スティーブ・ジョブズ「知の自転車」。論文の嘘を暴け

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心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。小説『ツバサ』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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わたしが書いた文章を、ブログでこのように「知らない誰か」に読んでもらうことができるのは、パーソナルコンピューターとインターネットがあるからです。アップルの創設者スティーブ・ジョブズのお陰だと言っても過言ではありません。

パーソナルコンピューターの生みの親の一人、スティーブジョブズは「パソコンのことを知の自転車」と譬えています。自転車系サイトとしては気になる「たとえ」です。

ジョブズはある論文をもとにこの発言をしているのですが、この論文は嘘っぱちではないか、というのが本稿の趣旨になります。

自転車の運動効率が2位のコンドルに2倍の大差で圧勝というのは、どう考えてもおかしいのです。みんなジョブズの言葉に感動して、そこを突っ込んでいる人を見たことがありません。ジョブズの言葉に聞き入るのはコンピューター関係者で、鳥類学者や動物学者、自転車関係者ではないことが原因だと思われます。

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この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードをガチンコで競うようになるところまでを描いた自転車エッセイ集です。

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ジョブズはパソコンを知的自転車とたとえて表現した

スティーブ・ジョブズはアメリカ人です。そのせいかコンピューター(ビジネス)の世界では英語が溢れかえっています。たとえばイノベーションとは「技術革新」と訳されますが、それだけでは何のことだかいまいちピンときません。しかしイノベーションとは「インターネット」や「スマートフォン」のことだと言われれば、なるほどそれは革命的な技術だな、とすぐに腑に落ちます。まさにジョブズはイノベーションな人物だったわけです。

スマートフォンがあればもう固定電話は必要ありません。デジカメさえもいりません。カーナビもいりません。パソコンもいらないという人さえいます。スマホはこれまでの産業を駆逐してしまいました。まさにイノベーションな製品でした。

そのスマートフォンをつくって世に広めたジョブズは、パーソナルコンピューターのことを「知的自転車」とたとえています。これはどういう意味なのでしょうか。

自転車系サイトの当サイトとしては、非常に気になるところです。

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「コンピューターは知の自転車だ」

 

「コンピューターは知の自転車だ」これはアップルの創設者スティーブ・ジョブズの言葉です。Macプロジェクトの暗号名は『Bicycle』だったとか。ジョブズはよほど自転車好きだったのでしょうか?

どうもそうではないようです。自転車が好きということではなく「コンピューターという道具を使うことで、人間が本来もっている能力をもっと効率的に発揮して、すぐれた性能を発揮することができる」ということを、自転車に乗った人間の運動効率にたとえて表現したものだそうです。たとえ話」ですね。

画家が「あなたにとって絵とは何か?」と聞かれるように、スティーブジョブズは「あなたにとってパソコンとは何か?」と生涯聞かれ続けました。いわばお決まりの質問です。それに対していちばん有名な回答が「知の自転車」というたとえ話での回答だったというわけです。

ジョブズ「それについては、自転車とコンドルとのアナロジーで答えたい。数年前に、僕は「サイエンティフィック・アメリカン」という雑誌だったと思いますが、人間も含めた地上のさまざまな動物の種の、運動の効率に関する研究を読みました。その研究はA地点からB地点へ最小限のエネルギーを用いて移動する時に、どの種が一番効率が良いか、結論を出したのです。結果はコンドルが最高だった。

人間は、下から数えて3分の1のところにいて、あまり印象に残っていません。しかし、人間が自転車を利用した場合を、ある人が考察しました。その結果、人間はコンドルの倍の効率を見せました。

つまり、自転車を発明した時、人は本来持っている歩くという肉体的な機能を拡大する道具を作り出したといえるのです。それゆえ、僕はパーソナルコンピュータと自転車とを比較したいのです。なぜなら、それは、人が生れながら持つ精神的なもの、つまり知性の一部を拡大する道具(ツール)だからです。個人のレベルでの生産性を高めるための特別な関係が、人間とコンピュータの関わりの中で生まれるのです

おおっ。パチパチパチパチ(拍手!)。これが有名な「知的自転車」発言ですね。

「人間の知的能力がコンピューターという道具を使用することで拡張される」と抽象的に表現するのではなく「自転車」「コンドル」という「動きでたとえた」ことで、名言としての箔がつきました。

わたし自身、自分の速く走るための走法を「アトムのジェット走法」「ヤジロベエ走法」「ヘルメスの靴」などと命名していますが、命名することは重要です。一発でわかるキャッチコピーが重要なのです。

Think different.

