第二次世界大戦の開始日は、1939年ではなく、1937年にするべきだ
第二次世界大戦の開始日は、1939年9月1日だとされています。これはドイツがポーランドに侵攻した日です。これを受けてイギリスとフランスがドイツに宣戦布告したことからWW2が始まったと一般的には言われています。
しかし私はこの一般論にここで反論したいと思います。これは「コロンブスがアメリカ新大陸を発見した」というようなものです。すでにそこにネイティブアメリカンがいたのに、新大陸を発見したって表現がおかしいでしょうよ。それと同じように世界大戦というわりには、あまりにもヨーロッパ白人目線なのではないでしょうか?
アジアはどうなった? 中国を主たる戦勝国と認め、日本を主たる敗戦国と認めるならば、第二次世界大戦の開始日は、1939年ではなく、1937年にすべきだと私は主張します。
日中戦争を含まないなら、なんで中国が戦勝国なのかわからない
1937年7月7日に盧溝橋で日中両軍の武力衝突が起こったことから、日中戦争ははじまりました。早期講和が日本の狙いでしたが、日本と中国の戦争は泥沼化します。まるでウクライナに侵攻したロシア軍のように。
中国を倒しきれなかったのは、アメリカが援助していたからです。そこで日本はハワイを奇襲してアメリカに宣戦布告をしました。1941年12月7日のことです。これを特に太平洋戦争といって欧州大戦とは別物のように扱うこともあります。しかし実際には密接に関わっていました。もしもドイツがソビエトに勝ち切っていたら、日本の運命は変わっていたでしょう。
一般に第二次世界大戦は、1939年9月1日にはじまり 1945年9月2日に終わったとされるのが、教科書的な定義です。ドイツにはじまり、日本に終わる、という定義になっているのですが、これはおそらく原子力爆弾を第二次世界大戦にぜったいに含めたいという白人グループの意向が大きく働いているに違いありません。べつに日本の敢闘に敬意を払ったわけではないでしょう。
しかしこの定義だと、第二次世界大戦のなかから日中戦争が消えてしまいます。開戦したことを無視しているわけですから。すると目線から中国が消えてしまいます。なぜ中国が第二次世界大戦の戦勝国なのか、わからなくなってしまいます。
実際、太平洋戦争と冠した日本の書物を読むと、中国のことはほとんど無視されていて、対アメリカ戦のことばかりです。日本人はアメリカに負けたことはよくわかっていますが、中国に負けたとは全く思っていない人がほとんどでしょう。その理由は第二次大戦の開戦日がドイツ侵攻の1939年だと認識されているからに他なりません。

なんで中国が戦勝国なの?
日本の第二次世界大戦は1937年7月7日に始まったと書くべきだ
戦争の記念日などは各国でいろいろと違っています。日本の終戦記念日は「耐えがたきを耐え……」の玉音放送があった8月15日ということになっています。しかし国際的には降伏文書に調印した9月2日こそが第二次世界大戦の公式な戦争終結日です。
いわば8月15日というのは日本独自の日付なわけです。アメリカも中国も第二次世界大戦の戦争終結日は9月2日という認識です。これは何を重視するかによります。たとえば夫婦が離婚する場合、ふたりが同意した日が重要でしょうか? やっぱり役所に離婚届を提出して受理された日のほうが重要だと私は思います。
しかし日本にとっては玉音放送で戦意喪失した8月15日ということなんでしょう。
ちなみにロシアの第二次世界大戦の戦勝記念日はナチスドイツに勝った5月9日です。日本なんて眼中にないんですね。そのくせ8月15日以降も北方領土に攻撃を続けて領土を占領しました。それがいまだに両国の禍根となっているわけです。
中国の第二次世界大戦の開始日は、盧溝橋事件の1937年7月7日だそうです。そうだろうなと思います。だってその日じゃないと中国が世界大戦から消えちゃうもの。
だから日本も、1937年7月7日を第二次世界大戦の開始日にしたらいいと思います。なにもパールハーバーを開戦日にしなくてもいいのです。それはアメリカの目線です。そもそも終戦日だって国際基準とは違った日付を採用しているのだから。
欧米中心の歴史観を採用することはありません。政治や軍事でアメリカの意向に逆らうことが難しい日本ですが、開戦日ぐらい同じスケールを使用しなくても許されるんじゃないでしょうか?
それはアジアを、中国を尊重することでもあります。開戦日を変えたらむしろ中国は喜ぶと思いますよ。中国と同じスケールを採用するわけですから。繰り返しいいますけど、開戦日が1939年9月1日だと、世界大戦から中国が消えちゃって、なんで中国が戦勝国サイドにいるのかわからなくなってしまいます。
ちなみに韓国の教科書における第二次世界大戦の終了日は、日本と同じ8月15日だそうです。光復節といって民族解放の記念日となっています。韓国も、離婚届の役所の受理日よりも、ふたりが離婚に同意した日のほうを重視しています。形式よりも実質重視で、日本と同じ日付を採用しているのです。
日本も、中国と同じ日付を採用したらいかがでしょうか?
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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