ドラクエ的な人生

モリエール『ドン・ジュアン』の内容、魅力、あらすじ、感想、書評

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伝説の色事師ドンファンを主人公にした戯曲

モリエール(1622-1673)はシェイクスピア直後に活躍したフランス人。ドン・ジュアンは伝説のスペインの色事師。あくまで伝説であり実在の人物ではありません。スペイン語読みではドンファンとなります。コメディ・フランセーズの親ですね。

女たらし。カサノヴァ、ドンファン、ジゴロの違い。

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『ドン・ジュアン』の内容、魅力、あらすじ、感想、書評

哲学が束になってかかっても煙草にまさるものはあるまい。紳士の道をおぼえるのもこいつを喫るおかげなんだ。

誓いは立てる、ため息はつく、涙は流す、思いのたけを文にこめ、殺し文句や約束の数々、さんざっぱら惚れたのはれたの騒ぎ立てたあげく、姫さまを手に入れたいばっかりに修道院の垣根まで乗り越えた。そこまでしておきながらよくもまあ二枚舌がつかえたもんだ。

→ 女たらしの特徴は「誠実でないこと」。多人数にモテるものだから口説き文句にどうしても嘘がまじります。

モリエールの喜劇『ドン・ジュアン』は、この嘘をつくドン・ジュアンを楽しむというのが正しい鑑賞態度です。

おまえは最初にできた女といつまでもくっついていろ、その女のために世間と縁を切れ、他の誰にも目をくれるな、とこう言うんだな?

他の見惚れるような別嬪たちに目をつぶっていようとは、いやはや結構な了見さね。美しい女はみんな俺たちを虜にする権利があるんだ。総じて恋愛の楽しみは移り変わる中にあるともいえる。

→ 色事師の言うことは誰しも似てきますね。カサノヴァも同じことを言っていたように記憶しています。

ジャコモ・カサノバ『回想録』世界一モテる男に学ぶ男の生き方、人生の楽しみ方

神様なんか怖くないというのなら、せめて傷ついた女の執念を恐れるがいい。

神様を呪ってみな、たったいま一ルイ金貨をくれてやる。

→ 無神論者、アンチクリストという意味では、ドン・ジュアンはサド侯爵を想起させる人物造形となっています。

『サド侯爵夫人』三島由紀夫の最高傑作

そのドン・ジュアンという男に面識がおありですか? いや拙者のほうでは一度も会ったことはありませぬ。

→カサノヴァも同じですが、女たらしの男はしばしば女の関係者から決闘を申し込まれます。逃げそうなものですが、伝説級の男たちは常に決闘の場に堂々と赴くのでした。

自分の心を四方八方壁の中に閉じ込めるなんてそんな気持ちになれようはずはない。おれの心は世界中の別嬪のもので、それを代わる代わるにつかまえて、できるだけ引き止めておくのは相手の役さ。

→ 自分勝手ともいえるし、フェミニストといえなくもない微妙なラインですね。わたしは『ドン・ジュアン』を読んでひとつの法則を発見しました。それは「自由を愛する」といえば自分勝手も許されるの法則

聞香。コーヒーの香りの香水をつければ、異性にモテると思うのだ。

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自由を愛すると言えば、自分勝手も許されるという法則

亡霊が鎌を手にした「時」の姿となる。サトゥルヌス。徹底した無神論者。

喋る戦士の像。

天の恵みを拒絶すれば、雷、なんじの頭上に落ちん。

雷がドン・ジュアンの上へ落ちる。大地避け、ドン・ジュアンを呑む。落ちた場所から大きな炎が噴き出す。

→ 物語は、無神論者で自由を愛するドン・ジュアンがいかづちに撃たれて終了します。この雷はいささか唐突だという印象をもちました。

中世の伝統的な価値観では、雷に撃たれるというのは「神の罰を受ける」ことを意味しました。だからサド侯爵の『美徳の不幸』『悪徳の栄え』では、信心深い美徳の妹の方が雷に打たれて、不信心な悪徳の姉の方は罰せられることもなく栄えるのです。

撃つぞ、撃つぞ、と警告してから落ちてくる雷もありませんので、雷が唐突というのはむしろ当然かもしれません。しかし「夢オチ」のような唐突感が否めません。

不信心は罰せられるというキリスト教的な価値観をサドの作品ほどにはぶっ壊せなかったということでしょうか。あるいは演劇にかけて大衆に観てもらうという戯曲の性質上、納得を得るためにモリエールとしてはやむをえない演出であったかもしれません。

ご主人様の不信心が世にも恐ろしい罰を受けるのを見なくちゃならんとは。おれの給料! おれの給料! おれの給料!

→ 神の罰を受けた主人のことを、従僕のスナガレルは当然のことと受け止めます。風紀を破り人の世の掟を踏みにじるドン・ジュアンのような色事師は消えてもらったほうが世の中八方丸く収まります。誘惑された女たちがドン・ジュアンを愛してくれればこその色事師の価値ですが、戯曲の中では冷たく突き放された妻には恨みを買ったままとなっています。そして従僕は色事師の死によってたった一人害を被ったのはこれまでの給料をまだ支払ってもらっていない自分だけだと嘆くのでした(笑)。

女にモテるただひとつの方法

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天罰てきめんオチは仕方がない。色事師には永遠に挑戦する資格がある

……という喜劇がモリエール『ドン・ジュアン』です。時代はまだバロック。十九世紀のドストエフスキーすら人間の苦悩の最後の救いをキリスト教に求めてしまうぐらいですから、天罰てきめんオチは仕方がないことなのかもしれません。

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しかしモリエールには、もっと死にあらがい生命を燃やす永遠への挑戦者としての色事師の姿を描いてほしかったと思います。女性を誘惑するところはうまく描けているのですが、ただそれだけの人物になってしまっています。自由を愛し、神を信じないのは、そして女を愛するのは、何故なのか? ドン・ジュアンには、ただの欲望ではなく、命のことわりに挑戦する英雄であってほしかったと思います。その結果、雷に撃たれて滅び去るのならば、それは英雄の死にざまとしてふさわしいのではないでしょうか。

性交とは命を永遠へと継ぐ行為であり、色事師には永遠に挑戦する資格があると私は考えています。

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