ドストエフスキー作品の読み方(『カラマーゾフの兄弟』の評価)

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このページでは世界文学の最高峰といわれる『カラマーゾフの兄弟』を参考書にドストエフスキー作品の読み方について書いています。

『カラマーゾフの兄弟』の一部、大審問官についての評論はこちらをご確認ください。

カラマーゾフの兄弟『大審問官』。神は存在するのか? 前提を疑え! 
結局のところ、聖書の神の実在・不在と信仰、教会論争であり、神は死んだってことにすれば、すべては無意味です。 日常生活とかけ離れた問題であるため、すくなくとも人生観を変えるようなテーマでないことだけは確かです。 あなたは現実からみずから学んだことを信じますか? それとも聖書に書いてあることを信じますか? いかに大文豪でも、生まれ育った環境と、取り巻く状況の奴隷にすぎないのだと、思いをはせるのが、宗教に依存しない日本人の正しい『大審問官』の鑑賞態度だと思います。

『カラマーゾフの兄弟』の文学性の高さについて、私は懐疑的です。

これまでに現実という書物から学んできたものを、超えるものではなかったからです。

そして作品の救い・オチを、フィクションかもしれない宗教の「死者の復活」や「神の王国」に置いているからです。

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ドストエフスキーの小説の読み方のコツ

ドストエフスキーの小説の読み方にはコツがあります。
それは「仏陀的な登場人物なんだ」と割り切って読むことです。ここでいう「仏陀的な人物」とは、「感情は寄せては返す波のようなもので無常、ひとつとして同じものはないという人間造形」のことです。
ドストエフスキー自身、狙ってそのような人物造形にしていたようです。ですから「キャラクターが一致しません」。分裂症気味の狂った人物のように見えます。「キャラがブレます」。現代の日本人が見ると、思い付きで動く、刹那的なブレた人物造形に見えてしまうのです。
こういうところが人によっては「この小説ほど人の心を深く掘り下げた作品はない」など絶賛されるのです。普通の作者なら書かない湧き起こる瞬間的な感情を全部書いちゃっているんですから、深みがあって当然です。
確かにブッダのいうとおり、人の感情は瞬間瞬間で変わります。しかしそれを小説でやる必要がありますか? それを小説に教えてもらってどうするというのでしょう。そんなものは現実の人間を観察していればわかることです。女性とつきあってみればわかることです。恋人が何を考えているのかさっぱりわからないという瞬間があなたにもあったでしょう。さっきまで機嫌がよかったのに、今は急に機嫌が悪いらしい。でもどうして機嫌が悪くなったのかわからない、ということが。
あなたがもしこのようなマンガを書いたら、編集者から「この人物はキャラがブレている」と指摘されて書き直しを命じられると思います。しかしドストエフスキーの小説には「キャラがブレている人物」ばかりが登場してくるのです。
『カラマーゾフの兄弟』の読みにくさは、この点を理解しないと、解消されません。
よくいえば「感情の振幅が大きな人物」ということになるのですが、前衛的な実験小説すぎて、実に読みにくいのです。

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「仏陀的な人物」とは「感情は寄せては返す波のようなもので無常、ひとつとして同じものはないという人間造形」のこと

人間は、嫌なことを避け、気持ちのいいことを求めて行動するものです。苦しいことを避け、楽しいことを求めて行動するものです。しかし楽しいこと気持ちのいいことも不変ではありません。誰かのちょっとした一言で、楽しかった気分がどん底に落ち込んだりします。

それが人間です。人間の真実を描くのが文学だとすれば、小説もそのように描かなければならないのでしょうか。

そんな浮いては沈む感情をいうものをどのように考えたらいいのでしょうか。

ドストエフスキーも、人間を仏陀と同じようなものと考えました。ずっと怒り続けている人も、ずっとほがらかな人もいない、と。ずっと好人物も、そしてずっと嫌なやつもいない、と。

それを小説として表現しようとしたために、私たち読者にはドストエフスキーのキャラクターが「分裂症の人物」のように見えてしまうのです。

それでイラついてはいけません。それが「作者の狙い」なのですから我慢して付き合いましょう。

ころころ変わるキャラクターの行動、感情、突拍子もないキャラクターの叫びも、そういうものなのだと受け止めればいいのです。

読者は大伽藍のような建築物を求めているのに、作者はぶっ壊そうとしているのですから、読んでいてストレスが溜まります。だからといって、キャラクターの豹変ぶりに「キャラの不一致だ!」と騒ぎたてていたら、ドストエフスキーは読めません。

自分がシリアスなピンチの時に、揶揄したり、自分を茶化してみたり、罪をわざと認めるような言動をするマゾっぽい人物が登場します。

本当は助けたいのにわざと罪をなすりつけるような証言をするサドっぽい人物が登場します。そしてそのことを後悔して号泣したりするのです。イヤハヤ……。

歓びの中にも、不安や、苛立ちがある。好きであるがゆえに無視したり苛めたりする気持ちが人間にはある。憎いからこそ助ける、とか人間感情は複雑です。人をいじめることが楽しかったり(サディズム)、苦しいことが快感だったり(マゾヒズム)。

そういう刹那の感情を小説で表現しちゃったところを、(私とは逆に)文学史上最高と高く評価する人がいるのです。

しかし心境の動きのラインが一定でないから、あまり私の心には残りません。やはり私は「ぶっ壊された廃墟」が見たいのではなく「人間の栄光の大伽藍」が見たいからなのだと思います。

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書評『カラマーゾフの兄弟』とは?

