ドラクエ的な人生

ダニエル・デフォー『ペスト』の内容、あらすじ、書評、感想。

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超名作『ロビンソン・クルーソー』の作者が描く『ペスト』禍

ここ数年のコロナ過で読まれることの多かったダニエル・デフォーの『ペスト』。その内容、あらすじ、書評、感想です。

もっとも私がデフォーの『ペスト』を読もうと思ったのはコロナ禍の影響というよりは『ロビンソン・クルーソー』が面白かったから、というのが最大の理由です。

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私もたくさんの本を読んできたので、そろそろ「個人的な死ぬまでに読むべき世界の名作ベスト10」みたいな記事を書こうと思っているのですが、その中にはおそらく『ロビンソン・クルーソー』が入るだろうと思います。それほど高評価な本を書いた同じ作者の別の本を読んでみたいと思ったのです。

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くらべられることが多いカミュ『ペスト』とデフォーの『ペスト』の違い

作品の邦題が同じで比べられることの多いカミュの『ペスト』。デフォーの『ペスト』との違いは、カミュの方が個人の心情にフォーカスした小説風で、デフォーの方が実際にどんな風だったかを後世に残そうとする記録文学風になっていることです。

カミュ『ペスト』この世から病気がなくなっても、死と別離はなくならない。

ちなみにデフォーの『ペスト』は1722年に出版。カミュの『ペスト』は1947年に出版。200年の差があります。

その200年のあいだにペスト菌が北里柴三郎先生によって発見されています。疫病ペストの原因は、ネズミなどに取りついた蚤を媒介者とするペスト菌の大流行が原因です。

そのためか後発のカミュの作品には「ネズミ」「不潔」といったワードが登場しますが、先発のデフォーの作品には「ネズミ」「清潔」といったワードは見逃されています。

その代わりにデフォーの作品には「神の定めたこと」「神の恵み」といった「神」が登場するのです。病勢が衰え、悪性が消えていくことに神のめぐみ、恩寵を見るデフォー。名作『ロビンソン・クルーソー』でも主人公は聖書を手放しませんでした。

どちらの本も「ペストは根絶されたわけではない。いつかまた疫病は来るだろう」との暗示で終わっています。喉元過ぎれば熱さを忘れる、というのが戦争にせよ、疫病にせよ、人間の性のようです。

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ダニエル・デフォー『ペスト』の内容、あらすじ、書評、感想。

神様に命をおまかせするなどと言っているが、そんなことをいうならむしろ商売の浮沈のほうを神様におまかせする方がよっぽどましではないのか。

→ ロンドンがペスト禍で郊外が無事だったとき、仕事を捨てて命をとるかという選択を迫られます。でもなかなか仕事ってやめられないみたいです。18世紀のイギリス人でも。

不安な気持ちにさせてうまくたぶらかせて絞れるだけ金を絞り取ろうとする連中。いんちき星占い。魔法使いや魔女や詐欺師の門戸に殺到した。ペスト自体がこういった迷妄、いんちき占者をきれいに片づけてしまわない限り対策はなかった。

ただ墓場のことしか考えられなかったのである。うわついた娯楽どころの話しではなかったのだ。

デフォーの『ペスト』では容赦なく人が死んでいきます。あまりにも数が多いので死者数を数字で表現することさえありました。

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都市閉鎖ロックダウンではなく「家屋閉鎖」

家屋閉鎖。患者の家を家人もろとも閉鎖する強制手段。

→ カミュの『ペスト』では都市閉鎖いわゆるロックダウンが描かれるのですが、デフォーの『ペスト』では家屋閉鎖が描かれます。

18世紀のロンドンでも疫病が感染症であるというのはわかっていたので、隔離が有効だという認識のもと、家単位での隔離が行われました。

にわか牢獄。格子なき牢獄。隣家から逃げ出したり、暴力を振るったり、金を握らせたり、戸を蹴破ったりして出て行く。そして病毒を遠くまでばらまいてしまう。

→ 家屋閉鎖は実質的には牢獄のようなものでした。許可なく食料を買いに行くこともできないのです。なによりも家屋閉鎖というのは、ほぼ家族全員の死亡を意味していました。家族ひとりの感染によって家族内にペストが蔓延してしまうからです。

