イーリアス。はじまりは「怒り」から。詩聖ホメロス『イリアス』は軍功帳。神話。そして文学

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物語、小説のはじまりは「怒り」から。詩聖ホメロス『イリアス』は軍功帳。神話。そして文学

「怒りを歌え、女神よ。ペレウスの子アキレウスの――」

これは人類最古の物語のひとつ。ホメロスの『イリアス』の冒頭です。

世界中に物語はありますが、すべての物語の始祖はアキレウスの「怒り」から始まりました。

神の「愛」とかですべての幕があけそうなイメージがあるじゃないですか。でも現実は人間の「怒り」から詩と物語は始まったのです。

このページでは世界最古参の物語に敬意をこめて、『イリアス』の見どころを解説します。

この物語の舞台となるトロイが実在したことは、すでにシュリーマンが証明していますが、私が読んでも「あれ、これ実話なんじゃない?」と思われるところが見つかりました。

『イリアス』はフィクションにしては軍立て、軍容を詳しく書きすぎています。そのために費やした行数はエンターテイメントをぶち壊してしまうほどに詳細です。出征兵士の出身地や人数などをあまりにも詳しく語りすぎています。そんな数字に読者は興味ありませんよね? なになに村から何人、なになに村から何人……と延々と書き連ねてあるのです。これはエンターテイメントを壊します。のちにギリシア悲劇などのエンタメを生み出した古代ギリシア人ですから、エンターテイメントの勘所がわかっていなかったはずはありません。エンターテイメントを逸脱してもなお軍建てについてわざわざ語ったのは、一種の軍功帳みたいな意味があったのだと思います。出征兵士の功をたたえる意味で書いたとしか思えません。つまりそれは実話だったということです。ただのエンタメだったとすれば延々と軍容や個々人の小さな功績を語る意味がわかりません。

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英雄とは半神半人のこと。「何もできずにあっさり死ぬ」英雄もいる

『イリアス』とはトロイア戦争を舞台にした英雄物語です。英雄といっても「偉大なことを成し遂げた人」ではありません。アメコミのヒーローとは違います。もともと半神半人のことをヒーローといったようです。

だからこの時代の英雄というのは「凄いことをやってのけた人」という意味ではありません。片親が神さまだという意味です。だからイリアスに出てくるヒーローは、ヒーローなのに何もできずにあっさり戦死したりします。

トロイア戦争に登場するアキレウスは母親が海の女神テティスです。父はただの人。半神半人のヒーローは死すべき種族です。そこが神とは違うのですね。どちらかというと人間に近いかな。「神に愛された人」ぐらいのイメージでいいと思います。

ヒーローですら「何もできずにあっさり死ぬ」世界で、本当に「偉大なことをやってのけた人」がまぎれもなくアキレウスです。だからこそアキレウスは世界最古の物語『イリアス』の主人公とされているのです。そして後世、アキレウスのような偉業を成し遂げた人のことをヒーロー(英雄)と呼ぶようになったのです。

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アキレウスはもっとも力が強く、もっとも足が速く、いちばんイケメン

さて、そのアキレウスとはどんなキャラクターなのでしょうか?

ホメロスは『イリアス』中で、アキレウスはギリシア軍(アカイア軍)中、もっとも力が強く、もっとも足が速い英雄と歌っています。

二番目に力が強いのが大アイアース。身体がデカかったので「大」アイアースと呼ばれます。

二番目に足が速かったのが小アイアース。小柄だったので「小」アイアースと呼ばれます。

アキレウス=大アイアースの力+小アイアースの俊敏さ+パリスのイケメンって感じでしょうか。

これが現代人の設定だと「もっとも力が強く、もっとも足が速い」というのはキャラクターとしてなかなか成立しにくいと思いませんか? シュワルツェネッガーみたいな男が「もっとも力が強い」キャラクターに当てられそうですが、どうみても「もっとも足が速い」ようには見えません。ウサイン・ボルトみたいな男が「もっとも速い」わけですが、力はやっぱりシュワちゃんに劣りますよね。アスリートならわかると思いますが、速さと力の両立ってとてもむずかしいのです。

それを両立させているのがアキレウスです。また、力が強いのを英雄の項目とするのはわかりますが、足が速いのを英雄項目に扱うのも面白いと感じました。古今東西、怪力がウリの英雄はたくさんいますが、俊足がウリの英雄はそれほどいません。