1879年に文芸誌に連載開始したそうです。ドストエフスキー58歳の時の作品です。

1904年に日露戦争が開始。1917年にロシア革命が起きていますので、その少し前の作品ということになります。

カラマーゾフというのは「黒く塗られた」という意味なのだそうです。黒塗一族の物語ですね。

作中に「カラマーゾフ」という言葉が頻出します。「カラマーゾフの血」というように。

あたかも「カラマーゾフ」を「ロシア民族」と読み替えなさいとでもいうように。

あちらにはハムレットがいるが、わが国にはカラマーゾフがいるだけなのだ

アメコミのスーパーマンがアメリカの平和のことしか考えていないように、ドストエフスキーはロシアのことしか考えていなかったと私は思います。

「あちら(西洋)にはハムレットがいるが、わが国にはカラマーゾフがいるだけなのだ」

作中にそんなセリフがあります。

よく「ドストエフスキーから人類への贈り物」とか「人類ベースの言葉」でドストエフスキー作品をくくろうとする人がいますが、私はドストエフスキーは人類のことなんか考えちゃいなかったと思います。ドストエフスキーが考えていたのはロシア民族のことだけなんじゃありませんか。

「他の国に律法と刑罰があるのならば、ロシアには魂と知恵を備えましょう」

作中にそんなセリフもあります。

問題は「作品のオチ」です。もしロシアだけでなく、全人類のことを考えていたら、こんな「オチ」「救い」でいいわけがありません。そのことはこのコラムの後段で触れます。

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葱を一本あげただろう。はじめなさい。自分の仕事を。

『カラマーゾフの兄弟』は未完の小説なのだそうです。さもありなん、です。

ドストエフスキーはエホバ神を否定する気もなかったが、無条件で肯定するのも躊躇するところがありました。

両者の対立の緊張感の中で作品を書くという作風でした。

『カラマーゾフの兄弟』のオチ(ラストシーン)は、キリスト教の救いで、みんなの苦労は報われる、という宗教じみたものでした。

これでいいのでしょうか? これが人類全体のことを考えて書いた作品ですか? これが人類文学の最高傑作でしょうか?

もしもキリスト教の聖書の復活の教えが「ただのフィクション」だったとしたら、どうしますか?

『カラマーゾフの兄弟』を「人類のための文学」とかいう人は、その点を答えてほしいものです。

「最後の審判の日に、死者は復活し、イエスが神の王国をつくりあげる」

そんなおとぎ話を救い(作品のキモ)にするような小説が、人類史上最高の作品であっていいわけがありません。

ロシア正教とかカトリックのことばかり書いた小説が、ヒンズー教徒に通用するとは思えません。神社の国の私たち神道・日本人に対しても同様です。

死者が復活するといわれてもピンときません。

そうは思いませんか?

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およそ物書きは、物語を書け。さすれば他者が勝手に深読みしてくれる

私は「神が書いた小説なんて見たことがない」というコラムで小説家の視点について考察しました。

小説の視点【神の視点】神が書いた文章なんて読んだことがない
私たちは、人間が書いた文章は読んだことがあるが、神が書いた文章は読んだことがありません。複数視座【神の視点】で小説を書くと、読者は「人間が書いた文章ではないもの」を読んでいる気がして、違和感を感じて気持ちが悪くなってしまうのです。語り部を選ぶ際のコツは、魅力的な行動家は話主にしないことです。ひらたくいうと、カッコいいヤツは話主にしない方がいいのです。

小説は、どうしても「作家の目線」「作家の体臭」で紡がれるから、作家はスターになりえる、ということです。

逆にマンガ家は、古今無双の表現力をもちながらも、スターメーカーにはなれても、自分はスターになりにくい、ことを考察しています。

マンガは動きを目で見せる芸術。表現力は古今無双。
感情の起伏をおこすことが、小説の命です。それに対してマンガは動きを目で見せる表現です。ふきだしのカタチや字の大きさで音声情報さえも目に見える形で表現を可能にしたマンガは日本で独自の進化をした世界に誇れる表現なのです。

