ドラクエ的な人生

愛って何だ。愛はあるのか? 野島伸司『世紀末の詩』

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「聖飢魔Ⅱの歌」ではなくて「世紀末の詩」

「聖飢魔Ⅱの歌」ではありません。野島伸司脚本のドラマ「世紀末の詩」です。アレクサで音声検索すると必ず「聖飢魔Ⅱの歌」が出てきます。いやだからデーモン小暮に用はないってば!

YouTubeにアップされた過去の連続テレビドラマの「主題歌だけが注意深く削除されている謎」については、こちらをご覧ください。

【YouTube】どうせ違法アップロードなのに、主題歌だけが消音になっている理由

このとき、私の念頭にあったのは野島伸司脚本のドラマ「世紀末の詩」でした。なぜかジョンレノンの『スタンド・バイ・ミー』が、アップロードされた動画から注意深く削除されていたので、“どうせ違法アップロードなのに、音楽にだけ気をつかってどうする?” と思ったのです。それだけちゃんとした動画を見たかった、というこちらがわの切実な理由があったからでした。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

Bitly

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野島伸司ドラマの最高傑作「世紀末の詩」

ドラマ「世紀末の詩」ってみなさん知っていますかね? 1998年の世紀末に放映されたドラマです。このドラマは「ひとつ屋根の下」「高校教師」「101回目のプロポーズ」など他の野島伸司脚本のドラマほどには人気が出なかったそうです。しかし私は野島伸司さんの最高傑作だと思っています。

どうして人気が出なかったのか?

ひとつには「童話」「寓話」だからだと思います。通常のテレビドラマのように「あたかも今そこで行われているようなリアリティ」で描かれた作品ではありません。レギュラーキャストのひとりはネコ(死神?)だし。ノストラダムスが出てくるし。

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「世紀末の詩」って、どんなお話し? あらすじ

学長選挙に負けた教授と、結婚式の最中に嫁を奪い取られた野亜亘が「愛とは何だ? 愛はあるのか?」と愛を探し続ける物語です。

教授と野亜亘が、自殺しようとしていた現場で出会い、潜水艦をつくりながら同居します。ゲストキャラクターの愛を見て、本当の愛とは何だ? と考える一話完結型のドラマでした。

サービスだぞ。荒ぶる魂が……といいつつ愛とは何か延々と語る教授。この教授が秀逸で、以来、私は山崎努さんのことを「教授」と呼んでおります。

「愛とは何だ? 愛はあるのか?」問答を、モロにやってしまっていることも、人気が出なかった原因かもしれません。日本人にはモロに語るこの手の「ソクラテスの弁明」みたいな作風があまり合わないのでしょう。私は「世紀末の詩」そういうところが好きなのですが。

ゲストキャラクターの愛は痛々しいものが多いのが特徴です。一見すると愛ですが、たぶんにエゴなどを含んでいます。そして教授に「愛ではない」と否定されます。しかし野亜はすこしづつ受け入れて成長していくのです。

この世の果てで愛を唄う少女」で恋人を待つ女幽霊の愛は、教授に否定されますが、野亜ワタルはすこしその気持ちを受け入れて自分の心に刻みます。

パンドラの箱」で失明から目が見えるようになった少女の愛を教授は否定しますが、ワタルは男性側の気持ちを心に刻み込むのでした。

狂った果実」で太陽に当たれない体質なのに、全裸でワタルのまえに飛び出した少女の気持ちを、やはり心に刻み込みました。

星の王子様」の拾い子への愛も、相手を信じ切れずに電車で轢死させてしまう「車椅子の恋」も、「天才が愛した女」で指の股を切ってもピアノを弾き切った少年の心も、ワタルの心に刻まれます。

恋するコッペパン」では食べると恋するという魔法のコッペパンを食べた里見先生はワタルにキスをします。二人の関係が一気に進展する重要シーンです。これまでに見てきた愛の姿から学んだワタルは教授と愛について議論できるまで成長していました。「愛とは生きることなんだ」ワタルは教授に叫びますが、教授の命はあとわずかでした。

恋し森のクマさん」ではクローン人間が登場します。人間は相手の何を愛するのか、肉体ではないのか? という問題を問いかけています。

そして「僕の名前を当てて」では20世紀末の最大の演出家であるノストラダムスが「愛でない者」として登場します。未来がないのは愛じゃないんですね。

20年間待った女」では、ワタルにアイスクリームや栗をたかっていた千秋ちゃんが、教授の本当の娘だということが判明します。よくここまで引っ張ったなあ。

最終話 「LOVE」では教授のおそろしく長いセリフが忘れられません。竹野内豊とセリフがかぶって危ない場面もありましたが、なんとかノーカットで切り抜けました。

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愛とは……唯一の真実の愛とは、互いの愛を確かめ合うための……愛とは……冒険だから

結婚式に花嫁を奪われたワタルは、里見先生の結婚式で今度は奪う側に回ろうと思います。「待ってるわ」しかし誓いの場になってもワタルは現れません。里見先生は諦めて婚約者との結婚を誓います。たぶん里見先生のは愛ではないんでしょう。

学校のタイムカプセルから出てきたのは教授の子供時代の夢でした。黄色い潜水艦で海の底に冒険に行く夢でした。しかし教授はもうこの世にはいません。女の下着を握りしめてトイレで死んだから。

ワタルは里見先生の結婚を笑顔で手を振って見送りました。そして教授の作った(教授の幼いころの夢だった)イエローサブマリンで海の底へと潜っていきます。きっとワタルは愛を探しに行ったのでしょう。

なぜなら愛とは……唯一の真実の愛とは、互いの愛を確かめ合うための……愛とは……冒険だから。

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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