トルストイ『イワン・イリッチの死』死とどう向き合うかは作家の執筆動機の筆頭。死の直前の回想は作家ならモチーフにしたい状況

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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作家であれば、誰しも一度はモチーフにしたいと思う状況設定

自分は死ぬ時に何を考えるのだろう。自分の死体は誰がどのように処理してくれるのだろうか。およそ作家であれば、誰しも一度は作品のモチーフにしたい状況です。「自分の死とどう向き合うか」は、作家の執筆動機の筆頭だといっても過言ではありません。

たとえばヴィクトル・ユーゴーも同様のモチーフで作品をものにしています。

『死刑囚最後の日』ヴィクトル・ユーゴー。死に臨む書、アンフェアな書物

でもあまり多くの作家がそれを書いていないのは、あまりにもベタな設定だし、先人が一度書いたことに新しく付け加えることが何もないから、みんな書かないのでしょう。けっきょく、死は死であって、おもしろいことも、変わったことも、神秘的なことも何もないからなのだと私は思います。

ところが、作家なら誰でも書きたい死ぬ直前という設定で、小説をまともに書いた人がいます。その人はロシアの文豪トルストイ。『イワン・イリッチの死』という作品がそれです。タイトルからして、そのまんま、な作品です。

人が死ぬ前にどう思うのか。これは人生の総括を描いた作品です。

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トルストイ『イワン・イリッチの死』の書評。内容

短い作品です。作品冒頭から主人公のイワンは死んでいます。そして死んだイワンのことを、生き残った人たちがいろいろと噂しています。そのあたり黒澤明監督の映画『生きる』と似た構成です。もしかしたら黒沢明は構成を参考にしているかもしれません。

公務員はやりがいのある仕事か? 官製ワーキングプア問題を報道するマスコミの矛盾

「年金を即座に欲しがる未亡人。」が登場します。

「医者もはっきり診断ができなかったのさ。みんなまちまちなんだ。」

さてイワン・イリッチ(レフ・トルストイ)は死ぬ前に何を思うのでしょうか?

「カギカッコ。」の中は本書本編からの引用です。

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自分はまだ生きている。死んだあいつよりは、自分のほうがまだマシだ

死んだのはおれではなくあの男だ。といういつも変わらぬあの悦びの情を呼び覚ましたのである。」

「死んじまった。だが、おれはこの通りぴんぴんしてるぞ。

「三昼夜の恐ろしい苦しみと死、それは今すぐにも、ほかならぬ、このおれのことになるかもしれぬのだ。」

日本でも、年末になると「その年に亡くなった有名人、芸能人」の特集があったりしますよね。テレビで取り上げられるのは栄耀栄華を極めたような人たちばかりですが、そういう人たちを見て「死ぬよりはマシだ、おれはまだ生きている」と思うことはありませんか? その点、ロシア人も、日本人も、同じ感覚のようです。

「イワン・イリッチが耐え忍んだおそろしい肉体的苦悶。」

「イワン・イリッチの最後の様子などを興味ありげな様子で、根掘り葉掘りききはじめた。それはまるで死というものが、イワン・イリッチのみに特有の変事であって、自分にはまるで関係がないというような風だった。」

私にはこの感覚がよくわかります。死は他人ごとであり、自分ごとではないという感覚。

この自分が死ぬなんて。そんなバカな。……みんなそう思っているのです。

ライバルみんな墓の中(徳川家康)。長生きするということは人生のひとつの勝利のかたちに違いありません。短命だということは不幸のひとつのかたちに違いありません。

もちろん例外はあります。それは理解できます。

映画『300』スリーハンドレット。永遠に生きるがいい

しかしやはり自分より先に死んだ人に対して、このように感じて自分を慰めるということは、世界中の誰にでも起こる感情なんだなあ、と思わずにいられません。

「自分はまだ生きている。死んだあいつよりは、自分のほうがまだマシだ」

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死の病床で、誰もが自分の死を信じられず、うろたえる。

「自分の身にそんなことが降りかかるなんて、とうていありうべからざる話だ。そんなことの起ころうはずがない。」

「吸収作用が起こり、排泄作用が起こって、規則正しい機能が復活されたように夢想する。

誰しも病気になると全快することを夢想しますよね。この気持ちもよくわかります。

「もう今から気分が良くなったような気がする。ずっとよくなったようだ。……なんということだ。またしても。決してやまない痛み。もとは生命があった。それがいま逃げて行ってる。おれは死にかかっている。前には光があったが、今は闇だ。前にはおれはここにいたが、今はあちらに行ってしまう! いったいそれはどこだ?

