物語、小説のはじまりは「怒り」から。詩聖ホメロス『イリアス』は軍功帳。神話。そして文学
「怒りを歌え、女神よ。ペレウスの子アキレウスの――」
これは人類最古の物語のひとつ。ホメロスの『イリアス』の冒頭です。
世界中に物語はありますが、すべての物語の始祖はアキレウスの「怒り」から始まりました。
神の「愛」とかですべての幕があけそうなイメージがあるじゃないですか。でも現実は人間の「怒り」から詩と物語は始まったのです。
このページでは世界最古参の物語に敬意をこめて、『イリアス』の見どころを解説します。
この物語の舞台となるトロイが実在したことは、すでにシュリーマンが証明していますが、私が読んでも「あれ、これ実話なんじゃない?」と思われるところが見つかりました。
『イリアス』はフィクションにしては軍立て、軍容を詳しく書きすぎています。そのために費やした行数はエンターテイメントをぶち壊してしまうほどに詳細です。出征兵士の出身地や人数などをあまりにも詳しく語りすぎています。そんな数字に読者は興味ありませんよね? なになに村から何人、なになに村から何人……と延々と書き連ねてあるのです。これはエンターテイメントを壊します。のちにギリシア悲劇などのエンタメを生み出した古代ギリシア人ですから、エンターテイメントの勘所がわかっていなかったはずはありません。エンターテイメントを逸脱してもなお軍建てについてわざわざ語ったのは、一種の軍功帳みたいな意味があったのだと思います。出征兵士の功をたたえる意味で書いたとしか思えません。つまりそれは実話だったということです。ただのエンタメだったとすれば延々と軍容や個々人の小さな功績を語る意味がわかりません。
英雄とは半神半人のこと。「何もできずにあっさり死ぬ」英雄もいる
『イリアス』とはトロイア戦争を舞台にした英雄物語です。英雄といっても「偉大なことを成し遂げた人」ではありません。アメコミのヒーローとは違います。もともと半神半人のことをヒーローといったようです。
だからこの時代の英雄というのは「凄いことをやってのけた人」という意味ではありません。片親が神さまだという意味です。だからイリアスに出てくるヒーローは、ヒーローなのに何もできずにあっさり戦死したりします。
トロイア戦争に登場するアキレウスは母親が海の女神テティスです。父はただの人。半神半人のヒーローは死すべき種族です。そこが神とは違うのですね。どちらかというと人間に近いかな。「神に愛された人」ぐらいのイメージでいいと思います。
ヒーローですら「何もできずにあっさり死ぬ」世界で、本当に「偉大なことをやってのけた人」がまぎれもなくアキレウスです。だからこそアキレウスは世界最古の物語『イリアス』の主人公とされているのです。そして後世、アキレウスのような偉業を成し遂げた人のことをヒーロー(英雄)と呼ぶようになったのです。
アキレウスはもっとも力が強く、もっとも足が速く、いちばんイケメン
さて、そのアキレウスとはどんなキャラクターなのでしょうか?
