ドラクエ的な人生

『同志少女よ、敵を撃て』に見る男脳と女脳の違い

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『同志少女よ、敵を撃て』の書評・魅力・あらすじ・解説・考察

ウクライナ戦争の直前に本書が出版されたということに驚きました。時代とマッチして、爆発的に読まれているそうです。

ウクライナ戦争後の世界。ロシアの分割統治(案)。日本は樺太をもらえ

戦争中の今こそ読むべき本だと思います。

言葉には視点がある。ものごとの価値は目線で変わって感じる。

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男の脳で書いた作品だからこそ、ロジック重視のアガサ・クリスティー賞にも選ばれた

同時期に林芙美子『放浪記』を読んでいたものですから、違いが際立ちました。なんというか……主人公は女性スナイパーなのですが、書いているのは男性だなあと感じたのです。

放浪記との違いが際立ちました。

林芙美子『放浪記』の書評・魅力・あらすじ・解説・考察

徹底的に男性的な作品でした。部隊が戦争だからという意味ではなく、主人公が「自分の行動に意味を求めようと」するからです。

林芙美子『放浪記』にはそういうところがまるで見られません。ひたすら感情が並んでいるだけです。

しかし『同志少女よ、敵を撃て』の女主人公は、自分の行動になんとかオチをつけようとします。物語を生きようとします。結論を出そうとします。そういうところが男性の書いた小説だなあ、と感じました。

女脳で書かれた『放浪記』はオチとか意味とか、まるで求めないからです。作戦遂行中に食べたものの話しとか、女スナイパーにそういう関心はまるでありません。そういうところが女性が書いたものだったらもっと別のモノになっていたと思います。

悪い意味じゃないんですよ。男の脳で書いた作品だからこそ、ロジック重視のアガサ・クリスティー賞にも選ばれたのでしょう。

戦争そのものには意味はないが(あってもつまらない意味しかないが)、兵士の生き方にはひとつの解答のようなものが提示されています。

作品は、いちばん売れたバージョンこそ残すべきだ。老境の改作は改悪。

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なぜ戦争が起こるのか。なぜウクライナは紛争地帯となったのか

黄色は本文から。赤色は私の感想です。

オリガというウクライナの少女が登場します。

ソ連だからロシア語を話すことを強いられる。ましてコサックなんていらない。ウクライナがソヴィエト・ロシアにどんな扱いされてきたか、知ってる? 食料を奪われつづけ、何百万人も死んだ。その結果ウクライナ民族主義が台頭すれば、今度はウクライナ語をロシア語に編入しようとする。ソ連にとってウクライナって略奪すべき農地よ。

ウクライナ戦争。ロシア軍は兵装が古すぎる。ソ連製の戦車って。

本当のことを言えば殺されてしまう国に、私たちは住んでいる。赤軍の中でウクライナを勝利に導き、コサックの誇りを取り戻すことはできる。

作中にスターリングラード包囲戦や、ハリコフ攻防戦、クルスク戦車戦など実在の戦いが登場します。ウクライナは戦場でもあり、ロシア側の兵隊でもありました。

ウクライナ戦争。美女が国を救う。

最優秀狙撃兵だったカザフ人アヤが真っ先に死ぬ。遺体からアヤの黒く美しい髪を探し、引っ張り上げたとき、頭皮の一部が持ち上がり、目を背けながら毛先だけをわずかに切った。

おまえはソ連人民としてフリッツに犯された被害者か、それともソ連を裏切ってフリッツを愛する裏切者か。二つの立場に身を置くことはできないんだよ。

パルチザン。防衛戦争であるということが、これほどまでのポテンシャルを発揮するとは。おそらくソ連がドイツに攻め込んで反撃を食らっての状況なら、こうはならなかっただろう。防衛戦争として侵入者を撃破するという大義名分を胸に抱いているからこそ、膨大な抵抗は可能となった。

この言葉は今のウクライナ戦争にそのまんまあてはまる言葉だと思います。ウクライナが強いのは祖国防衛戦争だからで、ロシア軍が弱いのは戦争の大義名分が弱いからです。

ウクライナ戦争。ロシアがこんなに弱いとは。

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学生時代の自分から遠ざかる。自分がわからなくなる。スナイパーもサラリーマンも同じ

ニコライの顔に遊ぶ子供の面影はなかった。表情から笑みを消していた。遊ぶことをやめていた。

おまえは敵を撃て。迷うな。一カ所に留まらず、自分だけが賢いと思わず、狙撃兵として敵を撃て。

そのように行動すればするほど、自分はかつての自分から遠ざかる。自分をささえていた原理は今どこにあるのか。自分が怪物に近づいていくという実感が確かにあった。悪夢にうなされる自分でありたかった。

本作が文学としても読めるのは、こういう描写があるからです。シモ・ヘイヘのように猟師がスナイパーになるという物語なのですが、それは大学生がサラリーマンになる過程になぞらえることができます。

あなたも感じたことはありませんか? サラリーマンとして行動すればするほど、自分は学生時代の自分から遠ざかる。自分をささえていた原理は今どこにあるのか。

自分がわからなくなる。糊口をしのぐサラリーのためにお客に小さな嘘をつくことは許されるべきか。誠実に生きるとはどういうことなのか?

