伊豆半島に『伊豆極楽苑』という面白い施設があります。エンターテインメント系の観光施設なのですが、人によってはおそろしく考えさせられます。
テーマは天国と地獄。日本人の死生観に沿ったジオラマが展開されていきます。ここで描かれることは、どこかで聞いたことのあるような話しばかりです。
初七日の後、奪衣婆に衣服を奪われて三途の川を渡り、死後49日の間に複数回の裁判が行われ(裁判官の一人があの閻魔大王です)、死後の世界の行き先が決まります。六道の辻が分岐点で、善人は天上界に、悪人は地獄界へと向かいます。地獄では体を引き裂かれたり、熱湯鍋で煮られたり、舌を抜かれたり、拷問されるわけです。そして天国では仏様がいて、敷金礼金なしのハワイと同じ温度のよろこびの世界で過ごすことができるというのです。
この『伊豆極楽苑』というのは、源信の『往生要集』という作品(仏教書)をもとにジオラマ化されたものだと説明がありました。どこかで聞いたようなお話です。そうです。西洋古典文学の最高傑作と称されるダンテの『神曲』ですね。
『神曲』は1304-1308年頃とされています。作者(ダンテ)が詩の師匠(ウェルギリウス)に導かれて、地獄から天国へと旅するという作品です。梶原一騎の劇画みたいに実在の人物が作中キャラクターとして登場する仕組みが有名で、有名なところではイスラム教の開祖やキリストの裏切り者ユダが登場します。地獄では生前の罪に応じた苦しみの姿が描かれています。地獄の中心には魔王サタンが氷の中に幽閉されています。天国では恋した女性ベアトリーチェに導かれて神聖な光に包まれるという物語です。西洋文学最高作と評価されており、後世に与えた影響も大きく、ミケランジェロの最後の審判などはこの文学にインスパイアされて作られた作品だとされています。永井豪の漫画『デビルマン』も直接の影響を受けているそうです。
源信『往生要集』は日本のダンテ『神曲』と言っていいのではないかと思います。
序破急の後世も同じですし、天国編よりも時獄編の方がずっと面白いところも同じです。
現世は地獄よりは天国に近い場所なのでしょう。
「好きなものを好きなだけたらふく食べられる……それってビュッフェじゃん!」「いつでも快適な温度(ハワイ?)で妙なる音楽が流れる……それってエアコンの部屋でWi-Fiでyoutubeじゃん!」
天国というのは想像しにくいです。かつて想像した天国も現在はそれを実現しており、もはや天国ではなく現実です。『往生要集』は985年成立とされています。その頃の夢はもう現実となっているのです。
それに対して地獄というのは現実ではないので、いくらでも現実離れしたことを描くことができます。イマジネーションを刺激するのが作品の受け持つ仕事だとすれば、地獄編の方が作品としてはずっと面白いパートということになります。
ちなみに成立年代でいえば『往生要集』の方が『神曲』よりもずっと先輩です。300年も古い作品ということになります。地獄から天国へと旅する作品としては、先駆的作品なのですね。『往生要集』も『神曲』ばりに始皇帝やゾロアスターや聖徳太子をキャラクターとして登場させたらもっと面白くなったと思いますが、そこまではっちゃけることはできませんでした。
先日、GW車中泊の旅で比叡山・横川を参拝した際、源信とまた再開しました。源信こと恵心僧都は比叡山の恵心院に隠棲し、念仏三昧の修業の日々の中で、往生要集を撰述したというのです。
思いもかけぬ再会で、比叡山でつい伊豆のテーマパークのことを思いだした次第です。そしてなぜかイタリア・フィレンツェのダンテ像のことを思い出し、ああ、この人は日本のダンテなんだな、と思ったのです。
日本の浄土教の祖とされる偉~いお方です。