『黒蜥蜴』江戸川乱歩の美女シリーズと三島由紀夫の大功績

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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江戸川乱歩と三島由紀夫の『黒蜥蜴』

ここでは江戸川乱歩原作『黒蜥蜴』について語っています。

しかしテキストは乱歩の『黒蜥蜴』ではなく、三島由紀夫の戯曲『黒蜥蜴』です。

またドラマ化された「江戸川乱歩の美女シリーズ」についても語っています。

『黒蜥蜴』は非常に江戸川乱歩的で、同時に三島由紀夫的な作品でありました。

人間は社会と妥協して生きている人がほとんどですが、限りなく純粋な人が夢を妥協しなかったとき、犯罪者となってしまうこともありえるのかもしれませんね。ちょうど三島由紀夫がそうだったように……。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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『黒蜥蜴』江戸川乱歩と三島由紀夫

私が三島由紀夫の最高傑作と考える『サド侯爵夫人』は、三島由紀夫の戯曲ですが、実際には共同執筆者としてサド侯爵というフランスの作家がいました。二人の著者がいたからこそ奇跡の名作ができたと思っています。

『サド侯爵夫人』三島由紀夫の最高傑作
『サド侯爵夫人』は三島由紀夫とサド侯爵の共著といってもいい作品。きわめてキリスト教的な作品です。神の敵について考えれば考えるほど、神についても考えざるを得ないからです。サドの光はイエスの光あってこそのものでした。神の天敵は、神のごとき存在なのです。

それと同じように『黒蜥蜴』には三島の他にもう一人の執筆者がいます。もちろん江戸川乱歩その人です。

むしろ戯曲の執筆者は、三島以上に江戸川乱歩だとも言えるでしょう。

『サド侯爵夫人』におけるサドよりも、直接、江戸川乱歩が関わっています。

ストーリーの筋はほぼ乱歩ですから。三島らしさはセリフの耽美的な表現に凝縮されています。

世の中、同じことをいうのでもいい方次第だと思いませんか?

そこには『サド侯爵夫人』を彷彿とさせるような悪徳(犯罪)と美徳(市民生活)が相照らしあうような表現が散りばめられています。

ここまで両者の相性がいいのは三島が歩み寄ったというよりは、もともと江戸川乱歩の世界と通じるものがあったためでしょう。

作品は価値観の反転に次ぐ反転です。

そして三島の真骨頂は小説ではなく戯曲にあったのではないかと私は思うのです。

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【書評】『黒蜥蜴』バロック調の大芝居

江戸川乱歩『黒蜥蜴』のどのようなところが三島的だったのでしょうか。

主人公の美貌の緑川夫人こと女賊・黒蜥蜴は、「永遠の若さ、美しい肉体のために、人間のはく製をつくろうとする芸術家」です。

三島が、若く美しい青春の絶頂に死ぬことを望んでいたことは、つとに知られています。三島は老醜を嫌悪していました。

三島の肉体美ははく製にこそなりませんでしたが、写真におさめられています。

三島の『黒蜥蜴』には、かの名探偵明智小五郎が出てきます。最初読んだときには、ちょっと驚きました。うまい譬えかどうかわかりませんが、アガサ・クリスティーを読んでいたら、シャーロック・ホームズが登場してきたかのような印象です。

私の中で明智小五郎が、生きているからでしょう。明智小五郎がキャラ立ちしすぎていて江戸川乱歩の戯曲かと思ってしまいます。しかし三島由紀夫が書いています。これはそういう戯曲なのです。

戯曲の中で緑川夫人こと黒蜥蜴と明智小五郎は犯罪論争をします。探偵と犯罪者は同じ犯罪に向きあうが、自分の心に純粋な方は犯罪者であり、探偵にはどうしても犯罪を理解しきれないところがある、と。

そして満たされない思いを犯罪者に抱くのです、報いられない恋のような……。

三島が黒蜥蜴を書いたのは、ここが書きたかったからでしょう。乱歩作品おとくいの変装シーンも登場します。

長椅子ソファに人間が入って運び出されるという牧歌的な誘拐も、乱歩の少年探偵団シリーズではおなじみですね。いや、重いだろ! 運ぶときに分かれよ!

