ドラマ『ROOKIES』とアドラー心理学『幸せになる勇気』は完全に一致(併記してみた)

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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川藤先生が不良生徒たちに対するスタンスは、アドラー心理学式の教育法だった

このページでは、アドラー心理学を対話形式で描いた『幸せになる勇気』という書物に絡めて、大人気だったドラマ『ROOKIES』について語っています。

ドラマ『ROOKIES』の川藤先生が不良生徒たちに対するスタンスは、アドラー心理学が『幸せになる勇気』という本で主張している教育のスタンスと完全に一致しています。ドラマ『ROOKIES』を視聴すれば、難解なアドラー心理学がサクサクと頭に入ってきます。

『ROOKIES』を視聴したことがある人ならば、アドラー心理学式の教育法について、簡単に理解できるのではないかと思います。

このページを読めば、アドラー心理学と、ドラマ『ROOKIES』の両方の真髄を知ることができます。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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【書評】『幸せになる勇気』とは?

アドラー心理学を対話形式で描いた『嫌われる勇気』の続編が『幸せになる勇気』です。

前作の深掘りをして、実戦形式でどのように進んでいけばいいのかをしめすコンパス、行動指針との位置づけです。

哲人と青年の対話形式なのは前作と同じです。

青年は就職し教師になっていますが、教育に悩みを持っています。

アドラー心理学式の教育を提案する哲人と、他の人と同じように従来の教育法をしたい青年が、対話の中で対決するドラマチックな展開をとっています。

いくら哲人に説明されてもなかなか青年が理解できない「アドラー式教育」が、私にはドラマ『ROOKIES』の中の川藤先生と生徒たちの姿とダブって見えました。

ドラマ『ROOKIES』とアドラー心理学『幸せになる勇気』は同じ内容である、というのが本稿の骨子です。

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テレビドラマ『ルーキーズ』とは?

GReeeeNの主題歌『キセキ』とともに大人気ドラマだったので、このページを読んでいるほどのクリエイティブな人で知らない人はいないと思いますが、いちおう書いておきます。

暴力が横行する不良高校に転任してきた教師・川藤がアツいハートで生徒の夢を応援し、生徒と一緒に殴ったり殴られたりしていく中で、ひとりひとりの心を溶かして、荒れた野球部を復活させて甲子園を目指すというストーリーです。

ひと昔前のスクールウォーズ』の野球バージョンともいえますし、ひとりひとりと心を通じて仲間にしていくところはワンピース』でルフィーが仲間をひとりひとりを船の仲間に集めていくところを彷彿とさせます。

漫画原作ですね。

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『ROOKIES』川藤式教育は、アドラー式教育だった!?

ひとつひとつ見ていきましょう。

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まずは自分であることを受け入れる

●アドラーは言います。

「教師が生徒に対して尊敬の念を持つ。尊敬なくして良好な対人関係は生まれない。尊敬とはありのままに見て唯一無二の存在として、その人らしく成長発展していけるよう気づかうこと。ありのままを認めても相手が変わってくれるとは限らないがそれはコントロールできない他人の問題。それでも生徒のひとりひとりが自分であることを受け入れて自立に向けた勇気を取り戻してくれるはず。取り戻した勇気を使うか使わないかは生徒次第」

「水辺まで連れていくことはできても、水を飲ませることはできない。最初の一歩を踏み出すのはあなたです」

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

川藤先生が不良たちに対したスタンスは、教師の上から目線ではなく、まさに尊敬と応援でした。
川藤が、認めてくれたことから、信じてくれたことから、数人の生徒が心を開いてくれますが、9人全員が野球をしてくれるかどうかははじめはわかりませんでした。試合できないと教職のクビがかかっていたのですが。。。最初の一歩を勇気をもって先生は踏み出したのです。

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尊敬から相互理解がはじまる

●アドラーは言います。

「尊敬が存在しないなら、人間としての関係も存在しない。たとえ恐怖や権力で一時的に服従させても、あなたとの関係は築かれない。あなたのことを理解しようとは生徒はみじんも思っていない。尊敬のボールはそれを投げた人にだけ返ってくる

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

川藤先生は尊敬によって生徒たちと人間関係をつくり、やがて生徒たちは川藤を仲間と認識し、理解しようとするようになります。信じてほしいから、先に信じた。そのボールは返ってきました。

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他者への関心をよせる

●アドラーは言います。

「社会を形成する他者への関心。共同体感覚。まずは他者の関心に関心を寄せる。」

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

また野球を知らなかった川藤は、御子柴の関心に関心を寄せるところから門外漢なのに野球部監督になったのでした。「叱って、やめさせる」という一般教師の手段を使わなかったのです。

