ブラックジャックによろしく

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漫画である。「大の大人が漫画ばっかり読んでんじゃねーよ」と思わないでくんちゃい。これでも昼間は事務の仕事をしており、勤務中は細かい字を読むのが仕事といってもいいため、仕事を解き放たれた後も、活字を読む気になれないのである。つくづく読書というのは余暇のためにあるものだと思う。

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文化や教養は余暇のあるものが生み出すものなのだ

主人公は医大を出たばかりの研修医です。新米の医者です。その新米医師がいろいろな患者や助けられない病気や世の中・病院の矛盾にぶつかって「医者っていったい何なんだ」と考えるのが本作品です。

医者が主人公の漫画といえば漫画の神様・手塚治虫先生の『ブラック・ジャック』が永遠の定番です。メスを持っては天才の主人公ブラックジャックが、いろいろな患者や助けられない病気や世の中・病院の矛盾にぶつかって「医者っていったい何なんだ」と考えるのが 『ブラック・ジャック』という作品 でした。

ところがこの 『ブラックジャックによろしく』。 ブラックジャックは天才外科医、「よろしく」は無力な研修医ですが、悩んでいるテーマは全く同じです。医療や生死に対する哲学・関わり方、正義感・ヒューマニズムも同じです。要するに作品の深みを決める決定的な要素は手術の腕じゃないってことですね。

天才外科医ブラックジャックじゃなくてもヒューマニズムを語れるのだ。命の尊さを見つけられるのは腕のいい天才医師だけじゃない。正義は誰にでも語れる。


ブラックジャックにも救えない患者がいたように。、医師としての腕は未熟な研修医だって、患者と向き合うことはできる。

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天才に対して、未熟なものが、どれほど迫ることができるのか。

作品の深みを決めたのは、ブラックジャックの魂だったのであり、手術の腕が凄かったからではない。

そう確信しているのだったら、研修医にだって同じテーマを同じ深みで追求できるはず。

それでも「強くなければ正義を語れない」こともある。人を救えるからこその感動もある。フィクションで同じような天才医師をキャラクターにすることはできる。でも作者は漫画の神様に対して未熟な自分で、天才外科医に対して研修医で同じテーマを追求してみる。そういうことを作者はタイトルに込めたのだろう。だからリスペクトの意味を込めて『ブラックジャックによろしく』というタイトルにしたのだろうと思う。

夜間緊急医療で「人の命を救うこと」と「お金儲け」の問題にぶち当たり矛盾を感じる。どうせ死ぬ人に延命治療を施し医療費補助という公金を湯水のように使うことは正しいのか答えられない。治療を続けることで患者の家族のよろこぶ笑顔がある。 助からないのに生きたい患者がいる。助かるのに生きていたくない患者がいる。医者に生き死にを決める権利はない。 研修医は悩む。『ブラックジャック』の問題はまだ解決されていない。矛盾はまだ残ったままだ。 だから物語の続きがつくれる。

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「王様は裸だ」と言った子供のように、未熟者だからこそ発言できることがある。

問題は解決されていない。だから『ブラックジャック』の物語の続けがつくれる。作者のそんな気持ちをタイトルに感じた。「それと同じことを、患者の前で言えますか?」未熟者だからこそ発言できることがある。「王様は裸だ」と言った子供のように。

作者の佐藤秀峰さんは純粋な漫画家のようだ。手塚治虫先生が医師免許を持ったプロだったのとは違う。それでも「漫画家になりたい」「いい作品を作りたい」という気持ちが、医者漫画家の大先生に迫る深みを描くことができる。大切なのは才能ではなくて気持ちなのだ。

かつて劣等生を東京大学に合格させるのがテーマの『ドラゴン桜』という漫画があった。 作者の三田紀房氏はもちろん東大出身なんだろうと思ったが、明治大学の出身であった。それでよく「東大合格漫画」が書けるなあ(恥知らず!)と思ったものだが、漫画家になっていい作品を描きたいという気持ちが作品を成功に導いた。自分が東大出身でなくたって東大合格漫画が描ける。自分が医者じゃなくても医療漫画が描けるように。

実はまだ最後まで読み終えていない。この漫画の続きをラストまで読んでみたいと僕は思った。

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(追記)医者は患者の治癒後の人生に関われない

その後、作品を最後まで読んだ。最初はえらく後味が悪いなあ、と思った。 年上ナースの赤城カオリと結ばれることを、心のどこかで私は期待していたのだ。

腎臓まであげたのに、その後、会えないなんて、結ばれないなんて。

ハッピーエンドとは言いかねるような終わり方。作者はどうしてこのように作品をしめくくったのか、その後、ずっと考えていた。

それはこのような主張だったのではないだろうか。「医者は患者を治す。しかし治療した後の患者の人生には関われない」。

病人である間は、医者は患者とつきあうけれど、病気が治癒したらアカの他人だ。そのことを象徴的に表現するために、赤城カオリに腎臓をあげて(犠牲を払って)治癒した後、二度と二人を会わせなかったのではないだろうか。

赤城カオリが他の男と結ばれるのも象徴的表現とすれば納得がいく。患者は治療が終わったら、医者のいない世界で恋をして結ばれていくものである。医者の存在とは関係なく。

プロフィール


サンダルマン・ハルト。雑誌『ランナーズ』等に執筆歴のあるライター。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。サブスリーランナー。グランドスラムの達成者(100kmサブテン。富士登山競争登頂)。スイス・ブライトホルン。マレーシア・キナバル山。台湾・玉山ニイタカヤマ。南アルプス全山縦走など登山歴も豊富。キャンプ・車中泊マニア。アウトドア派の放浪の旅人。現在、仮想地球一周ランニング中。
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