ドラクエ的な人生

ロビン・フッドとピーター・パンの相似点。ウイリアム・テルとの違い

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ロビンフッドとウイリアムテルを混同してた。その理由は?

ローズマリ・サトクリフ著『ロビン・フッド物語』を読了しました。同時並行読書術のなかの一冊として読んだ軽めの本でした。本命はドストエフスキー『白痴』です。

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もちろんロビンフットの名前は以前から知っていました。有名なヒーローですからね。私は「いつになったら息子の頭上のリンゴを射るんだろう」とずっと思っていました。ところが最後の方まで息子の頭上のリンゴが出てきません。あれ、おかしいな??

物語の終盤で気づきました。あ、そうか。ウイリアム・テルと混同しているんだ、と。

ロビンフッドとウイリアムテル、どっちも権力に立ち向かう弓矢系のヒーローですよね。どっちも似たようなヒーローなので、混同してしまったのです。

このように幼いころに「子ども向け」で読んだ本を、おとなになってから読み返すのは、意外とおもしろいものですよ。自分が知らなかったようなことが書いてあったりします。

実在の人物なのか? どこの国の、いつぐらいの人物なのか? ロビン・フットとウイリアム・テルについて調べてみました。

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【義賊】シャーウッドの森=梁山泊。ロビンフット=宋江。

ロビンフッドは弓の名手です。シャーウッドの森の中で暮らした反社会的勢力のリーダーです。悪代官から奪った富をみんなに分配したということで義賊とされています。

なんで反社がヒーローなのかというと、当時の領主型社会が腐りきっていたからです。自分の富を増やすことばかり考えた悪代官が支配していた社会の反逆者は正義というわけです。

仲間は命がけで守り、自由、正義、親切、それに万人にとって大事なものすべての代名詞としてロビン・フッドの名前は今もなお生き続けています。

ローズマリ・サトクリフ著『ロビン・フッド物語』では、森の仲間になる前に、お互いに喧嘩しあって、ケンカのあとで認め合うという「少年ジャンプ的なこと」をしています。ひとりひとりケンカしては仲間になっていく様子が描かれています。

イギリスの『水滸伝』ぽい感じですね。梁山泊に豪傑がひとり、またひとりと集まってくるように、シャーウッドの森に反社会的なアウトローが集まってきます。その梁山泊……おっと間違えたシャーウッドの森のリーダーがロビン・フットですね。宋江みたいなものです。

ところが、ロビン・フッド、この相手の実力を測るケンカで、けっこうケンカに負けています。リトル・ジョンにもそこいらの壺屋にも負けています。けっしてスーパーマンではありません。

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実在の人物か? 架空のキャラクターか?

ロビン・フッド物語のそもそもの起源が吟遊詩人だそうです。琵琶法師が起源の『平家物語』みたいだな。

平家物語』はほぼ実話ですが、ロビン・フッドが実在の人物である証拠はないそうです。

石川五右衛門(実在)鼠小僧(実在)というよりは、日本駄右衛門(架空のキャラクター)なのですね。いろんなキャラクターが集まって出来上がった人物のようです。雑賀孫一か?

物語の舞台は獅子心王リチャード一世の時代。12世紀の人物ですね。リチャード1世が十字軍遠征に赴いている間にできの悪い弟ジョン王の悪政に反抗した人物としていつしか描かれるようになりました。

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ライオンハート(獅子心王)リチャード1世。ライバルは英雄サラディン

世代でしょうか。獅子心王(ライオンハート)といえばSMAPの歌『らいおんハート』なんですが……。

リチャード一世はライオンハート、日本では獅子心王と呼ばれています。直訳ですね。こちらはロビンフッドと違って実在の人物です。なんでこんなカッコいい通り名・名乗りなんでしょうか。どんな偉大なことを成し遂げた英雄なのでしょうか。非常に気になります。

ちょっと話しがそれますが、ロビン・フッドの時代を知るために、ライオンハートを知っておきましょう。

リチャード1世は第三回十字軍の主要な人物で、その勇猛さから獅子のハートをもつ王と呼ばれました。キリスト教騎士の英雄でした。獅子心王のライバルはイスラム圏最大の軍事的英雄サラディンです。偉大な男には偉大な敵がいるというわけです。

この構図は歴史によくあります。自分を褒め称えることはうぬぼれだと嫌われてしまうからできませんので、自分のライバルを褒め称えることで間接的に自分を褒め称えるということをよくやります。たとえば砂漠の狐ロンメルを褒め称えるほど勝ったイギリス軍が間接的に褒め称えられるというわけです。リチャード一世もサラディンもお互いを褒め合っています。

※関連コラム「偉大な人物には偉大な敵がいる」

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獅子心王は、10年の在位中イングランドに滞在することわずか6か月で、その統治期間のほとんどは戦争と冒険に明け暮れたそうです。政治家としてはほとんど何もしていないにも関わらず、あきれるほど評価が高いのは、十字軍の戦場での英雄的な勇気に加えて、弟ジョン王の出来があまりにも悪かったために(失政続きで大憲章マグナ・カルタにしぶしぶ同意する愚王)、なおさら慕われたところもあったのでしょう。