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教育とは自立に向けた手助け

●アドラーは言います。

「教育とは、介入ではなく、自立に向けた援助。人はみな自由を求め、無力で不自由な状態からの自立を求めている。自立して社会と調和して暮らせることをめざす」

「教育とは仕事ではなく交友」

「対等な存在として接する。子どもたちの決断を尊重し、その決断を援助する。」

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

川藤は不良たちの自立に向けた援助(応援)をしたのでした。同じ目線だったから、ため口で、時にからかわれ、殴られもしました。不良たちとは認め合った友だちのような関係でした。

不良たちも自立して、そして学校のつまはじきものから、高校球児として社会と調和したかたちでまっとうに夢を叶えようとしていました。

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承認欲求を否定する

●アドラーは言います。

「承認を求めた苛烈な競争社会では、あの人の期待を満たす生き方を選び、他者の人生を生きることになる。自由を希求しようと思うなら、承認を求めてはいけない。承認は依存性がある。承認には終わりがない。
しょせん外部から与えられた承認由来だと、他者にねじを巻いてもらわなければ動けず、ぜんまい仕掛けの人形と変わらない。
永遠に満たされることのない生を送ることになる」

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

不良ほど、外部から与えられた承認と無縁のやつらはいません。
自分の目で見て、自分の心で世界を感じているやつらです。
彼らは自由でしたが、それゆえに周囲から白い目で見られ、敬遠され、承認されていませんでした。

だからこそ夢への道を見せたときに、大きな力を発揮したのです。

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自信=自分の価値を自分で決める

●アドラーは言います。

「他者からの承認を求めるのではなく、自らの意思で、自らを承認するしかない。私の価値を自らが決定することを自立という。人と違うことに価値を置くのではなく、わたしであることに価値をおく。平凡な、その他大勢としての自分を受け入れないと私であることに価値を置けない」

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

不良から立ち直っても周囲はそうは見てくれませんでした。高校野球の恥といわれても、人から何と言われようとも、仲間とともに自信と勇気で夢をつかもうとするのです。

特別じゃないただの高校球児として、他の球児たちと同じ汗を流すという努力をして。

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すべての悩みもよろこびも対人関係から生じる

●アドラーは言います。

「人間の根源的な欲求は所属感だ。アドラー心理学では人間のあらゆる行動を対人関係の中で考えます。すべての悩みもよろこびも対人関係の中から生じる

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

とくに新庄が再び野球部に戻ってくるシーンがそうでしたね。野球がやりたいというよりは仲間のところに戻りたいというのが、彼がグラウンドに戻った最大の動機でした。

再び野球で甲子園を目指すという夢への道が目の前に示された時、不良としてのチームワークを、野球のチームワークにして、彼らはタバコを止め、暴力をふるうこともなくなりました。そしてチームのためにひとりひとりが頑張っていくのです。

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所属感と特別意識

●アドラーは言います。

「ワルで特別感を示そうとするのも、共同体の中に特別な地位を確保するという対人関係が目的。
人間にとって所属感が幸せ。
集団の中に確固たる居場所が欲しい。
そのために特権的な地位を得たい。
それが正当にかなわないなら、反逆や不従順でもいいから自らの力を証明したい。注目されたい

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

不良の心理というのは、まさにこういうことなのだと思います。

「そんなに不良、不良というなら、本当に不良になってやらあ」という心ですね。
特別な注目を浴びたくてワルになったのです。
しかし自分で自分を認め、わき目もふらず野球に邁進しているとき、もう彼らに不良をやっているヒマはありませんでした。

何にでも暴力をふるっていた不良たちは、夢を目指す決意をした後は、選手交代にも、不本意な決定にも、大人たちのルールに従うことをよしとしたのです。

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問題行動の5段階。賞賛の要求。注目喚起。権力争い。復讐。無能の証明。

●アドラーは言います。

「問題行動の5段階は、①賞賛の要求。②注目喚起。③権力争い。④復讐。⑤無能の証明」

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

賞賛を得るという第①段階に失敗した野球部員たちは、褒められなくてもいいからとにかく目立ってやろう、できない子としてふるまうことで注目を集めようという注目喚起の第②段階にいました。
あるいは喫煙やケンカ、不従順など権力争いの第③段階に、あるいは愛されないなら憎悪という感情の中で私に注目してくれ、という復讐の第④段階に、あるいは最初からできないと諦めた方が楽だという無能の証明の第⑤段階に不良たちはいたのです。

