ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』の魅力・あらすじ・解説・考察

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『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』の魅力・あらすじ・解説・考察

人類は、飢饉と疫病と戦争を克服し、不死と至福と神性を手に入れようとするだろう、という未来予測。人間を神にアップグレードするだろう。という内容の本でした。そしてそのユートピアとは逆に、新しいテクノロジーが人間個人の価値をなくして大量な無用の人間を溢れさせ、AIによるアルゴリズムに生きる意味や正邪の価値判断をゆだねることになるかもしれないというデストピアの啓示も示されています。

表紙の写真がまるで『2001年宇宙の旅』なのが気になりますねえ。

劇の第一幕に登場した銃は第三幕で必ず発射されるという「チェーホフの法則」で、これまで世界は動いてきた。そこに兵器はあればそれは必ず使用される。しかし相互破滅確約の核兵器だけはそうではなかった。核抑止力は確実に大国同士の平和を抑止した。飢餓、疫病、戦争という三大災厄のうちの戦争を回避できるようになったのです。

現代ではアルカイダよりもコカ・コーラの方がはるかに深刻な脅威なのだ。テロよりも肥満が原因で死ぬ人の方が多い。

動物は生存と繁殖の可能性を高めるようなもの(たとえば食べ物や伴侶や社会的地位)を求めているときには脳は鋭敏さと興奮の感覚を生み出し、動物はそれに急き立てられて一層努力する。そうした感覚はじつに心地いいからだ。

原始的な快楽は、文化的な快楽に勝る

食べ物や至福のオーガズムは長続きせず、再びそれを感じたければ、さらに食べ物や相手を探しに出なければならない。もし食べた後に永続する至福を楽しめたら、わざわざそれ以上の食べ物を探し回らず、幸せだが短い一生になっただろう。

女は食べ物

八万の人々が、毛皮の帽子をかぶってバルコニーに立っている老人よりも自分たちの方がはるかに強力だと気づいた時、共産主義国家ルーマニアはもろくもくずれた。革命はどうしてこれほど稀なのか? 理論上はいつでも突進していってその男を八つ裂きにできるというのに。

独裁者の三つの要素。①あらゆる組織の管理。②競合組織の排除。③他国との連携。権力はしっかりした組織を持っているところが握るものだ。

ホモ・サピエンスが他のすべての動物を支配することを可能にするのは、神の似姿や、霊魂や、知性による道具のおかげではなく、多くの人間同士を結び付ける組織の力による。柔軟な協力ができること。ハチは組織だっているが、女王バチをギロチンにかけて共和制国家を打ち立てる柔軟性はない。

サピエンスは冷徹な数字の論理ではなく暖かい社会的倫理に従って行動する。カモにされたなどの不公平な結果はメリットがあっても拒む。損をしてでも、公平・平等を選ぶのだ。お人好しではない。不平等を激怒する。他者との報酬との比較で不満を感じる。

フリードリヒ大王「(兵士の群れに)武装と筋力において我々に勝っていないものは一人としていないというのに、我々がいるだけで全員震えているのに対して、我々が彼らを恐れる理由は何一つない」大人数の集団は少人数の集団とは違う行動をとる。ヒエラルキーやネットワークは、フィクションの秩序を信じる気持ちに基づいている。

虚構・フィクションを想像できることで、人間は大多数でまとまることができた。それが世界のあるじになった源泉だ、というのが前作『サピエンス全史』でした。

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』人生の意味、意義はフィクション。おのれが選んだ物語

昔の人類は力がない代わりに意味があった。脚本家が神だったからだ。しかし現代人は力と引き換えに生きる意味を放棄した。芥子粒のように小さい惑星で無限小の時をおくることに意味はない。

真実とは自然のこと。人が生きていく限り、アウトドアは必然

資本主義は宗教。経済成長が、あなたの得はわたしの損というゼロサムゲームの世界を変え、あなたの得はわたしの得となったことで、平和に貢献をなした。イエスの左の頬を差し出せという言葉よりも経済成長が争いを止めた。

人間中心主義とは、自分に耳をかたむけよ、自分に忠実であれ、自分を信頼せよ、自分の心に従え、心地よいことをせよ。よいことか悪いことかは自分自身の意見を聞きさえすればいいのだ。

罪とは聖書に書いてあるからではなく、人の感情が傷つけられるから控えるべきことになり、誰も傷つかないのなら、牛の偶像を掘ったところで、いったいそれのどこが悪いというのか?

