漫画家・松本零士は『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』の原作者だといえるのか?

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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前科あり? 松本零士氏が銀河鉄道999に果たした役割とは?

たった今、松本零士さんの漫画『銀河鉄道999』を読み終わりました。なんというか……とっても不思議な気持ちがしました。映画の方が漫画よりも完成度が高いので(笑)。

私は『銀河鉄道999』を映画で見ています。映画はほんとうに素晴らしい出来でした。そういう私が、松本漫画を読むと、なぜか物足りないのです。

これは最初に出会った神さまを信仰するというやつでしょうか? いいや決してそうではありません。あきらかに映画の方がストーリーの出来がいいのです。

通常、原作に対して、映画は大衆化されるために改悪されて出来が悪くなることが多いものです。しかし『銀河鉄道999』の場合は、明らかに映画の方が出来がいいのです。

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

Amazon.co.jp

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『終着駅』作品のエンディング

漫画版『銀河鉄道999』の場合、鉄郎は最後まで機械化人か生身の体か悩んでいます。見たら欲しくなるに違いない。永遠の命。すばらしい機械の身体。限りある命。ぼくのこの体……。

しかし限りある命だから人は一生という時間の中で精いっぱい頑張る。短い時間の中で何かをやりとげようとする。という映画と同じ哲学にたどり着き、最後の星に着く前に、機械の体なんてくそくらえ! と機械の体のカタログを投げ捨てます。

(終着駅に)もうすぐ到着してしまうのだ。たくさんあると思っていた時間も……今となればつかのまの夢のようなものだった。でももうここまで来てしまったのだ。終わりは近い。

映画では活躍しない車掌さんがなごりをおしみます。「お別れの時がまいりました。またのご利用を……お別れです。鉄郎さん。さびしいです……」

鉄郎は、たじろぐことはあっても、悩むことはあっても、歯をくいしばって歩き通す強い心をもった男の子だと機械化人に認められ、機械化母性をささえる機械のネジにされてしまう、というところは映画もマンガも同じです。

いいよわかったよ。なってやるよネジの体に。メーテルは命がけで一緒に旅をしてくれたんだ。

どんな体だという約束はなにもなかったのさ。僕は夢を追ってここへ来たんだ。何も後悔してはいない。自分で行こうと思ったところへ、自分の意志で来たのだから。

メーテルと父親ドクター・バン。ネジたちの裏切りで機械化母性が滅ぶところは同じです。

映画のラストシーンでは、地球に戻っていったん銀河鉄道の旅を終えた鉄郎が、生身の体を求めて旅立つメーテルを見送るところで終わっています。

しかしマンガ版では、メーテルは機械化母星に残って、鉄郎は999で旅を続ける、というエンディングです。999に乗る前に僕はメーテルが悪魔の子でも魔女でもかまわないと誓った。ぼくにとってのメーテルはずっと僕の前にすわって旅をしたメーテルだけだ。だから……だからぼくは見たくないよ。このシーンは漫画の方がよかったな。ありがとう、鉄郎……。そしてキスして別れます。

やっぱり私は鉄郎にはいったん旅を終えて銀河鉄道を降りて欲しかったと思います。旅は続く、ではなくて。でないと、車掌さんなどが「旅の終わり」旅情をさそってきたことが無駄になります。

やっぱり私は鉄郎には泣いてメーテルを追いかけてほしかったと思います。まだ子供なんだから心の中をむきだしにしてほしかったです。漫画版では涙ひとつ流さないのです。

時系列的に先行する映画の方がすばらしいエンディングだったというのはこういうところです。

これは映画監督の功績でしょうか? それとも脚本家の功績でしょうか? とすれば『銀河鉄道999』に松本零士さん(以下、敬称略)が占める役割とは?

私はそれがとても気になりました。

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『宇宙戦艦ヤマト』著作権問題。原作者は誰だ?

