名著『アシカが笑うわけ』
先日、『アシカが笑うわけ』という本を読んでいたらこんな一節がありました。
全体を包み込んでいる自然の大きな意思のようなものと、僕のあいだに大きな溝を感じて自然から取り残されたような気がして、さびしかった。ちっぽけな自分には決定権のないもっと大きな意思やからくりを感じる。人間という生き物がバカすぎてこの世のしくみを理解していないだけなのかもしれない。
「僕らは僕ら、自然は自然」と分けて暮らしている人間は、コンパスがないと方向感覚すらなくなっている。自然そのものであるはずの人間という生き物が、自然から自分自身を隔離して生活しているわけだから、ストレスを感じるのは当然。
著者は詩人でも文筆家でもなく、写真家なのですが、大自然の中で仕事をしている人は、オフィスワーカーとは違うことを発言するものだなあ、と感心しました。
女性は方向音痴か? 男女の脳差は存在する。
たしかにシャケが故郷の川に戻ってくる能力などは、五感では説明しきれないものがあります。世界の海を回遊して地図もないのにどうして故郷の川がわかるのか? ちっぽけな脳ミソしなかいはずなのに、どうしてそれを覚えていられるのか?
ちなみにウチの女房は方向音痴です。それだけでなく場所記憶というものがありません。帰巣本能があるレース鳩なんかとは雲泥の差がありまする。
どこかに旅行に行くと、「そのとき食べたもの」「そのとき着ていた服装」などはよくおぼえているのですが「何県何市」(場所)のことは、ぜんぜん記憶していません。
しょうがないでしょ。女なんだから。女はだいたい方向音痴だよ
こういって妻はいつも自分を正当化します。
ところで女性はだいたい方向音痴でしょうか?
わたしにはそれほど女性のサンプル(深く付き合った女性)がないので、はっきりとはいえませんが、そうとばかりはかぎらないと実感しています。
その証拠に、私の元カノは、時間と太陽の位置で方角がわかりました。
昔は今のようにカーナビがなくて、地図を頭の中に入れてドライブしていました。遠くに行く場合はだいたいの進路(北西とか、南東とか)で目的地の近くまで行ったものです。
高速道路は目的地に早く着くからではなく、道に迷わないために利用していました。
一般道で遠くの場所に行く場合には、往々にして自分がどこにいるのかわからなくなり、自分がどちらに進めばいいのか、よくわからなくなったものでした。
そのときに当時付き合っていた女性(イロハさんとは別の女性)は、
「この時間に太陽がこの位置だから……こっちが南で、目的地はこっち方面じゃない?」
と、太陽の位置と現在時間で東西南北がわかったのです。
ほえええ~~。
わたしはびっくりすると同時に感心しました。
イロハさんほど方向音痴じゃありませんが、太陽の位置と現在時間で東西南北を割り出すような能力はなかったからです。
もちろん方角はだいたい正確で、目的地に接近するときに、彼女の能力は非常に役に立ってくれました。
このように女性だからといって方向感覚がぜんぜんないとは限りません。実際に彼女はわたしよりもはるかに方向感覚がありましたから。
彼女の代わりに車に方位磁石をセット。
その後、彼女とは別れてしまいました。
その後しばらく、カーナビが実用化されるまでのあいだ、わたしのクルマの中には方位磁石がセットされていました。ダッシュボードに方位磁石を固定しておけば、自分がどの方角に進んでいるかわかったからです。いわば彼女の能力の代わりです。
次の彼女は、どちらかといえば方向感覚のない人でしたから……。
どうです? みなさん。時間と太陽の位置で方角がわかります? でも自然とそういうのがわかっちゃう人っているんですよ。
はじめてあの能力を目にした時の衝撃は忘れられません。
男女の脳は補完性があります。よくできているのです。
ちなみにこの稿に女性を蔑視しようという意図も、妻をバカにする意図もありません。
なぜなら男性のわたしは、ある出来事に関して「何県何市」(場所)での出来事だったかはよく覚えているのですが、「そのとき食べたもの」「そのとき着ていた服装」などはぜんぜん記憶していないからです。
男女の脳は補完性があります。よくできているのです。