神の思し召しに背いたからではなく、人の感情を傷つけたからテロを批判する。批判の唯一の源泉は人間の感情だ。

判断の基準を主観的な気持ちに頼る。美の基準は見る人の中にある。おまえは間違っていると上から決めつける権威がどこにあるだろう。「有権者がいちばんよく知っている。顧客は常に正しい。美は見る人が決める。気持ちがいいのならそうすればいい。自分で考えろ」人間の感情こそが全ての意味と権威の源泉。たとえ少数派だったとしても、気持ちは気持ちだ。

天国も地獄も神も妖精も悪霊も、内部の精神的な状態のことだとされた。

シェフや旅行業者は斬新な経験を売っているのだ。

人生に頂上はひとつしかない。人間的なものをすべて味わい尽くしたときだ。

だから現代の小説は感情を強調することが多い。

アキレウスアーサー王も、冒険の前後で価値観が変わらない。そこからほとんど学ぶことがなかった。現代の小説は、騙し打ちで背後から刺し合ったり、腹を裂かれて内臓をぶちまけたりしない。その代わり「自分の感情」について語る。

『オズの魔法使い』。望んでいたものはすべてすでに彼らの中にあった。神のような魔法使いなど必要なかった。途中で出くわす経験に心を開きさえすればよかったのだ。『イージーライダー』などのロードムービーの主人公たちは、それとまったく同じ教訓を学ぶ。

私は苦しんでいる。これは悪いことだ。だから戦争は悪い。皇帝や教皇がこの戦争を支持するなら彼らは間違っているに違いない。と人間中心主義は過去の権威を否定する。

ありとあらゆる人が自由に世界を経験し自分の声に従い、内なる真実を表現できるようにするべきだ。自由主義的な人間至上主義。

社会主義的な人間至上主義とは、他人にも感情があり、自分の感情と同等に尊重されるべきだ。相反する価値観にどう折り合いをつければいいのか。個人よりも党など集団に権威と意味がある。権威と意味は人間の経験に由来するが、個人よりも正しいものをもっている組織があるとされる。

進化論的な人間至上主義は、価値の権威は人間にあるが、たえまない生存競争によって選択と淘汰の試練にさらされることを重要視する。人間の経験はすべて平等と考えるか、そのなかには優れたものと劣ったものがあると考えるかどうかが決定的に違う。

人間に自由意思はなく、遺伝子とホルモンとニューロンがあるばかり。脳内電流を変えるだけで意欲や意思を変えられる実験結果がある。

自分の奥底に単一で明確な本物の声を必ず発見できるはず。それが私の真の自己であり、この世界のあらゆる意味と権威の源泉なのだ。複数の声があったなら、どの声に耳をかたむければいいかわからないではないか。

経験する自己と物語る自己。判断するのは物語る自己。人間の価値と個人主義を信奉する物語に合うように情報を選択している。都合のいい物語にしがみつく「我が国の若者たちは犬死しなかった」症候群。物語が苦しみに意味をあたえてくれる。犬死という無意味よりも、犠牲の物語にしがみつく。国家や神と同様、自己もまた想像上の物語なのだ。

山岡荘八『小説太平洋戦争』。日本だけ特別だと思うのがすべての間違いの元

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アルゴリズムとは何か? データフローの処理手順のこと

人間の行為は、脳内の電気化学的プロセスのせいであり、プロセスは遺伝的素質によって決まり、素質は太古の進化圧と偶然の変異の組み合わせを反映している。自由ではなくただランダムなだけだ。