そしてアキレウスは金髪でギリシア軍の中でもっともイケメンだったとされています。いやあ、どうやってアキレウスをイメージしましょうか。身近にはいなさそうな完璧な男です。これはもう脳内でイメージするしかありません。アキレウスをイメージできるのは、あなたの脳内イメージしかないのです。

映画や漫画よりも、文章の方が優れているところがあるとすれば、アキレウスのようなキャラクターにおいてその優位性がはっきりとします。

アキレウスがいるからこそ『イリアス』は、映画などで超えることができない不朽の名作となっているのです。

ちなみに映画『トロイ』ではムキムキに鍛えたブラッド・ピットがアキレウスを演じていました。何とか万人を納得させるギリギリのキャスティングだったと思います。

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トロイは実在した。アキレウスも実在したかもしれない

最高のイケメンで、最高に力が強くて、最速の男。一国の王子で、総大将アガメムノンの命令さえ無視するアウトロー……現実にはそんな完璧な男はいないよ。架空の物語だからそんな「完璧野郎」を登場させられるんだ。

そう思ったアナタには強烈な反論を加えましょう。かつて『イリアス』は架空の物語と思われていました。トロイア戦争なんて伝説だと思われていたのです。

しかし神話上の架空都市トロイ(イリアス)を現実と信じたドイツ人ハインリッヒ・シュリーマンによって、トロイは発掘されました。

トロイは現実に存在したのです。

だったらアキレウスだって存在したかもしれません。そんな名前の軍人がいたっておかしくないでしょう。

ゼウスアテナアポロンだって……さすがに存在しないか(笑)。

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シュリーマンが『イリアス』を現実だと信じた根拠は詳しすぎる軍容、人名。軍功帳の意味があったのではないか。

結果論になりますが、シュリーマンが英雄叙事詩『イリアス』を現実だと信じたのは無理もないなあと思うところが多々あります。

原作を読むと、たとえば作品中、トロイア戦争に参加する軍容が延々と述べられています。物語の興味を削いでしまうほど縷縷と軍容が述べられているのです。

エンターテイメントの目線からいうと、ちょっと詳しく書きすぎなぐらいです。これが現代の物語だったら「総帥アガメムノン率いる総勢✖万人」で済ませてしまうような箇所です。それを聞き手(読者)が興味を失ってしまいかねないほどのアンバランスさで〇王率いる✖人、△王率いる□人……と延々と軍容が語られるのです。その後の物語にいっさい登場しないような王様の名前まで詳しく書いています。

フィクションにしては軍容を詳しく書きすぎています。なぜこのように詳しく王の名前と兵士の数を述べなければならなかったのでしょうか? 答えはひとつ。それが歴史的事実だから。ということ以外には考えられません。

この当時の軍団を率いていたのは各地域の王様でした。なので後世の読者にとってはここで自分の出身地(の王様の軍容)が読み上げられることは名誉なことだったのでしょう。出兵した地方の人たちの功を讃える意味で延々と語ったのだと思います。いっしゅの軍功帳みたいな意味があったのだと思います。ただのエンタメだったとすれば延々と軍容や功績を語る意味がわかりません。

準主役級の二人の名前がアイアスなのも、どうかな? と思います。もし現代の作家がフィクションを書くなら、別の名前にしたはずです。大と小って……なんか小がかわいそうな気がします。

当時のギリシアはそんなに今ほどエンタメの技術が劣ったのでしょうか。作者は読者の心を知らなかったのでしょうか? けっしてそんなことはありません。むしろいまだに超えられない第一級のエンタメ作品が『イリアス』です。

それほどの作品が大アイアース、小アイアースなんて名前で準主役を登場させるというのは……それが事実だったから、と考えられるのです。

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『トロイア戦争』を架空戦記と思った根拠はすべて「神が由来」とされているから

シュリーマン以外の人たちが『イリアス』を架空戦記だと思ったのにも同じように理由があります。フィクションだと思っても「無理ないなあ」と思わせるところが多々あるのです。

たとえばそこに描かれる人間の行為がすべて「神々のおかげ」「原因は神」だとされているところなどです。だからギリシア神話なのですが。(『イリアス』はギリシア神話が文書化された最初の作品だとされています。いわゆる神の存在根拠です)

