山岡荘八『小説太平洋戦争』。日本だけ特別だと思うのがすべての間違いの元

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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目次
  1. 山岡荘八『小説太平洋戦争』。ワノクニなんて幻想だ
  2. 『小説太平洋戦争』の詳細・あらすじ
  3. 松岡洋右。三国同盟、日ソ不可侵条約
  4. 近衛文麿。緊急事態に貴族のマロに政治をまかせちゃいかんよ
  5. 開戦時の首相・東條英機。敵がやる気の時、ケンカを避けることは誰にもできない。
  6. 連合艦隊司令長官・山本五十六。東郷平八郎のように自ら最前線で戦うべきだった。
  7. マレーの虎・山下奉文。困ったときだけ起用される不遇の将軍
  8. 本間雅晴。バターン死の行軍の責任を取らされた敗軍の将
  9. 今村均。絞首刑にならなかった方面軍司令官
  10. 南雲忠一と山口多聞。何度も映画になったミッドウェイ大海戦
  11. もはやひとりひとりが主役。ガダルカナル島からの転進
  12. 辻政信。米軍を軽視し、突撃一本やりの「作戦の神様」陸軍大学主席
  13. 長篠の戦いから何も学ばない参謀、将軍たち
  14. 内輪ゲンカ勃発。牟田口将軍の補給無視のインパール作戦。
  15. マリワナ沖海戦。空母対空母の乾坤一擲の大勝負
  16. 戦艦から航空母艦の時代になって、さらに潜水艦の時代になったと書くべきだ
  17. レイテ沖海戦。栗田ターン。曖昧な命令書のせいで謎の反転
  18. 敵前逃亡する上官たち。軍法会議で死刑にもならず、責任も問われない日本軍の体質
  19. 硫黄島攻防戦。アメリカの評価がもっとも高い栗林忠道将軍。
  20. 沖縄戦。戦艦大和水上特攻。神雷部隊・人間ロケット桜花
  21. 山岡荘八の筆も乱れる。もはや冷静ではいられない
  22. 日本だけ他国と違うという発想は、そもそも間違っている
  23. 生き残った者よりも死んだ者が主役。阿南惟幾陸軍大臣。
  24. 戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」の言い出しっぺが虜囚になるという恥知らずの極み
  25. 巣鴨プリズンの英雄。笹川良一。戸締り用心火の用心、一日一善。
  26. お公卿の近衛文麿。駄々っ子のわがままお坊ちゃまが首相だなんて……
  27. 東京裁判。決断の裏で何百万の人が死んでいる事実を忘れがち。
  28. 大平洋戦争の教訓。今すぐ解決しないで、将来に持ち越す知恵
  29. 圧倒的に強い米軍にどうしてベトコンは勝てたのか?
  30. 日本だけを特別視することはまちがい。人間はみんな似たようなものだ。

山岡荘八『小説太平洋戦争』。ワノクニなんて幻想だ

ここでは山岡荘八『小説太平洋戦争』をネタに、日本人が一致団結して先の世界大戦を戦ったという嘘、おとぎ話について書いています。

ときどき日本のことを和の国といって、一致団結、滅私奉公は日本人のお家芸であるかのように考えている人がいますが、そんなものは幻想にすぎません。

大平洋戦争ですら、個人のエゴや縄張り意識で決して一致団結なんてしていませんでした。とくに個人の出世欲が戦争を拡大させ収拾できなくさせ破滅に導いたと思います。

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『小説太平洋戦争』の詳細・あらすじ

大平洋戦争に報道班員として実際に従軍した山岡荘八が、自分の体験した戦争を総括する意味で書き綴った名著です。問題なのは従軍記者として現場を見ているだけにどうしても日本軍びいきなところがあります。負けるのがわかっていても命を賭けて戦えるのは日本民族だけだ、みたいなウソが平気で書かれています。絶対にそんなことはありません。

日支事変が泥沼化して終息しない原因は、蒋介石を援助するアメリカやイギリスであり、世界赤化をめざすコミンテルンだ、としています。ここには、ほとんどのアジアの国が白人の植民地となっており、富を奪われている状況が描かれています。世界は白人のものであり、けっして黄色人種や黒人は対等な存在ではありませんでした。

白人は反人道主義的な統治の不正をどこかで意識し知っている。一部白人の専横は目にあまるものがあるのを知っている。知っていながらその支配権を手放すまいとすれば、まず誰よりも強大な軍事力をもたなければ安心できないという結論になってゆくのだ。

イギリスも自分が対ロシアで利用できるうちは仲間にしてくれましたが(日英同盟)、中国の利益をめぐって対立すると同盟を破棄してきました。

日本と中国を争わせて疲弊させ、そこに赤い軍隊を送り込めば共産化は成功するというコミンテルンの戦略は、中国において見事に成功したのです。

山岡荘八も、共産主義革命が日本で起こったかもしれないということを、折に触れて書いています。

敗戦してあたえられたマッカーサー憲法とも呼ばれる日本国憲法は、徹底した自由主義世界肯定の憲法です。にもかかわらず、これを熱心に支持する側に社会主義者がある。この憲法で最大限に人権を尊重しながら社会主義など行われ得るものではない。社会主義は統制なのである。

と、山岡は最後まで警鐘をやめませんでした。

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松岡洋右。三国同盟、日ソ不可侵条約

物語の最初の主人公は松岡洋右。外務大臣です。

自分はフィリピンを植民地化しているくせに、満州国は認めないアメリカは対日禁輸を決定します。アメリカ、ブリティッシュ、チャイナ、ダッチのいわゆるABCD包囲網です。とくに石油の禁輸が日本に致命的でした。当時の日本はほとんどの石油をアメリカから輸入していたからです。

それに対して松岡洋右は、ドイツ、イタリアと三国同盟を結びます。締結当時のドイツはヨーロッパの最強国のように思われていました。勝ち馬に乗った感がいなめません。WWⅡはドイツが勝っていれば日本も勝ったかもしれません。

そして日ソ不可侵条約も締結します。ソ連はアメリカと違って満州国を国として認めていました。

この日本の行動をイエローモンキーのくせに生意気と見たアメリカ(大統領ルーズベルトは極端な人種差別主義者でした)は、戦争する決意を固めました。しかし日本の石油の備蓄は数か月分しかないと知っており、あわてて戦端を開きませんでした。待っていればやがては艦隊が動けなくなることを知っていたからです。

