人生を買うという行為だけで終わらせないために。『ロビンソン・クルーソー』

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「自然環境の中でただ生きのびる」キャンプ、DIY、アウトドア、家庭菜園スキル

このページはダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』『ロビンソン漂流記』を、アウトドア、キャンプ、放浪旅の目線から書評しているページです。

1719年出版の本です。江戸時代に出版された300年前の本がどうしていまだに語り継がれているのか。実際に読んではじめてわかりました。

その秘密は「自然環境の中でただ生きのびる」といった人類生存の根源的な本能に真正面から取り組んでいるためです。

『ロビンソン・クルーソー』に書かれてあることはキャンプ、DIY、アウトドア、家庭菜園といった現代の趣味に通じるものがあります。

現代は何もかも買うことができます。お金があれば暮らしに必要なものは全部買えます。それに対して無人島のロビンソン・クルーソーはお金がいくらあっても意味がありませんでした。何もかも自分でつくり、自分の力だけで生きていかなければならなかったのです。

それは薪と火で暖をとるような原始時代と同じライフスタイルであり、動物の毛皮や植物の繊維で服をつくるような太古の人類と同じ暮らしでした。

ロビンソンが不幸でみじめなら、私たちの先祖は不幸でみじめな生き物でした。しかし私たちの先祖がみじめで不幸ではなかったように、ロビンソンもまたみじめで不幸ではいませんでした。自分の力で無人島漂着という不運を、それなりに変えていきます。

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【書評】ダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』漂流記について

ダニエル・デフォー『ロビンソン漂流記』は、生来の放浪癖によって故郷を飛び出したロビンソン・クルーソーの漂流記を描いています。乗った船が難破して無人島に漂着し、その島で原始の暮らしをしつつ生きのびていく様を描いた作品です。

生きるとはどういうことか、これほど鮮やかに描いた作品もありません。

すこし『ウォールデン・森の生活』を思い出しました。

ウォールデン・森の生活

普通、文学というのは他人との関係性が描かれるものなのですが、ロビンソンは無人島の漂着者であり他者との関係はありません。その代わりに聖書があり、神との対話があります。

1719年の出版です。日本は江戸時代。1716年には新井白石『折たく柴の記』が出版されています。新井白石の方がもはや「当時の風俗研究」資料としてしか読まれないのに対して、デフォーの作品がいまだにエンターテイメント小説として超一流なのはどうしてでしょうか。

ギリシア悲劇源氏物語を想起したらおしまいですが、300年も作品が命脈をたもつというのは並大抵のことではありません。

300年前の作品とは思えない面白さです。たぶんに私自身の放浪・アウトドア嗜好に合うということもあるでしょうが、実際に読んでみて「こんなに面白かったのか」と驚きました。

自然の中で生き抜いていくことの不安は絵画的なものではなく心理的なものなので、『ロビンソン・クルーソー』は映画など動画で見るよりも、小説で読んだ方が面白いと思います。

作者デフォーの50代後半の作品です。出版されたのは59歳の時です。ずいぶん年をとってから出版された作品です。芥川龍之介夏目漱石だったらもうとっくに死んでいる年齢です。

現代日本ではサラリー生活をリタイアした後、田舎で暮らして、農業をしたりする人たちがいます。これまでお金で買ってすませてきた諸事を、自分でやってみようとする人たちです。野菜をつくったり、古民家を買ってリフォームしたり、果ては家を自分で建てたりする人が増えているのです。

終の棲家。移住先を探すときの選択項目(寒・暖、海・山、都会・田舎)
なにも将来もずっと同じ場所に住む必要はぜんぜんありません。同じ市に住む必要さえありません。いつでも、どこにでも引っ越せる。 さて終の棲家、移住先を探しましょう。どういう選択をすべきか、一緒に考えましょう。

