『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にも『世紀末の詩』にも
東京ディズニーシーに海底2万マイルというパビリオンがありますが、アレの原作です。観たことはありませんが、ディズニーが映画にしているそうです。
『海底二万里』これはベルヌの最高傑作ではないでしょうか?
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でドク・ブラウンがジュール・ベルヌを読むほどの女性なら私と話しが合うかもしれないといって、ある女性に惚れてしまうシーンがあります。それほどの科学知識で『海底二万里』は彩られています。今でいう科学オタクの作品という感じがします。
野島伸司脚本の『世紀末の詩』というドラマがあります。副主人公の百瀬教授が死んだあと、小学校時代のタイムカプセルを開封すると、なんとそこには黄色い潜水艦の絵が!! 教授は自分でも何でこんなものつくっているのかわからぬままにイエローサブマリンを建造していたのですが、もはや自分でも忘れてしまっていた小学校時代の夢だったんですね。
百瀬少年に潜水艦の夢をはぐくませたのは、ジュール・ヴェルヌの『海底二万マイル』だったのではないでしょうか?
主人公はネモ船長。
「あなたにとってわたしはネモ(ラテン語で誰でもないという意味)船長でしかありません。」
まるでオデュッセイアみたいな話しですね。オデュッセウスも一つ目巨人のキュクロプス相手に「ポリフェモス(誰でもない、という意味)」と名乗って「誰にやられたんだ?」「誰でもない!!(ポリフェモス!!)」というギャグっぽいくだりがあります。
「誰でもない」ギャグは文学の伝統のようですね。しかしこのネモ船長の名は、伝説として独り歩きすることになります。そこがポリフェモスとの違いです。
圧倒的な潜水艦をもっていると「独立国」を宣言したくなるものでしょうか。海江田艦長の『沈黙の艦隊』を思い出しました。ネモ船長のノーチラス号も陸地と縁を切ったいわば独立国です。
発表は1870年。描かれている時代は1866年から1867年です。この時代性が重要な点です。
つまり現代の原子力潜水艦も、Uボートのことも知らないでヴェルヌは海底二万マイルを書いているのです。未来を先取りした小説だったわけです。
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このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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物語のあらすじと詳細
今では誰でも知っている潜水艦のことを描いた作品です。ただしヴェルヌは想像で潜水艦を描いたので現在の潜水艦とは違ったところもかなりあります。
いちばんの違いは攻撃手段。現代の潜水艦は魚雷で攻撃しますが、ノーチラス号は突っ込んでツノでぶっさして船を沈めます。
昔の軍艦は衝角といって、ツノがありました。突っ込んでぶっ差して船を沈没させたのですが、ノーチラス号もこの能力をもっていました。
だから最初はモビーディックのような巨大なイッカクと誤解されます。その謎を解明するためにパリ自然科学博物館の生物の教授で海洋学者ピエール・アロナックス教授(語り手)が軍艦に乗り込みます。その弟子のコンセイユ、アメリカ合衆国のフリゲート艦の銛打ちのネッドランドとともに。
海洋学者と銛打ちが乗り込んだのは、あくまでも潜水艦ではなく、巨大なイッカクだと思っていたからです。巨大な力を持った海の怪物の正体は? 物語の最初は無気味な怪物が描かれます。そんな性能の潜水艦はありえないことだと否定されます。現代人が見るとありえるんですけどね。
しかし軍艦は沈められて、アロナックス教授は失神してしまいます。気づくとノーチラス号にいました。そして捕虜としてノーチラス号に軟禁され、ネモ船長と一緒にノーチラス号の冒険を体験するのでした。ヴェルヌの科学知識が物語をぐいぐいと引っ張っていきます。