松岡は1946年東京裁判の最中に結核により病死しています。病気のおかげで連合国に首を吊られずにすみました。

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近衛文麿。緊急事態に貴族のマロに政治をまかせちゃいかんよ

物語の第二の主人公は近衛文麿。首相です。名前の通り貴族です。このマロはなんとかアメリカと戦争しないように交渉しようとしますが、戦争する決意のアメリカは和平案をのらりくらりとかわします。マロは昭和天皇の意向を体現できる貴族ということで首相になったのですが、こわもての軍人が怖くて天皇の和平への意志を貫徹することもなく政権を投げ出してしまいます。平時ならともかく、危急存亡の秋に貴族のマロなんか首相の器ではありませんでした。山岡荘八もマロのことは大批判しています。

マロは1945年にA級戦犯として裁かれることを恐れ、収監前に青酸カリで服毒自殺をしています。マロのことは後述します。

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開戦時の首相・東條英機。敵がやる気の時、ケンカを避けることは誰にもできない。

物語の第三の主人公は東條英機。とかく批判されがちな東条ですが、山岡荘八はむしろマロを批判して東條には同情的です。東條は天皇第一の忠臣であり、対米戦争を回避しようとしたが、無常なるハルノートによって開戦やむなしとなった、という解釈をしています。ハルノートというのはこれまでの外交努力を一切おじゃんにして明らかに日本がのめないとわかっている要求を突き付けた最後通牒でして「こんなものを突きつけられたら、モナコでもルクセンブルクでも宣戦せずにはいられなくなるだろう」とインドのパル判事に言わしめた無礼きわまりない外交文書でした。

太平洋戦争以前に、白色人種の胸中に有色人種を平等の立場におこうとする意志はまったくなかったのです。それに対し一部の軍人と日本民衆が憤怒し、平和を希求した人たちも抑えきれなくなりました。どうにもならなくなって開戦したものでした。日本がどれほど和平を欲してみても(負けるのがわかっているので)、相手がやる気なのでは、どうすることもできなかったのです。

東條はマロの後始末を押しつけられた格好で宣戦布告しましたが、戦時下で独裁色を強め、太平洋戦争の最大の戦犯として1948年に絞首刑となっています。東條の最後についても後述します。

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連合艦隊司令長官・山本五十六。東郷平八郎のように自ら最前線で戦うべきだった。

ハーバード大学

物語の第四の主人公は山本五十六。連合艦隊司令長官です。明治維新のおり、敗れると知ってもなお西軍と戦わねばならなかった長岡藩の出身で、その運命を太平洋戦争になぞられています。ハーバード大学に留学したアメリカ通で対米戦争には反対でしたが、海軍を大艦巨砲主義から航空主兵主義へと転換し、ハワイ真珠湾を奇襲することを考え出した人物です。ニイタカヤマノボレ。長岡は焦土にされ、おびただしい人が死んだが、強かったので新政府には決してバカにされませんでした……同じように日本も戦う以上は強くなければならん。

ニイタカヤマノボレ(新高山、登れ)ご先祖様の声が聞こえたから登頂してきた

山本はアメリカ側に暗号が筒抜けなのに「司令長官が飛行基地に激励に行く」と隠密行動をとらなかったことから1943年に空で撃墜されて戦死しています。

評価の高い山本五十六ですが、そこまで真珠湾での一挙撃滅に賭けていたならば、東郷平八郎のようになんで自ら機動部隊を率いて最前線に立たないのか、と昔から私は思います。

ミッドウェイ海戦のときは後方の戦艦大和で将棋を指していたそうです。いやおまえが最前線で戦えよ!!

Admiral TOGO statue, shrine
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マレーの虎・山下奉文。困ったときだけ起用される不遇の将軍

物語の第五の主人公は山下奉文。マレー半島を南下してシンガポールを陥落させた陸軍の将軍です。当時のシンガポールはイギリス領で要塞化していました。そこに寡兵で侵攻しイギリスの将軍に「停戦ではない。降伏するのかしないのか。イエスかノーか」と迫ったというハリマオじゃないほうのマレーの虎です。古武士のような面影で山岡荘八はひじょうに高く山下奉文を評価していますが、実際の山下は陸軍の主流からは嫌われている人物で、都合のいいように使われています。シンガポール陥落後、総督として君臨するのかと思いきや、すぐに満州の奥地に転勤させられています。実力はあるので困ったときには起用されるのですが、安泰になると閑職に追いやられてしまうのです。実力ではなく、派閥や人の好き嫌いによって人事がなされていた証拠です。

その後、山下はフィリピン攻略をまかされますが、マッカーサーとの戦いに敗れ、フィリピンで降伏。統治下で虐殺事件などがあったため責任をとらされ1946年に絞首刑となりました。

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本間雅晴。バターン死の行軍の責任を取らされた敗軍の将

物語の第六の主人公は本間雅晴。フィリピン攻略戦の陸軍の将軍です。安楽椅子探偵のような将軍として描かれています。作戦の主目的はマニラの陥落が、アメリカ軍の撃滅か、どっちだ? と参謀本部に問いかけるあたりは、ミッドウェイ島の攻略か、米空母の撃沈か、目的がはっきりしなかったミッドウェイ海戦を彷彿とさせます。本間はマニラ攻略という主目的を達成してアメリカ軍の追撃をしません。軍人というよりは、いい点をとることしか考えていない西欧風のセンスを身につけた将軍というふうに描かれています。有名なバターン死の行軍についても本間の指示ではないことになっています。

ちなみに「バターン死の行軍」というのは、約100kmを歩かせた捕虜虐待ということになっています。しかし当時日本軍ですらトラックはなく自分の食べ物を分け与えつつの徒歩移動でした。ちなみに江戸時代の参勤交代は一日30~40km移動しますので、100kmというのはコンディションさえよければ、たいした距離ではありません。飛脚にとっては死どころか日常的な距離でした。

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問題は食料不足でした。山岡荘八は降伏したおかげで米司令官は食料不足の責任をまぬがれたと評しています。降伏したせいで捕虜の食糧不足が日本側の責任になってしまったのでした。