このような人たちは、もちろんサラリーがなくなって生活にお金をかけるわけにはいかないという事情もあるでしょうが、どちらかといえば自分の生きがいとしてやっていることが多いようです。そういう人はお金があるなしに関わらず自分が食べるものを自分でつくってみようとするのではないでしょうか。

諸事、金で買ってすませる生活に飽きてしまったのでしょう。生きている実感をえるためには、生存危機レベルのヒリヒリした状態に身を置いて、そこから自力で生き抜いていくことをしなければ、なかなか生きがいを得ることができません。

デフォーも還暦ちかくなって、若かりし頃には想像もできなかった心境に至ったのかもしれません。

それゆえに現在のキャンプやDIYブームのただなかにいる若い人でも、じゅうぶんに読んで楽しむことができる作品となっています。

このようなローテクの太古の暮らしは何千何万年と人類がやってきたことであり、むしろ普遍的な人間生活の真髄だとさえいえます。

必要なものは全部お金で買うという現代の暮らしこそ、わずか数百年の歴史しかない新しい生き方であり、それが正しいか間違っているのかは誰にもわかりません。

しかし何もかもお金で買える生活をしていると、自然の中で人間が生き抜いていく力が弱まっていきます。何もかもお金で買える生活を「つまらない」と感じる一部の人間がいることもまた確かなのです。

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ロビンソン・クルーソーの漂流記。魂の冒険記

どうやら作者のデフォーは放浪癖をもつロビンソン・クルーソーがその放浪の魂によって不幸になるさまを描きたかったようです。人は今いるココに満足できず、流浪する。幸せを求めて旅に出て不幸になるのが人間だ、という考え方をしていたようです。

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先祖の土地でおとなしく親と同じ暮らしをしていれば、そこそこの幸せが保証されていたにもかかわらず、故郷を飛び出して、ついにロビンソンは無人島でセルフヘルプで生きていかなければならなくなりました。

『ロビンソン漂流記』ではジューヌ・ヴェルヌ『十五少年漂流記』のように、いきなり無人島に漂着しません。故郷にとどまりなさいという親の反対を押し切って放浪の旅に出たロビンソンは最初、海賊につかまって奴隷となってしまいます。しかし、自由になりたいと逃げだし、海上で船に救出され、ブラジルに行きます。ブラジルで農園を経営して成功しお金持ちになりますが、それでも定住し暮らしていこうとはしません。

「こういう暮らしならイギリスでもできた。友人たちと別れる必要はなかった。これでは無人島に漂流したも同然だ」

そんな風に考え、ブラジルでの農園主の生活に飽き足らず、ロビンソンは船で旅に出ます。1659年の出港です。そして嵐で難破してひとりだけ助かるのです。

ここからがいよいよ有名なロビンソン漂流記のはじまりです。いよいよ本編がスタートします。

ブラジルの農園での暮らしを無人島に漂流したも同然だと考えていたロビンソンでした。ところが全然違いました。たどりついた島を「絶望の島」とロビンソンは名付けます。漂着した上陸地点に十字架を立てて、刻みをいれて暦をつくりました。

安息日のあるキリスト教徒なので日曜日を知ることがロビンソンには重要なのでした。ところどころにあらわれる文明人らしいところが、この狂気の物語をときどき正気に戻してくれます。原始人が原始的生活を送るのではなく、文明人が原始的生活を送るところが面白いわけですからね。

ロビンソン・クルーソーは初めての夜を木に登って明かします。島の猛獣を恐れたのでした。ヒョウに食い殺されるかもしれません。ひとりぼっちの知らない島がロビンソンは恐ろしくてなりません。しかし島にはヒョウのような猛獣はおらず、代わりにヤギがいました。そのことを後に彼は神に感謝するのです。