そのようにぐれて、みんなから嫌われていたのです。

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勇気は伝染する。あなたから始めろ

●アドラーは言います。

「臆病は伝染する。勇気は伝染する。まずあなたから始めろ

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

御子柴という最初のひとりがもう一度野球をはじめようとした勇気がみんなに伝わって、やがてチームが再建されたのでした。

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可能性にとどまる人

●アドラーは言います。

「人間は目的に沿って主観の世界観をつくり、自らの生を決定している。今を肯定するために、不幸だった過去をも肯定する。いろいろあったけど、これでよかったのだ、と総括するようになる。
おれは本当はできたはずだと可能性の中に生きて、人生の嘘をつく。今を正当化するため過去を書き換えている。
現状維持して可能性に生きる目的に関係ない出来事はなかったことにしてしまう」

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

不良たちは本当は甲子園に行けたかもしれないと思いながらも暴行により出場停止になったことを理由に可能性の中に生きていました。
そして常に自分たちを否定的な見方をしてくる世間を恨み、自分の境遇を嘆いていました。

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貢献感

●アドラーは言います。

私は誰かの役になっていると思えたときにだけ自らの価値を実感することができる。
でも本当に役に立っているかはわからない。主観的な感覚があれば、貢献感があれば、それで満足するべきだ。私の幸せを突きつめていくと結果として誰かの幸せに繋がっていく。
生き残るために協力し、貢献するのが分業だ

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

不良たちのチームワークというのは、結局、こういうことなのではないでしょうか。
分業っていうのはチームワークのことです。勝ち残るためにチームに協力し、それぞれが貢献しました。
個人的な満足のいくプレイが、結果としてチームの役に立っているという貢献感に彼らは満足して、甲子園という夢を諦められなくなりました。

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信じる勇気。さきに信頼を与える

●アドラーは言います。

「交友の関係は、ひたすら信頼をあたえること。自立とは自己中心性からの脱却。」

「何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか。どんな相手であっても尊敬を寄せ信じることはできる。それはあなたの決心一つによる。信じる勇気の問題だ。」

「私を信じてほしいと思っているから先にあなたのことを信じる。あなたが私を信じようと信じまいと。」

ひたすら信じ、ひたすら与える利他的な態度によって、交友の関係は生まれます。与えよ。されば与えられん。

「その人を信じる自分を信じる。自己信頼あっての他者信頼。承認欲求は依存のままで終わりがない。今のままで絶対感、それしか幸せはない。」

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

野球部から仲間外れにされ居場所がなくなっていた新庄に川藤先生が言った言葉です。

「自分が心を開くのが苦手だから相手も心を開いてくれない」
「でも友だちは欲しい。だから力で手に入れたんだ」
「人に好かれたいなら、人を好きになれ」
「信じてほしいなら、まず自分の方から信じてみろ」
「オレは、オレを信じてほしいから、お前を信じるよ」
「勇気を出せば変われるんだぞ」

どうです? アドラー心理学『幸せになる勇気』と完全に一致!!

自己中心的だった不良たちのオレ物語が、いつしかオレたち物語になっていきました。

「与えよ。されば与えられん」の言葉通りに、先生は先に信頼を与え、生徒たちから信頼を与えられたのでした。

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愛とは人生の主語を切り替えること

●アドラーは言います。愛されるライフスタイル

愛は主語を「わたし」から「わたしたち」に変える。
愛は「わたし」からの解放。
いつまでも世界の中心に君臨することはできない。世界と和解し、自分は世界の一部なのだと自己中心性から脱却しなければならない。

子ども時代の生き残り戦略=愛されるライフスタイルから、長じてもわれわれはみんな愛されるためのライフスタイルを選択しがち。しかしそれはどこまでも自己中心的なスタイルである。「わたし」ではなく「わたしたち」のライフスタイルを選べ。

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

不良たちは傍若無人で世界の中心にいましたが、甲子園という夢に真摯に向き合う中で、意のままにならないことを我慢することを覚え、自分は世界の一部なのだと自己中心性から脱却していったのです。

(安仁屋や若菜の)野球の試合での交代のシーンなどは、まさに自己中心的な「わたし」から主語を「わたしたち」にした展開でした。

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自分の問題=最終的に引き受けるのは自分

●アドラーは言います。

「その選択によってもたらされる結果を、最終的に引き受けるのは誰なのか?」

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

ピッチャー安仁屋が肋骨が折れているのに投げようとしたのは、仲間のためというよりは、むしろ自分の問題としてまた夢を諦めた自分を見たくないということが最大の動機でした。