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一番移動効率がいいのはコンドルというのは間違いではないか?

しかし、この話し、本当でしょうか?

にわかには信じられません。っていうか直感的に「違うだろ!」と思います。

ジョブズの発言ではありません。発言の元ネタとなった「サイエンティフィック・アメリカン」に載っていたという動物の移動効率の話しです。

「移動効率が一番いい動物はコンドルだ」というのは、どう考えても間違っているのではないでしょうか。あきらかにおかしいと思います。わたしには違和感しかありません。

コンドルというのは、南米に生息する現存する最大の猛禽類です。ダチョウなどの飛べない鳥を除けば、飛べる鳥の中で最大級の大きさを誇っています。翼開長3m体重は15kgほどの巨鳥です。死肉を食らうスカベンジャーであり、空中戦をするファイターではありません。

空中戦をする猛禽ではないため、獲物に追いつくスピードも、獲物を捕らえる旋回能力も必要ないのがコンドルです。屍肉食なため獲物を狩るための高度な飛翔能力をもたないと一般的に言われているのがコンドルなのです。

そうなのです。コンドルは体が重いために、飛行能力は低いと一般的にいわれているのです。体重の重いランナーが軽々と走れないのと同じ理屈です。

動物園でコンドルを観察してみればすぐにわかることです。鈍重なコンドルが動物界でもっとも効率よく移動しているとはとうてい思えません。

そのコンドルが移動効率が動物界で一番いいって、いったい誰がどういう計算をしているんでしょうか?

みんなジョブズの言葉に感動して、そこを突っ込んでいる人を見たことがありません。ジョブズの言葉に聞き入るのはコンピューター関係者で、鳥類学者や動物学者、自転車関係者ではないことが原因でしょう。

ジョブズの発言のネタとなった「生物の移動効率論」をネットで検索しても出てきません。「コンドル」「移動効率」で検索しても、出てくるのはジョブズの発言ばかりです(日本語検索しかしていませんが)。

元ネタとなった「生物の移動効率論」というのは、どうやらこういうことのようです。

「1km進むための空、海、大地の生き物の移動効率を(消費カロリー/体重)で割り返して、体重当たりの消費カロリーが小さい順に並べたもの」

なるほど、体重で割り返しているのですか。だとすれば猛禽類最大の体重で割り返せば、消費熱量は小さくなるかもしれませんね。

もしも1kmの飛行にかかるエネルギーが他の鳥と同じだとすれば、ですが。

しかしF1など自動車レースの世界でも同じですが、車体重量は軽いほどいいのです。およそ移動効率の計算をするときには軽い方が有利に決まっています。重たいコンドルが最高効率というのは、ちょっと考えただけでおかしいのです。

最大で15キロにもなる体重を宙に持ち上げるだけで、ものすごいパワーが必要になります。約3メートルの巨大な翼をバッサバッサと羽ばたく必要があるのです。ペリカンだってあの巨体で飛ぶのにバッサバッサと必死でした。運動効率どころの話ではありません。効率よく飛ぶ鳥はスイーッと音もなく飛ぶはずでしょう。

動物界最速のスピードを発揮するハヤブサは翼開長はコンドルの半分ほどであるが、体重は1kgほどしかありません。体重は15分の1しかないのです。だからあれほどすばやく飛ぶことができるのです。鳥類というのは飛ぶために骨をスカスカ中空にしてまで体重を軽くしています。文字通り身を削って体重を軽くする進化をしてきた生き物なのです。

ハヤブサに対して、翼開長2倍、体重15倍のコンドルの移動効率が動物界で一番だと言われても、わたしにはまったく信じられません。

太ったランナーの足が遅いのは宙に浮くことが困難だからです。体重は浮遊に決定的な影響を及ぼします。あまりに重ければ飛ぶことさえできません。ダチョウが好例です。ダチョウの羽根のカタチが飛ぶことに適しているとかいないとか云々するよりも、そもそもダチョウは飛ぶには重たすぎます。太っちょランナーの運動効率は悪いに決まっています。

自然界でコンドルは腐肉を食べ過ぎて、まれに体重が重くなりすぎて飛び立てなくなる事もあるそうです。翼は大きいが、その翼を動かすのに十分な胸筋がないというのです。そのため、ほぼ羽ばたくことはせずに滑空飛行を行うのだそうです。生息地が南米の山岳地帯なのは、滑空するために風の助けが必要だからだそうです。斜面上昇気流に乗って滑空できるだけの谷(と餌の死体)がある地域にしか生息できない生き物なのがコンドルです。

なるほど上昇気流に乗って滑空しているのか……。えっ? 滑空? 風の力を利用してもいいの? これってそういう勝負なの?

