カラマーゾフの兄弟『大審問官』。神は存在するのか? 前提を疑え! 

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世界文学の絶対エースを呼ばれるドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の作中劇『大審問官』について語っています。

前提を疑え! カラマーゾフの兄弟【大審問官】と相対性理論

「カラマーゾフの兄弟の命題」「ここだけは読むべき」と昔からいわれてきたのが、【大審問官】といわれるパートです。このコラムではドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の【大審問官】を「おかず」に、議論の前提を議論するということを考えていきます。

相対性理論には、光速度不変の原理というものがあります。光の速さは光の速さで並走しながら見ても光の速さで見えるという前提です。そもそも論だけど、その光速度不変の法則という前提って本当に正しいのでしょうか?

光は特別で絶対だという前提は、神が特別で絶対だという前提の一神教に似ています。

相対性理論(光速度不変の原理)は現実の現象を説明できるからいちおう証明できたってことになっています。けれど、現象を説明できたからって前提が正しいとは限りません。神の在・不在論争も同じことです。現象を説明できたからって前提が正しいとは限りません。

【大審問官】は結局のところ、聖書の神の実在・不在と信仰、教会論争であり、神は死んだってことになれば、すべては無意味です。日常生活とかけ離れた問題であるため、すくなくとも一般の日本人にとって人生観を変えるようなテーマでないことだけは確かです。
あなたは世界という教科書からみずから学んだことを信じますか? それとも聖書に書いてあることを鵜呑みにしますか?
いかに大文豪でも人間の認識というものは、生まれ育った環境と、取り巻く状況の奴隷にすぎないのだと、思いをはせるのが、宗教に依存しない日本人の正しい『大審問官』の鑑賞態度だと思います。

 

【寝る前に聞くお話し】カラマーゾフの兄弟と相対性理論。神は存在するか?

大審問官とは?

ドストエフスキーの大長編『カラマーゾフの兄弟』の核心部分ともされる部分です。第二部第五編にあります。

次男イワンが創った創作というカタチで披露される劇中劇です。ですからこの部分だけ読んでも意味が通じるようになっています。

ひとことでいうと神の在・不在と信仰についてのふたりの論争です。ひとりはイエス・キリストらしき人物、そしてもうひとりがキリスト教会のトップである大審問官です。

教祖と後継者が議論している設定になっているところが【大審問官】のおもしろいところです。

イエスらしき人物は無口なので実際には議論というよりは大審問官の独白です。

しかし議論相手のイエスの主張(聖書に書いてあること)は誰でも知っていますから、独白つづきでも議論として読めるのです。

議論の中で大審問官は「現実的に信者によりそった教会運営をすると、愛と自由ではなく、パンと奇跡と権力志向で運営するしかない。イエスは人間を買いかぶりすぎたのだ」と本質的なイエス信仰を否定します。

その上で、イエスよりも今の教会のほうが人々を幸せにしていると主張するのです。

『大審問官』は、議論のテーマそのものが古臭い=神の在・不在。教会。信仰論争。

 

『大審問官』の中で民衆にとって「自由は恐怖」「自由は不幸の贈り物」だと大審問官は主張します。パンがないのは恐怖・不幸に違いないでしょうが、なんで自由が不幸だと考えるのでしょう。

ロシア人と日本人の違いでしょうか? それとも1880年の人間と2020年の人間の差でしょうか? この140年のあいだに人間の認識のベースとなる世界や宇宙の知識は劇的に進歩しました。地球は宇宙の中心ではなく、銀河系ですら宇宙の小さな渦に過ぎないとわたしたちは知ったのです。

ヒツジの群れのように生きる事を民衆は望んでいる、と大審問官(ドストエフスキー)は言っています。それって本当でしょうか? わたしの認識はそうではないといっています。いくら大文豪が言っているからといってそのまま真実とは限りません。すくなくとも団体バスを降りて放浪の旅人として生きてきたわたしには当てはまらない言葉です。

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いくら旅に時間を費やしたところで、自分と向き合うことに時間を費やさなければ、何の意味もありません。どれだけ何かが変わっても、それに対処するのは自分しかないからです。 どこに行こうと、何が変わろうと、そこには自分がいます。これは言葉ではありません。生き方なのです。
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中世の暗黒時代に、食うや食わずの生活をし、教会だけが唯一の光だった時代に生まれていたら、ヒツジの群れの一員として生きることを望んだかもしれません。