ホメロスは『イリアス』中で、アキレウスはギリシア軍(アカイア軍)中、もっとも力が強く、もっとも足が速い英雄と歌っています。
二番目に力が強いのが大アイアース。身体がデカかったので「大」アイアースと呼ばれます。
二番目に足が速かったのが小アイアース。小柄だったので「小」アイアースと呼ばれます。
アキレウス=大アイアースの力+小アイアースの俊敏さ+パリスのイケメンって感じでしょうか。
これが現代人の設定だと「もっとも力が強く、もっとも足が速い」というのはキャラクターとしてなかなか成立しにくいと思いませんか? シュワルツェネッガーみたいな男が「もっとも力が強い」キャラクターに当てられそうですが、どうみても「もっとも足が速い」ようには見えません。ウサイン・ボルトみたいな男が「もっとも速い」わけですが、力はやっぱりシュワちゃんに劣りますよね。アスリートならわかると思いますが、速さと力の両立ってとてもむずかしいのです。
それを両立させているのがアキレウスです。また、力が強いのを英雄の項目とするのはわかりますが、足が速いのを英雄項目に扱うのも面白いと感じました。古今東西、怪力がウリの英雄はたくさんいますが、俊足がウリの英雄はそれほどいません。
そしてアキレウスは金髪でギリシア軍の中でもっともイケメンだったとされています。いやあ、どうやってアキレウスをイメージしましょうか。身近にはいなさそうな完璧な男です。これはもう脳内でイメージするしかありません。アキレウスをイメージできるのは、あなたの脳内イメージしかないのです。
映画や漫画よりも、文章の方が優れているところがあるとすれば、アキレウスのようなキャラクターにおいてその優位性がはっきりとします。
アキレウスがいるからこそ『イリアス』は、映画などで超えることができない不朽の名作となっているのです。
ちなみに映画『トロイ』ではムキムキに鍛えたブラッド・ピットがアキレウスを演じていました。何とか万人を納得させるギリギリのキャスティングだったと思います。
トロイは実在した。アキレウスも実在したかもしれない
最高のイケメンで、最高に力が強くて、最速の男。一国の王子で、総大将アガメムノンの命令さえ無視するアウトロー……現実にはそんな完璧な男はいないよ。架空の物語だからそんな「完璧野郎」を登場させられるんだ。
そう思ったアナタには強烈な反論を加えましょう。かつて『イリアス』は架空の物語と思われていました。トロイア戦争なんて伝説だと思われていたのです。
しかし神話上の架空都市トロイ(イリアス)を現実と信じたドイツ人ハインリッヒ・シュリーマンによって、トロイは発掘されました。
トロイは現実に存在したのです。
だったらアキレウスだって存在したかもしれません。そんな名前の軍人がいたっておかしくないでしょう。
ゼウスやアテナやアポロンだって……さすがに存在しないか(笑)。
シュリーマンが『イリアス』を現実だと信じた根拠は詳しすぎる軍容、人名。軍功帳の意味があったのではないか。
結果論になりますが、シュリーマンが英雄叙事詩『イリアス』を現実だと信じたのは無理もないなあと思うところが多々あります。
原作を読むと、たとえば作品中、トロイア戦争に参加する軍容が延々と述べられています。物語の興味を削いでしまうほど縷縷と軍容が述べられているのです。
エンターテイメントの目線からいうと、ちょっと詳しく書きすぎなぐらいです。これが現代の物語だったら「総帥アガメムノン率いる総勢✖万人」で済ませてしまうような箇所です。それを聞き手(読者)が興味を失ってしまいかねないほどのアンバランスさで〇王率いる✖人、△王率いる□人……と延々と軍容が語られるのです。その後の物語にいっさい登場しないような王様の名前まで詳しく書いています。
フィクションにしては軍容を詳しく書きすぎています。なぜこのように詳しく王の名前と兵士の数を述べなければならなかったのでしょうか? 答えはひとつ。それが歴史的事実だから。ということ以外には考えられません。
この当時の軍団を率いていたのは各地域の王様でした。なので後世の読者にとってはここで自分の出身地(の王様の軍容)が読み上げられることは名誉なことだったのでしょう。出兵した地方の人たちの功を讃える意味で延々と語ったのだと思います。いっしゅの軍功帳みたいな意味があったのだと思います。ただのエンタメだったとすれば延々と軍容や功績を語る意味がわかりません。
準主役級の二人の名前がアイアスなのも、どうかな? と思います。もし現代の作家がフィクションを書くなら、別の名前にしたはずです。大と小って……なんか小がかわいそうな気がします。
当時のギリシアはそんなに今ほどエンタメの技術が劣ったのでしょうか。作者は読者の心を知らなかったのでしょうか? けっしてそんなことはありません。むしろいまだに超えられない第一級のエンタメ作品が『イリアス』です。
それほどの作品が大アイアース、小アイアースなんて名前で準主役を登場させるというのは……それが事実だったから、と考えられるのです。
『トロイア戦争』を架空戦記と思った根拠はすべて「神が由来」とされているから
シュリーマン以外の人たちが『イリアス』を架空戦記だと思ったのにも同じように理由があります。フィクションだと思っても「無理ないなあ」と思わせるところが多々あるのです。
たとえばそこに描かれる人間の行為がすべて「神々のおかげ」「原因は神」だとされているところなどです。だからギリシア神話なのですが。(『イリアス』はギリシア神話が文書化された最初の作品だとされています。いわゆる神の存在根拠です)
運命論(人間に自由意思などない)のように、『イリアス』ではすべてが神のたまものという世界観になっているのです。
誰それを討ち取ったのも神のおかげ。誰それが戦死したのは神の恨みを買ったから。いくさの勝利も敗北も神のご機嫌次第というように『イリアス』では描かれています。戦争が起こったのも「神の計画だった」ということになっているのです。
それが本当なら、兵隊をかき集めたり、戦略を練ったりするよりも、神の祭壇に祈りを捧げた方がいいですよね? 古い世界で、将軍よりも司祭のほうが地位が上だったのは、こういう現実を反映しているのです。
『イリアス』は『古事記』に似ている
このように『イリアス』ではいたるところに神が顔を出すために、日本の『古事記』が神道の神様にとってバイブルであるように、ギリシア神話の神さまの物語を伝える役割を果たしています。
天照大神が古事記に登場するように、ゼウスがイリアスに登場するのです。
人間くさい悩み、感情は古代人も現代人も同じ
さて、最古の物語を展開させた「足速きアキレウス」の怒りとはどんなものだったのでしょうか?