黒蜥蜴は、変装が見破られないのは「そもそも本当の私なんてないからだ」とさらりといいます。肉体の見た目ではなく、魂の存在感のようなものがあるから、人は人であると考えなければ、このような表現は出てきません。

明智に恋する「私」は、どの私なのか? ラブストーリーを演じた芸能人が共演者に本当に恋をしてしまうことはよくあることです。その時、恋したのは演じた役者なのか、演じた役柄の気持ちが続いているだけなのか? すぐに離婚してしまう場合は、役者と役柄の区別がうまくできなかったためかもしれませんね。

明智に恋する「私」は、どの私なのか? あした別の鏡に映る別の私に訊くとしましょう……と逃亡しつつ第一幕が終了します。

ブンガクしちゃってますね!!

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戦前と戦後の価値の大転換が、劇を動かす

「死ぬつもりでいたおまえは美しかったのに、生きたい一心のおまえは醜かった」

黒蜥蜴は雨宮潤一にいいます。三島美学が炸裂しています。

戦争という不条理な死のなかに意味を探し激しい命を燃やした戦前と、価値観が大転換し信じられるものが無く、無意味、無目的に生きる戦後を経験した三島だからこそのセリフだと思います。

いわば戦前と戦後の価値の大転換が、三島の作劇法のひとつでした。『サド侯爵夫人』ではフランス革命を同じ装置として利用しています。

善人が悪人、悪人が善人。きれいはきたない、きたないはきれい。犯罪者が夢追い人で、名探偵が小市民。敗戦により、鬼畜米英だったアメリカ兵が陽気ないい奴らで、神兵だった日本軍は庶民を無視した嫌な奴らだったということになりました。

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奇跡を起こせるのは恋だけ。恋を失ったら“私の世界”には二度と奇蹟は起こらない

黒蜥蜴でも、そのような価値の大転換が物語を動かしていきます。明智と黒蜥蜴は追う者、追われる者という立場で惹かれあうようになります。

泥棒は泥棒でも恋泥棒ですね。ルパン三世カリオストロの城』(1979年)のような話しだともいえます。泥棒さんが盗んだのは財宝ではなく恋心でした。

追い、追われる関係が、恋する二人にそっくりだという意味では北条司の『キャッツ・アイ』(1981年)のようでもあります。

「あなたがこれ以上生きていたら、私が私でなくなるのが恐いの。そのためにあなたを殺すの。好きだから殺すの」明智を殺す際、黒蜥蜴はいいます。

「海をごらん。暗いだろう。夜光虫があんなに光っている。この世界には二度と奇蹟が起こらないようになったんだよ」

なぜこんなことをいったのか? 恋する人が死んだと思ったからです。奇跡を起こせるのは、恋だけだからです。

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バロック調のあやしい闇とエロス。江戸川乱歩の世界

やがて物語は、「恐怖美術館」へと向かいます。恐怖美術館には黒蜥蜴が「美しいと感じた人間のはく製」が全裸で展示されているのです。

バロック調のあやしい闇とエロス。江戸川乱歩の真骨頂の世界です。青少年にあたえる影響がどうの、とか、人権がどうの、とか、作家の倫理を問われなかった時代でした。エンターテイメントはエンターテイメントとして、自由に妄想の翼を江戸川乱歩はひろげました。

この「乱歩あるある」のヘンタイチックなバロック設定も、やはり三島の好みだったと思います。雨宮は黒蜥蜴の愛撫を受けるために「自分がはく製になっても」と裏切りの芝居を打ちます。黒蜥蜴に嫉妬してもらうためでした。

結局、明智は変装していて実際には死んでおらず、黒蜥蜴の悪事を暴きます。そして美女、黒蜥蜴は逮捕の一歩手前で自殺します。若く美しいまま、おのれの芸術である恐怖美術館で、虜囚の辱めを受けることなく死んでいくのです。