兵糧攻めにすれば、反乱がおきて、すべてアメリカ兵の責任になっていたはずのものを、降伏によって飢えなどの責任はすべて日本軍のせいになってしまいました。いくさというのは難しいものですね。

本間はバターン死の行軍の責任を取らされて、1946年に銃殺刑となりました。絞首刑よりも名誉ある死らしいのですが、死ぬべきものにとっては絞首刑だろうが銃殺刑だろうがどっちでもいいと思います。

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今村均。絞首刑にならなかった方面軍司令官

物語の第七の主人公は今村均。インドネシア攻略の陸軍の将軍です。マレー半島、フィリピンを陥落させた山下、本間が連合軍により刑死しているのに対して、インドネシアを陥落させた今村は戦後1968年まで生きのびています。スカルノなど現地の有力者と協力しあい、統治下で目立った虐殺など大事件がなかったためでしょう。占領地域下でいちばん成功している軍政といわれました。山岡荘八も今村を激賞しています。ただ一人不敗の立ち場を堅持し、連合国も今村を絞首刑台上には送りえなかった、と。

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南雲忠一と山口多聞。何度も映画になったミッドウェイ大海戦

物語の第八の主人公は南雲忠一と山口多聞。いよいよミッドウェイ海戦です。日米戦争の転換点であり、空母対空母の戦いでした。山岡荘八は山本五十六の戦略を、アメリカに大艦隊が出そろう前に誘い出して、彼我の実力差が開かないうちに随時叩いていく作戦とみています。

ミッドウェイもその作戦の一環だったのですが、逆に全滅に近いやられ方をしてしまいました。こちらの暗号が漏れていたので、敵は待ち構えていたのです。

一般的には空母のことなどわからない水雷屋の南雲が、専門家の山口の進言を聞いていればいいものを無視して攻撃命令を二転三転させて時間を失い敗北したとされていますが、山岡荘八は爆撃機に戦闘機の援護をつけてやりたい南雲の優しさが敗因だとしています。炎上する空母から南雲は逃げ、山口は艦とともに死ぬのですが、山岡荘八は山口多聞が死を選んだのはそもそもここで逃げてもいずれ敗けることがわかっていたからであり、自己滅却の犠牲精神で戦争をしていて、「もはや日米の雌雄は決した」ことを悟ったからだと解釈しています。

南雲忠一は、ミッドウェイ敗戦の責を問われることなく、やがて軍艦を下ろされ、絶対国防圏のサイパンで1944年に玉砕(自決)しました。よく南雲じゃなくて山口が指揮官だったら……という人がいるのですが、既述のとおりわたしは東郷平八郎のように山本五十六が自ら機動部隊を直率すべきだったと思います。乾坤一擲の大勝負のときに大和で将棋って何してんだテメー。

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もはやひとりひとりが主役。ガダルカナル島からの転進

さて、物語はガダルカナル島の攻防戦となります。もはや主人公は将軍クラスではなくなります。一万九千のアメリカ軍に、九百人で突撃して全滅する一木大佐、第一次ソロモン回線で敵艦をあらかた撃破したのに輸送船団を一切攻撃しない三川軍一など。三川の態度はレイテの栗田にも通じており海軍の悪癖でした。やがて日本は潜水艦で囲まれて兵員、石油、食料の輸送船が撃沈されることにより息の根を止められるのですが、帝国海軍の将校は輸送船には目もくれないのです。減点法の出世競争を勝ち抜いてきた点取り屋さんが提督だったことが原因だと言われています。貴重な軍艦を空爆の危険にさらしてまで、輸送船ごときを沈没しても手柄(点数)にならなかったため、そういうことをしない人たちが提督になっていたというわけです。もちろん自分の艦艇を沈めたら減点です。点数をとれないのに現地にとどまることは減点の危険だけがあるのです。そういった提督の出世のための点取りがいくさの効果を下げたと言われています。

ガダルカナル島以降は、もはや誰かひとりの将軍を中心に語ることができなくなります。どうしようもない行動をする人たちの中で、英雄的な行動をする人たちがいて、死を前にして、人間の本性があらわになります。

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辻政信。米軍を軽視し、突撃一本やりの「作戦の神様」陸軍大学主席

特記すべきは辻政信陸軍大学校を首席で卒業した大本営の参謀です。当時「作戦の神さま」と言われたそうですが、またくアホらしいかぎりです。この神さまの作戦というのが「アメリカ軍は根性なしで、日本軍はサムライ。突撃すればビビッてアメリカ兵はちりじりになる」という猪突猛進の突撃作戦ばかりなのです。どこらへんが作戦の神様なんだかさっぱりわかりません。参謀の立場を利用し無責任な作戦を立案し、ノモンハンでソ連に敗れ、マレー作戦に失敗し、ガダルカナル島では敵の情報を全く知らないで突撃一本やりという最悪な人物です。敗戦後、潔く自決や降伏した将軍が多い中、命おしさに逃亡潜伏して死刑を逃れています。天才というよりは醜い人物。できもしないのに敵を一挙に殲滅するとか威勢のいい大言壮語を繰り返す。バカ勇ましいだけの人を陸軍大学主席というだけで祭り上げてしまう日本人もバカ。およそ最低な人物。こういう人の本質を見抜けなかったことが、日本を敗戦に導いたんだろうなあ。長州藩の伝統というか、子どものケンカのようなメンツやこだわりに終始する陸軍体質の代表者です。

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長篠の戦いから何も学ばない参謀、将軍たち

集中砲火にあって部隊が全滅するから正面突撃は迂回すべきという正当な諫言をした川口清健少将は敵前罷免という不名誉な処分を受けます。陸軍は輸送船を撃沈されて兵員、火薬、武器、食料の不足に常に悩まされ万全の体制で戦えないというのに、海軍は敵艦隊は叩くけれども輸送船を叩こうとはしないのです。せめて同盟国ドイツのU-boat戦略を学べばよかったのに……。

そんな中、空母艦載機を陸上にあげて飛行場を督戦してまわっていた山本五十六が暗号解読のアメリカ軍に待ち伏せされて撃墜戦死します。空将かよ! どうせ死ぬなら海将らしくミッドウェイで空母と一緒に死ねばよかったのに。大和で船旅しただけでした。

米軍がブルドーザーで道路や飛行場をつくるのに対して、日本兵はまるで炭鉱夫のようにツルハシとモッコで道路や飛行場を整地していったのでした。飛行場建設スピードにおいてまったくかなうものではありませんでした。日本軍はいつも寡兵なのに大群の敵陣地へと自ら攻めていきます。待ち伏せするアメリカ陸軍は鉄条網などで動きを止めて機関銃で十字砲火で撃ち殺すだけです。このワンパターンが延々と繰り返されます。まるで長篠の戦いの武田軍と織田軍のようです。残念ながら織田信長はアメリカ軍のほうでした。陸軍大学で戦史を学ばなかったのでしょうか?

