悪夢を見て、自殺を考えた夜

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降りれば、楽になる

私はマレーシア最高峰キナバル山(4095.2m)の最終アタック前の山小屋にいた。

ラバンラタ小屋の標高は3272mである。

海にダイビングしようとしている人のように、鼻から息を吸い込む。下腹部まで膨らませて。

人為的な呼吸である。意識的に呼吸を繰り返す。延々と繰り返す。

もうすでに頭痛の症状が出ていた。

こいつは、まずい。

登山をしていると、高山病というものにかかることがある。

高山病とは酸欠症状で、頭痛を主たる症状とするが、嘔吐したり、昏睡したりすることもあるらしい。

コタキナバルは海沿いの港町である。ほぼ海抜ゼロメートル地点にある。そこから一日で3272mもあがっているのだ。

高地順応なしに一気に2500m以上あがると高山病に発症しやすいと言われている。

ここには地上の3分の2の酸素しかない。あまりにも過酷な環境のために植物が住むのをあきらめた場所だ。もうすでに森林限界を超えている。

酸欠で頭が重くなっている。おそらく脳細胞が大量死しているのだろう。

この深呼吸をやめたら、まずい。

メキシコシティーの標高2250mで終始息苦しかった私である。ここはそこよりもさらに1000mも高いのだ。

もしかしたら私は人よりも高所に弱い体質なのかもしれない。嫌な予感が的中してしまった。

高山病というのは体質であり、体力があっても、体を鍛えていても、出るときには出るものなのだ。

高山病の症状を改善するためには、酸素の濃いところまで降りるしかない。

これはすなわち登頂は諦めるということである。

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苦しさの中、悪夢を見て、自殺を考える

私は、あきらめたくなかった。明日の朝の最終アタックのための山小屋で、朝を待っていた。

ここまで来たら、ぜひとも登頂したい。

何度も高山病を経験しているからわかることがある。ここで寝たら絶対にまずい。

高山病にかかりやすいのは、寝ている間である。

起きている間は、意識的に深呼吸をして酸素を取り込むことができるが、睡眠中は下界と同じ普通の呼吸に無意識に戻ってしまう。

いつもと同じ浅い呼吸をしていては、酸素が薄いため酸欠になってしまうのだ。それが高山病だ。

そのことを知っていたから、寝るわけにはいかなかった。

二段ベッドの中で、マラソンレースの時のような呼吸を繰り返す。荒く息を吸い込む。それでも息苦しい。酸素が足りない。苦しい。眠れない。

苦しさを気にし始めると、ずっと気になる。苦しい。ただ呼吸するだけで苦しい。ただ生きているだけで苦しい。

とにかく大きな呼吸を。さもないと翌朝、本格的に頭痛になってしまうぞ。

下山したい。いっそコタキナバルに瞬間移動できないものだろうか。そうなれば楽になるのに。

じっとしているのが苦しい。せめて頂上に向けて移動中であったら。マラソンレースの時だって酸欠で苦しいのは走り始めだけで、走り慣れてくれば体が酸欠に慣れて苦しくなくなるのだ。脳内モルヒネがドバっと出て、苦しさが消える。

登山も同じだ。せめてサミット・アタックのアクションさえ起こしていれば、行動に集中して、呼吸の苦しさなんて忘れてしまえるはずなのに。

ただ待って、苦しさに耐えていることが辛かった。動けないことが辛かった。

人の世界で望みを叶えられなかった。おれは人生に失敗した…

悪夢が頭の中を渦巻く。息苦しさの中、朦朧とした頭の中、うなされるように。

いっそ死んでしまおうか。

自殺を考えた。

この場所でどうやったら死ねるだろうか。こんな何もない山小屋の中で。

ただ呼吸するだけで苦しい事業だというのなら、いっそ死んでしまった方がいい。

この地球に受け入れてもらえなかったならば、どうして生きていけるだろうか。酸素の足りない世界だなんて。

人の世に受け入れられなかったとしてもそれが何だ。地球に受け入れてもらえればそれだけで満足すべきじゃないか。

だがこの高所では地球にさえ拒絶されているようだ。人の世で認めらえなかったように、この地上にさえ居場所はないのか。

死——

死とは何だろう。この世界から自分の意識が消えてしまうとは。

感じているこの主体が消えてしまうとはどういうことを意味するのだろう。その時、世界はどうなってしまうんだろう。そしてそのことに対して私は何をどうすることもできないのだ。

人間の世界で拒絶されたさえ忘れてしまうようだ。酸素が欲しい。ただ生きているだけで十分だ。それ以上、何も望まない。

ささやかな望みさえかなえられない。苦しい。寝ていられない。

ベットから起き上がって、トイレに立つ。せめて自由に動きたい。

山小屋の廊下に座って、荒い息を繰り返していた。

すると二段ベッドの上で寝ていたパートナーのイロハが廊下に出てきて「星を見に行こう」と笑顔で言った。

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賢者の言葉や真理ではなく、妻の無邪気さに救われる

外に出て、空を見上げるとイロハが歓声をあげた。

輝くばかりの星、星、星、星、星…………

外に出るとボルネオ島の上空には輝くばかりの星空が広がっていた。

星の数が多くて、星屑の中に星座が消えてしまうほどだ。

天の川銀河が見えた。日本じゃこんな天の川はまず見えない。

オリオン座は転んだように前につんのめって倒れていた。赤道直下の島だとオリオン座は転んで見えるのか……

北斗七星が、そして南十字星が同時に見えた。

私たちの銀河の端から端までは光の速さで10万年もかかるという。もっとも近いアンドロメダ銀河さえ光の速さで254万年もかかるほど離れていて、そのような銀河がこの宇宙に2兆個もあるという。そしてその銀河はさらに互いに遠ざかっているというのだ。

