村八分とは、火事と葬式はお手伝いするが、その他は絶交すること
かつて村八分という制裁、いじめ行為がありました。村八分という言葉は今では放送禁止用語などに該当するため、絶滅危惧用語となっています。若い人は知らない人もいるかもしれません。
村八分というのは「無視」のことです。「しかと」「ネグレクト」「共同絶交」です。それを未熟な子供がやることではなく、村の大人たちが集団でやったのでした。悪質な行為だと思います。絶交、無視することでご近所から孤立させるという人間的に成熟していない人たちの未熟な対応でしたが、八分(8割)は絶交でも、二分(2割)の付き合いはあったのです。だから村八分という名前なんです。
残りの二割のお付き合いが「火事」と「葬儀」だといわれています。
村八分の解釈。「相手のため」ではなく「自分のため」
私は子供の頃から「村八分」という言葉と内容を知っていました。
火事については、延焼により自分の家に被害が及ぶかもしれないから、消火の手伝いをするのは「相手のため」でなくむしろ「自分のため」じゃないか、と鋭く見抜いていました。
しかし「葬儀」については、それほど「自分のため」とは思っていませんでした。葬儀は何といってもお金がかかりますし、ご近所さんが香典などを持ってきて受付や遺体の運搬など手伝ってくれれば助かります。それほど人が死ぬということは厳粛なことと世間では受け止めているんだな、と感じていました。絶交している相手ですら葬儀だけは手伝うというのは、自分が死んだときもそうされたいからに違いありません。仏教的な深い感情に基づいての行動だろうと解釈していました。
ところが、つい先ごろ、近親者が死亡して葬儀に立ち会ったことで、これまでの考え方が間違っていたのだとわかりました。村八分の絶交野郎たちが葬式の手伝いをするのは、宗教的な厳粛な感情に基づいてのことではなく、単純に自分の利害関係のためだと知ったのです。
結局は火事の消火を助けるのと同じで、自分の利益のことしか考えていないのだとわかったのです。
人間にとって最もヤバい病原菌の巣窟は人間。ヒトーヒト感染が基本。
人が死ぬと、火葬します。真っ白になったお骨はもう腐敗することはありません。
私は嗅いだことがありませんが、死臭というのは日常生活では嗅ぐことがないような強烈な臭いだそうです。「生ごみの腐敗臭」「クサヤが腐ったような臭い」という人もいます。クサヤですらガスマスクレベルなのにそれが腐った臭いって……めちゃくちゃに臭いんでしょうね。
人間の遺体は何でそんなに臭いんでしょうか?
近親者の葬儀では、火葬する前にエンバーミング処理というのをやりました。火葬待ちの時間に死臭が漂ったりすることを避けるために、血を抜いて腐らない特殊液を入れるなどの防腐処理をしたのです。そして近親者が最後の別れをするために、死に化粧を施しました。
火葬の習慣は、防疫と関係しています。疫病が蔓延するのを防ぐために火で燃やしてしまうのです。焼けば病原菌も死にます。
ウィルスというのは基本的にはヒトーヒト感染です。人間から人間に感染するのが基本です。たとえば新型コロナウィルスはペットの犬から人間に感染することはありません。人から人へと感染します。人間のインフルエンザがペットのネコに感染することはないのです。
犬から人間に感染したり、人から犬に感染したりする病原菌もありますが、それは特殊な例で、人間にとって最もヤバい病原菌の巣窟は人間なのです。とくに感染症で死んだ人の遺体は最高にヤバいというわけです。人の遺体にくらべたら犬や猫の遺体はそれほど危険ではありません。
うんこが臭い理由。臭気は病原菌・ばい菌感染の警告アラーム
臭気というのは人間にとって一種に警告・アラームとなっているのです。食べちゃいけないものが不快なにおいを発するのは、臭気がアラームだからです。人間のうんこには人・人感染する病原菌がいっぱいで要注意だから、うんこというのは臭いのです。
なぜ自分のうんこは臭くないのに、他人のウンチは臭いのか?
「なぜ自分のうんこ(屁や体臭)は臭くないのに、他人のウンチは臭いのか?」
という問いに対する答えは、「臭気というのは人間にとって一種に警告・アラームだから」という理屈で説明することができます。
自分のウンコは他人のウンコほど臭くありません。誰でも他人のウンコの方が臭く感じるはずです。それはつまり他人のウンコは新しい病原菌に感染する可能性があるから気をつけろ、と強烈なアラームが鳴っているということです。自分のウンコが臭くないのは……それはもう「そのばい菌を持っちゃってるから」です。自分のウンコのばい菌はもう手遅れです。すでに持っちゃっているのですから。それに対して他人のウンコのばい菌は「まだ持っていないばい菌」です。手遅れではありません。だからより警告が強いのです。つまり自分のウンコよりも他人のウンコの方が臭いのです。
※厳密には腸は体外です。口から肛門までの消化管は体外だと言えるでしょう。自分のうんこですら臭いのは、人間のうんこが人・人感染する病原菌がいっぱいで要注意だからです。スカトロジストのように人間のウンコを食ってはいけません。たとえそれが自分のウンコであっても。うんこはまだギリギリ体外なので手遅れではありません。
臭気というのは「病原菌に感染」を警告するアラーム
自分の体臭や屁は他人の体臭や屁ほど臭くないのも、同じ理屈で説明できます。
臭気というのは「病原菌に感染」を警告するアラームですから、臭いものほどヤバいわけです。他人の体臭の方がヤバいんですよ。他人は今の自分では処理できない未知の病原菌を持っているかもしれません。自分の体臭はもう手遅れですから、臭気のアラームも今さらというわけです。屁も同じことです。
このとおり、臭いというのは危険アラームなのです。免疫系の病原菌に対する太古のアラームが作動しているといっていいでしょう。
自分のウンコはもう腸内に生息して一体化していますから、他人のそれほど強烈なアラームは必要ありません。手遅れといえばもう手遅れです。でも新しいばい菌は避けたいですよね。だから他人のウンコの方が臭いのです。それが臭気というものの正体です。
村八分の人たちが、葬儀のお手伝いするのは、宗教的な優しい気持ちからでは決してありません。死臭を、疫病を蔓延させないためです。相手のためではなく、自分のためにやっていることです。死という厳粛な事実と死者の尊厳のためではなく、ただ疫病にかかってはたまらないというセルフィッシュな動機からおつきあいしているだけなのでした。
質問。犬のクソと人糞とどちらが臭いか?
※質問です。
「犬の糞と人間のウンコ、どちらが臭いでしょうか?」
この記事を最後まで読んでくれた人なら、答えはカンタンですね。
臭気測定器によるケミカルな評価は別として、人間の鼻には犬のクソよりも人間のウンコの方が臭く感じるはずです。なぜならウイルス感染の面で犬の糞より人糞の方がはるかに危険だからです。
臭気というものの正体がわかりましたか?