ドラクエ的な人生

山岡荘八『高杉晋作』の魅力・あらすじ・解説・考察

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若死にしすぎて大河ドラマの主人公になれない男【資格は十分】

維新の中で光り輝く存在でありながら、あまりにも若死にしすぎたために、大河ドラマの主人公をはることのない高杉晋作。その生涯が知りたくて読みました。読んだのは山岡荘八『高杉晋作』。この人の本は『小説太平洋戦争』でハマりました。

山岡荘八『小説太平洋戦争』。日本だけ特別だと思うのがすべての間違いの元

大河ドラマの主役をはる資格は十分にある実績、キャラクターなのですが、なにせ若死にしすぎです。享年27歳。肺結核で死んでいます。

そもそもどうして高杉晋作の本を読もうかと思ったのかというと、太平洋戦争を学んだのがきっかけです。

帝国陸軍の白人相手に気合いで勝てる精神というのは、どうも高杉晋作のスピリッツだと直感的に感じたので、それを確かめようと思いました。

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坂本龍馬と比較するとわかりやすい高杉晋作の生涯

若死にしたと言われる龍馬ですら31年生きましたから、高杉の27歳が短すぎるのがわかるでしょう。

高杉晋作の生涯は坂本龍馬と比較するとよりわかりやすいと思います。龍馬が暗殺されそうになったとき、将来ヨメになるお龍さんが全裸で龍馬を助けようとした夜、龍馬がぶっ放したピストルは高杉晋作からもらったものだと言われています。

ピストルは高杉が上海留学中に手に入れたものでした。どうしてイギリスやアメリカではなく上海に留学したのかというと、白人たちがどのようにして黄色人種の国を植民地化しようとするのが、実際に見てこようと思ったからです。別に学問を勉強しに行ったわけではないのです。

いわゆる黒船が意味するものは、日本が列強に植民地化される脅威だったのですね。

現代人には理解できない幕末の黒船ショック。臆病すぎる江戸幕府

その白人に奴隷にされる恐怖はずっと太平洋戦争まで続きます。そしてとうとう負けてしまうわけですが、さいわい日本人は奴隷にはされませんでした。

【日本はオワコン】大平洋戦争は、今生きている人の幸せよりも、国の未来を優先して行われた

大平洋戦争。命よりも価値のあるものがある。自分だけが生きのびればいいというものではない。

ちなみに上海行の同じ船には五代友厚がいました。五代はパリにも行っていますが、高杉は上海のみです。パリに遊学するほど寿命はありませんでした。

高杉は、龍馬と同じように脱藩しています。しかし脱藩してそれっきり土佐と縁を切ってしまった龍馬と違い、高杉は長州藩に可愛がられていて、何度も帰藩しています。頼みにされて、地位を用意されて、戻っているのです。だから高杉の活躍は脱藩しているにもかかわらず長州藩を舞台にしています。

もっとも有名なのは奇兵隊ですね。

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山岡荘八『高杉晋作』の魅力・あらすじ・解説・考察

冒頭、高杉晋作の師匠である吉田松陰の死罪と、死骸をあばくグロいシーンがあります。棺桶を開くと腐った魚のようなにおいがした……というような。山岡荘八、あなどりがたし!

四年間で大統領を交代させるというこの制度は、人間はあまり信用できないもの、長く政権を預けてあれば悪事を働くもの……という人間観が根底になっているようだ。

絶対権力は絶対的に腐敗するという考え方ですね。

ウクライナ戦争の停戦和平(案)。核ミサイルさえ使わなければプーチンを許してやる。命の保証をするかわりに、政権を手放してもらう

いかなる知識も見聞も、まだ知恵として根付く土壌・おのれを持たないのだから、文字通り根のない浮き草になるはずだ。

曰く、我が藩、我が身が可愛いということであり、薩摩の勤皇も実はそこから一歩も出ていなかった。他人事ではない、同じようなことが長州藩内にも起こりかねまい。

これではならぬ! まず藩の存在を無視することだ!

阿片という毒薬を売り込んで、その利益を戦費にして香港を奪い取り、広東をかずめ、さらに上海、南京と毒牙を伸ばしてくるイギリスの侵略は、まさに世界史に前例を見ない悪党ぶりであった。

おそらく晋作の生涯で、独立を欲する後世の日本人が、いちばん感謝すべきは、この彦島租借のことを拒み通したことであろう。さもなければ、その後の日本はインドや支那と同じく、百年近い苦悶のタネを残されていたに違いない。

どうだ。当たって砕けろ。うまく成功したであろうが。

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高杉晋作の生涯

高杉晋作は短い人生の中で、大いに活躍します。その変わりっぷり、破天荒さは坂本龍馬にも劣りません。

欧米の連合艦隊と長州藩との海戦では、実質負けたにも関わらず、負けてないと言い張り、使者として彦島の租借を拒み通します。

ホンコンのように、この租借は植民地化への橋頭保でした。イギリスの常とう手段だったのです。そのことを上海に留学して高杉は知っていました。

身分を問わない志願兵による軍隊=奇兵隊を創設し、その総監となります。のちにその軍隊からは山形有朋や、長州藩の下のものから大村益次郎が出てくるわけです。長州征伐では海軍総督として江戸幕府と戦っていますが、こういうところが帝国陸軍の魂の祖にあたる人物と感じられるのです。

また藩内でクーデターを敢行し、成功させています。幕府と折り合いをつけよう派の藩内実権をひっくりかえして、倒幕する方向に導きました。明治維新が正しい選択だったとすれば、それは薩長同盟のおかげであり、高杉のクーデターのおかげでもあったわけです。

しかし日本でクーデターに成功する人って、あんまりいないんじゃないでしょうか。

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サムライとして白人と戦争をする手本だった高杉晋作

 

高杉はその短い生涯で、白人たちと戦争をしています。サムライとして。

帝国陸軍の白人相手に気合いで勝てる精神というのは、どうも高杉晋作のスピリッツだと直感的に感じたので、それを確かめようと思いました。そしてそれは間違っていなかったと思います。

高杉のスピリッツが山形有朋などを通して日本陸軍に伝わって、サムライの気合いがあれば決して異人などに負けはしない、という精神論になっていったのだと思います。

それはある意味で日本を救いましたが、悲劇的な結末にもなりました。それでもあの時代、あの場所に高杉晋作がいたことは、日本にとって幸運だったように思います。

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「三千世界の鴉を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」若死にしたのは遊びすぎたせいか。

防長一の美人、と呼ばれる人を嫁にしながら、ひたすら芸者と遊びまくっています。

結核になったのも、若死にしたのも、飲んで騒いでどんちゃん騒ぎがひどすぎたせいではないかと思います。志士の会合というのも、どんちゃん騒ぎとワンセットでした。

明日死ぬかもしれないという命がけの仕事をしていると飲まずにはいられなかったのかもしれませんが。

有名な

「三千世界の鴉を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」

という句は、萩城下一の美人といわれたヨメをうたったものではなく、芸者遊びをうたったものです。

おもしろきこともなき世をおもしろくすみなすものは心なりけり。

やはり言葉というのは何を言うかではなく誰が言うか、なんですね。

もっと長生きしてほしかった人物のひとりでした。

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