人生、ホルモンバランス論

アルゴリズムとは、データフローの処理手順のこと。

欲望に即して振舞うことが自由ならチンパンジーも犬もオウムも自由だ。そもそもその欲望を選ぶことができるかどうか? 欲望を感じているだけで、そもそも選択の余地がないために選んでいないのではないか。

脳の感覚野と報酬領域に電極を埋め込まれているロボラットを、科学者は好きなように動かせる。梯子を登らせたり、飛び降りるといった普段はラットが嫌がることも。ラットは虐待されていない。なにしろラットは快楽のために作業しているからである。望んでしていることなのだ。ラットに聞いたら「望んだことをしている。私には自由意思がある」というだろう。

人間もラットと同じように経頭蓋刺激装置で操作できる。愛情や恐れや憂鬱といった複雑な感情さえも、脳の適切な場所を刺激すれば生み出したり消し去ったりできることを示している。鬱を解消できる。

物語る自己は、経験の持続時間を無視して「ピーク・エンドの法則」を採用する。ピークの瞬間と最後の瞬間だけを思い出し、両者の平均に即して全体の経験を査定する。苦痛の時間が長く続いてもそれは無視される。出産の苦痛の査定は最後に我が子を抱くことで緩和される。

自己もまた想像上の物語。自分の経験の大半を捨てて少数の選り抜きのサンプルだけを取っておき、映画や小説、耽った白昼夢と混ぜ合わせて、その寄せ集めの中から自分が何者で、どこから来て、どこへ行くのかにまつわる筋の通った物語を織り上げる。この物語が自分が何を好み、誰を憎み、どうするのかを命じる。

物語の筋が命の犠牲を求めるのならそれさえする。誰もが自分のジャンルをもっている。悲劇の物語を生きる人もいれば、宗教ドラマの中で暮らす人もいるし、アクション映画であるかのように人生に取り組み人もいれば、喜劇に出演しているかのように振舞う人もいる……けっきょくそれはすべてただの物語にすぎない。物語る自己が混乱状態に秩序をもたらそうとする。

生命科学は、自由な個人というのは生化学アルゴリズムの集合によってでっち上げられた虚構の物語に過ぎないと主張する。脳の生化学的なメカニズムは刻々と瞬間的な経験を作り出すが、それはたちまち消えてなくなる。こうして次から次へと瞬間的な経験が現れては消えていく。こうした束の間の経験が積み重なって永続的な本質になることはない。物語る自己は、果てしない物語を紡ぐことによって、この混乱状態に秩序をもたらそうとする。その物語の中では、瞬間の経験は占める場所をあたえられ、何らかの意味を持つ。だが、この物語は虚構だ。現代の自由主義者が個人の自由な選択が人生に意味をあたえてくれると信じるのは、中世の十字軍戦士が神と天国が彼らの人生に意味をあたえてくれると信じていたのと同じだ。

専制君主やクーデター後の軍事政権が自由主義化する気になったのは、道徳的理由からではなく経済的理由からだった。一般大衆が経済的重要性を失ったとき、政府は一人ひとりの人間を尊重し続けるだろうか? 過去には人間にしかできないことがたくさんあった。ところがAIとビッグデーター、ロボットや3Dプリンターにより人間の価値は低下している。タクシー運転手も、医者の診断も株式トレードも弁護士もアルゴリズム(AI)が取って代わるかもしれない。あなたの状態をモニタリングして、あなたに一対一の対応をしてくれるのも人間ではなく、アルゴリズムかもしれない。これからも機械よりも人間の方がうまく仕事をこなせるという保証はまったくない。チェスも囲碁もプロ野球のスカウトもアルゴリズムの方が人間よりもいい仕事をするのだ。すると超人と、膨大な数の余剰人員に人類は二極化する。

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生き物はアルゴリズムである。それは本当か?