山岡荘八は「日本軍は敵を前にしても逃げずに戦った」と褒め称えていますが、南海の孤島でいったいどこに逃げればいいのでしょうか。どこにも逃れられません。故郷をはるか遠くに、敵軍ではなく、地形地理とたたかうこともありました。北本正路マラソン部隊が標高4500mのサラワケット山越えをします。佐々成正みたいに。

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内輪ゲンカ勃発。牟田口将軍の補給無視のインパール作戦。

国力の限界を超えた拡大された戦線では補給がままならず、食料なし、弾薬なしで軍隊は次々に壊滅していきます。このあたりで本当に読むのが辛くなってきました。これが自分の国の先祖のやっていることだと思うと悔しいというか悲しいというか恥ずかしいというか……。

現場の状況を考慮しない大本営作戦本部の無理な命令。それに抗弁する将軍は罷免されていきます。正論を吐くものは解任されます。人に好かれる人だけが残りますが、イエスマンしか残りません。だから一部の人しか戦争を望んでいなかったのに、そちらに流されてしまったのです。

インパール作戦も大河、山脈越えでした。無駄口おっと牟田口将軍の補給無視作戦です。この作戦では指導部に内輪ゲンカが勃発しました。柳田元三中将は突撃作戦実施中に「作戦そのものを考え直せ」と反省を促す電報を打ち突撃を中止・作戦放棄してしまいます。陸軍大学を首席で卒業したインテリですが、無駄口おっと牟田口は猪突猛進しない将軍が嫌いで罷免してしまいます。罷免された柳田は戦後シベリアに抑留されて死にました。

そして佐藤幸徳中将公然と作戦を放棄して撤退します。キチガイあつかいされて罷免されますが、軍法会議(死刑)にかけないための温情だったともいわれています。反抗を他に知られたくなかったためともいわれます。軍法会議気かけると大っぴらになってしまいますからね。佐藤将軍は戦後まで生き残りました。

そもそも反抗は、作戦そのものに無理があったのが原因でした。国力の限界を超えた戦線を維持できるわけがないのです。

食料がないなどの現地の実情をまったく知らない司令部からのムチャな指示でも、「命令に絶対に従うルール」だから抗弁できないのです。従わないときには「抗命罪」で軍法会議で死刑、というルールでした。そうでないと統制がとれないのでしょう。命令は絶対という軍隊気質の中で、敗戦必至のむちゃくちゃな命令がまかり通っていく。敗戦が見えているからそれを避ける提言をした将校は更迭されてしまうのでした。これでは司令部は、戦争とはまったく無縁の場所で、忙しそうに命令遊びをしているに過ぎないことになります。

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マリワナ沖海戦。空母対空母の乾坤一擲の大勝負

マリワナ沖海戦。空母対空母の対決だと日本側は思っていました。だからアウトレンジ戦法を採用したのです。こちらの空母は無事で、一方的に相手を叩けると思いこんでいました。しかし飛行機乗りとしての練度のない未熟パイロットが登場した空母艦載機は、七面鳥のように叩き落とされてしまいました。

しかし実際にはもう空母の時代から潜水艦の時代となりつつあったのです。空母大鵬も、空母翔鶴も、潜水艦に撃沈されています。まぼろしの空母信濃も潜水艦に沈められました。

日本が切り開いた航空母艦の時代は潜水艦に取って代わられようとしていました。しかし……日本はアメリカのように新兵器に対応していく柔軟性はありませんでした。

あくまでも「空母時代」だと頭を切り替えただけだったのです。これからは「潜水艦時代」だとさらに頭を革新していれば、もうすこし戦果もあがったのではないでしょうか。

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戦艦から航空母艦の時代になって、さらに潜水艦の時代になったと書くべきだ

大平洋戦争について書物を書いた多くの著者は「戦艦から航空母艦の時代が来ていた。その時代は日本が切り開いた」と書いています。そしてそこまでしか書いていません。

しかし実際には太平洋戦争のさなかにすでに潜水艦の時代が来ていたのだと私は思います。

だから「太平洋戦争の初頭に戦艦から航空母艦の時代になったが、さらに潜水艦の時代がやってきた」と書くべきなのです。実際に空母信濃も、空母大鳳も、空母翔鶴も、空母飛鷹も、アメリカ潜水艦によって沈められているのです。巡洋艦愛宕も摩耶も高雄も潜水艦に撃沈されています。

広島の原爆をアメリカ本土からテニアン島まで運んだアメリカの重巡インディアナポリスは日本の潜水艦に撃沈されています。

これが潜水艦の時代が来たといわずして何と言うのでしょう。でも日本軍に戦果のあった航空母艦のことはふれるけど、潜水艦の時代になったとは、どの書き手も誰も書かないのです。おかしいよね。

日本は石油がほしくて蘭印に進出しました。インドネシアの石油は手に入れたのです。しかし実際には日本に運ぶ途中で油槽船はすべてアメリカの潜水艦によって撃沈され、軍需工場には届かなかったのです。日本は潜水艦に負けたのです。

南方・南洋の石油は帝国海軍の役に立たなかったのか?

イギリスをU-boatで囲んで補給線を撃沈しまくったドイツの戦略をアメリカは学んだのではないでしょうか。

山岡荘八も含めて、だれも潜水艦時代の到来を認識していないように思います。

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レイテ沖海戦。栗田ターン。曖昧な命令書のせいで謎の反転

「連合艦隊の大艦隊が、輸送船や上陸用舟艇を撃って死ぬとは」

通商破壊を軽視する日本軍が、アメリカ軍に負けるのは当然でした。アメリカは潜水艦で本土を囲って補給を断ったのです。ドイツがイギリスにやったように。

連合艦隊最後の艦隊決戦となったレイテ沖海戦とは、大和や武蔵の戦艦群での殴り込みです。飛行機の援護はもはや特攻しか有効な手はなくなっていました。

島の飛行場はなるほど不沈空母かもしれん。しかし敵の手に渡ったらどうなる? 結局これはアメリカ軍のためにせっせとつくってやっているようなものだぞ。

そう正論を吐いた司令官は更迭されます。またかよ!