松本零士さんといえば『宇宙戦艦ヤマト』著作権問題の前科? があります。

この宇宙戦艦ヤマト著作権問題というのは、1974年にアニメーションとして放映されたアニメーション『宇宙戦艦ヤマト』の原作者が誰かという裁判にもなった問題です。

『宇宙戦艦ヤマト』はアニメが有名ですが、漫画版もあります。書いているのは松本零士さん。

しかし現在では『宇宙戦艦ヤマト』の原作者・原案立案者といえるような人はプロデューサーだった西崎義展さんだとされています。

ディズニーの『シンデレラ』や『鉄腕アトム』や『ワンピース』の原作が書物・漫画だからといって、すべての映画が書物(漫画)原作だとは限らないのです。アニメ・オリジナル作品(企画)というものもたくさん存在します。

『宇宙戦艦ヤマト』のアニメーションは1974年10月から1975年3月まで放映されました。それに対して漫画連載は1974年11月から1975年4月まで連載だったようです。ギリギリ、アニメが先で漫画が後なんですね。これは大問題です。原作というのは先にあるのが当たり前ですから。

松本零士さんは後日、『宇宙戦艦ヤマト』はおれの作品だ、という訴訟を起こしますが、いろいろ関係者の取材など調べられた結果、大枠では西崎プロデューサーの作品だったと確定しています。

そもそもアニメの企画として西崎原案があったものを、松本零士や豊田有恒などのブレインが肉付けして現在のイメージが固まったものだそうです。それをアニメと同時期に漫画にしたのが漫画家の松本零士だったというわけです。メディア・ミックス戦略というやつです。

松本零士さんが関係者のひとりだったことは間違いないのですが、それを「おれのオリジナル作品だ」とまで言うのは言い過ぎだというわけです。

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松本零士は『銀河鉄道999』の原作者だと言えるのか?

さてそんな前科? のある松本零士さんが『銀河鉄道999』の原作者だと本当に言えるのでしょうか? まさか『宇宙戦艦ヤマト』と同じパターンなのでは?

まずは『銀河鉄道999』の映画と漫画の時系列を調べてみましょう。

漫画『銀河鉄道999』は1977年から1981年9月にかけて連載されました。それに対してテレビアニメは1978年9月から1981年3月にかけて放映されました。『宇宙戦艦ヤマト』と決定的に違うのは『銀河鉄道999』は漫画作品の方が先にあるということですね。

次に映画を調べてみましょう。映画はほんとうに名作でした。見ていない人は(とくに男性は)必見です。

映画『銀河鉄道999』が1979年8月に公開。ゴダイゴの主題歌が有名なやつです。そして映画『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』は1981年8月公開です。松本さんは企画・原作・構成という名目で映画製作に携わっています。

こう見てみると『銀河鉄道999』の方は、松本零士さん原作ということで間違いないようですね。

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漫画原作が終了していないのに、先に映画でエンディングをばらしてしまったというアニメ優先の作品だった。

漫画原作の終わり方は、映画『銀河鉄道999』(最初の方)とだいたい同じです。時系列でいうと映画の方が先に「同じエンディング」をむかえているということです。これは画期的なことだったのではないでしょうか?

ワンピース』でいえば、まだ原作漫画が終了していないのに、映画が先に大秘宝ワンピースの謎と冒険のエンディングを公開してしまうということですから。

これは原作者の松本零士さんが「今後の展開」「謎の答え」「伏線回収の腹案」を映画関係者に話して、その通りに映画を製作したからだと考えられます。だから映画と漫画のエンディングが似通ったというか、もともと同じイメージのものだったということでしょう。

でも……映画の方が終わり方が圧倒的にすてきなんですよ。この功績は松本零士さんではなく、脚本家や監督のものではないでしょうかねえ?

去っていくメーテルに泣きながら駆けだしてすがる鉄郎……あの切ないシーンが漫画版にはまったく存在しないのです。漫画版の方はいいシーンを省略しすぎ……という気がします。

漫画の方が時系列的に後なんだから、話しを盛って映画以上にできなかったのかな? せめて映画のエンディングをそのまま踏襲すればよかったのに……と思ってしまうのです。漫画の原作の最終話が書かれたのは「さよなら銀河鉄道999」のエンディングよりも後なんですよ!!

そうしなかったのは、松本さんのセンスに映画のエンディングは合わなかったということなんでしょう。自分のセンスで漫画のエンディングをつくれてしまうのも、彼が原作者だからということに他ならないということです。

手塚治虫さんもアニメにこだわったことで有名ですが、松本零士さんも漫画よりもむしろアニメにこだわった人なのかもしれませんね。アニメがやりたいから漫画家になった、という人はときどきいますから。

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星野鉄郎の悲惨な旅。短編旅もののパターン。襲われ気絶するパターンがあまりにも多い

漫画『銀河鉄道999』のエンディングが、最初に見た映画の方がよかったので、松本零士さんの実力を疑うようなまねをしてしまいましたが、彼がいなければ『銀河鉄道999』は存在しなかったのだということがわかりました。

さて『銀河鉄道999』といえば、旅ものの一話完結ストーリーです。この松本漫画を見ているうちにこれは『水戸黄門』だなあ、と思いました。なんとなくストーリーがパターン化できるのです。