ローズマリ・サトクリフ著『ロビン・フッド物語』では、途中、シャーウッドの森の弓の名手を一目見ようとこっそりロビン・フッドのもとを訪問したリチャード1性に忠誠を誓って地方の地主におさまります。そこらへんも権力に忠誠を誓ってしまう水滸伝の宋江に似ていますね。

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ディズニーの『ピーター・パン』もロビン・フッドのように緑色の服、緑色のフードを被っている

ロビン・フッドのフッドはFoodで帽子フードと同じスペルです。そこから洒落たのか、ロビン・フッドは緑色のフードを被っているキャラクター・イメージになっています。緑色の服、緑色のフードは、森の中では侵入者から見つけられにくく擬態となっていて合理的です。

同じイギリスの物語の『ピーター・パン』も、有名なディズニーアニメでは「緑色の服、緑色のフード」です。ここでロビン・フッドとピーター・パンのイメージが被ってしまうのです。

ディズニーはピーターパンのキャラクターづくりに、イギリスの英雄ロビン・フッドのイメージを借りたのかもしれませんね。

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血を抜けば病気が治る? ロビン・フッドの最期は、なんと瀉血による失血死

ローズマリ・サトクリフ著『ロビン・フッド物語』には、ギスボーンのガイというカッコいい名前の敵役が登場します。遠矢の神アポロンとか鷹の目のミホークみたいな通り名かと思ったらギスボーンは地名のようです。甲斐の武田信玄みたいな名乗りですね。地名+名前でした。

いったんは獅子心王に服従し、地方領主におさまったロビン・フッドでしたが、ジョン王の傭兵に襲われて妻マリアンを失ったショックから出奔し、ふたたび森の民となります。

そして老いたロビン・フッドの最期は、なんと瀉血による失血死なのです。

体調が悪くなったロビンは、瀉血してもらいます。むかしは瀉血という治療法があったのです。悪い血を抜けば体調がよくなると信じられていました。

ウチの妻が子供を出産した時、数年にわたって花粉症が出なくなったそうです。悪い血が出産時に出たからと本人は言っていました。一種の瀉血信仰ですね。数年たった後に再び花粉症に戻っていますが、再び瀉血したらなおったりして??

瀉血したまま寝入ってしまったロビン・フッドは、信じていた人に裏切られてしまいます。瀉血は適当なところで止血しなければならないのですが、血を滴らせたまま放置されてしまうのでした。そして失血死してしまうのです。

瀉血は、現在では医学的根拠はないとされています。ロビンも瀉血なんかしなけりゃもっと長生きできただろうに……あ、空想の人物か。

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ウイリアム・テルとは何者?

息子の頭上のリンゴを矢で射るシーンを待ちわびていた英雄——それはロビン・フッドではなく、ウイリアム・テルでした。

ウイリアム・テルはスイス人。イギリス人ではありません。時代も12世紀のロビンフッドよりも後で、13世紀から14世紀の人物とされています。

ウイリアム・テルの伝説というのは以下のようなものです。

悪政を敷く領主(オーストリアのハプスブルク家)の横暴に、平伏しないウイリアム・テル。悪代官ゲスラーはテルを服従させようと、息子の頭上のリンゴを80歩離れたところから撃ち落とせと命じます。もしできないのなら平伏せよ、と。

ところが見事にテルはリンゴを射抜きます。そして逃亡。悪代官を射殺します。そのテルに勇気をもらったスイスの人々は悪政に対して一致団結して反抗することになりました。自由を求めて。スイス建国の英雄です。

やはりウイリアム・テルは横暴な貴族・領主制の社会への反体制のシンボルです。ひじょうにロビンフッドに似ていますよね。どうりで私が混同したわけだ(いいわけ)。

こちらもヘルマン・ゲスラーというヘルマン・ゲーリング空軍元帥と、デスラー総統がゲスになったみたいなわりとカッコいい名前の悪役が登場します。

得意の弓が狩り矢ではなくクロスボウというところがロビンフッドと違います。

ところが——このウイリアム・テルもどうやら架空の人物のようです。彼の名が記された史料が見つかっていないそうです。

こんな重要な建国の英雄が実在かどうか証明されないなんてありえないことです。三皇五帝とか神武天皇じゃないんだから……13世紀から14世紀の人物ですよ。フビライ・ハンが実在の人物か証明できないなんてありえないことです。

ではなぜここまでウイリアム・テルが著名かというと、オペラのせいです。ロッシーニ「ウイリアム・テル」序曲という誰もが一度は聞いたことのある名曲があります。ウイリアム・テルはオペラによって不滅の命をえた架空のキャラクターなのです。歌舞伎によって不滅の命を得た弁天小僧みたいなものです。マスク・オブ・ゾロみたいなものですな。

イギリス人も、スイス人も、民族を問わず自由を求める英雄を民衆は必要としているということかもしれません。

矢の突き刺さったリンゴは「勇気」「自由の象徴」です。

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(本文より)知りたかった文学の正体がわかった!

かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。

しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。

世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。

すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。

『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。

その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。

Bitly

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