ドラクエ的な人生

登山家・栗城史多「成功の反対は失敗ではなく、本当の失敗とは何もしないこと」

どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?

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成功の反対は失敗ではなく、本当の失敗とは何もしないこと

みなさん、パソコンのデスクトップには思い思いの自分の好きな画像を設定しているだろうと思います。

デスクトップに飾った写真は世界で一番見る画像と言っても過言ではありませんよね?

ですから、あなたの本当に好きな画像が貼られていることだろうと思います。

自分の撮った写真の場合もあるでしょうし、ネット上から引っ張ってきた画像の場合もあるでしょう。

『成功の反対は失敗ではなく、本当の失敗とは何もしないこと』

わたしのパソコンのデスクトップにはそんな文字が浮かんでいます。そしてその言葉を発した登山家、栗城史多(くりきのぶかず)さんの画像が一緒に張り付いています。

「成功の反対は失敗ではなくて、何もしないことだと思う。『できない』という壁は自分が勝手につくり上げているもの。僕はそんな幻想を打ち破りたい。」

栗城(年下なので呼び捨て)の言葉を気に入った誰かが加工したものだと思います。それをネット上で拾ってわたしはデスクトップに貼りつけています。

その世界で一番顔を眺めていた男が、エベレスト登山の最中に亡くなったというニュースを聞きました。

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大切なのは、山に登れるかどうかではなく、人を動かすことができるか

栗城がエベレストに8回も挑戦して1度も登頂に成功しなかったとか、その実力に疑問の声があることは知っています。登山家ではなく下山家と呼ばれていたことも。マラソンのタイムが6時間38分だったとか(笑)。

いいんです。マラソンのタイムなんて。おそらく植村直己さんだってマラソン走ったらそんなに速くないでしょう。あの体型でマラソンを2時間台で走るなんて無理だと思いますよ。

わたしはこう思います。

登山家としての実力云々よりも最も大切なことは、山に登れるかどうかではなく、人を動かすことができるかどうかである、と。

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「あいつはおれだ」北の勇者ノヴァがくれた勇気

栗城の訃報に接し、私はこのブログのタイトルにもなっている漫画『ドラゴンクエスト・ダイの大冒険』の中のノヴァというキャラクターのことを思い出していました。

北の勇者と呼ばれたノヴァは、はじめは実力に慢心し、傲慢でした。しかし本当の勇者であるダイとの実力差に愕然とし、一度は「勇者」を引退します。

しかしある日、死を賭してもなお勝てない強敵に、それでも立ち向かう覚悟を決めます。傲慢だったノヴァに勇気をくれたのは勇者ダイとの思い出でした。

「真の勇者とは自らよりもむしろみんなに勇気を湧き起こさせてくれる者なんだ。ムダ死にじゃない。たとえボクが死んでも必ずみんなに何かを残せるはず……ボクも勇者の代わりができる」

栗城のことを山師だという人がいます(山師というのは山の師匠のことではなくてイカサマ師のことです)。大言壮語で遠征資金を集めてしまったから、実力以上の冒険だったのに、後に引けなくなってしまったという批判も当たっている部分もあるでしょう。

しかし、登山家が超人でなくたって構わないのではないでしょうか。むしろ自分に近い人の方が親近感がわいて「自分にもできるかも」「自分もやってみよう」という気になるでしょう。

機動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイが受けいれられたのは、これまでの熱血ヒーローではなくてオタク気質のネクラ主人公だったからだ、という分析があります。視聴者が「自分と似ている」と感じて感情移入できたというわけです。「これは自分の物語だ」と思わせることができたらその人は熱狂的なファンになってくれます。最近のアイドル高嶺の花ではなくそこらへんにいるレベルなのも、手を伸ばせば届きそうな妄想しやすいイメージ戦略をとっているからでしょう。

栗城だって同じです。「自分にもできるかも」栗城はそう思わせてくれるタイプの登山家でした。

「あいつはおれだ」そう思った人が栗城史多の死を悼んでいるのだと思います。

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同じ「下山家」と呼ばれた者として

私は雑誌『山と渓谷』に記事を載せたこともある登山家ですが、自分のことは下山家だと思っています。

「なぜ山に登るのか?」

下界に生きる快適さを実感するため。街のすばらしさは街を離れないとわからない

栗城に興味を持ったのは自分と同じように『下山家』と人に揶揄されていたからです。栗城が超人的な登山家だったからではありません。

『成功の反対は失敗ではなく、本当の失敗は何もしないこと』

エベレストに登れなかったことは本当の失敗ではなく、本当の失敗は何もしないことなんだ。

小さな男が、その言葉の通りに行動を起こし、挑戦した。

その言葉や姿に何かを感じたのならば、わたしたちが栗城の後に続けばいいのです。

おのれの挑戦する姿で人を行動に駆り立てることができたのならば、それは登頂以上の成功ではないでしょうか。

栗城史多さん、ゆっくり休んでください。

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