから車で3時間ほど行ったキナバル公園内にあるポーリン温泉の近くで見られるけど、今、咲いているかどうかはわからない。現地に行って咲いていれば見られるかもしれない」

という曖昧なお答えである。

現地に行けば見られるかもしれない、というのがどういう意味かというと、乗り合いバスのようなものでポーリン温泉に向かう途中もしラフレシアが咲いていれば街道に「ラフレシア開花中」看板が出ているので、そこで降りて地元民に森の中を幻の花まで案内してもらうという意味なのだ。イチかバチかの賭けである。

寄生主のタイプがブドウ科植物と決まっているため、ラフレシアはまとまって咲いている場合がある。キノコの場合と同じだ。「いるところにはいる」やつなのだ。それがラフレシアインフォメーションセンターだったり、ポーリン温泉近辺だったりするというわけである。

しかし私は、マジか?と思った。そんなイチかバチかをよく旅行者に勧められるな! 数日後には帰国する日本人に進めるプランとは思えない。

まして私はすでにキナバル登山後でもう十分にキナバル公園の森を歩いてしまっている。巨大な食虫植物も見てしまっている。興味があるのはラフレシアだけなのだ。

ポーリン温泉というのも曲者で、日本の温泉通が行って感動するような素晴らしいものではないらしい。

草津温泉や別府温泉や有馬温泉や登別温泉や花山温泉を知っている温泉大国出身の日本人がポーリン温泉に感動するかといえばNOである。ニュージーランドのロトルアとは違うのだ。

セパレートされたプールのような浴槽に蛇口をひねって自分で温泉を入れるのだが、お湯がたまるまでの約1時間は待っていなければならないらしい。温泉のくせにお客様を待たせるなよ。

水シャワーで十分という熱帯雨林の国に温泉があるから珍しい、というだけの施設である。わざわざ日本人が行くところではない。

となると、確実に咲いているという情報がない限り、この賭けには乗りたくないわけだ。

「ブログなどで最新の開花情報はないのか?」聞いたが「行ってみないとわからないのだ」の一点張りだ。

部屋に戻ってWi-Fiでラフレシア開花情報を調べるが、マレー語にも英語にも不自由な私にはさっぱり情報がとれない。っていうかたぶん情報はない。

そんな情報は誰でも一目でわかるように、日付とラフレシアの写真と〇か✖かでデザインされているはずだが、そういうサイトは見当たらなかった。

もしあなたがキナバル公園あたりの地元民はスマホなんて持っていないと思っていたら、あなたは今の世界を正確に把握していない。マレーシア人は確実に一人一台スマホを持っていると思って間違いない。

森の中でラフレシアを探して収入を得ている現地の人も確実にスマホを持っている。

そのスマホから個人が情報発信できるはずなのに、なぜラフレシア情報は無いのだ?

謎が深まる。

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情報が知られなければ誰も見に来てくれないはずなのに、なぜ情報発信しないのか?

自生するラフレシアであるが、外国人が見るためには料金を支払うルールになっている。

2020年現在、一人あたり30RM(1リンギットは約30円)を発見者(地元民)に支払うというルールになっているのだ。その収入があるために地元民は森の奥で一生懸命に開花したラフレシア探して保護するのである。

しかしいくらラフレシアを発見しても、その情報が拡散されなければ誰も見に来てくれないではないか。ツイッターやフェイスブックでの情報拡散こそが収入に直結しているはずなのだ。

非常に重要なラフレシア情報を誰も発信していないというのは、いかにもおかしなことではないだろうか?

日本人の感覚からいうと理解できないことである。

いよいよ私は最後の手段を使うことにした。

現地の旅行会社を当たる。これが究極の手段である。個人手配よりもお金がかかってくる場合もあるが、ラフレシア情報が個人で収集できない以上、しかたがない。

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最後の手段。現地旅行会社でも曖昧な回答

コタキナバルはキナバル自然公園を中心にした観光都市なので、現地旅行会社はいくらでもある。

旅行会社に行けば、いわゆる「現地ツアー」というのがある。その中にはもちろん「ラフレシア鑑賞」を謳うツアーがあった。

コタキナバル発着で、昼食付のバスツアー、ラフレシア鑑賞の他に、キナバル公園を散策してポーリン温泉に訪れるという誰でも考え付きそうなワンデーツアーが用意されている。

ひと安心だと思うでしょ? ところがそうはいかなかった。

「開花状態によってラフレシアは見られない場合があります。その場合は他の場所(たとえば花の市場)をご案内します」とツアーに「但し書き」がついているのだ。

「今日現在のラフレシア開花はどうなのだ?」

旅行会社の社員に聞くが「行ってみないとわからない」とここでも口を揃えたようにコンシェルジュと同じ回答である。

これはどういうことなのだ?