普通は「自分の筋肉を使って」自力勝負の比較だと思います。なんかおかしいんですよ。ジョブズが引用したこの論文は。

風を利用するのが「あり」なら、田んぼの害虫ウンカなんて中国から風に運ばれて日本まで飛んでくるのです。ものすごい運動効率じゃありませんか。

やはり一般的な意味で「移動効率が最もいいのはコンドル」だというのは確実に間違いだと断言していいでしょう。

仮に「滑空はアリ」だとしましょう。コンドルが風の助けを得て滑空している時の運動効率を計測しているとすれば、かなりの運動効率でしょう。

しかしそういう鳥はコンドル以外にいくらでもいます。コンドルだけが滑空OKで、ほかの鳥はダメというんじゃあ、そもそも条件が平等じゃない「バカ論文」です。なんのための比較だかわかりません。

鳥類の中には風の力を借りて海や山脈を越えるものさえいるのです。キョクアジサシの年間移動距離は80,000kmです。アネハヅルのようにヒマラヤ山脈を越えてしまうような鳥だっています。彼らだって上昇気流を翼にはらんで滑空している時の運動効率でコンドルと比較しなければ公平な競争とは言えません。

私にはコンドルがヒマラヤ山脈を越えられるとは思えません。どう考えてもジョブズが引用した論文はおかしいのです。そして誰もそれを指摘しないことに笑ってしまうのです。

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そもそもスピードを無視した運動効率なんてありえない

さて「自転車」です。元ネタの論文では自転車を使うと、移動効率最高のコンドル(←間違っていると断言します)の2倍も効率がいいということになっています。つまり「ありとあらゆる生物の運動効率の中でも、自転車に乗った人間がダントツに運動効率がいい」ということです。

他の生物を全く寄せ付けないダントツ大差で、自転車の運動効率がいいだって??? この学者は自転車に乗ったことが一度でもあるのでしょうか。

どうですか? このブログを読んでくださっているロードバイク乗りの皆さん。実感としてそう思いますか?

またまた恐縮ですが、わたしには到底そうは思えないのです。

ランニングに比べてロードバイクの効率がいいことは間違いありません。こんなわたしが自力でウサイン・ボルトよりも速く走れるのですから。

しかし鳥類にくらべて二倍の運動効率で、地球上の生物の中で圧倒的に最高の効率で前に進んでいるとは、とても思えません。だって運動効率がもの凄くいいってことは、全然疲れないってことでしょう?

そんなことはありません。ロードバイクだってスピードを出せば非常に疲れます。「ツール・ド・フランス」の選手たちは、苦しさのあまり涎・鼻水をたらして走っているではありませんか。

この自転車の移動効率最高理論は、どういう学者が、どういう実験で言っているのでしょうか。ジョブズのせいでバカ論文が歴史に残っちゃって、いまごろ困惑しているのではないでしょうか。

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限定し、条件を絞れば、トップに立つのは簡単

専門家が本当のことを言っているとは限りません。御用学者という言葉があります。自分にお金をくれる人や団体に都合のいいようにデータをつくってスポンサーが喜ぶような結果をつくりだす魂を売った学者のことです。

学者バカという言葉もあります。詳細のデータに夢中で全体が見えていないため、詳細から見れば正しいが、全体から見るとどんでもないバカな結論を導き出してしまう学者のことです。

たとえばコンドル保存協会から仕事を依頼された学者は、コンドルのすばらしさを世に知らしめたいために、はじめからコンドルが勝つようにねつ造したデータを作るでしょう。これはそういう論文だったのかもしれません。

