主役が交代する日露戦争の一大叙事詩
司馬遼太郎さんが日露戦争を描いた「坂の上の雲」。いちおう冒頭では秋山真之、好古兄弟と正岡子規の三人が主人公ということになっています。
私は日露戦争に興味があって本書を手に取ったので、正岡子規のパートが邪魔でした(笑)。
しかし司馬遼太郎さんはもともと「正岡子規」に興味があって調べていたところ、秋山真之と親交があったことがわかり、そこから『坂の上の雲』の構想ができたとのことです。ですから正岡子規のパートは作者としては外せなかったのでした。
司馬遼太郎は日露戦争そのものよりも、日本人の精神世界に興味がある作家なので、本作に戦争のことだけを求めてはいけないのですが、基本的には日露戦争を知るための国民的なテキストになってしまっています。
司馬氏も当初の主人公プランを放擲し、途中から児玉源太郎や、乃木希典、東郷平八郎などが完全に主役を食ってしまいます。ぎりぎり秋山真之は最後まで主役クラスとして残りますが、兄貴の好古などは途中から忘れられてしまうのでした。ロシア側のロジェストヴェンスキーなども敵役ながら主役レベルで詳述されます。あくまでも当初プランの秋山、正岡目線にこだわっていたら、ここまでの作品にはならなかったでしょう。
高杉晋作はとうに死に、その子分だった伊藤博文が大御所となっている時代の物語です。その頃、日本の大陸進出がありました。西欧の植民地帝国主義を後追いで真似たものであり、まあどうひいき目に見ても、侵略的な面があったことは否定できないと思います。朝鮮や中国が日本を批判するのには一理あると思うのですが、ただそれを西欧が批判するのは「おまえがいうなよ」といったところです。
「坂の上の雲」の詳細
プロシアでは国家が軍隊を持っているのではなく、軍隊が国家をもっている。
政治をはみ出し、前へ前へと出て国家をひきずろうとしていた。この考え方は、その後、太平洋戦争終了までの国家と陸軍参謀本部の関係を性格づけてしまったといっていい。
日清戦争は侵略戦争である。伊藤博文にそういう考え方は全くなかったが、川上操六にあってはあきらかに後世の批判どおりであるといっていい。そこがプロシア主義なのである。
日本は日清戦争以降も右のようであり続けた。この参謀本部独走によって明治憲法国家が滅んだ。
→司馬遼太郎は、自分とは無関係の日露戦争のことは書くのに、自分もいち関係者であった太平洋戦争のことは、大きな作品を残していません。彼は太平洋戦争時代の日本人のことが嫌いだったようです。それ以前の人たちは、いかにも日本人らしくて好感をもっていたようですが。
坂の上の雲のみを見つけて坂を上っていくだろう。
→でも、私はどちらも精神構造は何も変わっていないのではないかと感じています。ただ勝ち戦だったか、負け戦だったか、という違いだけで。高杉晋作のころから「負けて目覚める」というハラキリ精神でずっと外国と戦いをつづけてきたのです。それがたまたま日露戦争、日露戦争までは、なぜか不思議なことに勝ってしまいました。しかし日中戦争、日米戦争では予想どおり負けた。ただそれだけだという気がします。
物事の要点の発見法は、過去のあらゆる型を見たり、聞いたり、調べたりすることであった。試験はすべてこの方法で通過した。
人間の頭に上下などはない。要点をつかむという能力と、切り捨てるという大胆さだけが問題だ。できる、できぬというのは、頭ではなく、性格だ。
寝るまで読書した。日露戦争の海軍戦術はこのワシントンの日本公使館の三階からうまれた。
西ヨーロッパの諸国に比べれば文明の度合いは低く、ロシア人自身もそれを当然とし、民族的奮起をしようというような気概もあまりもたなかった。
エリツィンのように「ソ連とロシアは違うのだ」と五木寛之は予言した
ロシア帝国の原型はモンゴル帝国であり、あとでロシア人がたてた帝国はその後継者である。この考え方をとる派をユーラシア学派という。社会史的に見たロシア人は眼の青いモンゴリアンであるということになるであろう。
ロシア国家そのものがシベリアを領有しようとした政治的意図ははじめはなかったが、毛皮商人とコサックどもが私掠し、その私掠した土地が結局はロシア国家のものになった。血なまぐささがあまりともなわなかったのが、このロシアの北アジア領有事業であった。
日露戦争をおこしたのは皇帝ツァーリ、ニコライ二世の意思。
道義などはない。必要のため道義めかしくする。どうせ侵略の野心はある。それを道義で偽装することこと大切である。
農奴。気質的には農民。ロシア農民はものごとに能動的でなく、一種特別のあきらめを体質的にもっている。
ロシア兵を死臭のかたちで悩ました。腐乱し、その臭気は耐え難いものがあった。
【村八分】なぜ自分のうんこ(屁や体臭)は臭くないのに、他人のウンチは臭いのか?
映画『二百三高地』で再現。非人間的で必死な兵士たち
ロシア兵の二つの指が日本兵士の眼窩に突っ込んでおり、日本兵士の歯がロシア兵士の喉を深く食い破っている。日本兵には両目がなく、ロシア兵は気管を露出させている。
→この描写は後に映画『二百三高地』で再現されました。日本兵役のあおい輝彦さんが、あしたのジョーそっくりのかっこいい声で、ロシア兵の目を指でつぶし、喉を噛み切られています。日露の役割が逆転してしまったのはなんででしょうかね。別にどちらでも同じだったと思いますけど。どちらにしても野蛮で、どちらも必死でした。
貴官はその堡塁を守ることはできないかもしれない。しかし死ぬことはできるはずだ。
児玉は参謀に躍りかかるなり、参謀勲章をつかむや、力まかせにひきちぎった。
貴官の目はどこについている。国家は貴官を大学校の学ばせた。貴官の栄達のために学ばせたのではない。
自分で、見なんだのか。参謀は状況把握のために必要とあれば敵の堡塁まで乗り込んでゆけ。机上の空論のために無益の死を遂げる人間のことを考えてみろ。
日露戦後、秋山真之はあまりにも多くの死を見すぎたせいか、海軍に勤めるかたわら、宗教の研究に熱中したそうです。
腸の病に苦しみ、最後は「みなさんいろいろお世話になりました。これからひとりでいきますから」と言って死んだらしい(創作だという説もあります)。
この人が太平洋戦争まで生きていたら、どんな戦略を編み出しただろうか。