教授殿、あなたはわたしの船ですごされる時間を後悔なさらないでしょう。あなたが海底について公刊なさった著書……あなたはご存知じゃないのです。あなたは驚異の国を旅行なさるのです。新しい海底世界一周の見学に。誰ひとりとして見たことのないものを見ることができるのです。この地球はあなたに最後の秘密を引き渡すことになるのです。
ノーチラス号では陸地で食料を積み込むのではなく、地引網で魚を狩りしてそれを調理していた。衣服なども海の資材からつくりあげていた。
ネモ船長は陸地とは縁を切っていて、すべてを海の恵みで養っている。
現代の原潜ですら地上と完全には縁を切れませんが、ノーチラス号は違います。
海はすべてです。海上では不正な法律がまだ施行され、戦争をし、殺し合い、地上のあらゆる恐怖をそこに及ぼしています。しかし水面下10メートルになりますと、かれらの権力は断たれ、かれらの影響は消え去り、かれらの力はなくなるのです。ああ先生、海の中で生活しなさい。そこにだけ独立があるのです。そこでは私は自由なのです。
ノーチラス号は電動式です。図書室もあります。電球の明かりで本が読めます。その電気も、陸地とは関係なく海からつくられています。ネモ船長には陸地から補給しようという発想がありません。海で完結した潜水艦なのです。こういうところは現代の原子力潜水艦をも超えた存在です。
海の森を散歩するシーンがあります。現代でいうダイバーですね。海底世界を探索する。冒険作家の面目躍如といったシーンです。
十九万二〇〇〇年だよ、コンセイユ君、聖書に出てくる日数を、はるかに越えるもんだね。なお付け加えておくが、聖書の日々というのは、太陽が出てから没するまでの時間ではなくて、時代時代というわけなんだよ。なぜならば聖書そのものによれば、太陽にしても天地創造の太初からあったものではないとあるからね。
海底に沈む船の残骸を眺める。
「ああ。船乗りとしてりっぱな最期です。このサンゴの墓は静かな墓です。願わくば、わたしも、わたしの仲間も、こういうところに眠りたいものです。
人食い原住民(古い西欧の作品にはよく登場します)に潜水艦の甲板に乗り込まれますが、電気網の電気ショックで撃退します。
ノーチラス号の船員を埋葬する。ここにはただのひとりの人間さえも来ないであろう。あいかわらず、人間社会に対する猛烈な、執念深い不信だ!
人が近寄ることのできない、なんでも自分の思うがままにやってのけることができる、この環境に逃避した。
ノーチラス号はただネモ船長の自由に対する欲求からばかりではなく、なんらかの恐ろしい報復の手段として働いているのだ。
ミドリイシ島でダーウィン氏とフィッツロイ船長とが訪れたことがある。
『種の起源』人類はやがて絶滅する(ダーウィン名探偵はDNAを知らない)
ダーウィンの進化論は1859年に発表されました。エジソンの電灯が1879年です。1870年に電気で潜水艦を動かす発想がいかにSFだったかわかるでしょう。
フネダコはその殻から離れることは自由である。だが決して離れない。ネモ船長も同じことをやっていますね。ですからこの船をアルゴノートと命名したらよかったんです。
アルゴノートとはイアソンのアルゴー船の冒険にちなんだアルゴー船の乗組員という意味です。ヒュドラー殺しのヘラクレス、ミノタウロス殺しのテセウス、地獄から生還したオルフェウス、アキレウスの父、アイアースの父などそうそうたるメンバーです。
ちなみにノーチラスはオウムガイの意味。かつては海の王者でした。生態系の頂点に君臨していたこともある生き物です。ギリシア語で水夫という意味もあるそうです。
あのインド人は圧迫されている国の住民ですよ。そして私は今でも、いや、最期の息を引き取るときまで、そういう国の側に立つでしょう。
100年後に第二のノーチラス号が見られるかどうか、誰が知っているでしょう。あなたの船は現代よりも一世紀、いやおそらく数世紀も進んでいます。
ネモこそがフェルナン・コルテスが征服し、インカ民族から奪ったそれら財宝の分配者なしの唯一の相続人なんだ。これらの財宝を集めているのは自分のためではない。この地上には苦しんでいる人々や圧迫されている民族や、なぐさめてやるべきあわれな人々、復讐してやらねばならぬ犠牲者が多数いることをわたしが知らないとでもお考えなのですか?
