ドラクエ的な人生

自薦随筆集を出版しようと思う。コラム取捨選択の理由と結果

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Google先生がつける点数(検索順位)と、作品の自己評価とは別の話し

この時点(2023年12月4日)時点で1637コラムを発表しているオピニオン系ブログ『ドラクエ的な人生』執筆者のアリクラハルトと申します。トップページの閲覧数も一万を越えました。このブログはいちおう収益化(黒字)されていますが、私にとっては趣味、オンラインゲームみたいなものだから、赤字だとしても続けるつもりです。はじめた当初は自分のオピニオンを発表できることが面白くて仕方がありませんでした。しかし毎日のように同じことをやってくるとどうしたって当初の感激は薄れてきます。ひらたくいうと飽きてくるということです。

1637編のコラムの中には、検索順位日本一になっているものもいくつかあります。それらの記事はたくさん読まれているのですが、そうじゃない記事もたくさんあります。書いて発表したそばからインターネットの海の中に消えてしまったようなかわいそうなコラムたちです。でも親の作者からすれば、出世した記事も、ドロップアウトした記事もかわいいことに変わりはありません。消えてしまった記事が駄記事で、検索順位一位の記事が会心の一撃だとも思っていません。作者の評価、作品への愛着と、Google先生がつける点数(検索順位)とはまったく別のものなのです。

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コラムのアマゾンキンドル出版は、検索順位が低いためにあまり人に見られていない記事の救済措置になる

そこで私は自薦随筆集をキンドル図書で発行しようと考えました。いわば「内容に自信があるのに検索順位が低いためにあまり人に見られていない記事」の救済措置のようなものです。インターネットの海に埋もれてしまった記事が、随筆集の中に取り上げられることで、再び日の目を見ることができるのではないでしょうか?

もちろん採用する記事は検索順位日本一の記事に負けず劣らず筆者としては自信のある記事です。

それではどんな記事をどういう基準で採用しましょうか。このコラムはそれを考えながら完成させていきます。ちなみに随筆集はアマゾンキンドルで電子図書として出版しようと考えています。すでにいくつかの作品を発表済みなのでやり方はわかっています。

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このブログの作者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』のご紹介
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードをガチンコで競うようになるところまでを描いた自転車エッセイ集です。

※書籍の内容

●スピードこそロードバイクのレーゾンデートル

●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。体重ライディング理論。体重ペダリングのやり方

●アマチュアのロードバイク乗りの最高速度ってどれくらい?

●ロードバイクは屋外で保管できるのか?

●ロードバイクに名前をつける。

●アパートでローラー台トレーニングすることは可能か?

●ロードバイククラブの入り方。嫌われない新入部員の作法

●ロードバイク乗りが、クロストレーニングとしてマラソンを取り入れることのメリット・デメリット

●ロードバイクとマラソンの両立は可能か? サブスリーランナーはロードバイクに乗っても速いのか?

●スピードスケートの選手がロードバイクをトレーニングに取り入れる理由

初心者から上級者まで広く対象とした内容になっています。

Amazon.co.jp

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ちなみにこのコラムでの「その方法」とは、電子図書を出版するためのやり方を解説しようというものではありません。1637編のコラムの中から10編ぐらいの記事を厳選するための選択の方法論です。電子図書の出版のノウハウを知りたい方は他の記事を当たってください。

それでは作者がどのような基準でコラムを完成させるのか、その過程を一緒にお楽しみください。

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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。

「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。

Bitly

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随筆集に掲載する予定のコラム

いくら「内容に自信があるのに検索順位が低いためにあまり人に見られていない記事」の救済措置だといっても、そのような記事ばかりではそもそも随筆集を手に取ってもらえないかもしれません。「アーティストの全曲集を買ったら知っている歌が一曲も入っていなかった」のと同じ状態になってしまいます。そもそも「いい記事」のはずなのに「人に読まれない記事」には、そもそも検索の需要がない(内容に誰も興味がない)可能性があります。

検索順位が高い記事には「実用的」だという特徴があります。たとえば「auのWi-Fiのステータスが黄色点滅する場合の対処法」というような記事です。たくさん読んでいただけるのはありがたいのですが、そのような実用的な記事は「具体的な商品」に負っていることが多く採用するつもりはありません。コンピューター系のガジェット記事を集めた本を出版するのならそれもアリだと思いますが、私が出版しようとするのは純文学系の生き方に関する本だからです。

