【心臓弁膜置換術】死者蘇生の錬金術。止まった心臓が再び動き出す

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死者蘇生の錬金術を現代医学は手に入れたのか?

大動脈弁狭窄症。死んだ人間が生き返る? 魔法の手術
大動脈弁狭窄症ではいったん心臓を止めて、術後、また心臓を動かすと聞きました。これって死者蘇生? 止まった心臓が再び動き出す謎について医者のサイトよりも詳しく説明します。

父の大動脈弁狭窄症はいよいよ重篤となり、大動脈弁置換術の手術の日が決まった。

担当医師が手術の説明をするというので家族として長男の私が呼ばれ、説明を受けた。

聞きたいことはただ一つだけ。

「どうして止まった心臓が再び動き出すのか?」

これのみである。

「死者蘇生の錬金術を現代医学は手に入れたのですか?」

それを聞くために都内の病院まで出かけて行った。

これはその顛末を書き記したものである。

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人為的に心臓を止める仕組み

担当医師が説明した「止まった心臓が再び動き出すマジック」は、こういうことであった。

担当医師の説明は専門用語を駆使して詳細で、わかりにくいものであった。それをわかりやすく書くのが当ブログの使命である。

簡略化して、わかりやすく説明すること、その能力は医者よりもモノカキの分野だ。池上彰さんがやっていることはこれである。

以下、簡略化して書く。

心臓は筋肉である。ふくらはぎのようなものだ。マラソンランナーがレース後半に、自分の意思とは関係なくふくらはぎが痙攣することがあるが、心臓というのは、あのふくらはぎの痙攣が延々と続いているようなものだ。

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雑誌『ランナーズ』のライターが語るマラソンの新メソッド。ランニングフォームをつくるための脳内イメージ・言葉によって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。

(本文より)

【入力ワード】写真からランニングフォームを学ぼうとする人が多いので注意喚起したいと思います。写真からフォームを学ぶのはお勧めできません。写真というのは瞬間を切り取ったものなので、間違った解釈をする可能性があるからです。「振り上げた脚」(往路)なのか「戻ってきた脚」(復路)なのか、写真ではわかりません。大地を蹴ったように見えている脚が本当に大地を蹴っているのか、大地を蹴ったように見えているだけなのか、写真からはよくわからないからです。写真で振り上げた膝の高さを見て「ふむふむ、膝はここまで上げるのか」と思い込んでマネするのもよくありません。慣性の法則で結果として脚がそこまで上がっているだけで、実際のランナーの意識としてはそこまで上げようとしていないかもしれません。「結果としてのフォーム」と「ランナー本人の走るときのフォーム意識(入力ワード)」は、必ずしも同じではないのです。

【腹圧をかける走法】そもそも息をするのは、酸素を吸うためです。吐くことよりも、吸うことに意識をおくほうが自然な発想です。肺の中に残っている空気(残気量)は、どうせゼロにはできないのです。吐き切るという努力は、動かない壁を押すような無駄な努力です。そこに力を割くべきではありません。持ち上がらないバーベルを無理やり持ち上げようと喘ぐと、余計に息が苦しくなってしまいます。楽に息するのとは真逆のことです。それよりも思いっきり吸うことです。そのための走法が腹圧をかける走法です。肺を絞って痩せた人のように走るのではなく、腹はたるんたるんと力を抜いてだらしなく腹が太った人のように走ります。そもそも重力は下向きなのだから、横隔膜を下げることは理にかなったことです。それに対して、吐き切ることを意識すると、重力に逆らって横隔膜を持ち上げながら肺を絞らなければなりません。どちらが楽にできると思いますか?

【ストライド走法】ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も効果的な方法はストライドを狭めることです。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。

【踵落としを効果的に決める走法】私はカラテ素人ですが、サブスリーランナーとして、すくなくとも「踵落とし」を無力化する方法をすぐに思いつくことができます。答えはカンタン。攻撃側が踵を振り上げて止まったポイント(これを上死点といいます)に、自ら打撃ポイント(脳天など)を近づけていくことです。上死点では運動エネルギーがゼロになっているために、破壊力もゼロです。上死点から距離をとらないことで「踵落とし」というキックを無力化できます。
ストライドを稼ぎたいあまりに、未熟ランナーほど振り出した前足が最も伸びきったところで着地してしまうのです。つまり「膝が伸びきったまま」「踵から着地」してしまうのです。これは「踵落とし」の運動エネルギーがゼロになっている上死点で着地してしまっているのと同じことです。これでは速く走ることはできません。

言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化して速く走れるようになる新理論の書。言葉による走法革命。とくに走法が未熟な市民ランナーであればあるほど効果的です。本書はあなたのランニングを進化させ、市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
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「動け」という電気信号なしに筋肉は動くことはないが、その信号を伝達するには「伝達物質(電位差)」が必要である。筋肉細胞は、その電位差に反応して収縮する。