しかし西暦2020年の現代日本人には通用する議論ではないと思います。「ヒツジの群れのように生きる事を民衆は望んでいる」なんて政治家が選挙演説でぶったら間違いなく落選するでしょう。

このように【大審問官】における、イエスの主張も、大審問官の主張も、現代日本人にはどちらも理解しがたいところがあるのです。

多くの日本人は、多神教の日本という国に生まれ、天照大神をリアルに感じることなく、とくに宗教に依存して生きていないことが原因なのかもしれません。神社では手をあわせますが、別に信仰しているわけではない。ドストエフスキーの目から見たら基本的に大多数の日本人は無宗教だと思います。

『大審問官』は世界の文壇で高く評価されてきましたので、日本人もその潮流に乗って、あれやこれやといろんな人が語っています。しかし私たちにとってそもそもキリスト教の神の在・不在論争なんて、別にどうでもよくないですか? なんでキリスト教の神の在・不在や、キリスト教会の信仰と堕落について、西暦2020年の日本人が真面目な顔して議論しなきゃならないんだか……すくなくともリアルな肌感覚に切迫した問題ではありません。

日常生活とかけ離れた問題であるため、すくなくとも人生観を変えるようなテーマでないことだけは確かです。

世界文学の最高峰といわれるが、日本人にはそれほどでもない

だからわたしはドストエフスキーは人類のことなんか考えちゃいなかった。考えていたのはロシア民族のことだけだ、というのです。『カラマーゾフの兄弟』は世界文学の最高峰と評される小説ですが、はっきりいって大多数の日本人にはそれほどでもないと思います。キリスト教信者以外の日本人には、仏教徒や、ヒンズー教徒、道教など多神教の信者にとっては、それほどの作品ではありません。キリスト教の力が依然として強い国の人にとってのみ高い評価に値するのではないでしょうか。

荒野で生まれた一神教の絶対神への議論を、大自然を擬人化した多神教の神様と同一視して、主語を置き換えて考えることはできません。エホバへの信仰や在・不在論争を、天照大神への信仰や在・不在論におきかえることはできません。

……違う価値観の人たちの物語だと切り捨ててしまえば、『大審問官』は読まなくても何の問題もありません。

すくなくとも『大審問官』に、大多数の日本人の人生を変えるほどの力はありません。異邦人の価値観について書かれた本であって、同胞の価値観について書かれた本ではないからです。

他の作品を読んでも思うことですが、西洋文学はいつまで神の実在論争をやれば気が済むのでしょうか。 もう神はいないってことでいいんじゃないでしょうか?

死んだら塵になるってことでいいんじゃないでしょうか? 無理やりこじつけなくても霊魂の不滅なんてないってことでいいんじゃないでしょうか?

たったそれだけ認めることが、そんなに勇気のいることでしょうか?

そう考えると『カラマーゾフの兄弟』【大審問官】なんて読む価値のない「たわごと」となってしまいます。ずっとエホバが実在する前提で、お話しを続けているわけですから。ありもしないもの(神)を、なさそうに見えるけど、あるかもしれない、あってほしいけれど、罪びとの僕に見えないだけかもしれない……そんな悩みを延々とやっているのです。そんなの全部、読み飛ばしてよいのでは?! そういわれて反論できますか? だって死者の復活とか神の王国とか、すべては空想かもしれないじゃないですか。「そもそも論」として。

無宗教の私から見ると、自ら作ったダブルスタンダードに自ら苦しんでいる自家中毒の人にしか見えません。とにかく凄いという噂の「大審問官」ですが、結局のところ、聖書の神の実在・不在と信仰、教会論争であり、神は死んだってことにすれば、すべては無意味です。

【そもそも論】もう神の在・不在論争はいいんじゃないか? 神は死んだってことで。

「人間はいったいどれだけの信念を捧げ、どれだけの力をこんな絵空事のためにむなしく費やしてきたか。何千年にもわたって」

大審問官の中のセリフです。そういいながらもドストエフスキーは同じテーマで大長編『カラマーゾフの兄弟』を書き上げてしまっています。

もう神は死んだってことでいいんじゃないでしょうか。私などはそう思います。悔しいかもしれませんが、投資には損切も大事です。歴史を千年ばかり損しちゃったけど。もう損切りしませんか。

