会話術の革命

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受け取ってくれて、ありがとう。

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噛み合わないある日の会話(サンプル)

「暑くなってきたから、羽毛をしまおうか」と妻が言った。

「しまう前に洗濯する?」と私。

「カバーを洗うよ」妻が言う。

私は羽毛布団のカバーを外して洗濯機に入れた。

「じゃあ洗うよ」別室の妻に言った。

「羽毛は洗わないからね」隣の部屋から妻の声がする

「え? さっき洗うっていったじゃん」

「毛布は干すだけにしてね」

「はあ? 洗うっていうからカバー外したのに」

「まだ使うんじゃない? 今日は干すだけでいいよ」

「もう何いってるのか全然わからない! なんでこう会話が通じないかな!? もう嫌になっちゃうよ!」

文字にすると全然伝わらないと思うが、この会話で私はひどく妻の機嫌を損ねてしまった。

「もう嫌になっちゃうよ!」という言葉は、文字にするとそうでもないが、音声で叫ぶと人を傷つける。

しばらく妻の機嫌は直らなかった。

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会話が噛み合わないのはいつものこと

その程度のことで「もう嫌になっちゃうよ!」と叫ぶなんて、と人はいぶかるだろう。

これだけではない。もう朝からずっと会話が通じないのだ。

ずっと会話が噛み合っていない。

嫌になってしまうほど。

妻の言っていることと、夫が言っていることと、ぴったりと気持ちよく合致することがないイラつく会話が朝からずっと続いていた。

それ自体はいつものことだ。

いつも会話は噛み合わない。

2割ぐらいは常に会話が噛み合っていないと感じている。

それぐらいなら気にならない。もう慣れた。いつものように聞き流すだけだ。

ところがこれが朝からずっと会話が噛み合わないと、さすがに絶望してしまう。

もう何を言っても通じないのではないか。

そう思ってしまう。

どうしてこう会話が通じないのか。

言葉というのは不完全すぎる。

会話で他人と意思疎通することなんてありえない幻想かもしれない。

不可能な挑戦をしているだけなんだろうか。

こんなに通じないのなら、いっそ黙っていよう。

私は言葉というものの不完全性、人間対人間という関係性に絶望したのだ。

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会話を先読みして、とってしまうという悪会話術「先読みクイズ」

噛み合わない会話は、ちょっとだけイライラする。

その会話の噛み合わなさが朝からずっと続くので、さすがの私もキレてしまった。

妻を責めているつもりはない。

個人攻撃ではないのだ。誰が相手でも同じだ。

人間対人間として、コミュニケーションの難しさに絶望したのだ。

言葉の能力の限界に絶望したのだ。

私の言語能力が不足していると言っているのではない。

言葉そのものに限界があり、どんな人でも、この言葉の無力さの前で絶望するのではないか。

そう思っている。

会話が噛み合わないときは、主語が違っていることが多い。

違う対象について話していたら、会話は噛み合わなくてあたりまえだ。

妻にはかつて、会話を先読みして、とってしまうというくせがあった。

私はオチを考えながら話す癖があるので、プロの物書きの割にはあまり流暢に話せないのだが、そのせいで妻に会話を先取りされてしまうことがよくあった。

私が言葉に詰まっていると、きっと✖✖という話しだよね、と話しを読んで、先に言おうとするのだ。

先読みクイズはやめてくれ」と私は言った。

「あなたが考えていることは〇〇だよね?」と妻は言葉を先に継いでしまう。

私の詰まった会話を助けてくれているつもりなのだろうが、全然、助けになっていなかった。

問題はその会話の先取り内容が完全に外れていることなのだ。

すると私は「いや、そうじゃなくて。。。」と否定語を挟まなければならなくなる。

それはそうだろう。

世の中は幾千万の事象から成り立っているのに、そのうちのひとつを先読みしたところで当たるわけがないのだ。

確率論からいっても、会話の先読みは100%外れる。

当たるわけがない。

幾千万分の一の確率なんてゼロと同じだ。

だったら黙って相手の話しを聞いている方がいいではないか。

そういって妻に注文をつけたことがある。

それ以来、妻はこちらの話しを聞いてくれるようになった。

しかし今でも会話は噛み合わないことが多い。

なぜだろうか。

 