すべてのデータをインターネットにつなげば予防医療は飛躍的に進歩し、医者よりも先に感染症の流行がわかり、ガンや心臓発作やアルツハイマー、脱毛から失明まで未来の疾患からアルゴリズムが人の健康を守ってくれる。自分自身よりもアルゴリズムの方があなたのことを知っているという未来が誕生するかもしれない。そうなると個々の人間には自由意思があって、何が善で、何が美しく、何が人生の意味かをめいめいが判断するという考え方をどうしても捨てざるをえなくなる。人間はもう物語る自己が創作する物語に導かれる自立的な存在ではなくなる。そして巨大なグローバルネットワークの不可分の構成要素となる。アルゴリズムはあなたが何に「いいね」をつけるか、友だちや配偶者よりも正確に当てることができる。

今日、アメリカでは印刷された本よりも電子書籍を読む人の方が多い。どんな本を読みたいかアルゴリズムはよく知っていて提案してくれる。新しいテクノロジーは、人間至上主義から権威を剥ぎ取り、その代わり、人間ではないアルゴリズムに権威をあたえるかもしれない。あなた個人を尊重するにはあなたのデータが必要だ。

自己以上に本人のことをよく知るシステムが手に入れば権限はそちらにうつり、人間の自由主義は崩壊する。人間が価値を失い、外部のアルゴリズムに管理される。

テクノ人間至上主義。遺伝子工学やナノテクノロジーやブレイン・コンピューター・インターフェースを通じて超人を生み出す。

生き物はアルゴリズム。キリンもトマトも人間もたんに異なるデータ処理の方法に過ぎない。これが現在の科学会の定説。コウモリの世界観、クジラの世界観、情動と経験の分野では、人間はコウモリに劣っているかもしれない。人間の経験したことのない多様な精神状態がおそらく存在するだろう。私たちにはそれに必要な器官がないからだ。しかし将来は強力な薬物や遺伝子工学、電子ヘルメット、ブレイン・コンピューター・インターフェースがそうした大陸への航路を切り開いてくれるかもしれない。心をアップグレードしようとしている。

社会を支配するシステムが、ダウングレードされた人間を好む可能性がある。システムの邪魔をして物事の進行を遅らせる厄介な人間の特性を取り除くように進むかもしれない。家畜の心的能力をダウングレードさせなければ従順な群れにはならなかった。

新しいアルゴリズムから、価値のないデータに過ぎないとみなされた大多数の人間は、この先、仕事も奪われ何もすることがない。そういう人たちに何をやらせればいいのか。薬物とコンピューターゲームというのがひとつの答えかもしれない。

大麻吸いたい(笑)。NY州マリファナ解禁。日本も見習おうゼ

感情を生み出している生化学系をいったん理解すれば、さまざまなスイッチをいじり、調節し、人生をはるかに楽で快適にできる。適切な化学物質の適量の服用は、何百万人もの人の幸福を増進し、人間関係を改善してきた。

仏陀のいう悟りとは、富や名誉といった外的要因にも、よろこびや満足といった内的要因にも、いちいち影響されないこと

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データ教。すべてのモノのインターネット

データ至上主義では、森羅万象はデータの流れからできており、どんな現象やものの価値もデータ処理にどれだけ寄与するかで決まる、とされている。そして動物と機械を隔てる壁を取り払う。ベートーベンの交響曲も、株式チャートも、インフルエンザウィルスも、データフローのパターンに過ぎない。

膨大すぎるデータを処理して情報にすることはAIにしかできない。人間にはできない。

データフローの一部になれば、自分よりもはるかに大きいものの一部になるからだ。宗教が、あなたは神の一部だといったように、データフローの一部となる。データフローと切り離されたら、人生の意味そのものを失う恐れがある。何かをしたり味わったりしても、誰もそれを知らないとしたら、提供するものがないとしたら、何の意味があるだろう。経験は共有されなければ無価値で、自分の中に意味を見出す必要はない。大量のデータフローにつなげれば、アルゴリズムが意味を見出して、どうするべきかを教えてくれる。自分しか読まない日記、他の人が誰も読めないようなものを書いて何になるというのか?