まさしく途方もない世界が頭上にひろがっている。たかだか100年の人生で悩んだりしてもはじまらない。

山小屋の中で苦しさのあまり自殺を考えていたが、私が生きても死んでも何も変わらない。

死んでも何も終わらない。

人間の輝きなど、ほんの一瞬のことにすぎない。太陽の光を浴びて、一瞬、照り返したぐらいのものだ。

肉体は老い、固くなり、やがて人は物質になって星屑に還るのだ。

そんなことを考えて空を眺めていた。

驚嘆すべき星空にイロハは歓声をあげている。彼女の明るさ、無邪気さに救われた思いがした。

「実はさっきまでおれ、自殺を考えていたんだ」

「ええっ何で!?」

イロハは本気で驚いていた。二段ベッドの上下に寝ていたのに、人の感じ方はこれほどまでに違う。

イロハは全然苦しくなかったらしい。体質的に高山に強いのだろう。

ベッドでぐっすり眠っていたら、眠れない私が何度もトイレに立ったりしたので、起こされてしまったらしい。

最初からこの星空を狙っていたといたずらっぽく笑った。

賢者の言葉や真理に救われたのではなく、無邪気さに救われた。

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壁いっぱいの励ましの言葉。誰もが同じ状況の中で生きている

山小屋に戻ってイロハにおやすみを言った。

おれはもう大丈夫だ。おれは耐えられる。

眠らなくてもいい。夜明けの来ない夜はない、と誰かが言った。たった一夜の高山病が何だというのだろう。

廊下で音楽でも聞いて朝を待とう。

苦しくて俯いていた先ほどと違って、イロハの無邪気さ明るさに救われた後、顔をあげて周囲を見渡すと、ラバンラタ小屋の壁には、自殺を考えた私を励ましてくれるような言葉が次から次へと踊っていた。

BE THE BEST VERSION OF ME

私なりの最高の私になろう、とでもいう意味だろう。

ここが世界一高い山でなくてもいい。高山病で苦しむ私でもいい。自殺を考えるような弱い自分でもいい。それでも私なりの最高の私になろう。それでいいじゃないか。そんな意味だろう。

しょせん人生は一瞬の夢。

時間こそが人生。時間を浪費することは、人生を浪費することと同じ。時間を管理できれば、人生を管理できる。

輝く星空の下で私が感じたことの一部を言葉にしてくれたようだ。

ラバンラタのこの山小屋にはどうしてこんなに人を励ます文句ばかりが並んでいるのだろうか。

私のように、たくさんの人間がここで悪夢を見て、自殺を考えたからかもしれない。

キナバル山は整備されすぎていて、富士山よりもはるかに高い標高の割には簡単に登れるとなめられていて、けっこうな確率で登山のド素人が登ってくる。

私自身、一切の登山装備をもたない無謀な登山者を何人か見た。金さえ払えば荷物はポーターが持ち上げてくれるので、完全に街中の格好のまま登ってくる人がいる。

そういう人の中で、私のように苦しみ、中には自殺を考えるような人がいるのかもしれない。

強くなろう。凄い、びっくりするような世界を見ようぜ。そんな意味だろう。

明日の山頂への道はそんな道なのかもしれない。

これは私(のような人)に、贈られた言葉なのかもしれない。

壁全体で山小屋が勇気づけてくれる。励ましてくれる。

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いいカードを待っている間に勝負はついてしまう。手持ちのカードで勝負するしかない

目の前の賭場が開いたら、手持ちのカードで勝負するしかない。能力とか体調とか言ってる場合ではない。

いいカードを待っている間に、勝負はついてしまう。手持ちのカードで賭けるしかないのだ。

目の前の賭場からは、降りるか、手持ちカードで勝負するしかない。

勝負に私は勝てなかったかもしれない。だが本当の敗者は勝負を降りたやつなのだろう。

だから私はキナバルの山頂直下にいるのだ。

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賭けもせず、勝負から下りてしまう生き方だけはしなかった。手持ちのカードで勝負した。それがおれの生き方だった。その生き方に満足しよう。

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千里の道も一歩から始まる

無事に登頂に成功してコタキナバルに下山した。そして思い出だけが残った。

下界では自殺したいなんて思わない、ただ昼寝したいと思うだけだ。

人間が作った甲斐的な世界が広がっている。たくさんの酸素と、自由がある。

山上で悪夢を見て、自殺を考えた。

星空と、妻の明るさと無邪気さに救われた。

私にとってのキナバル山は、そんな山だった。

プロフィール


サンダルマン・ハルト。雑誌『ランナーズ』等に執筆歴のあるモノカキ。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。サブスリーランナー。グランドスラムの達成者(100kmサブテン。富士登山競争登頂)。スイス・ブライトホルン。台湾・玉山。南アルプス全山縦走など登山歴も豊富。キャンプ・車中泊マニア。アウトドア派の旅人

このサイトについて

はたして放浪のバックパッカーは社会復帰できるのか!? 自由と社会との折り合いを模索するブログです。

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