ロビンソンは稲妻を恐れました。落雷にあったら火薬を失うからです。ひとりぼっちの島で銃なしにはおそろしくて生きた心地がしませんでした。いかにも白人ですね。

ロビンソンはぐっすり眠るために防壁をそなえた小屋をつくります。乗ってきた難破した船から、食料と、武器、道具と資材を島へと運びだします。廃船からあらゆるものを運びだしますが、お金には価値がないと思います。この島では何の役にも立ちません。お金の価値は交換価値だけですから、交換するものも、交換する相手もいない島では無価値でした。落としたコインを拾い上げる気にもなりませんでした。

価値があるとは、何かに利用できるということです。ものの価値というものは、利用できるところにしか存在しないと無人島のロビンソンは悟りました。使い道がなければ価値などゼロに等しいのです。

廃船には犬が一匹、猫が二匹いました。彼らを船から連れ出します。「ペットは家族だ」というほどロビンソンは近代人ではありませんが、それでも犬はロビンソンの孤独を癒す存在となってくれました。

しかし犬よりも猫よりもロビンソンの孤独を癒してくれたのは船から持ち出した聖書でした。聖書の言葉、天なる神がロビンソンの何よりもの会話の相手になります。悩み、苦しみを自問自答しつつ、神に問いかけるのです。自分だけが生き残った意味を。

ペンとインクと紙も大事な用具でした。ロビンソンは漂流の記録をとり続けます。

犬と猟銃を駆使して、ヤギと鳩をロビンソンは食べて暮らしました。亀の肉や卵がごちそうとなりました。やがて銃の弾がなくなっても生きていけるようにヤギを家畜化することに成功します。チーズがつくれるし、肉にもなります。

船の中にあった米麦を育てることにも成功します。食料だけでなく、カヌーやカゴなど、生活に必要な道具も自分でつくります。

ロビンソンはものづくりのシロウトでしたが、理性で合理的に判断をすれば、モノづくりに熟練することは誰にでも可能だと結論します。そして何もかも自分でつくるのです。トライ&エラーでとりあえずやってみて工夫していけば、生きていくために必要な何でも拵えることができました。

失敗もたくさんありました。一番大きな失敗は、大木を削って舟をつくりだしたときでした。どでかい木を削って丸木舟をつくったのですが、重くて海まで運べないのです。巨木を発見し、切り倒して加工してカヌーを制作できたのに、それを海まで運べなかったのです。たった一人の力では。地面を掘削して斜面にするのも、水路も引くのも、完成するまで10年以上かかってしまう計算でした。そしてとうとうせっかくつくったカヌーを諦めました。森の中に放置するしかありませんでした。

何か仕事を始めるには時間と労力を計算して自分の力で可能かしっかりと検討する必要があるとロビンソンは学びます。やみくもに着手することの愚かしさを痛感したのでした。

『ロビンソン・クルーソー』は猟銃を撃ったりするような冒険活劇部分よりも、囲いをつくって防壁がある家をつくったり、米や麦をつくったり、羊を飼いならしたりするサバイバル部分の方が圧倒的に面白いものがあります。

それは人間本来の根源的な暮らしを文明人が再現しているからに他なりません。ロビンソンはとにかく生きのびたかったのです。何をしてでも、どんな暮らしでも。

ある日、ロビンソンはマラリアに罹ってしまいます。医者もおらず、薬もありません。死に近づき、聖書に神を求めます。誰もいない島で、聖書しか読むものがなかったら、私だって「神はいる」と信じて天意を問うかもしれません。

なんとか生きのびたロビンソンは、神に感謝します。自分だけ生き残ったことを不幸とは考えず、むしろ幸運だと考えるようになりました。不幸な島の漂流者ではなく、自分は神の恵みで生かされていると幸運に感謝します。

このような価値観の転換が『ロビンソン・クルーソー』を深い作品にしています。

ある日、無人島を脱出しようと船で漕ぎだしたら、海流に流されてロビンソンは島に戻れなくなってしまいました。このままでは漂流餓死してしまいます。あれほど脱出したかった島なのに、今はもう島に戻りたくてたまりません。