実はスナイパーもサラリーマンもおのれにかける「問いかけ」は同じなのです。

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「意味やオチ、物語、結論を求める女」でない女サンドラの登場が際立つ

 

殺されるかもしれないけど、それでもいいの。私は彼を愛していた。それが罪だというのなら、たしかに私は有罪でしょうね。けれど私はそれぞれの場面で自分なりに正しく行動したつもりよ。私は自分の身を守りたかったし、今は亡き夫を愛している。あなたたちを助けたかったし、彼にも生きていてほしかった。

めまいがする感覚だった。前の夫の子を身ごもり、その子を産むために生きる。そのために敵兵の愛人となり、その相手を心底から愛する。異様としか言いようのない生き方だが、サンドラには迷いがなかった。自らの歪んだ生き方をそのままに受け止めている。

わたしは本作を「主人公は女だが、男性が書いた作品だなあ」と批評しました。意味やオチ、物語、結論を求める女だなあ、という意味です。そういうものを求めない女性というのをよく知っているので(うちの妻です)。

しかしそれは作者に女性が描けていないという意味ではありません。このサンドラなんかは、まさしく女性、女性脳のキャラクターです。とてもよく描けていると思います。

みんながサンドラだったらこの物語はとりとめのないものになってしまったことでしょう。戦争記ではなく放浪記になってしまいます。それが人生ですが……。

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ウクライナ戦争におけるレイプと同じことが独ソ戦でも行われていた。

もしもソ連兵士として戦うことと、女性を救うことが一致しないときが来たのなら。自分はそのときどう行動すればよいのだろう。

兵士たちは恐怖も喜びも同じ経験を共有することで仲間となるんだ。部隊で女を犯そうとなったときにそれは戦争犯罪だというやつがいれば、上官には疎まれ、部下には相手にされなくなる。間違いなくつまはじきにされる。

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インターネットで市民が声を上げられる時代になって、紛争はあっても大戦争はなくなると思っていた。

ケーニヒスブルクは風前の灯であった。むろん、死ぬ一万人かその程度の数に、自分が入らない保証はない。

このケーニヒスブルク(現在のカリーニングラード)はかつてドイツの飛び地でした。そこを飛び地でなく陸続きにしたかったのでポーランド領の回廊をドイツが欲したことが第二次世界大戦の引き金(のひとつ)になったと本書で説明しています。現在行われているウクライナ戦争も飛び地であるクリミア半島を陸続きにしたかったロシアが四州併合を行って回廊をつくったことで徹底的に終戦を複雑なものにしてしまいました。ヒトラーもプーチンも同じようなことをしているということです。

もう大きな戦争の時代は終わったと思っていました。ロシアがガチで戦争したら人類が滅ぶんだから。元首相が「ロシアが負けるわけない」といったのは一理あるのです。

ウクライナ戦争の停戦和平(案)。核ミサイルさえ使わなければプーチンを許してやる。命の保証をするかわりに、政権を手放してもらう

テクノロジーの進化によって、シンギュラリティとか、無限の命が目の前に見えてきています。明るい未来が近くに来ているのに、ウクライナ戦争のようなものがこの時代に起こるとは思いもしませんでした。紛争はあっても戦争はもうなくなると思ったんだけど、ロシアの発想は旧世紀のものだと思います。

ウクライナ戦争。ロシアがNATOに加入すればいいんだよ

私は自分が生きているあいだに無限の命が実現するとは思っていませんが、でも新しいテクノロジーが切り開く未来をできる限りこの目で見たいと思っています。そのためには早く戦争を切り上げて、資本は破壊ではなく、発明、発見に投資してほしいのです。

サッカー選手になりたかった。ソ連に行って知らないロシア人と殺し合い、市民をパルチザンと呼んで銃で撃ちまくり、逃げ帰って少年にパンツァーファウストを持たせて、ソ連兵に拷問される以外の人生はあったかもしれない。視界が滲んだ。腕をほどいてほしかった。

ああ、よく聞け。コミュニストのくそロシア人。私から、最後の言葉を聞かせてやる。くたばれ、アバズレ小隊。くたばれソヴィエト・ロシア。私は誇り高いコサックの娘だ。

『放浪記』はどこから読んでもいいと書きました。感情の羅列だから、開いたページから読み始めても意味が通じるからです。しかし『同志少女よ、敵を撃て』はそういうわけにはいきません。論理によって組み立てられたオチ、結論、大団円を求める作品ですから。

『同志少女よ、敵を撃て』にはいちおうの結論のようなものがあります。スナイパーという殺人技術が不必要になったあたりまえの日常で、どうやって生きていくか、いちおうの結論が示されています。しかしそのことで「作品の文学的深みが増したか」といえば、それは別の問題です。

結論があればいいというものではない。結論がないほうがときに深みを感じることだってあります。『放浪記』のような何らのオチも結論もないものが、いちおうの答えを提示した『同志少女よ、敵を撃て』よりも劣っているかといったら、必ずしもそうではないのです。

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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。

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※私の著書です。自分(あなた)よりも速く走る人はいくらでもいるというのに、市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。

この答えを提示したことが、作品を深めたか、むしろ何も提示しない方がよかったのか、その目でお確かめください。

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