神のことなんかきれいさっぱり忘れ去ってしまえばいいのに、信仰の地に生まれ育つと、そういうわけにはいかないんでしょうねえ。セーレン・キルケゴールのように頭の中から聖書が離れなかった偉人はたくさんいます。ドストエフスキーもそういう人たちのひとりなのでしょう。

聖書の世界が真実だという前提からいつまでも抜けられないから、現実社会から学んだことと、聖書の教えと、ダブルスタンダードの人生を生きることになるのです。

自分が見て、自分が体験して、体得した人生の真理が、聖書に書いてあることと違うと、てきめん矛盾に悩み、真実を見失い、苦しみ始めるのです。

聖書に書いてあることは真実、現実から学んだことも真実、両者が矛盾した場合……どちらかを否定しなければならなくなります。聖書を否定しようとすると神の在・不在論争となり、現実を否定しようとすると信仰論争になるのです。

これが中世ならば、限りある自分の体験したことなんてちっぽけで限界があるんだから、何も考えずに聖書の真実に身をゆだねることもできたでしょう。

しかしインターネット時代で世界中の体験が共有できるこの時代に、荒野で生まれた一神教の絶対神だけを盲目的に信仰するのは、難しいのではありませんか。ありとあらゆる背景の人たちがいて、違う神様を信仰している人たちがいて、神さまなんて人間の空想だと思っている人たちがいる。

「そもそも論」として『カラマーゾフの兄弟』【大審問官】は、議論の内容が現代の日本人には現実的ではありません。

議論の前提を議論する。

【大審問官】を見ればわかりますが、神や聖書を前提にしている人との議論は難しいものがあります。

「神など信じられません。証明してください」という議論さえも、「神が信じられないステージにあなたがいるからです。世界はすべて神の証明です。私たちは盲目的に神を信仰しているのではありません。むしろ信じれば盲目ではなくなります」とかって議論が宗教サイドからは返ってくるわけです。

議論の論点がずれていることがわかるでしょうか。前提の議論ができていないのです。

神の在・不在という前提の議論をしているのに、神の実在は前提である反論が返ってくるから、議論が噛み合いません。結論が出るわけがありません。

前提の議論をしているのに、前提を変えない反論が返ってくるから堂々巡りになるのです。

「証明してくれ」「神を目に見せてくれ」と言っても無駄です。「目に見えなくてもすべてに神は宿っている」とか「ニュートンさえも神を信じていた」とか「縁なき衆生は度し難し。あなたは可哀想な人だ」とか「死んでから地獄で後悔しても遅い」とかいう返事が返ってくるだけです。

そして現実と聖書の矛盾に気づいた信者の一部が真実を求めるとき、永遠にダブルスタンダードの自問自答が続き、心が引き裂かれた人間が文学の世界に顔を出します。ドストエフスキーのように。

「死者は復活する」Youtubeに動画をアップしてくれれば、世界中が信者になったのに!!

一例をあげましょう。「死者は復活する」という有名なキリスト教徒の議論があります。

「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。 死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。 そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。 更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。 死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。 そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」

コリントの信徒への手紙という聖書の中の一節です。

「ほれ見ろ、だから死者は復活するんだ」ということを力説しているのですが、何の証拠にもなっていません。やっぱりイエスが復活したことが前提です。その前提は「多くの人が目撃したと聖書に書いてあるではないか!!」と聖書が前提です。だからウソをつくはずがないじゃないか、という議論です。

科学者は「そもそも死人が復活したなんておかしいやん。証拠みせてえな」と「そもそも論」を議論しているのに、宗教の側は「キリストが復活して初穂となったのだから他の死者も復活するのだ」という議論です。

「そんならキリストが復活したことを証明してくれ?」と科学者がいうと、宗教家は「預言されていた通りにイエスは死者の中からよみがえったではないか? 事実だから私たちは信じているのです。イエスの復活が事実でないなら私たちは神に反しているではありませんか」「いやその神が実在することを証明してくれ」「あなたがたも世界も何もかも神がつくったのです。聖書に書いてあるではありませんか」「そもそも聖書って本当に正しいの?」「イエスの復活はたくさんの人が目撃しているのです。あなたのようにその目で見なくて信じなかった人でも信者になって殉教した人もいるのですよ」

とまあこんな感じで話しが永遠に噛み合いません。こういう議論をえんえんと千年もやっているのです。【大審問官】も結局、これと同類です。

イエスの奇跡や復活は、動画が残っているわけじゃないので、結局、聖書を根拠にするしかありません。

Youtubeに動画をアップしてくれれば、世界中の人が信者になったのに!! 残念です。

結局、聖書が正しいことが前提なのです。「そもそも論」は永久に噛み合わないのです。

不毛な議論にキリスト教徒でない日本人がつきあって『カラマーゾフの兄弟』【大審問官】を文学史上最高の名作とまで讃え上げる必要ってありますか?