作戦指示もあいまいです。腹芸を必要とする指令なんてやめろっつーのに。

「いずれ石油もなくなる。艦隊は動けなくなる。遠からず無用の長物になる艦隊に死に場所をあたえる。これは特攻だ」はっきりとそう指示すればいいじゃないか。なにが「敵を撃滅すること」だ。勝てないの知ってるくせに。はっきりいって大本営の命令は曖昧過ぎます。「死ね」とは書けなかったんだろうが、明快に書かないので腹のさぐりあいになる。

ミッドウェイ海戦もそうだが、別の解釈など成り立たないほど明確な命令でなければ、下のものは自分の都合のいいように解釈するに決まっている。はっきりと言わなければ伝わるわけがない。いかようにも解釈できる命令は命令ではない。

『伝え方が9割』言葉の無力、不能を嘆くより、伝え方にベストを尽くす。

実際にレイテでは作戦の本質が理解されていませんでした。艦隊に死に場所をあたえるための作戦だったというのに栗田長官は謎の反転という作戦の本質を理解していない避難行動をして、むざむざと艦隊を生きのびさせてしまいます。何やってんだよ。作戦は失敗しました。

「この電文は海軍魂でたたき上げられた武将と武将の情誼を秘めたいたわり合いなのだ」なんて山岡荘八も言っています。読者は海軍の武将じゃないからこの電文の意味がわからないだろうけど、本人同士はわかっていますよ、という意味ですが、そういう腹芸やめろ!!! 言葉は何のためにあるんだよ。一ミリも誤解、誤読、解釈違いのないように、ちゃんとわかるように書けっつーの。そのせいで作戦失敗して何の意味があるんだよ。

作戦の本当の意味はこうだ! そんな腹のさぐりあいをやっているから、天祐を確信し全軍突撃せよ、という簡潔な電文さえも、(この命令の真意は果たして何であろうか?)と深読みし、自分が助かる道へとミスリードしちゃうんだよ(栗田反転)。指示があいまいだから悪いんだ。自分に都合よく解釈するに決まっているじゃないか。

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敵前逃亡する上官たち。軍法会議で死刑にもならず、責任も問われない日本軍の体質

大平洋戦争中の日本軍のことを書いていると、本当にイライラしてきます。これを「先祖の戦いを誇りに思う」と単純にくくって語れる人は頭が単純すぎるんじゃないでしょうか。

寺内寿一南方総軍司令官のフィリピンからの逃亡。南雲忠一のように島でどこにも逃げられなくなって死ぬしかなくなる前にサイゴンへ逃げてしまったのだ。マッカーサーが「兵は神速を貴ぶ」とばかりにつぎつぎと果断な攻撃をしているのに、山下奉文の足をひっぱるだけひっぱって逃げていく老将のなさけないこと。「敗北したのは両軍総司令官の才能と闘魂の差であって、国力、生産力、武器の差ではない」と山岡荘八も言っています。卑怯者の寺内寿一は戦犯裁判の判決前に脳溢血で死去しています。どうせ死ぬならフィリピンで死ねば晩節を汚さずに済んだのに。人間の評価は死んだときに決まるというのは本当ですな。

メメント・モリ。死を忘れるな

流動的な戦場では、現地の実情を知らない中央の意見や、上からの命令が、どのように大きな邪魔になるかは容易に想像できる。しかし「現地に任せる」という判断には最後までならなかったようだ。自分たちの権力を渡したくなかったのであろう。

日本人が和を得意とする民族だというのは、幻想にすぎない。

フィリピンではとうとう軍隊を解散することになった。このままでは餓死する以外にない。「兵は山に潜って自由に、かつ頑強に生きのびよ」断じて降伏せず永久に抵抗する命令。これがのちの小野田寛郎少尉とかヨッコイショウイチなどを生み出すのか……。

東條英機の片腕の富永恭次中将も、山下大将の許可を得ることもなく、独断で台湾へ逃げ出します。富永は十年シベリアに抑留され、帰国して5年後に死去しています。逃げ場のない部下が全員死ぬのを知りながら自分だけが生き延びようとする司令官たち。寺内に次いで二人目だ。これでよく大和魂だとか七生報国だとか言えるよな。アメリカの提督の方がよっぽど立派なのではないだろうか。

とにかく上層部の評価をするときには、その人個人の行動だけではなく、その下で多くの兵士が死んでいることを忘れてはならないと思う。

フィリピンでは敵の投じた手りゅう弾を投げ返そうとして爆傷で片手の兵士が多かったという。そういう兵士を置き去りに逃げ去る上官もいたのだ。

そしてフィリピンでは日本軍は嫌われアメリカ軍の方が歓迎されていた。けっして開放者として歓迎されていなかった。

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硫黄島攻防戦。アメリカの評価がもっとも高い栗林忠道将軍。

山岡荘八『小説太平洋戦争』後半部分の主人公のひとりが硫黄島の栗林忠道中将。

当時、陸軍の常識として上陸軍を水際で叩くのがセオリーでした。サイパンなど他の島ではみんなそうやって水際作戦でアメリカの艦砲射撃や艦載機の爆撃などにやられてきたのです。そのセオリーを破って、波打ち際では抵抗せず、敵を内地に引き寄せて叩く戦略を取ったのが栗林中将でした。地下に兵力を隠して、上陸前の爆撃の効果をそいだのでした。そのおかげで日本軍は多くの戦力を温存することができ、互角の勝負が演じらえたのが硫黄島です。

硫黄島は圧倒的な戦力差があったにもかかわらず、米海兵隊が島の占領にとても苦しんだ戦いとして知られています。アメリカの海兵隊では硫黄島の摺鉢山に星条旗を立てたことを誇りとして本国に銅像も建てられています。それほど激戦だったということです。