運命論(人間に自由意思などない)のように、『イリアス』ではすべてが神のたまものという世界観になっているのです。
誰それを討ち取ったのも神のおかげ。誰それが戦死したのは神の恨みを買ったから。いくさの勝利も敗北も神のご機嫌次第というように『イリアス』では描かれています。戦争が起こったのも「神の計画だった」ということになっているのです。

それが本当なら、兵隊をかき集めたり、戦略を練ったりするよりも、神の祭壇に祈りを捧げた方がいいですよね? 古い世界で、将軍よりも司祭のほうが地位が上だったのは、こういう現実を反映しているのです。

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『イリアス』は『古事記』に似ている

このように『イリアス』ではいたるところに神が顔を出すために、日本の『古事記』が神道の神様にとってバイブルであるように、ギリシア神話の神さまの物語を伝える役割を果たしています。

天照大神が古事記に登場するように、ゼウスがイリアスに登場するのです。

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人間くさい悩み、感情は古代人も現代人も同じ

さて、最古の物語を展開させた「足速きアキレウス」の怒りとはどんなものだったのでしょうか?

「遠矢の神アポロン」により愛する女クリュセイスを取り上げられてしまった総大将アガメムノンは、配下の将アキレウスの愛する女ブリセイスを取り上げることで溜飲を下げていました。

おさまらないのはアキレウスです。権力を笠に女を奪われるなんて恥辱です。

そもそもパリスに女(絶世の美女ヘレナ)を奪われた恥辱からトロイヤ戦争をはじめたのに、自分も人から愛する女を奪うとは何ごとか、というわけです。愛する女を奪われる恥辱を知るのはアガメムノン兄弟だけだと思っているのか? という非常に人間くさい怒りが、世界最古の物語をスタートさせるのです。社長にさからう社員のような立場がアキレウスです。

アキレウスは今でいうサボタージュに出ます。出勤しなくなるのです。しかしギリシア軍最大の英雄アキレウスなしにトロイヤ戦争は勝てません。これはそのように神のさだめた運命の戦だからです。

負けそうになったギリシア軍の総帥アガメムノンは、アキレウスの機嫌をとるために奪った女ブリセイスを返した上でさらに「お詫びの贈り物(補償)」を提案するのですが、誇り高いアキレウスは謝罪を受け入れません。

大アイアースはアキレウスの態度に憤慨します。

「兄弟やわが子を殺されて、殺した者から補償を受け取ったものはいくらもいる。殺した側の償いはそれしかできないし、殺された側がはやる胸を抑え心を静めるには補償を受け取るしかないではないか」

と、現代の損保の社員みたいなことを言います。現代に当てはめてももっともなことをいうのでギャグみたいに見えますが、大アイアースは大まじめです。

人間のプライドや悩み、嫉妬などは昔から変わらないんだなあ。。。そう思いませんか?

ちなみにその後の大アイアースは、ギリシアの諸将が自分を評価しないことを嘆き、彼らのために戦うことの虚しさから自刃して果てるのです。ヒジョーに人間くさいと思いませんか?

今なら自分を評価しない会社を退社するみたいな行動です。紀元前800年ぐらい前から、人間の感情って全然変わっていないんだなあ、と感動さえおぼえます。

ギリシアの神々は滅んだけれど、人間らしい気持ちは消えてなくなったりしませんでした。だから不朽の名作として今も『イリアス』は残っているのです。

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『イリアス』『オデュッセイア』の作者。物語の父ホメロスは盲目だった

古今東西、たくさんの書き手がいました。小説家、物語作者、随筆家、詩人、新聞記者、現代のこのようなブログの書き手もその中の一人です。

『イリアス』『オデュッセイア』の作者。物語の父ホメロスは盲目だったといいます。紙のない時代の人です。おそらく執筆者というよりは語り部と言った方が正確でしょう。盲目ゆえに音楽家や語り部になることは、健常者に比べて不利が小さかったこともあるのではないでしょうか。

もしかしたらホメロスの作品制作の動機もやり場のない「怒り」だったのかもしれません。怒りというのは物事を成し遂げる大きなエネルギーとなります。怒りがなかったらアキレウスは英雄になることはなく、また若くして滅ぶこともなかったことでしょうね。

世界最古の英雄叙事詩『イリアス』。絶対に読んでほしい本のひとつです。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

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私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
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●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
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●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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