私たちはデータ処理システムに、自分にはまだ価値があることを証明しなければならない。そして価値は経験することにあるのではなく、経験を自由に流れるデータに変えることにある。

「すべてのモノのインターネット」アルゴリズムはあなたに関してあなたには思いもよらない他の無数の事柄も知っている。

人間自身があらゆる真実の源泉だ。ただ自分自身に耳を傾け、内なる声に従おう。心がどのように現れるのかも、どのような機能を持っているのかも正確なことはわかっていない。感情は進化によって磨きをかけられる複雑なアルゴリズムで、正しい決定を下すのを助ける。自分の感情に耳を傾ける場合は、進化が何百年にもわたって発達させ、この上なく厳しい自然選択の品質管理検査にも耐えたアルゴリズムに従う。あなたの感情は無数の先祖の声だ。感情は世界で最高のアルゴリズムだ。ところがGoogleとフェイスブックの「すべてのモノのインターネット」アルゴリズムはあなたに関してあなたには思いもよらない他の無数の事柄も知っている。したがってあなたは自分の感情に耳を傾けるのをやめて、代わりにこうした外部のアルゴリズムに耳を傾け始めるべきだ。

生命が本当にデータフローに還元できるかどうかは疑わしい。現時点ではデータフローがなぜ意識と主観を生み出しうるのかは皆目わからない。

生命現象とはつまるところ意思決定に過ぎない。

すべてのモノのインターネット。宇宙全体にまでひろがるこのデータ処理システムは神のようなものになるだろう。人類はそれと一体化する定めにある。

資本主義者が良いことはすべて経済成長にかかっていると信じているように、データ至上主義者は良いことはすべて情報の自由にかかっていると信じている。

記録し、アップロードし、シェアしよう!

データ至上主義者は、人間の経験には本質的な価値はないと考えている。

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感想というか反論。反ホモ・デウス論

データフローの一部になれば、自分よりもはるかに大きいものの一部になれる、と作者ユヴァル・ノア・ハラリは、だからその方が大御心にかなうかのように書いています。

しかしわたしは反論します。大きなデータの一部になったとて、それを知覚できないではないか。あなた専用の情報提供はしてくれるかもしれないが、そんな情報が何だろう。役に立つのは病気や寿命に関することだけだ。利用するだけして、捨ててしまえばいい。

人間にはアマノジャクという人がいる。わたしもそれです。アマノジャクはメインストリームに反抗、反逆する。そして少数派の側に立とうとする。多数派にくみすることを生理的に嫌うのだ。みんながもっているブランドを身につけるのはイヤなのだ。生命は多様性を貴ぶ。

すべてのモノのインターネットで大量なデータフローを処理できるアルゴリズムができたら、人間の経験はその高貴な価値を失うと本書はいうが、作者はいったい何を目指しているのだろうと疑問に思った。知識を蓄積することが人生の目標か? 人間は正しい判断を下すために生きているのか? わたしは違うと思う。

ここでお決まりのあの言葉を返事してもいいだろう。「たとえ全世界を得ても自分自身を失ったら何になろうか?」

人間の経験を、データのパターンと同等と見なすなんて、ちゃんちゃらおかしいぜ。

本書では、データによってはじめは人間至上主義にもとづく健康と幸福と力を追求する。やがては不死と至福と神のような創造の力を得ようとする、という。そこまでは同意する。しかしその先、人間がアルゴリズムを構築する者からただのチップへ、たんなるデータへと落ちぶれるとは思わない。

スマホなんて河に投げ捨ててしまえばいいんだから。

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反ホモ・デウス。データ主義者はモニターを見つめ、快楽主義者は肉体で世界を感じる。