黒蜥蜴は最後に呟きます。「うれしいわ。あなたが生きていて」

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自分が死んでも、奇跡が起こる世界であってほしい

自分が死んでも、奇跡が起こる世界であってほしい。

現実の世界では明智が探偵で黒蜥蜴が泥棒でしたが、心の世界では明智が恋泥棒で黒蜥蜴が探偵でした。

明智の心を探して探してやっと探して見つけたら冷たい石ころでした。

明智は最後に呟きます。黒蜥蜴の心こそダイヤモンドだった。本物の宝石はもう死んでしまった、と。

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江戸川乱歩の美女シリーズ。探偵版「男はつらいよ」

原作の江戸川乱歩『黒蜥蜴』は1934年の作品です。戯曲の三島由紀夫『黒蜥蜴』は1961年の作品です。

三島の戯曲では美貌の女賊・黒蜥蜴の役を美輪明宏さんが演じて大ヒットしたそうです。

ところでひと昔前にテレビで『江戸川乱歩の美女シリーズ』というのがあったのをご存知でしょうか?

絶世の美女が登場し、明智小五郎と互いに男女として惹かれあう。けれど決して結ばれないというパターンでした。

犯罪者の美女は毎回入れ替わるのですが、明智小五郎は常に天知茂さんでした。探偵版男はつらいよ』的なところがありました。常に報われない犯罪者美女との淡い恋を明智小五郎は繰り返します。

令和の時代にはぜったいにつくれないようなエログロ満載の大掛かりな名作シリーズでした。

この美女シリーズにも『黒蜥蜴』がありました。1979年『悪魔のような美女』です。

ところでこの美女シリーズで明智小五郎役を見事に演じた天知茂さんですが、三島の戯曲『黒蜥蜴』で明智小五郎役を演じて当たり役になったのだそうです。

三島の戯曲のおかげで、美女シリーズの天知茂があったといえるかもしれません。

※美女シリーズいちばんの名作・おすすめは『パノラマ島奇談』を元にした『天国と地獄の美女』です。

明智小五郎役は天知茂の死後、北大路欣也西郷輝彦とバトンタッチされるのですが、すばらしい名優が演じても、初代・天知茂にはかないませんでした。江戸川乱歩の暗いエログロの中で、大スター俳優の輝きが浮いてしまった印象でした。

『江戸川乱歩の美女シリーズ』のお約束である「犯罪者の美女と明智小五郎が惹かれあう」展開も、三島戯曲『黒蜥蜴』のお陰だったのかもしれません。

江戸川乱歩原作の怪盗はほとんどが男性であり、女賊相手に惹かれあう展開ではありません。

犯罪者役を常に絶世の美女とし、いつも明智と惹かれあう展開にしたのは、三島版『黒蜥蜴』があったからだとはいえないでしょうか。

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いにしえの永遠のテーマ、それが恋愛

三島由紀夫の戯曲『黒蜥蜴』が、後世に残した影響について語ってきました。

同じ文庫の中には、戦争をモチーフにした戯曲(若人よ甦れ)と、右翼左翼の政治闘争をモチーフにした戯曲(喜びの琴)がおさめられていましたが、どうしても古びた感じが否めません。

やはり、物語というものは恋愛をモチーフにした方がいいようです。

恋愛ならば命を捨てるほど情熱を賭けても不思議はありません。その気持ちは青春のたびによみがえり、永遠に古くなりません。いつの時代でも、どこの国民にも通じるモチーフが恋愛ではないでしょうか。

「今さら戦後の話しかよ」「今さら左翼の話しかよ」と飽きられることはあっても「今さら恋愛の話しかよ」という若者は世界中のどこにもいないのに違いありません。

いにしえの永遠のテーマ、それが恋愛です。たとえそれが犯罪者と名探偵の心の恋愛であったとしても。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
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×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
https://amzn.to/43j7R0Y
×   ×   ×   ×   ×   × 
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Amazon.co.jp: 帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル (民明書房) eBook : アリクラハルト: 本
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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

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●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
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●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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