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共同体感覚。能力と仲間意識

●アドラーは言います。

「わたしには能力があるという意識。人々は私の仲間であるという意識が大切。共同体感覚とは、他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

川藤先生は、信じることで不良たちにやる気をあたえました。
努力することで勝てる能力があると自信をもたせました。
不良たちは、仲間の目で見て、仲間の耳で聞き、仲間の心で感じる中で、自分たちだけでなく、川藤も、教頭も、そして同じ野球をやる相手も、たくさんの人を認めるようになっていきました。

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目的論。今によって色を塗られた解釈で過去に意味をあたえている

●アドラーは言います。

「目的論。われわれは過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対してどのような意味をあたえるかによって自らの生を決定している。

人間は何時でも自己を決定できる存在である。
ほんとうの意味での過去など存在しない。今によって色を塗られたそれぞれの解釈があるだけ(=目的論)です。変えられないものに執着するのではなく、眼前の変えられるものを直視するのです。」

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

暴力によって出場停止になっていた過去に縛られていた不良たちは、その暴力をいまだに引きずっている江夏との戦いを「過去の亡霊との決別戦」と位置づけることで乗り越えていったのです。

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暴力という名のコミュニケーション

●アドラーは言います。

暴力という名のコミュニケーションがある。それはどこまでもコストの低い、安直なコミュニケーション手段。

「悪いことをしているのではなく、知らなかっただけかもしれない」

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

不良の話しですからね。殴ることを会話のマクラのように殴り合っていました。同じ目線の先生も殴って殴られて(笑)。

新庄は仲間が欲しかったのですが、チカラで仲間をつくってしまったために、その友情は破綻しました。

コミュニケーションの方法を知らなかったのです。しかし川藤先生に諭され、正しい仲間の作り方を学びました。

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縦の関係でなく、横の関係

●アドラーは言います。

我々は他者の指示を仰いで生きていた方が楽なのだ。
一定の忠誠さえ誓っていれば、責任は誰かが負ってくれる。
親や教師や組織のリーダーは、縦の関係を築いているから自立されることが恐いのだ。自分の支配下においておきたい。

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

川藤先生は、自分の人生は自分で決定するものだと教え、不良たちを自立させました。横の関係を築いていたからです。責任だけとって、しかし野球部員たちは自立させたのです。

だから監督と選手というよりは、同じチームの一員に見えたのです。

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「いま、ここ」主義

●アドラーは言います。

「いま、ここ」を真剣に生きる。最良の別れに向けた不断の努力を傾ける。

なんでもない日々が試練であり、いまここの日常に、大きな決断を求められている。

踊るのです。わかりもしない将来のことなど考えず、存在するはずのもない運命のことなど考えず、ただひたすら、「いま」をダンスするのです。いまという瞬間だけを直視して、くるくると踊り続ける。

〇ドラマ『ROOKIES』はまさにそういうお話しでした。

いつか終わる甲子園への挑戦。いつか終わる高校時代。それを後悔したくないために安仁屋は歯を食いしばったのです。笑って卒業するために。

この先の長い人生でどんなにすばらしいことが待っていようが関係ないんです。あいつらは、今を生きているんです。どうかほんのすこし力をかしてやってください。今を生きるために」by 川藤幸一

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あいつらは、今を生きているんです。どうかほんのすこし力をかしてやってください。今を生きるために

いかがでしたか?

ごらんのとおり、ドラマ『ROOKIES』と、アドラー心理学『幸せになる勇気』は完全に一致しているといっていいのではないかと思います。

別に『ROOKIES』脚本陣が、アドラー心理学を甲子園を目指す野球の物語で再現しようとしたわけではないと思います。

同じ魂・スタンスをもったものが書くと、こうも内容が似通ってしまうんだな、ということですね。

三面柱のどこを見るか? 一面には「悪いあの人」。もう一面には「かわいそうなわたし」。最後の一面には「これからどうするか」?

アドラーは「これからどうするか」しか見ませんでした。それは『ROOKIES』の川藤先生も同じです。

ドラマ『ROOKIES』ファンの方は、ぜひドラマを思い出しながらアドラー心理学『幸せになる勇気』を読んでみてください。アドラーがさくさく頭に内容が入ることと思います。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
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雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説 (民明書房) | アリクラハルト | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon
Amazonでアリクラハルトの読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説 (民明書房)。アマゾンならポイント還元本が多数。一度購入いただいた電子書籍は、KindleおよびFire端末、スマートフォンやタブレットなど、様々な端末でもお楽しみいただけます。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Amazon.co.jp: 帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル (民明書房) eBook : アリクラハルト: 本
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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
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韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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ドラクエ的な人生
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