『カラマーゾフの兄弟』は19世紀のロシアを生きたドストエフスキーそのものです。

ドストエフスキーは、ジェット戦闘機も、原子爆弾も、アポロ月面着陸も、インターネットも知らずに死にました。遺伝子DNAも、免疫細胞も、精子と卵子の授精から細胞分裂することも、地球上の生物の歴史も、何も知らない人が書いた作品だということを、忘れてはいけません。

近代人のものの考え方のベースとなっている知識を何一つ持っていない人が書いた作品だということは、いちおう考えておく必要があると思います。

『カラマーゾフの兄弟』を「父殺し」の作品として捉える向きもあるようです。なるほど、興味深いテーマではあります。

父を殺し、母を犯すエディプス・コンプレックスの話しは、世界に無数にあります。

エディプス・コンプレックス。「親父を乗り越える系の話し」は無数にある
『オイディプス王』は運命に痛めつけられて、無力感に途方に暮れていじけている人間の物語ではない。 過酷な運命に自殺や両目を潰すなどの激しい抵抗を見せる人間の物語である。

ドストエフスキーはフロイト以前の人物です。

およそ物書きは、物語を書け」ということなのかもしれません。

物語を紡ぐことで、作家は無意識の巫女、シャーマンのような扱われ方をされることがあります。

深読みされる余地のある物語を書くことで、後世のフロイトのような人たちが、自分の考えを物語の中に投影して、作品を高く評価してくれるのです。

銀河系ですら宇宙の片隅のちっぽけな渦にすぎないことがわかっている現代でも、イエスの復活をオチにしたドストエフスキーの作品を最高ランクに評価する人たちがたくさんいます。それだけ物語の中に「自分を投影する」要素がたくさん詰まっているということでしょう。

なにせ瞬間にふと浮かぶ感情を全部書いちゃっていますから「自分の感情を正当化する」要素がたくさん詰まっていることに違いはないと思います。

だからといって現代でもそれを「文学史上最高」と評していいのかどうか。それをご自身の目と耳で確かめていただきたいと思います。

※本は電子書籍がおすすめです。

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このブログ著者の小説『結婚』
小説『結婚』
愛とは何か? 結婚とは何か? を追求した純文学小説です。 主人公ツバサは劇団の役者です。恋人のアスカはツバサのもとを去っていきます。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。  離れたくない。その叫びだけが残った。  全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。 引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。 そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。 それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。 アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。 死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。 生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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愛とは何か? 結婚とは何か? を追求した純文学小説です。 主人公ツバサは劇団の役者です。恋人のアスカはツバサのもとを去っていきます。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。  離れたくない。その叫びだけが残った。  全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。 引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。 そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。 それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。 アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。 死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。 生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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このブログの著者の小説『片翼の翼』
小説『片翼の翼』
なぜ生きるのか? 何のために生きるのか? を追求した純文学小説です。 主人公ツバサは劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。 かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。 同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。 アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。 自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。 人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。 ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 ※※本作は小説『結婚』の前編、バックストーリーに相当するものです。両方お読みいただけますとさらに物語が深まる構成になっています。※※
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小説『片翼の翼』
なぜ生きるのか? 何のために生きるのか? を追求した純文学小説です。 主人公ツバサは劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。 かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。 同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。 アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。 自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。 人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。 ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 ※※本作は小説『結婚』の前編、バックストーリーに相当するものです。両方お読みいただけますとさらに物語が深まる構成になっています。※※
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【この記事を書いている人】

アリクラハルトと申します。【トウガラシ実存主義】【遊民ユーミン主義】の提唱者。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。
市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。海外マラソンも完走多数(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ユングフラウ、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ホノルル)。地元走友会のリーダー。月間走行距離MAX600km。『市民ランナーという生き方(グランドスラム養成講座)』を展開しています。言葉の力で、あなたの走り方を劇的に変えてみせます。
また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。
そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。
その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。タイ。ベトナム。カンボジア。マレーシア。シンガポール。インドネシア。ニュージーランド。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の28ケ国。パリとニューカレドニア、ホノルルとラスベガスを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。
登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。千葉県在住。

【この記事を書いている人】
瞑想ランニング(地球二周目)をしながら心に浮かんできたコラムをブログに書き綴っているランナー・ブロガーのアリクラハルトと申します。【トウガラシ実存主義】【遊民ユーミン主義】の提唱者。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。 市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。海外マラソンも完走多数(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ユングフラウ、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ホノルル)。地元走友会のリーダー。月間走行距離MAX600km。『市民ランナーという生き方(グランドスラム養成講座)』を展開しています。言葉の力で、あなたの走り方を劇的に変えてみせます。 また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。 そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。 その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。タイ。ベトナム。カンボジア。マレーシア。シンガポール。インドネシア。ニュージーランド。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の28ケ国。パリとニューカレドニア、ホノルルとラスベガスを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。 登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。千葉県在住。
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