だから、特殊な液に浸して人為的にその電位差をなくしてしまうと、心臓は止まるというのだ。

医師の話しを聞いていて、カエルの坐骨神経ヒクヒク実験のことを思い出した。死んだカエルの脚に人為的に電位差を生じさせると筋肉がひくひくと動き出すというアレだ。アレの逆をやればいいということなのだろう。そうすれば生きている心臓を生きたまま止めることだけが可能のようだ。

生きていて、心臓のビートを刻めという信号は脳からは延々と送られてきている。しかし物理的に信号を送れないために筋肉(心臓)は動かない。命令は送られているが、それを伝達する手段がないというわけである。

なるほど、そういうことであったのか。

「心臓が止まった=死んだ」と思っていたため「再び心臓が動き出す=生き返る」という驚愕を「大動脈弁狭窄症」というコラムにまとめあげたのだが、そもそも「心臓が止まった=死んだ」というところが間違いであったのだ。

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「心臓よビートを刻め」命令ある限りハートビートはよみがえる

これに対して死ぬというのは「心臓よビートを刻め」という命令そのものがなくなってしまう状態のことだ。

大動脈弁置換術の場合、心臓は止まっているが、患者はずっと生き続けているのである。「心臓よビートを刻め」という命令はずっと出つづけているからだ。心臓が止まったからといって死んじゃいないのだ。

心臓というのは単なる筋肉にすぎない。心臓が止まっても「死」とはいえないわけだから。死者は蘇生しないが、心臓は蘇生する。

こういう現象を見せつけられたら、医学会が「脳死」とか「死とは何か?」とか問う理由が分かる気がする。

心臓を再び動かすためには、電位差を生じさせないようにしていた特殊な薬剤(心筋保護液)を心筋から流してしまえばいい。そこに血液が流れ込めば再び電位差が生じて、筋肉が再び動き出すというわけだ。「動け」という命令を伝達する手段を取り戻しさえすれば、心臓は再び動き出す。

なるほど説明されれば納得できないこともないが、最初にこの仕組みを発見して実践した人物はいったいどこの誰なんだろうか。名前は残っているのだろうか。よく発見した。生命の革命ではないかと思う。

その「彼」だけは特別に『死者蘇生を成し遂げた錬金術師』として賞賛してもいいのではないだろうか。ホムンクルスをつくったパラケルススよりも偉大な人物として。

『鋼の錬金術師』錬金術とは何か子供にもわかるように解説してみた

ノーベル医学生理学賞よりも錬金術師と呼ぶ方が、はるかに「彼」にふさわしく、はるかに「彼」を賞賛することになると思う。

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ウシの心臓の膜(心膜)からつくった弁は腐らないのか?

止まった心臓が再び動き出す謎にくらべたらたいしたことではないが、患者の長男としてはもうひとつだけ医者に聞いておきたいことがあった。

それはこれから父の心臓弁を担うウシの弁は腐らないのか?ということである。

生体である以上は腐るはずである。死なないためには血が必要なはずだ。父の血が牛の血管に流れ込むのだろうか? その場合拒絶反応は起こらないのであろうか?

これに対する医師の説明は明快であった。

まずは牛の心臓の弁そのものを移植するのかと思っていたが、そうではなかった。

父の心臓の弁を牛の心臓の弁に置換するのではなく、弁はウシの心臓の膜から弁状のものを形成して作るらしい。

革ジャンを連想するとわかりやすい。なめした革のようなものだ。もともと生体であるが、もう物質化してしまっているから腐らないのだ。

防腐処理やコーティングをして物質化してしまい、最後には生命の不思議で、人工弁の周囲を患者の幕がコーティングするらしい。よってそう簡単に劣化するものではないようだ。

そもそも血管に弁を取り付けるのではなく、丸い輪っか(人工弁)の内側に三枚のヒラヒラ(生体弁)を取り付けたリングを、父の心臓弁膜と置き換える手術だったのだ。

生体弁というから誤解した。生体は生体でも、革ジャンのように物質化してしまっているものを付けるのだ。だから長持ちするというわけなのだ。

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心臓弁膜置換術は心拍復活の錬金術。医者に命を託す

医者の話しを聞いて、だいたいのことはわかった。

なによりも担当医師に不安そうな様子がまるでない。立派なものだ。

心臓弁膜置換術というのは大がかりなものではあるが、心臓手術としてはきわめてありふれたものだということである。医者の不安のない態度を見て、患者の長男は安心した次第である。

医師の好意ではなく、説明責任の義務を果たすために行ったセレモニーであったが、過去の何千何万という患者と家族たちの要望で制度化されたものであろう。

本当に安心することができた。

あとは父さん、医者に命をあずけて、無事に戻っておいで。

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