幕末の黒船ショックの正体とは? 臆病すぎる江戸幕府
江戸時代の終わりごろ、アメリカから開国と貿易を求める蒸気船が日本を訪れました。いわゆる「黒船」です。「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たつた四杯で夜も眠れず」という狂歌があるから軍艦は4隻だったのでしょう。たった4隻の蒸気の軍艦に夜も眠れないほど幕府や人々がショックを受けたというわけですが、太平洋戦争で戦艦や航空母艦と戦った現代人の感覚だとちょっとわからないところがあります。このコラムはその解説です。
もくもくと黒い煙をあげたペリー艦隊の旗艦サスケハナ号の全長は78.3mでした。当時から見れば大きかったかもしれませんが、戦艦大和の全長263mに比べたら三分の一以下に過ぎません。小さな軍艦だったのです。ペリー艦隊の主砲の射程距離もせいぜい3kmほどであり、戦艦大和の主砲の射程42kmに比べたらわずかなものです。3kmなんてちょっと海岸線から引っ込んで山の裏に隠れればもう届かない距離なのに、何をそんなに恐れていたのでしょうか。
4隻の乗員すべてが戦闘員だったとしても1000人ほどにすぎません。ペリー艦隊はその程度の戦力で日本国に開国の脅しをかけようとしたのです。これでコワモテ交渉をよくやったよなあと感心してしまうほどです。笑っちゃうほど弱小軍団ではありませんか。
ちなみに沖縄という小さな島にアメリカ軍が攻め寄せてきた時の戦力は、空母98隻、戦艦23隻、艦艇1500隻、兵員55万人を超す大軍団でした。
そういう歴史を知っている現代人の感覚からいうとベリー艦隊なんて弱小すぎて問題にならないレベルです。むしろペリーこそよくサムライの国にビビらなかったなあと思いますし、脅される方も脅される方だと思います。
どれだけ臆病なんだよ、江戸幕府!
伝説の正体。凌雲閣、バベルの塔に「低っ!」とツッコむ現代人の感覚
聖書には天を衝くほどの高い塔というのが登場します。伝説のバベルの塔です。しかし現代人が伝説のバベルの塔を見ても「低っ」とツッコむだろうと思います。
かつて浅草に凌雲閣という高層建築物がありました。雲を凌ぐほど高いという命名の高層建築物だったのですが、なんと高さは52mです。東京スカイツリーの高さは634m。12分の1の高さしかありません。
これが伝説の正体です。そして現代人の感覚です。ペリーの黒船と似たような話ではありませんか?
伝説の黒船ペリー艦隊も現代人の感覚から言えば本当にささやかな戦力でしかありません。そんなものに、なぜに眠れないほどビビっちゃったのよ?
軍艦は大砲の足。黒船の恐怖がマリアナ沖海戦のアウトレンジ戦法を生んだのか?
当時の人々の感覚になって考えてみましょう。江戸幕府の人たちは蒸気船4隻に何をそんなにショックを受けたのでしょうか。黒い煙をもくもくと吐き出す外輪船の異様な姿に衝撃を受けたのでしょうか? それとも異人の異様な姿にでしょうか?
そういう面もあったでしょうが、黒船はもちろん軍艦ですから、実際にはその軍事力に恐れおののいたのです。その異様な姿や太平洋を横断した航続距離を恐れたわけじゃないありません。戦闘力をおそれたのです。
戦闘力というのは具体的には軍艦に搭載されている大砲のことです。
大型砲は陸上を運べないほど重たいものでした。まだ自動車以前の時代です。しかし大型の船ならばそれを運ぶことができました。陸上では運べないほど重たい砲身も船なら運ぶことができたのです。それが戦艦です。この時代の軍艦は、大砲の足だったと言っても過言ではありません。
ペリー艦隊の主砲の射程距離はわずか3kmほどでした。しかし日本の大砲の射程距離はその半分の1.5kmほどだったそうです。つまり海の向こうから自分は一切危険に曝されず一方的に相手を攻撃ができたわけです。アウトレンジ戦法です。この時の恐怖がマリアナ沖海戦のアウトレンジ戦法を生み出したのでしょうか。
木と紙でできた日本家屋(江戸の町)を4隻の軍艦は火の海にできるという事実に幕末の日本人たちは恐れおののいていたようです。だから射程距離の差をなんとか埋めようとお台場のような離れ小島に砲台を設置してこっそり隠したのです。野球でいえば外野手が直接バックホームする肩がないから内野手を中継に挟むようなものです。
弱さは無知から。黒船4隻に負けるはずがない。
それでも「しかしなあ」と思うのが現代人の感覚です。わたしたちは原子力爆弾による都市の壊滅や東京大空襲、ベトナム戦争で森林ゲリラがアメリカ軍を追い払ったことを知っています。射程3kmの4隻の蒸気船から一方的に打たれる? それがどうした? と思ってしまいます。
ヤクザと抗争すると、一度は撃退しても、次から次へと後詰め(お礼参り)が来てキリがないといいます。ペリー艦隊のバックにはアメリカ海軍が控えています。それを恐れたのでしょうか?
たった4隻の軍艦に日本を占領できるだけの兵力なんてあるわけがありません。海岸線から退いて陸地に誘い込むゲリラ戦だってできただろうし、アウトレンジで一方的に打たれたとしても、相手の砲弾の数には限りがあるはずです。海岸線から3kmぐらいくれてやればいいのです。射程3kmなんて小舟でいける距離です。死ぬ気でやれば夜陰に乗じて漁船で切り込みだってできるでしょう。
やられるはずがありません。負けるはずがないのです。
このように考えると、経験を積んで知識を蓄えた現代人には、幕末のサムライの黒船恐怖は理解できないのです。
処女のおののき。宗教的な恐怖こそが黒船ショックの正体
当時、江戸城が海岸線から2kmぐらいしか離れていなかったそうです。射程3kmのペリー艦隊は江戸城をボコボコにすることができました。武力政権の本丸である江戸城が炎に包まれて将軍が逃げ落ちた、ということになれば、幕府の権威は地に堕ちます。
黒船に眠れないほど恐れおののいたことの正体は、将軍の権威の失墜や、神国だと信じていた倭国が異人に一方的にやられることへの処女の恐怖が影響しているのではないでしょうか。
サムライはゲリラではないから、プライドが傷つけられた上に、反撃できないという「恥辱」を恐れたのかもしれません。「武士の誇り」が傷つけられることへの恐怖は、それこそ現代人にはわかりません。
黒船の眠れないほどの衝撃の正体は、むしろ宗教的、心理的な恐怖だったのではないでしょうか。
天狗か鬼のように思っていた異国人と、歴史始まって以来はじめて対決しなければならない。そんな処女のおののき、宗教的なタブー意識こそが黒船ショックの正体だったのです。
黒船ショックとは、女子高の教室にいきなり男子が入り込んできた時の悲鳴のようなものです。そうでも考えない限り、たった4隻の蒸気船があたえた恐怖は、現代人には理解できません。