彼が海底の独立を求めるに至った動機。結局彼はひとりの人間としてとどまっていたのだ。彼の心は今なお人類の苦悩に波うち、彼の広大な慈悲心は圧迫されている民族に向けられているのだ。
この海底地方を写真に撮るということはなんのわけもないことです。電気に照らされた水の世界。
さあ、ネモ船長。この陸地(南極大陸)に最初に足を踏み入れる名誉はあなたのものです。
ネモ船長は何を求め、何に復讐しているのか?
『海底二万マイル』の語り部は「深海底の神秘」という本の著者アロナックス教授です。いわば深海の専門家という立場なのですが、彼の知識はことごとくネモ船長に否定されてしまいます。実際にネモは見ているので、反論できません。
アロナックス教授は、自分の専門分野を探検するノーチラス号の冒険に興味があってたまらないのです。それに対して幽閉された潜水艦を脱出して陸に逃げたいネッド・ランドとは利害が対立しつづけます。
氷山(氷の壁)に閉じ込められて酸素不足におちいるという潜水艦ものにありがちのシーンもあります。
クラーケン的な怪物に襲われるシーンもあります(全長8メートルのオオダコ)。心臓が三つもあるという彼らはなんという力強い動きをすることか。
タコには心臓が三つ、脳が九つあるそうです。そういうことが1870年にはもう知られていたんですね。
ノーチラス号はアトランティス大陸の遺跡も探検しています。盛りだくさんだな!!
ネモ船長は沈んだ船を見に行きます。マルセイユ号。フランスの船でイギリス艦隊と戦いました。最初はこの船の船員だったのかな、と思いましたが、74年前に自沈した別名ヴァンジュール号ですから年代が合いません。
ネモは燃えるような目で栄光に輝く沈没船を見つめていた。彼が何者であるのか、どこからきたのか、どこへ行くのか、たぶんわたしには永久にわからないだろう。ネモ船長と彼の仲間とがノーチラス号に乗り込むことになったのは、ありふれた人間ぎらいのためではなかった。時とともに消え去ることのない崇高な、だが奇怪な憎しみのためなのである。
ノーチラス号の乗組員十五人ばかりが船長をかこんでこちらへ進んでくる船をはげしい憎悪のこもった目で見つめていた。みんなの魂が同じような復讐の思い出燃えているのが感じられた。
貴様はノーチラス号の衝角を逃れられないのだ。
魚雷で沈めるのではなく、あくまでツノで突き刺す戦法です。潜水艦としては危険きわまりない戦い方ですね。爆雷にやられそうですが……。
「わたしは被圧制者で、やつらが圧迫者なんだ。わたしが愛し、尊敬していたもの、祖国、妻子、父母、すべてが滅んだのは、やつらのせいなのだ。わたしの憎むすべてのものがあそこにいる!」
そのときわたしは低いオルガンの音を聞いた。それはいうにいわれぬ悲しい調べであり、まさに地上とのつながりを断ち切ろうとする魂のすすり泣きであった。わたしは全霊をこめてそれに聞き入っていた。
「全能の神よ、たくさんです! もう、たくさんです!」
けっきょく、ネモ船長が何を求め、何に復讐しているのか、具体的には最後まで分かりません。
ただ何となく、地上で抑圧されて、父母や妻子を戦争や支配に殺されて、国まで滅んだため、海底に逃げて復讐しているようだ、ということだけはわかります。
たとえばフランス人でイギリスに復讐しているというように具体的に示さないことが、ネモ船長を永遠の反逆者、革命家へと高めたのでした。
ネモ船長の憎しみが消え去ってくれるように! 数々の自然の驚異をみることによって彼の復讐心が消えてなくなるように! 深淵の底を究め得たるもの、果たしてありや? に対し、いまふたりだけがそれに答える権利をもっている。ネモ船長と、わたしである。
アロナックス教授は意識を失っているあいだにノーチラス号に取り込まれて、また意識を失っているあいだにノーチラス号から離れます。
ノーチラス号とネモ船長のことは、夢だったといえなくもない設定でした。でも本人はあれは真実の冒険だったと確信しています。
世界初の原子力潜水艦には、ノーチラス号という名前が付けられました。『海底二万マイル』に描かれた超潜水艦ノーチラス号の面影がイメージになかったと誰がいえるでしょうか。『海底二万マイル』はそれほど画期的なSF小説だったのです。
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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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