アニメ『ドラゴンクエスト・ダイの大冒険』。また最初からやるのかよ、というツッコミ

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『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

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このブログのタイトルは『ドラクエ的な人生』です。

本ブログのタイトル命名に多大な影響を及ぼした『ドラゴンクエスト・ダイの大冒険』が、このページを書いている2020年10月現在、テレビで放送開始(東映アニメーション制作)されました。

『ドラゴンクエスト・ダイの大冒険』については1991年に一度、東映動画制作でアニメ化されています。1991年版については、残念ながら、途中で打ち切りになっています。

それが再度、アニメ化されるというので、期待していました。

ところが……また最初からやるのかい!!

そうツッコミを画面に入れたのは私だけではないはず。

制作者側がはじめからやりたかった気持ちはわからないでもありませんが、ここは1991年版の続きから始めてもよかったのではないか、と思います。

2020年版だって、また途中で打ち切りにならないとも限りません。1991年度版と同じところで打ち切りになったらどうするつもりなのでしょうか(笑)??

すばらしい原作があり、もうストーリーも結末もわかっている作品

『ドラゴンクエスト・ダイの大冒険』については、少年ジャンプに1989年から1996年まで7年間連載された漫画が原作です。要するに、もうストーリーも、エンディングもわかっている作品なのです。

それをアニメ化するとすれば、マンガで動かなかったキャラクターたちが、生き生きと動き出すことを楽しみにしている人が多いのだということです。

「この作品をアニメ化しよう」と決めた制作者の気持ちも、同じようなものだと思います。

だったら……原作という一本のつながりがあるのですから、2020年度版は1991年度版の続きからアニメ化してもよかったのではないかと思います。

所詮は原作あっての作品なのですから。引き継く形で続きから始められなかったのでしょうか?

最近のアニメはよく中断し、第一シーズン、第二シーズンを分けて放映したりしますよね。

同じ会社が制作するからあのようなことができるんでしょうが。

2020年度版も、つづきでやれなかったのでしょうか。

スタッフや制作サイドにつながりはないかもしれませんが、原作をアニメ化させてもらっているというスタンスなのですから、続きから描けるはずです。

制作会社がアニメ化権を買い取っているのでしょうか? 1991年度版の東映動画と、2020年度版の東映アニメーションが、別会社ならまだしもですが、社名変更しただけの同じ会社です。権利関係が複雑だとは思えません。

また最初からはじめて、大丈夫ですか?

2020年版だって、また途中で打ち切りにならないとも限りません。1991年度版と同じところで打ち切りになったらどうするつもりなのでしょう??

いや、そこまで到達せずに打ち切りになる可能性だってあります。

万が一、打ち切りになっても、1991年版の続きからやっていれば、歴史を積み重ねたことになります。

しかし1991年度版より手前で力尽きた場合、制作者の苦労は徒労です。何ら歴史を積み上げなかったということになります。

たとえていえば、こういうことです。

大学受験で、日本史の勉強をしていたとします。

しかし参考書をどこかに置き忘れてなくしてしまったため、別の日本史の参考書を買い替えました。

その時、新しい日本史の参考書の「どこから読み始めますか?」

できる子は、前の参考書の続きから勉強をするはずです。

残念な子は、参考書のはじめから勉強をはじめます。

受験に合格するのは「続きから始めた子」です。落ちるのは「はじめから読み直した子」です。

歴史のはじめばかり何回も勉強してもしょうがないと思いませんか?

参考書を代えたとしても、途中から読めばいいのです。なにも最初から読むことはありません。

『ドラゴンクエスト・ダイの大冒険』も同じことです。

歴史(原作)の流れは同じなのですから、続きからやればいいのです。なにも縄文時代からまた勉強することはありません。

原作を知らない子どもがターゲットだって? 長期にわたって放映している名探偵コナンドラゴンボールワンピースを考えればわかることですが、途中からでも視聴者を獲得しています。現在の子供の視聴者がみんな第一話めから見ているわけではありません。

ましてや1991年度版があるのですから、見ようと思えばそちらを見ることができます。

作品の冒頭をまたなぞることが必要ですか?

エンディングに近づくほど盛り上がっていく作品なのに、臆病で弱っちいポップばかり描いてどうするというのでしょうか。

ラストまで行かないと、真の主人公ポップがいつまでもカッコ悪い三枚目のままで、いつまでもダイを乗り越えることができません。

原作のできの良さ

『ドラゴンクエスト・ダイの大冒険』はものすごく原作の出来がよい作品です。

とくにラストまで結末がわかってから読み返すと、そのストーリーラインの見事さがよくわかります。

ダイの大冒険がすばらしい名作だということは、正確にはラストシーンが描かれた1996年まではわからなかったのです。

それを1991年に放映した1991年度版は英断でした。まさかこれほどの名作になるとはわからないままでテレビ化されたのです。見る目があったとしかいいようがありません。

あしたのジョーのラストシーンを知らずに、あしたのジョーを名作だと言い切れた人は、すばらしい審美眼の持ち主だと思います。

ラストシーンがわかっていないと、脚本家が下手に脚色して、伏線を潰してしまいかねません。

原作ではラストシーンに繋がる「ドラゴンの騎士の紋章」が最初からダイの額に浮かび上がります。

ニセ魔法使いのまぞっほさんが「師匠に教えられたが、勇気がなくてダメだった」と作品冒頭で語ります。この師匠というのが、大魔導士マトリフです。7年後の「ピラァ・オブ・バーン」で回収される見事な伏線です。

バランによって記憶喪失になったダイが、ゴメちゃんに「きみ、かわいいね。友達になってよ」と何もわからないまま無意識に呟きます。7年後の「神の涙」のラストシーンに繋がるセリフです。

こんなところから伏線がはってあるなんてすごい。でもラストまで知らないと、セリフの重みがわからず、脚本家が省いたり描き足したりしかねません。

これほど序盤から伏線を張ったよくできた作品だということは、終わりを知った私たちが読み返してはじめてわかることです。

「魔物と同じ道を歩むくらいなら、人間として飢えて死にましょう」セカンド登場シーンからレオナ姫は毅然としています。あれ? 他の作品とは違うな、と思わせるセリフですよね。

ポップの師匠のマトリフも作品初期から登場します。

「おれにとって先生はアバン先生だけだ。先生と師匠は違うんだよ」

普通、原作者はスライムと戦いレベルアップするようなシーンを描きたくなるはずですが、そんな退屈なシーンなんてひとつもありません。いきなり魔王ハドラーと対決します。いきなり先代の勇者アバンが死亡します。いきなり六大軍団長と対決します。

師よ! アバンよ! この不出来な弟子に最後の力を……!

ヒュンケルのようなヒーローを前にしても、弱っちいただの人間としてポップはおびえたままです。

しかし子犬のようにおびえていたポップこそがダイの大冒険を輝かせた真の主人公です。

マンガ『ドラゴンクエスト・ダイの大冒険』
どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?パリに行って粉もの屋(たこ焼きとかお好み焼き屋)を開くというイロハの夢を聞いたのは、もう十年近く昔のことになります。今、フランスのパリでは第三次の日本食のブームが来ているということで...

今度こそラストまで描いてほしいものです。

バーンを倒すまで。ポップが輝くまで。

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