すくなくとも人生観を変えるようなテーマでないことだけは確かです。日本人で『カラマーゾフの兄弟』【大審問官】を文学史上最高の傑作とか言う人は、世界のスタンダードについていこうとなんか無理して背伸びしている感じがして、どこか痛々しいものを感じます。もっと「私たちの時代」の「私たちの問題」に向きあうべきではないでしょうか?

光速度不変の原理って本当に正しいの?

『カラマーゾフの兄弟』【大審問官】を読みながら、私はアインシュタインの相対性理論を思い出しました。

相対性理論では前提として「光の速さは誰が見ても一定。止まって光を見ても、光にあわせて動きながら見ても光の速さは一定」ということになっています。これを光速度不変の原理といいます。

この前提からあれやこれや計算すると、時間の流れは光の速さに近づくほど遅くなる(時間は絶対的なものではない)、という結論が導き出されるのです。

いや、ちょっと待って!! そもそも論だけど、その光速度不変の法則という前提って正しいの? なんか違ってる気がするけど?

神の実在・不在論争と同様に、まず議論の前提を議論する必要があるのではないでしょうか?

動いている電車を止まって見るのと、並走して見るのとでは、電車の速さが違って見えるけど? 光だけは特別なんでしょうか? 光の速度は不変というその前提、本当に合ってるの?

光は特別で絶対だという前提は、神が特別で絶対だという前提の一神教に似ています。

相対性理論(光速度不変の原理)は現実の現象を説明できるからいちおう証明できたってことになっています。けれど、現象を説明できたからって前提が正しいとは限りません。神の在・不在論争も同じことです。現象を説明できたからって前提が正しいとは限りません。

神は存在するか? きみは現実からみずから学んだことを信じるか

もちろん信仰は各人の自由です。

でも人は全世界的な統合を志向するので、信仰は戦争の原因となることがあると【大審問官】でも語られています。前提の議論ができないため、信仰する人とは議論が噛み合いません。けっきょく、宗教とは議論するなってことになるのです。

あるいは千年以上も文学のテーマになりつづけたりするのです。

なんだか私も引き込まれて議論しちゃいましたけど

【大審問官】を読むほど、自ら作ったダブルスタンダードに自ら苦しんでいる自家中毒の人のように見えるのです。

あなたは現実からみずから学んだことを信じますか? それとも聖書に書いてあることを信じますか?

いかに大文豪でも、生まれ育った環境と、取り巻く状況の奴隷にすぎないのだと、思いをはせるのが、宗教に依存しない日本人の正しい『大審問官』の鑑賞態度だと思います。

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このブログ著者の小説『結婚』
小説『結婚』
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このブログの著者の小説『片翼の翼』
小説『片翼の翼』
なぜ生きるのか? 何のために生きるのか? を追求した純文学小説です。 主人公ツバサは劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。 かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。 同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。 アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。 自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。 人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。 ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 ※※本作は小説『結婚』の前編、バックストーリーに相当するものです。両方お読みいただけますとさらに物語が深まる構成になっています。※※
片翼の翼: なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?
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小説『片翼の翼』
なぜ生きるのか? 何のために生きるのか? を追求した純文学小説です。 主人公ツバサは劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。 かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。 同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。 アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。 自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。 人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。 ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 ※※本作は小説『結婚』の前編、バックストーリーに相当するものです。両方お読みいただけますとさらに物語が深まる構成になっています。※※
片翼の翼: なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?
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【この記事を書いている人】

アリクラハルト。走る哲学者。【トウガラシ実存主義】【遊民ユーミン主義】の提唱者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。千葉県在住。

【この記事を書いている人】
アリクラハルト。走る哲学者。【トウガラシ実存主義】【遊民ユーミン主義】の提唱者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。千葉県在住。
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