それと同じように、自転車普及協会に仕事を依頼された学者は、自転車に都合のいいデータをつくったり、結論を導いたりすることがありえます。たとえば競争する相手を太っちょコンドルに限定するとか。自転車に都合の悪い条件は無視するとか。

条件を絞れば、トップに立つのは簡単です。やり方はいくらでもあります。たとえばスピードは考慮しない、という限定方法です。

おそらく自転車で最高に運動効率を発揮するためには「惰性で進む」ことです。ペダルをひと漕ぎしたら惰性で進み、スピードが落ちてきたらペダルが重くなる前に、さらにひと漕ぎする。スイーッと進みます。陸上動物は動きを止めたら止まってしまうため、自転車の惰性で進む力は、運動効率の意味ではかなりの有利さを発揮するかもしれません。

水の抵抗は大きいから、イルカやマグロなど海中の動物も、やはり動き続けないと、すぐに止まってしまうでしょう。やはりライバルは「鳥」です。空中は空気抵抗が少ないから、スイーッと進むことができます。

飛ぶのが苦手なコンドルを「運動効率最高」としたように滑空を条件に入れていいとすれば、自転車は坂道を下るときには、まったくエネルギーを使わずに済みます。

下り坂の自転車と、滑空するコンドル? そんな比較がありますか?

やっぱりこの論文はどこかおかしいのです。

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運動というものはスピードを出すために膨大なエネルギーを惜しげもなく使うものだ

「風は無視」「自力勝負」という平等な条件ならば、自転車もいい線までいけるかもしれません。その場合、コンドルの優勝は完全になくなりますけれど。

しかし、そもそもスピードを全く無視した運動効率なんてありえないと思います。

自転車ロードレースでは速く走るために膨大なエネルギーをつかって空気抵抗という壁と戦い、空気抵抗を押しのけて速く目的地に到達しようとするのです。

スピードを上げるためにエネルギーを使うのは当然のことです。レーシングカーとセダン車の運動効率はもちろんレーシングカーの方がいいに決まっていますが、ガソリンをまき散らして走っているのはレーシングカーの方です。

速く走っているからです。運動というものはスピードを出すために莫大なエネルギーを使うものなのです。ジェット飛行機だって、レーシングカーだって同じです。

ツール・ド・フランスという自転車競技があります。人類最高のアスリートたちがフランス一周したぐらいで疲労困憊してしまうのです。スピードを出して走るからです。

そのあたりが自転車の限界と言っていいでしょう。海を越える渡り鳥よりも運動効率がいいわけがありません。

自転車が2位のコンドルに2倍の大差で圧勝というのは、どう考えてもおかしいのです。

自転車が生物史上最高に運動効率がいいだなんて、絶対に間違っているというのが、ロードバイク乗りとしてのわたしの実感です。

理性で考えれば、誰でもわかることだと思います。

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言葉というのは「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」が重要

スティーブ・ジョブズの「知の自転車」発言にケチをつけるつもりは全くありません。ジョブズが言いたかったことは「道具で、人間の能力を拡張できる」ということなのですから。

ただ発言の元ネタ「コンドルが運動効率が1位」というのが、あまりにも違和感があったことから、このようなことを書いただけです。他に誰も元ネタへの違和感を表明した人がいなかったので。

本気でロードバイクに乗った経験があるからこそ、気づけたことなのかもしれません。

ノーベル賞を受賞した本庶佑さんは「(科学誌の)ネイチャーやサイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年経ったら残って1割」だと言っています。

コンドルが動物界の運動効率第一位というのは、確実に嘘の9割に入るトンデモ論文のたぐいでしょう。

スティーブ・ジョブズの歴史的な名言は、このようなバカ論文を元ネタに発言されているのです

しかし10年後には残らなかったはずのトンデモ論文だったものが、スティーブ・ジョブズが引用したことで命を吹き込まれてしまいました。10年経っても残る1割の方に入ることになってしまったのです。このトンデモ論文は、ジョブズの言葉とともにずっと語り継がれていくことでしょう。

ああ、恥ずかしい。誰ですか、こんなバカなこと発表した学者は?

でも歴史に残るとは、こういうことなのかもしれません。言葉というのは「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」が重要なのです。スティーブ・ジョブズが言ったということが重要なのです。

スティーブ・ジョブズはIT長者というよりも成功したヒッピーだ

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
Bitly
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
Bitly
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
Bitly
×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
Bitly
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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