仮にも旅行会社である。現地の代理人とメールかラインか電話か何かでつながっているはずではないか。彼らに問い合わせればわかる話しのはずではないか?

「ラフレシアの開花情報はないのか?」

何度も聞くが「現地に行ってみないとわからない」という回答しか返ってこない。

他にも数社、別の旅行会社をふらりと訪問したが、回答はすべて同じだった。

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現地に行ってみないとわからない。それは望むところだが。。。

「現地に行ってみないとわからない」

古いタイプのバックパッカーとしては好きな言葉である。スマホなどで現地に行く前から何もかも情報がわかりきってしまっていることが旅をつまらなくしたと思っている。

しかしこの時ばかりはイラついた。

このインターネット時代に「お金のなる花」ラフレシア開花情報がスマホで取れないというのは、大いなる謎だ。

一人一台スマホ時代にラフレシア情報がネット上から取れないのだから、たとえ現地ガイドとつながっていても情報はないのかもしれない。

そう結論するしかなかった。

だが旅行会社よ。言いたいことがある。

ラフレシアツアーなのに、ラフレシア開花情報がなく、往復6時間かけて行ってみないとわからないだなんて、そんなツアーに申し込むわけないじゃないか。

よく考えろよ、旅行会社!!

君は貴重な客を失ったのだぞ。「ラフレシア見られます」その一言でツアーに申し込んだのに。

不愉快な気分で旅行会社を出てきた。

(そもそも咲いていないから情報がないんだ。それでもツアーに申し込んでもらうために咲いていない情報を隠しているんだ)

そうとさえ思える。

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ラフレシアを見ることはキナバル山の登頂よりも難しい

結局、私は長年の宿願のラフレシアを見ることができなかった。それもこれもラフレシア開花情報がなかったせいだ。いや、そもそもあの時期、どこにもラフレシアは咲いていなかったのかもしれない。

情報がないということは咲いていないということなのかもしれない。

それはキナバル山に登るよりも難しいことだ。開花したラフレシアを見るということは。

キナバル山は確実に「そこにある」。時間を掛ければ誰でも登頂することができる。

ところがラフレシアは「そこにない」のだ。どこに咲いているのかわからないまさに「幻の花」なのである。

このネット時代にラフレシア開花情報ないとは? 謎はまだ解決していない。

「ポーリンに観光客を誘致するにはラフレシア情報を隠すしかない」というマレーシア観光局の指導でもあるのかな?

そうとでも考えないと、なぜラフレシアインフォメーションセンターがラフレシアの開花情報を出していないのか日本人には理解できない。

誰かラフレシア開花情報のアプリ作れよ。これを読んでるマレーシア人よ。

grabみたいなアプリ作れるんだから、それに比べたら簡単だろ?

絶対に需要あるぞ。

開花したラフレシアを見ることができるというのは、これほど稀なことなのである。

ネット上にはラフレシアを見た人の情報が溢れかえっているが、私は無理でした。

ラフレシアを見ることは、とても難しい。

サハラ砂漠で大ジャンプする著者
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このブログ著者の小説『結婚』
小説『結婚』
愛とは何か? 結婚とは何か? を追求した純文学小説です。 主人公ツバサは劇団の役者です。恋人のアスカはツバサのもとを去っていきます。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。  離れたくない。その叫びだけが残った。  全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。 引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。 そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。 それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。 アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。 死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。 生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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このブログの著者の小説『片翼の翼』
小説『片翼の翼』
なぜ生きるのか? 何のために生きるのか? を追求した純文学小説です。 主人公ツバサは劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。 かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。 同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。 アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。 自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。 人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。 ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 ※※本作は小説『結婚』の前編、バックストーリーに相当するものです。両方お読みいただけますとさらに物語が深まる構成になっています。※※
片翼の翼: なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?
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小説『片翼の翼』
なぜ生きるのか? 何のために生きるのか? を追求した純文学小説です。 主人公ツバサは劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。 かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。 同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。 アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。 自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。 人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。 ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 ※※本作は小説『結婚』の前編、バックストーリーに相当するものです。両方お読みいただけますとさらに物語が深まる構成になっています。※※
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【この記事を書いている人】

アリクラハルト。走る哲学者。【トウガラシ実存主義】【遊民ユーミン主義】の提唱者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。千葉県在住。

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アリクラハルト。走る哲学者。【トウガラシ実存主義】【遊民ユーミン主義】の提唱者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。千葉県在住。
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