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男と女の会話の違い

男と女の違いかもしれない。

男側(私)はなるべく話題を狭めていこうとする。

そうしないと話しの結論が出ないからだ。話のオチがつけられない、といってもいい。

世の中のありとあらゆることは関係がある。関係のあることを何でも喋っていいとしたら、会話に終わりがない。

そんなことをしていては、何の結論も出ないではないか。

話すべき内容(主語)を狭めるからこそ、何らかのオチがつけられるのである。

でも女側(妻)はきっとそうではないのだろう。

会話なんて終わらない方がいいのだから、何を話したって構わない。

今の会話内容とすこしでも関係があれば、ちょっとぐらい会話が飛躍したって構わない。

むしろ飛躍した方がおもしろい。

ありとあらゆることは関係があるのだから、会話が尽きることはない。

会話が尽きないことが何よりも重要なのだから、頭に浮かんだら何でもいいから離さないと損だ。

そんな風に女サイド(妻)は喋るのだ。

だから女同士は延々と喋っていることが可能なのだろう。

しかし男は、それじゃあ会話が終わらず、結論がでないと思う。

男側がずっとAの話題をしているのに、女側はいつのまにかBやCの話題をしている。

男サイドはAの話しがまだ終わっていないのに、BやCの話しをされても、脳ミソがついていかない。

しかし女サイドから見るとBやCの話しも同じことなのだ。

その主語の変化についていけない。

やはり個人個人違う背景、感受性をもっている。

会話の主体語の個人の嗜好による変化に、他人であるこちらは付いていけないのだ。

主語の飛躍についていけず、主語違いから会話が噛み合わない。

違う主語の話しをしているのだから、話しが噛み合うわけがない。

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会話が噛み合わないときは、聞き流すしかない

全体について茫洋と話すタイプか、部分についてオチをつけるタイプか、の違いと分析してもいいかもしれない。

どちらも必要で、正しいことだ。

どちらもいいのだ。どちらが悪いとか、いいとか、そういう話しではない。

しかし私は妻と会話が噛み合わなくて、ほとほと困っている。

話している対象(主語)が彼女のセンスで飛躍してしまうので、会話を見失ってしまうのだ。

頭がついていかない。

こんなことを書いていても会話上手なのは妻のほうであり、私ではない。

だからこれは妻の批判ではない。

会話の不可能性に悩むのは人間の宿命なのだろう。

みんなどこかで折り合いをつけてやっているに違いないのだ。

話しが食い違っている時は、たいてい主語が違っている時だ。

「ある日の会話」でいうと、夫は終始羽毛布団のカバーの話しだけをしているのだが、妻は「冬の寝具」という括りで会話をしているため、不毛布団のカバーの話しをしたり、羽毛布団の中身の話しをしたり、毛布の話しをしたりしている。

これでは会話が噛み合うわけがない。

夫は妻の主語の千変万化についていけない。

こういうことがずっとずっと際限なく続くと、まともに会話するのは無理なんじゃないかと思ってしまう。

妻の会話の飛躍に一生懸命ついていこうとしたこともあったが、無理だった。

まともに聞いたら気が狂ってしまう。

言葉が通じないことに慣れろ。

それしか生きる道はない。

会話が噛み合わないときは、相手を批判せず、ただ聞き流すしかない。

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会話革命とは?

会話することで夫婦仲が悪くなるぐらいなら何も喋らなくていい。

イヌやネコだって会話なしでコミュニケーションしているんだから、おれたちだって何とかなるはずさ。

おれはもう会話(言葉)の力を見限っている。

できるのは会話の主体(主語)を際立たせる話術を駆使すること。それぐらいだ。

もう言葉や会話に期待していない。

それでも妻には遠慮なく話してほしいと思っている。

明るくおしゃべりなところを好きになったのだから。

黙り込まれるよりは、明るく喋っていてほしい。

おれが何を言っているのかわからなくても、それでもどんどん喋ってほしい。

ただしおれが無言だったときにはそれは無視しているのではなく、自由自在な主語の飛躍に脳みそがついていけず、ちょっと何を言っているのかよくわからない状態だからだ。

無言のおれのことなんて無視して喋り続けてほしい。

会話革命を起こさなければならない。

そうしなければ、いつまでも小さなイライラがつづく。

会話が通じないことにイライラするのではなく、会話は通じなことが前提だと思え。

通じない前提の中で手探りでちょっと探ってみる。

相手の意図を探り当てられたらラッキー、わからなかったら深入りしない。

会話が噛み合わないことに、困ることはないのだ。

何も喋らなくたって別にいいのだから。

命にかかわる重要な会話なんてほとんどない。

私は夫婦の会話が噛み合わないときに、いつも戦国大名の領地をイメージしている。

本拠地は離れており互いに和睦を望んでいるが、領地が接している部分でちいさく領土争いをしている。

それが私の噛み合わない会話のイメージである。

小さな触手の先端でお互いの意向を探り合って、なんとか相手の気持ちを理解しようとしている。

伸ばした小さな触手が相手の意向を探り当てることもあるが、できないこともある。

そのときは聞き流すしかない。

会話、これはゲームだ。

クリアできることもあれば、できないこともある。

深刻にとらえることはない。

言葉の不全に悩むこともない。

会話が噛み合っていないのではない。

ただ相手の嗜好を探り当てられなかっただけだ。

これが私の会話革命である。

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