ひとつ良いこと、正しいことを言っているからと言って、すべてが正しいとは限らない
私はキリスト教は嫌いじゃありません。どっちかというと好きです。しかし信者ではありません。
そんな私がネット上の人気サイトを眺めていたら「イエス様は隣人愛などすばらしいことをたくさん言っているのに、どうして日本人はキリスト教を信じないで無宗教なのですか?」という質問がありました。それに対して私はこう思います。
キリスト教の本質はこの肉体、この意識のままで永遠の命を得られるという信仰にあります。
キリスト教の本質は、この肉体この意識のまま死者が復活すること、そして永遠の命を得ることができるということ
神の王国(天国)での永遠の命を信じられなければ、ほかにイエスがどんな素晴らしいことを言っていても信者になってはいけないのです。大事なのは隣人愛とか非暴力とか寛容さではありません。問題は永遠の命なのです。それって本当ですか? イエスのやさしさは認めるけれど、永遠の命の話しは鵜呑みにできないという境地もあるのです。
ひとつ良いこと、正しいことを言っているからと言って、すべてが正しいとは限りません。アレとコレは別だ、とものごとを区別する頭の訓練を普段からちゃんとしていないと、とにかく信じてしまうという状態になるんですね。これが信者という存在です。
大雑把な頭というか、それとこれとは話が別だ、ということがわからないみたいです。この「部分が正しいから全体が正しい」というのは信者勧誘の常とう手段なのでしょうか?
「こっちが正しいから、あっちも正しい」という理屈で、別の話を信じさせようとするのでした。
ちゃんと頭を使える人なら「こっちが正しいからといって、あっちも正しいとは限らない」と判断できるはずなんだけどな。
最初は病人をなおす医者のような存在。医者の言うことはみんな正しいのか?
聖書でイエスの布教活動を見ていると、最初からみんな永遠の命を信じたわけではありません。「病気を治す」ことによってイエスのことを人々が信じるようになっていった姿が聖書には描かれています。足なえの人が歩けるようになったり、目が見えない人が見えるようになったり、最初は医者みたいな存在なのです。悩んでいた病気を治してくれたから医者のいうことを信じる、というわけですね。
問題はDr.イエスの健康指導を信じるのならまだいいとして、なんで彼の言うことなら全部正しいということになってしまうのか、ということ。発言のひとつひとつ検証が必要なのではないでしょうか。だって病気を治してくれたことと、天国で復活できることはまったく別の話しなんですから……。
信仰とは? 信者とは? 信者脳と哲学者脳
先の質問者は「イエスが良いことを言っている」から「信者になれ」という主張を展開していました。しかし「いいことを言っていること」と「かれの言うことならすべて正しい」のあいだには飛躍があります。たくさん主張している人のAという主張が正しいからといって、Bという主張も正しいとは限りません。しかし病気を癒された人は彼の主張のすべてを信じてしまうのです。これが信仰、信者という状態です。この状態の脳を信者脳といいます。信者脳の対極にあるのが哲学者脳です。
哲学者脳の人はいちいち別個に「これは正しい。これは間違っている」と自分の頭で判断を下しますが、信者脳の人は「これが正しいから、ほかもぜんぶ正しい」と判断してしまいます。
一部が正しいからといって、すべてが正しいとは限らないのですが……信仰する人に哲学者は常にこう問いかけてきました。否定するのではなくあくまでも問いかけです。
ヒゲの魅力。イエスは髭づらなのに、ブッダは顎髭がないのは何故だ?
しかし信者は、カリスマのいうことをすべて受け入れてしまいます。彼が全財産を献金しなさいといえばそうしてしまうのです。信者脳の人はマインドコントロールにかかりやすい状態にあるといえるでしょう。
もっともDr.イエスは、病人を癒すだけでなく、最終的には死んだ人(ラザロ)を生き返らせたりします。そして自分も生き返るわけですが……。だからイエスは哲学ではなく心理学ではなく宗教なのです。
開明の光に目を覚まし、哲学者脳でありたいものですね。