どういうことが見ていきましょう。

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「旅もの」のパターン。どう現地人と関わり合いをもたせるか、が腕の見せ所

銀河超特急999が、新しい星に到着する。興味を引く何かがあり「降りてみよう」となる。そして事件に巻き込まれるのがパターンです。そしてたいていメーテルと鉄郎は離れ離れになります。メーテルがお風呂に入っているあいだに好奇心や空腹などで鉄郎がお出かけします。鉄郎がトラブルメーカー役です。

『銀河鉄道999』は「旅もの」です。しかし「変わった星にたどり着きました」というだけではエクスペディアの観光案内になってしまいます。現地の人と関わり合いにならないかぎりは物語とはいえません。

その現地人との関わり方にも「パターン」が存在します。

二人が冒険・散策をしている最中に、異星人が絡んできます。因縁をつけてきたり、頼みごとをしてきたり、泥棒に遭ったり、テロに遭ったり、処刑されそうになったり、失言していきなり殴られたりします。

ほとんどヤンキーに絡まれるかのようです。

銀河鉄道の乗客は有名らしく、向こうはこっちを知っていてご招待を受けるパターン。異星人側からホテルに誰かが忍び込んでくるパターンもあります。

お金持ちの旅行者とうらやましがられて、強制的にトラブルに巻き込まれます。物売りに絡まれるパターン。人身御供にされたり、食人習慣に遭ったりします。向こうから話しかけられることが多いのが特徴です。銀河鉄道に乗りたい人、お金がほしい人、腹が減っている人が話しかけてきます。

鉄郎の生身の体を欲しがるパターンも多いです。事件に巻き込まれている人を助けてそこから冒険がはじまったりします。けっこうな確率で強盗に遭うのが特徴です。

治安維持法違反で現地の官憲に逮捕されたり、政府と人民の戦いに巻き込まれたり、その星でやらなければならないことがあったり、とにかくトラブルに巻き込まれます。

ふつうは「旅」をしているとトラブルというのは「例外」なのですが、『銀河鉄道999』の場合は、例外集のように例外のトラブルばかりが描かれます。鉄郎が何とか解決しようと頑張ります、メーテルがそれに協力します。

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「これは夢なんだ」気絶して場面転換する幻想の物語。

このようにトラブルに巻き込まれる鉄郎(とメーテル)ですが、気絶しているあいだにすっかり別環境に放り込まれているパターンがとても目につきます。

よく気絶してその間に勝手に話が進んでいるパターンは非常に多いのですが、漫画連載のページ数の制限というよりは、作劇術だと思います。

気絶しているあいだにメーテルが問題を解決してくれていたり、鉄郎のやさしい心が認められて現地人の協力でトラブルが無事に解決していたりします。

気絶する直前に撃たれても未来の医療で治療されて現状復旧しています。

何も知らない鉄郎がトラブルに巻き込まれ、なんでも知ってるメーテルが星の不思議な生態の解説者というわけです。

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少年が大人になるための履修過程みたいなものを終了していく筋書き

事件から鉄郎は何かを教えられて成長します。人の価値観の違いとか、勇気など人生における大切なものとか、永遠の命と限りある命についての哲学とか。

少年が大人になるための履修過程みたいなものを終了していく筋書きです。

異星人を眺めているだけで学ぶというパターンもあります。バカな人たちから学び、立派な人たちからも学びます。

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時間に正確という銀河鉄道は口だけ。脱線、時間無視、ルート無視の例外ばかり。こんな列車に乗りたくない!!

発車時間に遅れると置いていかれてしまうことから、『銀河鉄道』は時間に厳格だというイメージがありました。

しかし銀河鉄道の時間に厳格なルールというのは、原作漫画では、ほとんど守られていません。車掌さんが「口で」ルール厳守というだけで、実際には999は脱線したり、脅迫されたり、強襲されたりします。まったくろくな電車じゃありません。

出発時間は無視しますし、いったん出発したのに思い直して戻ってきたり、例外的に鉄郎を待ったり、正規のルートを変更したり、無視したりします。バラバラにされたのに異星人の好意で現状復旧してもらったり、こんな電車で旅したくねえよ(笑)。

このように漫画原作では例外の事件ばかりが描かれます。物語っていうのはこういうものなんですね。例外集、トラブル集といったほうがいいでしょう。例外を描くのが物語なのです。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

https://amzn.to/44Marfe

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

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私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
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●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
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●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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