テントを野原に立て方丈の庵に住む隠者よろしく生活した者もいた。砂漠を放浪する巡礼者のような生活をし、みずから放浪の民となって、それでいてけっこう予想以上の自由を享受したものもいた。

→ おおっ。放浪の旅人力が疫病下では実力を発揮したのですね。「どこにでも住める力」ということは「ヤバい場所からいつでも出ていける力」に他なりません。

ロバート・ハリス『地図のない国から』放浪の魂を読む。

みんな病気がおそろしいもんで人も寄せ付けずに、ああやって水上生活をしているというわけです。

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「集団免疫」か「神の恵み」か

母乳によって嬰児に毒を移す。つまり毒殺していることになるのであった。

餓死寸前が武装蜂起、自暴自棄になって、貧乏人が何もかも破壊する最悪の事態にいたらなかったのは、疫病が彼らを一網打尽に殺してしまったからであった。

→ 餓死寸前の暴動が病死によって雲散霧消してしまう地獄でした。

あらゆる人間が自分と同じぐらい不幸な目にあうか、あわれな境遇におちいってほしいという、自分でどうしようもない一種の欲望を持つ。一種の自暴自棄

→ デフォーの『ペスト』は「みんなで仲良く助け合おう。ペストの時はそれで乗り切ったじゃないか」というメッセージで終わるのですが、残念ながら期待は裏切られてしまいます。

ペストはその力を使い果たしたらしく、伝染力もその力を出し切ってしまっていた。発病した者の大半は回復した。元通りになった。ロンドンが突如として再びそのにぎやかさを取り戻したのは、見るからに驚異というほかはなかった。

→ おそらく現代でいう「集団免疫」をロンドン市民が獲得したためにペスト禍はおさまっていったのでしょう。デフォーはこれを「神の恵み」と捉えています。

今ではペストから免疫になっていると思いこんでいた。空気は元通りに健全になった。自分が何を逃れたという深い感慨をその表情に歴然と示している多くの人々。

予定説を信じており、病気であろうがなかろうが、相手かまわずいろいろな人との往来をする。いかなる病気の伝染をも毛頭意に介しない。

→ 「感染しても死ぬのは年寄りだけだろ。自分は若いから大丈夫」そう豪語してコロナで死んだ人がいましたね。昔も今も人は同じようなタイプに分かれるんですねえ。

疫病がやんだのであるから、いがみあいの根性も、互いに罵り合う意地汚い精神もそれといっしょにきれいにやんでおればどんなによかったかと思うのだが、そういかなかった。

流行が激烈であったときに、市民たちが苦しみを舐め、慰め合っている姿をじかに見た者は、今後はわれわれはもっと愛情をもたねばならぬ、他人を責めることはやめねばならぬと固く心に誓ったはずだった。ところがそれはできなかったのだ。

→ この記録文学の文学的な到達点のひとつはこの境地です。「ピンチの時は協力し合ったのに、平時に戻ったらまたいがみあう人間」を描いています。

事態の好転は、医師たちによって新しい薬が発見されたからでもなければ、新しい手術法が考案されたからでもなかった。あの見えざる手のなぜるわざだった。

→ そしてもうひとつの境地が「なんでみんなもっと神様に感謝しないんだ? 疫病がおさまったのは奇跡のようなものじゃないか。神様、ありがとう」という境地でした。

もうとっくに中世暗黒時代は終わっているはずなのですが、デフォーもいつまでも神様を引きずっていたんですねえ。キリスト教は強いですね。ドストエフスキーも同じですが。

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