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主人公ツバサは小劇団の役者です。

「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」

恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。

「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな

アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。

「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」

ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。

「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」

惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。

「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ

劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。

「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も

ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。

「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」

ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。

「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」

「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」

尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。

妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ

そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。

「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」

そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。

「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」

そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。

「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って

Bitly

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●スティーブ・ジョブズ「知の自転車」。論文の嘘を暴け

わたしが自分のブログの中で一篇だけ代表的な記事を誰かに紹介するとしたら、この記事を挙げるだろうと思います。

パソコン、スマホ普及の立役者であるappleの創始者スティーブ・ジョブズは「あなたにとってパソコンとは何か?」と生涯にわたって問われました。それに対する答えが「知の自転車みたいなものだ」という答えでした。若い頃に読んだ動物の運動効率に関する論文がこの発言の元ネタになっているのですが、その元ネタの論文に対して、古代ギリシア哲学者がそうしたように、ただ知性だけを使って論破、論駁したものです。

スティーブ・ジョブズ「知の自転車」。論文の嘘を暴け

●勉強ができるよりも、異性にモテる方が、よっぽど人生を幸せにする

そもそもアフィリエイトでマッチングアプリを紹介するために書いた記事でしたが、想定した以上に自分を表現することができたように思います。書いているうちにノッてきたんですね。そういうときはいい記事が書けます。いい記事というものは書き始める前の自分の想像した以上のことが書けてしまうものなのです。この状態のことを詩神が降りてきた、なんて表現する人もいます。

学歴が良ければモテる、とか、出世すればモテる、とか思うのは間違いです。男女の仲は鍵と鍵穴のようなものであり、モテたければただひたすらダイレクトに情熱をもって口説くしか方法はありません。自分の求めるものにダイレクトに直接的な努力をすることが成功の秘訣だと強く主張した記事です。

随筆集に採用するときには、具体的なサービス名を「マッチングアプリ」と書き換えるつもりです。そうすることで提灯記事に普遍性をもたせようというわけですね。

勉強ができるよりも、異性にモテる方が、よっぽど人生を幸せにする

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●【熊鈴のメリット・デメリット】騒音登山者よ。迷惑だから熊鈴やめろ。うるさいわ

登山における熊鈴の意味を問うたコラムです。「熊鈴やめろ。意味ないじゃん」ということを主張したところ、いろんな人からけっこう強めな反論が返ってきました。

「熊は人を恐れて逃げていく」という前提がなければ熊鈴というのは成立しません。人を恐れて逃げるからこそわざわざ居場所を鈴を鳴らして知らせているのです。

ところで日本百名山のような登山者の多い山の場合、登山道を先に歩く登山者によって、熊の追い払い効果はもう十分なのだから、周囲に騒音をまき散らす熊鈴は人の多い場所では控えましょうよと主張したのです。 山小屋なんてジングルベルかと思うぐらい鈴が鳴っています。記事は他者へのマナーというものの本質をつくものとなりました。5人パーティーで登山する場合、5人全員が熊鈴つける必要ありますか? 先頭のひとりだけでいいんじゃないでしょうか?

主張の真意を理解していただいた方からは、賛同の声もいただいた賛否両論のコラムです。

【熊鈴のメリット・デメリット】騒音登山者よ。迷惑だから熊鈴やめろ。うるさいわ

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イエスは髭づらなのに、ブッダは顎ツルツルなのは何故だ?

日本中に随筆家、ブロガーはたくさんいますが、この記事も私以外には書いていないと思います。

よく考えてみるとおかしいと思いませんか? 達磨大師は髭もじゃなのに、どうして仏教開祖のブッダは髭がないのでしょうか?

アフロ仏陀という修行のために散髪もしなかった仏陀という像がありますが、やはり髭が生えていません。

もしかしたら仏陀は髭の生えないタイプの人だったのかもしれません。本当のことは見たわけじゃないのでわかりませんが、すくなくとも疑問を呈している人を見たことがないので私が記事を書きました。

日本でただひとつの記事になっていると思います。

ヒゲの魅力。イエスは髭づらなのに、ブッダは顎ツルツルなのは何故だ?

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書籍が出版されたら報告します。

このほかにもたくさんの記事を採用していくつもりです。この記事は随筆集に入れる記事が決まったら書き足して、書籍が出版されたら報告させていただきます。

しばらくブログの更新頻度が落ちると思いますが、それは筆者の表現欲が落ちたからではなく、書籍の発行に力を注いでいるためです。

ご期待ください。

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