わたしはランナーです。これまでに地球一周以上の距離を走ってきました。

ランニングは毎日、毎日の繰り返しです。情報にすれば、汗をかいた、暑かった、気持ちよかった、寒かった、きつかった、事故に遭いそうになった……そんなものです。情報量はすくない。

しかしこれまで走ってきたことを無駄とは思いません。重複データを無駄とは思いません。好きでやってきたことです。気持ちいいから走ってきたのです。テストステロン等のホルモンが分泌されて、痩せて異性にモテて、充実した日々を送ることができました。

走ることができて幸せでした。人は幸せになるために生まれてきたのです。情報を獲得するためじゃありません。生きること、健康というのは同じことの繰り返しです。そこの情報量は少ない。でも大事なことです。

ホモ・デウスを読んでいると、人間は情報で、やがてはビッグデータに取り込まれてしまうなんてことが書かれていますが、作者は一度でも走ったことがあるのでしょうか。高い山に登ったことがあるのでしょうか。爽快です。快楽です。生きる実感とは世界に対してこの肉体で力の限り挑んでいくことではないでしょうか。

肉体宣言。生きがいとは何だ? 肉体をつかってこその生き甲斐

なぜ走っているのか? 幸せになるために走っているのです。情報収集のためじゃありません。失敗もまた人生の味だったりします。失恋の思い出は強烈です。もしかしたら成就した恋の思い出よりも記憶に強烈に残って人生を彩っているのではないでしょうか。

人生は関門突破ゲーム。壁は人生をおもしろくするためにある

データ至上主義者は、高い山に登って波間に沈む夕日を眺めても完全な時間の無駄だと考えるそうです。そういうギーグはずっと部屋に閉じこもって死ぬまでディスプレーでも眺めていなさい。そのあいだに快楽主義者は自分の二本の足で汗を流しながら世界を見て歩くのです。

人間は正しい判断を下すために生きているのではありません。快楽を感じるために生きているのです。そもそも人生はシンプルなほどいいのです。人知を超えた解析結果なんていりません。

走る快楽を、薬物注射で一部再現できても、すべてを再現することはできません。

脳内モルヒネ。快楽のランニング中毒。世界が美しく見える魔法

命の充実感というものは肉体を使って力いっぱい挑むことにあるのです。それはコウモリもオオカミもみんな同じだと思っています。

ランニングは空中で距離を稼ぎます。滞空時間が長いほどいいのです。そういう意味でランナーの究極の姿は飛ぶことにあります。

トンビは憧れ。鳥類はあらゆるランナーの頂点に立つ

自分の力で空を飛べたら素敵でしょうね。私が生まれ変わるならトンビがいいと思うのは、人間の経験もトンビの経験も、生きがいや快楽において差はないと考えているからです。その点ではデータ至上主義者と同じ考えを持っています。

走りとは何か? ジャンプしない走りなんて、走りじゃない。足はしかたなく着いているだけ

肉体を使うことはデータ処理にしてしまえばありふれたたわいもない無価値な情報です。しかし快楽というのは同じことの繰り返しなのです。走り、飢え、食う。エネルギーがたまり、発散し、空虚なところにまたエネルギーをためる。マッチポンプ、その繰り返しが命だと思います。

走っているときに脳内に満たされる至福のホルモンは注射でもある程度代用できるかもしれません。しかし注射では汗をかきません。全身がジャンプの振動に震えるのを感じません。血糖値が下がりません。脳内ホルモンだけまねてもだめなのです。

人間だけが神になるという過去になかった新しい道よりも、大自然に生きる他の動物たちと同じ道を行った方がいいと私は思っています。メタバースにつくよりも、大地についた方がいい。どうやって生きていくべきか悩んだら、まだ誰も歩いていない新しい道よりも、先祖や動物たち、絶滅した過去のすべての生き物たちが歩んだ古い道を歩いた方がいいとわたしは思っています。

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★★

サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

【この記事を書いている人】
アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
Bitly
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
https://amzn.to/3OBWtUR
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
Bitly
×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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