ド直球な叫びです。作家なら誰でもコレ書きたいよね。文学が人間を描くことだとすれば、この叫びこそ真実の叫びだもの。なのにそういう作品がすくないのは、トルストイに先にやられちゃったからかな。

「こうしておれはしだいに深い淵のほとりに近づいていったのだ。だんだん力がなくなってくる。眼の中には光がなくなってしまった。つまり、死なのだ。」

「ところが、これは死なんだ。それはあまりに恐ろしいことである。」

痛い。おそろしい。どうなっちゃうのかわからない。でもそれだけ。それが『イワン・イリッチの死』で描かれた死でした。そこから先はブラックボックスです。大文豪にもわからないのでした。

「人間であるカイウスは死すべきものである。しかしそれは彼自身にはぜんぜん関係のないことであった。彼は他のものと異なる特異の存在なのだ。かれはワーニャであった。愛され、歓喜、悲哀、感激、こういうものに満ちたワーニャなのである。いったいカイウスが母の手に接吻したろうか? 恋をしたろうか? カイウスと同じように死ななければならないとは。

またしてもド直球な感想です。好感がもてます。人間は生まれたときから、自分の目を通して世界を見ています。真の意味で肉体的実存感があるのは自分自身だけであり、すべての感情を経験しているのは自分自身だけであり、他人とは違う真に特別な存在です。その自分がその他の人と同じように死ななければならないとは。。。

肉体宣言。生きがいとは何だ? 肉体をつかってこその生き甲斐

仏陀は「その自分も塵芥のようなもの。諸行無常」と観相したわけですが、普通の人は「そんなことありえない。この私が死ぬなんて不条理だ」と考えます。それは公平で、けっして不条理じゃないのですが、そう感じます。死に理由なんてないのですが、必死に理由を探そうとします。そうでなければ納得できないからです。

仏陀のいう悟りとは、富や名誉といった外的要因にも、よろこびや満足といった内的要因にも、いちいち影響されないこと

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なんとか生きようと頑張る。奇跡を望む病人心理

「健康、力、活気、生命、こうしたものを他人から見せつけられるとき、イワン・イリッチに侮辱感をあたえずにおかなかった。」

健康は空気のようなもので、なくしてはじめてありがたみを痛感できるものです。

「たとえどんなことをしてみても、さらに悩ましい苦痛と死のほかには、結局、どうもなりようはないのである。」

「阿片をお飲みなさいな。」

療養中もよくなる兆しがあれば耐えられますが、療養しても悪くなっていく一方だと心が折れてしまいます。

「早く落ちるところまで落ちてしまおうと思う。」

「もうこれ以上我慢しようとも思わず、子どものように声を上げて泣き出した。彼は自分の頼りなさを想い、自分の恐ろしい孤独を思い、人間の残酷さを思い、神の残酷さを思い、神の存在しないことを思って泣いた。」

「なんだってこんな恐ろしいいじめ方をするのです? 答えはない。あるはずがないのだ。再び痛みが襲ってきた。」

イワンは神に対して問いかけます。この問いに答えられるのは神しかいません。だからこそ神は「必要」だともいえます。

「さあ、もっと打ってください。しかしいったい何の罪なのです。いったい私がなにをしたというのです? なんのためです?」

「何を望むのか? 今まで生きてきたように、気持ちよく愉快に。」

生きのびたとしてどうなるのか? 何をするのか? 何のために生きるのか? そういうド直球なことをイワンは考えます。でも「気持ちよく愉快に」としか答えようがありません。「偉大な使命を成し遂げるため」とかではありませんでした。人間ってのは何かを成し遂げるために生まれてきたというのは幻想で、本当はただ生きのびるだけでいいのです。

子供のいない女性は無意味なのか? 生きること。人生の意味を問う格好の命題

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人生の黄金期は幼年時代なのか。人間は無意味に耐えられない