「遠矢の神アポロン」により愛する女クリュセイスを取り上げられてしまった総大将アガメムノンは、配下の将アキレウスの愛する女ブリセイスを取り上げることで溜飲を下げていました。
おさまらないのはアキレウスです。権力を笠に女を奪われるなんて恥辱です。
そもそもパリスに女(絶世の美女ヘレナ)を奪われた恥辱からトロイヤ戦争をはじめたのに、自分も人から愛する女を奪うとは何ごとか、というわけです。愛する女を奪われる恥辱を知るのはアガメムノン兄弟だけだと思っているのか? という非常に人間くさい怒りが、世界最古の物語をスタートさせるのです。社長にさからう社員のような立場がアキレウスです。
アキレウスは今でいうサボタージュに出ます。出勤しなくなるのです。しかしギリシア軍最大の英雄アキレウスなしにトロイヤ戦争は勝てません。これはそのように神のさだめた運命の戦だからです。
負けそうになったギリシア軍の総帥アガメムノンは、アキレウスの機嫌をとるために奪った女ブリセイスを返した上でさらに「お詫びの贈り物(補償)」を提案するのですが、誇り高いアキレウスは謝罪を受け入れません。
大アイアースはアキレウスの態度に憤慨します。
「兄弟やわが子を殺されて、殺した者から補償を受け取ったものはいくらもいる。殺した側の償いはそれしかできないし、殺された側がはやる胸を抑え心を静めるには補償を受け取るしかないではないか」
と、現代の損保の社員みたいなことを言います。現代に当てはめてももっともなことをいうのでギャグみたいに見えますが、大アイアースは大まじめです。
人間のプライドや悩み、嫉妬などは昔から変わらないんだなあ。。。そう思いませんか?
ちなみにその後の大アイアースは、ギリシアの諸将が自分を評価しないことを嘆き、彼らのために戦うことの虚しさから自刃して果てるのです。ヒジョーに人間くさいと思いませんか?
今なら自分を評価しない会社を退社するみたいな行動です。紀元前800年ぐらい前から、人間の感情って全然変わっていないんだなあ、と感動さえおぼえます。
ギリシアの神々は滅んだけれど、人間らしい気持ちは消えてなくなったりしませんでした。だから不朽の名作として今も『イリアス』は残っているのです。
『イリアス』『オデュッセイア』の作者。物語の父ホメロスは盲目だった
古今東西、たくさんの書き手がいました。小説家、物語作者、随筆家、詩人、新聞記者、現代のこのようなブログの書き手もその中の一人です。
『イリアス』『オデュッセイア』の作者。物語の父ホメロスは盲目だったといいます。紙のない時代の人です。おそらく執筆者というよりは語り部と言った方が正確でしょう。盲目ゆえに音楽家や語り部になることは、健常者に比べて不利が小さかったこともあるのではないでしょうか。
もしかしたらホメロスの作品制作の動機もやり場のない「怒り」だったのかもしれません。怒りというのは物事を成し遂げる大きなエネルギーとなります。怒りがなかったらアキレウスは英雄になることはなく、また若くして滅ぶこともなかったことでしょうね。
世界最古の英雄叙事詩『イリアス』。絶対に読んでほしい本のひとつです。