ドラクエ的な人生

読めない明治文学。国文学の翻訳文学化・現代語訳の提案

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ものごとは抽象的に言うよりは具体的に言う

最近のキラキラネームに限らず、人の名前というのは読めないし書けません。名前の漢字というのは特殊な読み方をしたりするから余計に読めません、書けません。

読書家の定義。登場人物の名前の覚え方・テクニック

さらにそれを電話で伝えるとなるとなかなか至難の業です。

ウカンムリにクサカンムリにミルという漢字です……と言ってもなかなか伝わらないものです。

そういうときは「よく知られた人名」「よく知られた熟語・故事成語」のアレですと伝えた方が相手にわかってもらえることが多いものです。

ものごとは抽象的に言うよりは具体的に言った方が伝わりやすいのです。

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電話で名前を伝える難しさ。栄枯盛衰

たとえば寛(ひろし)という字は、ウカンムリにクサカンムリにミル」ですと言ってもまずわかってもらえません。こういうときには「よく知られた人名」をつかって伝えましょう。

寛(ひろし)という字は、ひと昔前だと作家の「菊池寛の寛の字です」といえば伝わったものです。ところが……最近の人は菊池寛じたいを知りません。こうなると相手に寛の字を伝えることができません。

ところが今では阿部寛さんというビッグネームがいますので「俳優の阿部寛の寛の字です」と伝えればだいたいわかってもらえます。

この伝え方は引用した人名がどれだけ有名かにかかっているのです。

たとえば哲哉(てつや)の哉の字を伝える時は、昔だったら「作家の志賀直哉の哉の字です」といえば伝わったのですが、今の子には難しいみたいです。若い子は志賀直哉じたいを知りませんから……。今だったら「木村拓哉の哉の字です」と伝えた方が確実に伝わるでしょう。

イロハ

先日、志賀直哉って誰ですか、と問い返されてビックリしました。

むむむ、志賀直哉を知らないのか……。松田聖子を知らない若い人にくらべたらまだ衝撃は小さくはありますが、それでもやっぱり栄枯盛衰、時代の流れを感じますね。

松田聖子『青い珊瑚礁』永遠のものなんてない

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国文学も翻訳文学化しないといつか滅び去るだろう

名前も知らないということは、そういう意味ではもう志賀直哉は消えたということでしょう。かつては小説の神様と呼ばれていた人なんですけどね。今やもう彼の小説を読む人はほとんどいないということですね。

私もどっちかといえば志賀直哉よりは島崎藤村を読んでみたいですから。西欧文学中心に読んでいるのでどちらも未読ですが。

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国文学の翻訳・現代語訳の提案

イロハ

先日、「自転しながら公転する」という小説を読んでいたら、こんなくだりがあったよ。寛一・お宮の『金色夜叉』が、現代語と違っていて日本語なのに何が書いてあるのか全然頭に入ってこないって(笑)

なるほど気持ちはよくわかります。たぶん私でも金色夜叉を読むのは辛いだろうと思います。この意味は「内容が古臭くてつまらなくて読めない」のではなく「文体が文語体すぎてなじみがなくて読めない」という意味です。

私は明治あたりの国文学も、翻訳文学化しないといつか滅び去るだろうと思っています。だって読めないんだもの。文体が古すぎて。夏目漱石以前の作品は基本的に読むのが辛いと思っています。でもなまじっか読めるから誰も翻訳(現代語訳)しようとはしませんよね? これで読者を新たに獲得しようなんてムリじゃね?

ドイツ語やフランス語なんてどうせ読めないから翻訳者が翻訳してくれます。だから私たちはいまでも金色夜叉よりもはるかに古い時代の本でも読むことができます。イリアスなんて紀元前のギリシア語の物語ですら面白く読めます。

でも「金色夜叉」などはなまじっか日本人の書いたものだから翻訳の手が入りません。単語は読めるからねえ。だから永遠に読めないということになるのです。森鴎外とか、尾崎紅葉とか、そのあたりは「翻訳」してもいいんじゃないでしょうかね。

明治以前の小説で、今の読者が読めないけれど面白いものは、翻訳文学扱いして翻訳者をつけてもいいのではないでしょうか。だってどうせ読めないのだから。

そのぐらい本の方から歩みよってくれないと読もうという気にならないですよ。

どうせ原書は読めず翻訳文学を多読している私アリクラハルトからの提案でした。

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