「硫黄島の戦いは、アメリカ海兵隊の歴史始まって以来、168年で最も激しい戦いであった」とか「栗林は太平洋戦線で敵対したなかで最も侮りがたい存在であった」などアメリカの評価がもっとも高い将軍が栗林忠道でした。敗けるとわかっている戦争でも、不敗の信念を説かなければ統率できないそうです。栗林中将は最後のバンザイ突撃で多くの兵士とともになくなりました。見事な玉砕でした。

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沖縄戦。戦艦大和水上特攻。神雷部隊・人間ロケット桜花

海軍はすでにレイテで戦力を失い、もはや戦艦大和の特攻と、神風特別攻撃隊しか、攻撃手段をもっていませんでした。

世界最大最強の戦艦大和は、沖縄にたどりつくことなく撃沈されます。どうせならレイテで艦砲を撃って撃って撃ちまくり狂い死にしてくれればよかったのに。

「敗れたのだから、われわれは責任をとって潔く死ぬべきだ。大和を残して敵の笑いものにすることはできない」

そしてとうとう神雷部隊、特攻ロケット桜花が登場します。桜花は20kmほどしか航続距離がなく、母機の一式陸攻がそこまで運んでから切り離します。

ところがこの一式陸攻がワンショットライターと言われるほど火がつきやすく鈍重だったために、もろともに撃墜されてほとんど戦果をあげることができませんでした。

マル八と呼ばれる震洋は、小型モーターボートによる特攻です。これもほとんど役に立ちませんでした。大型艦船が近づいて来ないことには使えないために、先に空母艦載機に発見されて破砕されました。あああ……。

沖縄戦では市民も軍人とともに戦って死にました。「どうせ殺されるのならば、なんで敵の手を借りよう」だが一個の手りゅう弾に三十人以上の人が集まり、大半が負傷したまま死にきれない。そんな地獄絵図があちこちで展開されます。

洞窟で泣き叫ぶ子どもを殺せという同胞。困り果てた母親は子供を絞め殺し、海に飛び込んで死にました。「貴様らそれでも人間か」

太田実少将。「万が一死にそびれた場合、それは決して脱走したのでもなければ、死を厭うものでもないのだから、そのように配慮してほしい」「沖縄県民かく戦えり。県民に対し、後世特別のご高配を賜らんことを」配慮ある遺書で知られた提督です。沖縄開発庁(沖縄振興局)などによってその願いは後世に引き継がれたのではないでしょうか。牛島満総司令官の前に自決して果てました。

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山岡荘八の筆も乱れる。もはや冷静ではいられない

沖縄戦あたりから山岡荘八の筆も乱れてきます。もはや冷静な筆致ではいられなくなったようです。あきらかに死者に引かれているような狂信者の皇国擁護の描写が増えてくるのです。死んだ人たちを目の前で見てきただけに、そうならない方が逆に人でなしかもしれませんが。

進死あるのみ、退生あるべからず。どんなことをしても生き残って……などという自分中心の生き方の肯定は、ずっと後の占領政策の影響によるもので、当時の軍隊内の常識ではなかった。日本人の生存本能は、自分を生命永遠の流れの中におくからだ。日本人という人間が生きているのは、今日ただいまだけではない。永遠ですよ。

閃光がキラリと光った一瞬に、広島全市が死んでしまった。

ひろゆきなんかは、日本の戦争指導者などの偉い人は自分は最前線には出ないから死なないと思っていたけれど、原爆を頭から落とされたらいつ死ぬかもしれないとおびえ直ちに降伏に応じたと評しています。なるほどと思わされるほど、前線の兵士の死は捨て駒のようにかえりみられませんでした。大日本帝国は、庶民にとってかならずしもいい政治体制ではなかったことだけは忘れてはいけないと思います。

本土決戦と勇ましかったのも、原爆とソ連参戦でもはや勝ち目はないと観念し降伏に応じたというのが本当のところでしょう。

ソ連の参戦は、日ソ中立条約の蹂躙でした。国際間の条約なんて、破られるときには破られるものなのです。なぜなら破ったことを罰することができるパワーがどこにもないからです。ルールを破ると圧倒的なパワーによって罰せられるとわかっているからみんながルールを守るのです。

日本はそのソ連に終戦の交渉をすがっていたのでした。実になさけないですね。

国民に対し、兵隊に対し「敗けました。降伏します」とは誰も言い出せませんでした。そういうと暗殺される危険があったのです。最前線の兵士の方がよっぽど死ぬ覚悟がありました。だから例によって曖昧な声明文が発せられます。こんな歯切れの悪い奇妙な期待をされても、国民には何のことやらさっぱりわからない、と山岡荘八も書いています。

終戦当時、死ぬ覚悟で戦争する気だった人たちを説得できるのは、天皇ただひとりでした。だから山岡荘八は天皇を偉大だと賛歌するのですが、その書き方が私にはどうにも納得しかねるのです。

国体の護持とは天皇制の存続のこと。それだけがポツダム宣言受諾の唯一の条件だった。天皇とは大自然のままに生命の中心をなして国民とともに実在している。いわば生命の巨木なのだ。民族を一つの生命体と見る日本人の立場からすれば、根幹である天皇と、枝葉である民とはまさしく一心同体の同じ巨樹にすぎない。すべての生命の繁栄こそは皇祖皇宗の歩ませられた道であり、この道を踏んであれば天壌無窮の道が開ける。生命の無休の繁栄に仕えることこそが伝統のすめらぎの道なのだ。軍人は盾にすぎず、生命の永遠と無窮の繁栄を立証してみせている万世一系の天皇の聖明さがなければ成立しない。この聖明さがいうまでもなく人類のめざす最高道徳に当たるのである。この最高道徳を体現しているのが天皇であり、天皇はあらゆる世俗の罪けがれと絶縁した大我として万民の胸の中に生きてゆく。神ながらの大愛の象徴とならせられる。大愛と生命無窮の叡智に感応し、帰依してあるところに天皇陛下万歳というすさまじいまでに研ぎ澄まされた忠勇義烈が生まれる。

