世界史の捉え方
人間を語るということは、世界史を語ることでもあります。
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世界史を語る上で、どうしても欠かせない事件や発明といったものが存在します。
時代を画する年代をみなさんどう考えていますか?
ダーウィンの進化論と、エジソンの白熱電球
わたしは1859年のダーウィンの種の起源(進化論)と、1879年のエジソンの白熱電球をひとつの時代を画するものと考えています。これらは人類の思想と技術の大転換点でした。
ダーウィンの進化論は、人間が神の被造物であることから決別したという意味で人類史的な事件だったと考えます。
『種の起源』人類はやがて絶滅する(ダーウィン名探偵はDNAを知らない)
そしてエジソンの電球によって人類は夜を駆逐しました。太陽に支配される存在だった人間生活が、人工のライトによって太陽の支配から逃れることに成功したのです。太陽もまた昔は神のような存在でした。
ダーウィンも、エジソンも、神の支配下にあった人間から、そのくびきを取り払ったのです。
そういう意味で重要な時代でした。
もうひとつ1945年があります。これはもちろん「地球を滅ぼす力」である核爆弾のことを人類が知った日です。これもまた神のような力でありました。
ダーウィン・エジソン時代
ところでダーウィンとエジソンですが、1859年と1879年のたった20年の差は、人類の歴史の中では誤差の範囲といってもいい同時代なので、わたしはこの時代を「ダーウィン・エジソン」時代と呼んでいます。
ダーウィン・エジソン時代以降の作家には、新しい境地を描いてほしい
ダーウィンの進化論は、キリスト教に決定的な影響をあたえました。
もはや学校では、人間は神がチリからつくった、とは教えません。サルとの共通の祖先から進化したのだと教えます。ダーウィンの記述を聖書の記述より信頼しているからです。
信仰というものは、ひとつ崩れるとすべてが崩れますから、世界は神が七日間でつくった、とももはや教えません。40億年の宇宙史の中で地球の起源は語られています。
そう考えると、ドストエフスキー文学なんかはオチがキリスト教の救いですので「古い!」といわざるをえないのです。
カラマーゾフの兄弟『大審問官』。神は存在するのか? 前提を疑え!
ドストエフスキー。
ドストエフスキー作品の読み方(『カラマーゾフの兄弟』の評価)
ダーウィン・エジソン時代以降の作家には、新しい境地を描いてほしいものです。
「きっと神さまが何とかしてくださるわ」というオチの文学はもうお腹いっぱいです。
ダーウィン・エジソン時代以降の人類は、それ以前の人類とは別種の人類だ。
電灯そのものを発明したのはじつはエジソンではないそうですが、世界に電灯を普及させたのは間違いなくエジソンです。そのはじめの一歩が1879年。比較的新しいですよね。
この時代のことを覚えておけば、レオナルドダヴィンチも、マリーアントワネットも、ナポレオンも、坂本龍馬も誰一人として電灯なんて見たこともない時代を生きていたことがわかります。
きっとこの人たちと私たちは人生に対するスタンスが根本から違っているとわたしは考えます。なぜならわたしたちはダーウィン・エジソン時代よりも後に生きているからです。
ナポレオンの時代にも、ロウソクやガス灯などはあったわけですが、イルミネーションや都市の夜景のようなものは最近のものなのです。昔の人はそういうものを見たこともありませんでした。
昔の短歌や俳句、日本文学を読んでいると思うのですが、月や星の明るさを歌ったものが数多くあります。まるで人の導き手のように星をたたえたりしていますよね。昔の人は。
電灯のない世界では、月が本当に明るいのです。星がまぶしいのです。電灯の普及で都市をつくってしまった現代人には、もはやこのことは本当の意味ではわからなくなってしまったと思います。
電灯以前の夜をうたった俳句、短歌のことはもはや本当の意味では「わかりません」。なぜなら電灯が世界から闇を駆逐してしまったから。
パソコン、スマホをふくめて、電気の力にどっぷりつかっているわたしたちは、1979年以前の人類とは違った人類だといえましょう。
もちろん1945年以前の人たちとも、違った価値観をもった新人類です。
つきにこのようなエポックメイキングな時代を画する年は、いつになるのでしょうかね?