「幼年時代。その時代が帰ってきたら、それを楽しみに生きていけそうな気がした。しかし、この愉快さを経験した人間はすでにない。それは誰か別な人間の追憶みたいなものであった。幼年時代から遠ざかって今の彼がつくりあげた時代に喜びと思われたものが、今の彼から見ると、その多くは汚らわしいものにさえ思われた。すべては依然として同じである。先へ進めば進むほど、いよいよ生気がなくなってくる。自分は山に登っているのだと思いこみながら、規則正しく坂を下っていたようなものだ。命が自分の足元から逃れていた。こうしていよいよ終わりが来た。もう死ぬばかりだ。」

「そんなことがあるはずはない。人生がこんなに無意味で、こんなに汚らわしいものだなんて。人生が無意味なものであるにせよ、いったいなぜ死ななければならないのだ? なぜ苦しみながら死ななければならないのだ? なにか間違ったところがあるに違いない。」

人間は人生の無意味さに耐えられないのです。

「その恐ろしい墜落と、ショックと、崩壊を待っていた。」

「逆らうわけにはいかない。しかし、なぜこんなことになったのか、せめてそれだけでもわかればいいのだが、それすらだめだ。

悲痛です。それをカイウスやイワンのみの他人ごとととらえるか、自分ごとにとらえられるかで「あなた」の成熟度がわかります。

「自分の生活は作法に外れていなかった。それなのになぜ? 説明のしようはない。苦痛、死、……いったい何のためだ?」

「悩ましい肉体の苦痛。あっちへ行け。うっちゃっといてくれ!」

「なんともいえないほど恐ろしい叫び声。」

「彼はもうだめだと悟った。もう取り返しはつかない。最後がきたのだ。本当の最後が来たのだ。しょせん助からぬと知りながら暴れまわった。

「自分の苦しみはこの暗い穴の中へ押し込まれることであるが、それと同時に、ひと思いにこの穴へ滑り込めないことにより多くの苦痛がふくまれている。生の肯定が彼を捕らえて先へ行かせまいとするために、彼を苦しめるのであった。

ひと思いに死ねれば苦痛はなくなるとわかっていても死ねない、それが人間なのでした。

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死ぬ前に気づけたことは、たわいもないことだった。

「つきそう家族。そうだ、おれはこの人たちを苦しめている。かわいそうだ。しかし、おれが死んだら、みんな楽になるんだ。

「今まで彼を悩まして、彼の体から出て行こうとしなかったものが、一時にすっかり出て行くのであった。妻子をこの苦痛から救って、自分も逃れねばならない。」

「なんていい気持だ。そして、なんという造作のないことだ。」

「死の代わりに光があった。ああ、そうだったのか。もう死はおしまいだ。もう死はなくなったのだ。」

同時期に読んでいたヴィクトール・フランクル博士の書いた『死と愛』という書物にはこう書かれています。

「人間は最期の瞬間、内的な偉大さに達する。人生の意味を死によって得ることができる。今までの全人生をある意味に満ちたものにまで高める。自らの人生を犠牲にすることが人生に意義をあたえるばかりでなく、人生は失敗においてすら充たされうる。

イワンがたどり着いたのは、家族に迷惑をかけている、かわいそうだ、自分が死ねば彼らの重荷が減る、という気持ちでした。

たったそれだけ?

そう思うでしょう。

たったそれだけです。それが大文豪トルストイの書いたことでした。ドストエフスキーだったらキリスト教の王国に救いを求めたと思います。

ドストエフスキーは今日の日本人にとっても本当に名作といえるのか?

そのぐらいしかないんですよ、きっと。

死ぬ直前の文豪にしかわかりえない人生の秘儀、そんなものは「ない」のです。

文豪にしか書けない「命の結論」「人間の生き方の隠された秘密」みたいなものは何もありません。

そのことはたくさん読書をしてきた今だからこそわかることです。

それを知るために、私は自分が死ぬ前に著名な書物をすべて読んでおきたいと思うのです。

自分の死に自分が納得するために。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
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×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
https://amzn.to/43j7R0Y
×   ×   ×   ×   ×   × 
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Amazon.co.jp: 帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル (民明書房) eBook : アリクラハルト: 本
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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

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●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
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●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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