エドワード・バーナードの転落。サマセット・モーム

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旅に出たくなる小説」というものがあるように、「仕事を辞めたくなる小説」というものがある。

こんにちは、ハルト@sasurainorunnerです。

ここでは文豪サマセット・モームの「エドワード・バーナードの転落」の魅力に迫ります。

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物語、小説における語り手。

人の心が、誰かに影響を及ぼす。それが小説だ。

小説では、たいてい影響される側が「語り手」になる。

ヒーローは、「語り手」の心に何かを投げかける存在である。

ヒーローは決して語り手ではない。なぜなら心の中に入っていける側には「謎」「秘密」がないからである。

ヒーローの心中はあくまでも「謎」だ。

その「謎」が解明、理解、共感を得たときに語り手に影響をあたえて、語り手の生き方を変える。それが物語というものである。

相方こそがヒーローである。

対決相手の心の「異次元の価値観」が、語り手の心を揺さぶる。

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旅と読書は似ている。旅人は小説の語り手のようなものだ

相方の心に揺さぶられて、語り手の生き方が変わる。これはまるで海外旅行のようなものである。

語り手である旅人が諸国のカルチャーにショックを受けて、生き方に影響を受ける。それこそまさに海外旅行のだいご味ではないか。

語り手は自ら感動し、影響される側でなければならない。

語り手の感動が、読者の感動になるのだ。

物語を盛り上げるためのピエロ役。それが語り手である。

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なぜ帰ってこないのかという謎で読者をひっぱる冒頭

サマセットモーム「エドワード・バーナードの転落」でも、このスタイルがとられている。

語り手の名前はベイトマン・ハンター。ヒロインの名前はイザベル・ロングスタフ。そしてヒーロー(アンチヒーロー)の名前がエドワード・バーナードである。短編なので、登場人物がすくなくて、わかりやすい。

発展しつつある大都市シカゴで生きる男ベイトマンは、タヒチから親友エドワードを連れ戻すことに失敗した。エドワードはイザベルの婚約者であったが、タヒチに行ったきりシカゴに帰ってこなかった謎の男である。

エドワードは父の破産で一文無しになったために、タヒチで商売をやっている知り合いの元で働くことになったのだ。見習い期間が終わればタヒチでふさわしい地位につけてあげようという約束もあった。

帰国したら、イザベルと結婚し、シカゴで成功するはずだったのに、帰ってこないのはなぜか?

この謎で作者は物語をひっぱっていく。さすがはサマセット・モームだねえ。

タヒチと聞いて、あの男のことを想像しないわけにはいかない。

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帰ってこない男はタヒチで何をしているのか? それを知るための旅

イザベルはエドワードがホームシックで帰ってきてしまうのではないかと心配していた。この機会にアメリカ流のビジネスを世界の果ての島に導入するやり方をしっかりと学んでほしかったのだ。

ところが約束の2年が過ぎても、エドワードはシカゴに帰ってこない。イザベルは逆にいつシカゴ帰ってくるのか心配することになるのだった。

ベイトマンは仕事の都合でタヒチに寄ることになった。そこでエドワードのもとを訪ねて、イザベルの待つシカゴに帰国するように説得する役を買って出たのだった。

タヒチに行くと、エドワードは会社を辞めていた。1年も前に首になっていたというのだ。謎が深まる。

教えられた場所であってみると、エドワードは誰にでもできるようなつまらない仕事をしていた。昔の友達と再会したというのに、しがない仕事を恥じる様子もない。

シカゴ時代に比べると、エドワードは快活で無頓着で、のんびりしていた。人が変わってしまったかのようだ。

人懐っこくて会話好きなのに、婚約者イザベルのことも、その他の話題と同じような風にしか話さないのがベイトマンには不可解である。

そしてタヒチの友人として紹介されたのは、詐欺の罪で7年の懲役を受けていたアーノルド・ジャクソンだった。シカゴでは親族の恥とされていた人物である。しかもアーノルドは現地妻をもっていた。

こんな男とつきあっているなんて! ベイトマンは憤慨する。アーノルドはシカゴの価値観では許されない人物であった。

その男アーノルドに「生き方を習った」とエドワードは言う。シカゴにいつ帰るかさえわからないさえと言う。エドワードは変わってしまった。何が彼を変えたのか。どうして変わったのか。

アーノルドの家のパーティーで、パレオだけの半裸で、エドワードは生きているのが楽しくてしょうがないというふうに水遊びをする。その楽天ぶりにベイトマンはあきれてしまう。自分はスーツ姿の正装なのに、前科者の主人は日焼けした半裸に花の環を頭に載せているのだ。