……なんて山岡荘八は言うのです。いやどうも。論理が破綻していると気づかないのかねえ。

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日本だけ他国と違うという発想は、そもそも間違っている

山岡荘八は、従軍記者としてリアルに太平洋戦争を経験していて、軍人たちの艱難辛苦を知っています。だから「彼らは立派だった」と書きます。しかし結果を出していない敗軍を立派、立派と褒めちぎるのはやめてもらいたいと感じます。負けは負けなのですから。武田勝頼だっていろいろ言い訳を言いたかったと思うよ。山岡荘八は同じ武器弾薬があれば日本軍は決してアメリカ軍に負けなかったと書くが、同じ武器弾薬があれば武田軍は織田軍に決して負けなかったと武田勝頼もいいたかったにちがいないのです。そりゃあ日本に原爆があればアメリカにだって勝てたさ。そういうことを平気で山岡荘八はいうのです。いうだけ無駄じゃね、そんなの。

これほどの作家ですら、大作の最後にこんなこと書いちゃうんだから。げに戦争は恐ろしいものです。

どうせ自分の文章は日本人しか読まないと思っていたのでしょうか。これが翻訳された外国人に読まれたら、その人はどんな気持ちがするでしょうか。まるでユダヤ人しか救われないという旧約聖書を読んだ日本人のような気持ちがするのではないでしょうか。大部分の日本人に旧約聖書が受け入れられなかったように、大部分の平成、令和人にこの理屈をそのまま受け入れることはできません。

そもそも戦国時代にはそこまで天皇のことを神聖視していませんでした。天皇が神だというのはあの時代一過性の狂信のようなものだったのです。げに教育とは恐ろしいものですな。

たしかに昭和天皇はすばらしい人格で、他の誰にもなしえなかった終戦へと国民を導いてくれた名君でした。しかしそれはたまたまでしょうが。そうでないデレスケ天皇を歴史の中に探すのはいとやすいことです。たまたま敗戦時に名君がいただけで、そうでない可能性だってありました。孝明天皇がずっと生きていたら、日本は開国できたでしょうか?

集団催眠というか、これほどの作家でもこうなってしまうのか、という見本のような後段の日本びいきが続きます。この天皇特別視はいくらなんでも素直に読めませんでした。これを素直に読める人は、オウム真理教や、統一教会の教義だって頭ごなしに読みこなして帰依できる人でしょう。

私は日本だけが特別だとか、日本人だけが神の赤子だとか、日本だけ他国と違うという発想は、そもそも間違っていると思います。そんなことあるわけがないからです。そうだというなら証拠を示してほしい。証拠は天皇だって? イヤハヤ……。

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生き残った者よりも死んだ者が主役。阿南惟幾陸軍大臣。

神武天皇金鵄を得る

カイロ宣言。「アメリカ・中国・イギリスは領土拡張の何らの念をも有さず。日本国の侵略を制止し罰するために戦争する」俗に言う眼クソが鼻くそを責めているようなまことに不思議な論理の文章。日本は大東亜会議で白人の植民地主義に対抗するアジア同盟を考えていた頃だ。

ポツダム宣言。「日本国民を欺き世界征服の挙に出でしめた権威と勢力の永久抹殺。日本人の奴隷化を意図せず。民主主義傾向に対する障害の除去。基本的人権の尊重。言論、宗教、思想の自由確立」

昭和天皇のご聖断によって、ポツダム宣言を受諾することになりました。いわゆる『日本のいちばん長い日』です。

この終戦の時に主役をはるのは、鈴木貫太郎ではなくて、阿南惟幾。生き残ったものよりも死んだものが、より苦悩の深いものが主役をはるのです。

阿南は聖戦を完遂すべしという下からの突き上げと、終戦というご聖断のあいだで死を選びます。阿南大将によって皇国に生きる日本人の死生観に、ひとつの規範をしめされた。ここには生と死の区別はない。生きてあろうと、死んであろうと、幽にあろうと、顕にあろうと、日本人のしなければならないことは国体の護持である。国体を護持して、最高の道徳を探求しながら、超国家的な人類共通の目的、いかにすれば人間はもっとも幸福でありうるかの理想に奉仕し、そこに生きがいを求めようとするのが日本人の道だと山岡荘八は説く。

いやおれはぜんぜんそんな風には思わねえけどな。山岡さんよ。

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戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」の言い出しっぺが虜囚になるという恥知らずの極み

「生きて虜囚の辱めを受けず」(捕虜になるより死を選べ)という戦陣訓は東條英機首相の時代に発布されたものです。東条が出したものだといってもいい。この戦陣訓のせいで大勢の人間が死んでいったのです。

その言い出しっぺの当人が自殺に失敗し、虜囚となって、刑務所でケツの穴まで覗かれているんだから情けないったらありゃしない。いかに天皇の戦争責任を回避するため自分で罪をかぶるためだと虜囚の言い訳をしても、もはや男としてまったく尊敬できません。駄々っ子のお坊ちゃまの近衛文麿ですらちゃんと死ねたのにおまえは何をやってるんだよ!

母親のために、妻子のために、虜囚だっていいから生きて帰りたかった兵隊さんもいただろうに、そういう人たちを死地に追いやった当人が生きて虜囚って……本当になさけない男だ。こんな奴が戦時体制下の独裁者だったとは。嫌悪感しか湧いてきません。

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巣鴨プリズンの英雄。笹川良一。戸締り用心火の用心、一日一善。

笹川良一のことを鯱だと山岡荘八は表現しています。巣鴨プリズンのいちばんの英雄だと。

戸締り用心火の用心、一日一善! のあの人だね。知ってる!

刑務所のことを禅宗大学と称する破天荒な男。東條を励まし、遺族の相談に乗り、巣鴨プリズンの慰問を欠かさず、刑死した人たちの法要を営み。という国士だった。

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お公卿の近衛文麿。駄々っ子のわがままお坊ちゃまが首相だなんて……

 

日本人にとっては有史以来の大悲劇。この大悲劇に近衛文麿の責任がななったなどと考えている国民は一人もない。「蒋介石を相手にせず」という相手が誰かわからないような声明で、ズルズルと脚の抜けない泥沼に追い込んだ責任者。お公卿さんはお公卿さんかな。駄々っ子が過保護の母親に対して鳴き声で威嚇していく手のつけられぬ足踏みに似ている。彼の覚悟次第でできないことはひとつもないのに。いやしくも総理大臣の口にすることではない。大事なときに近衛は逃げる。と、山岡荘八の筆も近衛のマロには厳しいものがあります。

世界は近衛のためにあると思っているお坊ちゃまは、憲法改正を自分にやれと言われたものと錯覚した。しかしマッカーサーはマロには何も期待していなかった。シナ事変は徹頭徹尾近衛の政治責任である。あきれてものもいえない駄々っ子の屁理屈だった。