ロビンソンはいいます。われわれはまったく異なる環境に連れ出されるまで、自分の境遇がどれほど幸福だったのかに気づかない。失ってはじめて自分が享受していたものの価値を知ることになるのだ、と。

無人島の孤独の中で誰でもいいから人に会いたかったのに、いざ人の足跡が見つかるとロビンソンは不安と恐怖に怯えてしまいます。実際にその足跡は食人族のものでした。

その時、ロビンソンは考えます。

以前から危険だったのに、知らなかっただけだ。知らなかった頃は幸福だった。危険を知ってしまった今は不安と恐怖で心労にさいなまれている。様々なことが見えないからこそ人は平静でいられるのだ。すべてがありありと見えたら、とても正気ではいられまい——と。

ボロボロのあばら家でも住み慣れた自分の居住地は快適でした。無人島の過酷な暮らしの中で、ロビンソンは「足る」ことを知るようになったのです。

ロビンソンはイギリス人らしく食人賊の犠牲者を助けて従僕とします。

最終的に彼は、島を訪れた船を奪取します。反乱を起された船の船長と協力しあって、その船を奪い返して、とうとう無人島を脱出することに成功するのでした。

無人島生活は28年間にも及びました。

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帝国主義的だという批判もある

ロビンソンが無人島で何よりも大切にしたのは銃と火薬でした。無人島とわかるまでは島の猛獣や原住民の食人の風習にとにかくロビンソンはおびえまくります。ひとりぼっちで、銃だけが頼りでした。

その銃で島を探検し、次々と征服していきます。そして最後には自分はこの島の王様だと考えるに至ります。

そういうところが後世(現代)から「帝国主義的だ」という批判があるそうです。

私はこういうエンターテイメント作品を現実に当てはめるのはよくないと思っています。

確かに未開の食人族が登場します。ロビンソンが食人の風習を嫌悪し、食人族を恐れ、犠牲者を食人族から救い出すところが作品の冒険活劇の見せ場になっています。

ロビンソン・クルーソーの無人島は南米ベネズエラあたりの島ということになっているのですが、なまじっか場所が特定できるだけに「この食人族は何国人の何族なのだ」と追及し、その人たちを侮辱している謝罪しろという文学殺しの人権派がそういうことを言うのでしょう。

そんなことを言わずに作品をエンターテイメントとして楽しむことはできないものですかね?

このような批判は、『宇宙戦艦ヤマト』のデスラー総統ヒトラーがモデルだからドイツの人たちを侮辱している謝罪しろと言っているようなものだと思います。南米諸族に食人の習慣はなかったとか、そういうことはどうでもいいのです。デフォーが南米諸族に食人の習慣があったことを証明するために本作を書いているなら力いっぱい反論すればいいと思いますが、そうではありません。

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人生を「買う」という行為だけで終わらせないために

現代は何もかも買うことができます。お金があれば暮らしに必要なものは全部買えます。便利な時代です。

その反面、すべては「買う」という行為で済んでしまいます。

食べることも「買う」。飲むことも「買う」。寝具も「買う」。移動手段も「買う」。雨露をしのぐ家も「買う」。すべてが買えばすんでしまいます。

便利な反面、それが人生を退屈なものにしてしまいました。

「買う」という行為はあまりにも簡単すぎて、それ自体として生きている実感を感じることができません。

「買う」という行為で人生が終わると、ゲームとしては簡単すぎて、生きている実感を得られない退屈な人生を送る危険性があります。

私たちが走るのも、アウトドアに惹かれるのも、すべては生きている実感を得るため、この人生を「買う」という行為だけで終わらせないため、人が生きることの原点に回帰するためではないでしょうか。

×   ×   ×   ×   ×   × 

(本文より)知りたかった文学の正体がわかった!

かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。

しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。

世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。

すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。

『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。

その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。

Bitly

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
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雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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