ふさけている、とベイトマンは怒りを覚える。

美しい太陽と島、海。満月の道と輝く星。アーノルドは島の浜辺で波乱に富む一生を送った白人の放浪者の話を語って聞かせる。

この白人の放浪者の話ってどんな話なんだろうか。読者はここでゴーギャンをモデルに描いた『月と6ペンス』を思い出してもいいだろう。

いつシカゴに帰るのかと聞くと、エドワードはもう帰らないかもしれないと言う。ベイトマンは憤慨して、

「ここは男の生きるところじゃない。こんな人生は君には向いていない」と諭そうとする。

「懸命に働いて、自己の立場と身分に伴う責任を果たすんだ。自分が計画したことを成し遂げたという達成感で報いられるシカゴの生活に戻るべきだ」

とエドワードに力説する。しかし言葉はエドワードに届かない。

のんびりとして気楽なタヒチの生活をエドワードは気に入っていたのだ。

楽しみのための読書、楽しみのための会話をすることを学んだ。それらを楽しむためには余暇がいる。

シカゴではいつも忙しすぎた。会社に急ぎ、夜まで必死に働き、急いで帰宅して夕食を取り、劇場に行く。それが人がこの世に生まれてきた目標なのか。それでもし財産を築けないなら、あくせくすることに価値があるだろうか。

エドワードは言う。

自分に魂があるというのを、この島で発見するまでは知らなかった。シカゴで語った魂のことは聾唖者が音楽を論じ合うようなものだった、と。

婚約者イザベルはどうなるんだとベイトマンが聞くと、

「僕は期待に添えなかった。貧乏で、しかもしれに満足している。僕は彼女に値しない」

パレオをつけて頭にバラの花輪を乗せながら、エドワードは答えた。

失敗したのが恥ずかしくて帰国しないのかと思っていたら、夢にも思わなかった事態に遭遇した。君の才能、若さ、好機を無駄にするなんて。タヒチで自殺に等しい無駄な人生を送るのか?

ベイトマンの言葉はエドワードに届かない。エドワードの言葉がベイトマンに届かないように。

「無限の顔を持つ海と空。爽やかな夜明けと美しい日没。芳醇な夜。愛する家族と書物。幸福で素朴で平和な一生。僕は自分の魂を手に入れたと思う。僕は成功したのだ」

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アンチヒーロー。大多数に批判され否定される。少数の心に響く生き様

「婚約はエドワードにやる気を出させるためだった」と自己欺瞞してイザベルは婚約を破棄する。そして求婚してきたベイトマンの求婚に応じるのだ。イザベルとベイトマンはシカゴで生きる人間だ。エドワードはタヒチで生きる道を選んだ。

シカゴで成功し、金持ちになる夢を二人は脳裏に描く。会社で成功し、アンティーク家具で飾った館に住む夢。美術館や晩餐会の夢だ。

「可哀そうなエドワード」イザベルのため息で物語は終わる。

サマセットモームが作品タイトルを「堕落」としたのは、大多数の人にはエドワードの心境が理解できないことを知っていたからだろうと思う。ほとんどの人はタヒチで暮らさない。シカゴで暮らすのだ。

私ハルトもタイやマレーシアやバリで放浪旅をつづけた経験がなければ、おそらく理解できなかっただろうと思う。

この社会においてヒーローはベイトマンであり、エドワードではない。それはよくわかっている。異を唱えるつもりもない。

ではエドワードは、人間のクズなのか。

サマセットモームはエドワードをそのような男として描いたのか?

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多数派でない者の理想を体現しているアンチヒーロー

おそらくそうではあるまい。エドワードはアンチヒーローである。

少数者のヒーロー。多数派でないものの理想を体現している男なのだ。

この小説を読んで、ベイトマンではなく、エドワードのような生き方をしたいと思う読者もいるはずだ。

なによりも作者がそうだったのではないかと思うのだ。

そうでなければ、このように小説が輝くはずがない。

ただしそれは少数派であることを作者は知り抜いていて、本当は「悟り」と書きたいところを、あえて堕落という表現を使ったのだろう。

たとえ世界を得ても、自分自身を失ったら何になろうか。

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敗れてもなお心から人生に満足できるアンチヒーローが必要とされている時代

生き方は一つではない。

世界チャンピオンだけがヒーローだろうか。世の中には敗北者の方が圧倒的に多いのだ。

世の中には、敗者のヒーロー、アンチヒーローが必要である。

勝つのは一人だ。では人生に心から満足できるのは一人だけなのか?

そうではあるまい。

敗れてもなお心から人生に満足して死んでいくアンチヒーローが世の中には絶対的に必要なはずである。

エドワードは結局、ベイトマンの生き方を変えることはできなかった。

もっともそんなことを望んでもいない。他人のことは、人それぞれ自由だ。

エドワードは自分の生き方を選択したにすぎない。

エドワードはベイトマンにとってのヒーローにはならなかった。

しかし読者のヒーローとなった。ごく一部の読者の。

あなたはどちらに憧れたか?

大都市シカゴで成功を夢見るベイトマンだろうか。

楽園タヒチでのんびり自然と暮らすエドワードだろうか。

シカゴではなくタヒチに憧れたのならば、私がここで言っていることの意味がわかってもらえるかもしれない。

きっと誰かがエドワードを必要としている。

こういう小説を読むと、また再び放浪の旅に出たくなる。

定職のために戻ってくるたびではなく、帰ってこないかもしれない永遠の放浪の旅に。

生きることそのものが放浪の旅なのだ。

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