こんな駄々っ子のわがままお坊ちゃまが首相という最高の地位につけたのも、家柄がいいからです。天皇を尊敬することは、太政官制の五摂家筆頭を尊敬することとじかに繋がっていました。近衛家というのは要するに藤原家です。天皇の言葉を代弁してくれる人物と思われていたのですね。その昔、藤原摂関家がそのようにして権力を握ったことと同じ構図でした。

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東京裁判。決断の裏で何百万の人が死んでいる事実を忘れがち。

たしかに戦争は国際法で認められた必要悪だが、だからって無罪ってことになるまいと私は思います。ルーズベルトが無罪なら東條も無罪だと主張する人がいます。責任を問うときにその当人の行動だけにフォーカスしがちですが、その政治決断の裏で何百万の人が死んでいる事実を忘れてはなりません。

ルーズベルトはハルノートによって、日本に決闘を申し込むと同様の挑戦をしたのだ。決定的かつ計画的にアメリカを戦争に引きずり込んだのだ。ルーズベルトこそ悲劇をまねいた責任者である。そんなことをいうアメリカ人もいます。

原子爆弾で無差別殺人をおかした戦勝国のリーダーは裁かれない矛盾はありますが、だからといって敗戦国のリーダーに責任がないってことにしてはならないと思います。

平和に対する罪、というから目をくらまされるのです。国民を殺した罪です。そうでなければならないと思います。せめて次世代の抑止力になってくれる責任が彼らにはあると思います。

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大平洋戦争の教訓。今すぐ解決しないで、将来に持ち越す知恵

鞭声粛粛 夜河を過る
曉に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨なり十年一剣を磨き
流星光底 長蛇を逸す

大平洋戦争に負けることははじめからわかっていました。しかし血税で整えた軍隊を持っているのに、すごすごと引けませんでした。そんなことをしたら軍隊の存在意義がなくなります。二度と予算もつかなくなります。いきなり国民の尊敬を失い、侮蔑軽蔑だけされたら軍隊も耐えられなかったでしょう。つまり当時の帝国陸海軍は戦ってみせなければなりませんでした。見栄や体面が開戦に踏み切らせたのです。

領土問題の問題解決は、流すことも必要なのではないでしょうか。今すぐ解決しようとしないことだと思います。北方領土も、竹島も、尖閣諸島も、今すぐ解決しようとするからもめるのです。将来に解決を流してしまいなさい。何百年も、何千年も。そのうちなんとかなってるかもしれません。

武田信玄上杉謙信と川中島で戦ったことは、今から見るとまったく意味がありませんでした。それと同じことが現在の領土争いに起こっていないと誰にいえるでしょうか。

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圧倒的に強い米軍にどうしてベトコンは勝てたのか?

この小説を読んでいたら、もっとベトナム戦争のことがもっと知りたくなりました。これほどぼろくそに日本軍をやっつけた圧倒的に強い米軍がどうしてベトナムは勝てたのか。日本だって国土の大半は山岳地帯なんだから、ベトコンのようにゲリラ戦をやれそうなものですが。

だって日本兵は選ばれた特別な兵士だから、ベトコンよりも強いんでしょ(笑)?

ベトナムの勝利は、ホーチミンルートによる補給のおかげでしょうか。日本軍にも外からの食料の補給さえあればなあ。

もっとも原爆を使えば人類が滅ぶというコンセンサスのない時代に頑強に降伏しなかったら、日本中に原爆を落とされていたかもしれませんがね。

山岡荘八もしきりに嘆いています。補給があれば勝てたのに……と。しかし補給ができないのが国力の限界なのであって、そんな繰り言は通用しません。武器があれば勝てたのに……。どれほど兵隊の練度と士気が高くても武器がないのが国力であり、××だったら勝てたのに……と考えても仕方がありません。それが「敗けた」ということなのです。

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日本だけを特別視することはまちがい。人間はみんな似たようなものだ。

日本人は一致団結するとか、和を重んじるなんて幻想です。むざんな太平洋戦争の敗戦を見ていると、日本人だけが神風特攻することができるとか、日本だけを特別視することが、狂信者の幻想にすぎないことがわかります。

日本人が保守的だとか、急な変革を好まないとか、自治能力が低いとか、長いものには巻かれる主義だとか、突出するのを嫌うとか、横並びが好きだとか、助け合いの精神に富むとか、実より名を重んじるとか、阿吽の呼吸が好きというのも、程度の問題で、諸国の人たちも同じ、人間全員の共通の傾向なのだと思います。けっして私たちだけが特別なのではありません。

アメリカはあれだけ多くの犠牲者を出して占拠した沖縄を、戦いによらず、話し合いによって日本に返還してくれました。従来の歴史には全く例のないことだ。と山岡荘八も書いています。

領土的野心はないと謳ったポツダム宣言によって自分の首を絞めた部分もありますが、先祖がアメリカに舐められないような戦いをしてくれたからこそ、このようなことが行われたのかもしれません。

ロシアが北方領土を返してくれないのは、その地に暮らす人々に威張り散らしていた日本軍(関東軍)が、ソ連と戦うこともなく、人々を置いて卑怯にも真っ先に逃げてしまったからではないでしょうか。ロシアにとって日本は尊敬に値する敵ではなかったのです。そして人々にとっての関東軍も幻滅の対象でした。

米内光政の言葉ですが「言葉は不適当と思うが原爆やソ連の参戦は天祐だった」つまり内乱、赤化革命によって戦争が終わるよりは、まだ原爆の方がマシだったというわけです。

同じように言葉は不適切と思いますが、大日本帝国のような体質の国は負けてくれて天祐だったと私は思います。どう考えても現在の私たちが謳歌している自由や権利はアメリカ占領軍があたえてくれたもので、帝国陸軍が勝っていたら、わたしたち庶民の命は今でも紙切れのように軽いものだっただろうと思うからです。

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★★

サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
https://amzn.to/3CaR81P
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
https://amzn.to/3OBWtUR
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
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×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
https://amzn.to/43j7R0Y
×   ×   ×   ×   ×   × 
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Amazon.co.jp: 帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル (民明書房) eBook : アリクラハルト: 本
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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

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●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
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●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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