後年の少女マンガ、女性向け恋愛小説、韓流ドラマの元祖といってもいいような作品
ここではブロンテ姉妹の、お姉ちゃんの方の名作『ジェーン・エア』の内容、魅力、あらすじ、書評、感想を書いています。1847年刊行。まさにヴィクトリア朝時代の作品です。
後年の少女マンガ、女性向け恋愛小説、韓流ドラマの元祖といってもいいような作品でした。
ちょっと暗めで芯の強い孤児が主人公です。孤児というところは『赤毛のアン』と似ていますが、性格は違いますね。『赤毛のアン』のグリーンゲイブルズや「嵐が丘」もそうですが、個人の邸宅に象徴的な「二つ名」がついているのが特徴的です。これは少女趣味なのでしょうか。
貴族のお城ならともかく、個人の邸宅にそんな御大層な名前をふつう付けます? 日本人にはない感覚だと思います。ちなみに「ジェーン・エア」の邸宅はソーンフィールドといいます。ロマンが搔き立てられますね。
『ジェーン・エア』の内容、魅力、あらすじ、書評、感想
孤児の少女ジェーンが伯父さんの家でいびられながら成長し、養護院を経て、家庭教師として謎の家で働くようになるというのが前半のストーリーです。
その館の主人ロチェスターとジェーンは恋におちるのですが、恋の相手はイケメン王子様ではありません。年の離れた、いかつい感じの、野獣タイプの変わった人です。ジェーンも不美人設定で、それが革新的に新しかったそうです。ロチェスターは身分の高い金持ちですが、暗い影を背負っています。
ロチェスターはジェーンの芯の強さ、知性に惚れた設定。これはシャーロット・ブロンテが容姿のみで女を選ぶ男性たちに対してノーをつきつけているのでしょう。
後年の少女漫画に見られる設定の多くを、ジェーンエアに確認することができます。そういう意味で本作は、少女漫画のご先祖様のようなものだというのが私の評価です。
何の理由もなしにわたしたちが打たれた時は、思い切り打ち返さなくてはいけないわ。
わたしは、なぜいつもいじめられてばかりいなければならないのだろう。なぜ、いつもおどしつけられ、叱言を言われつづけねばならないのだろう。なぜわたしは、みんなの気に入らないのだろう。いくら一生懸命気に入られようとつとめても誰もちっともかわいがってくれないのはいったいなぜなのだろう。
家じゅうのものがみんなで寄ってたかって非難を加える。
不合理だ! 不公平だ!
→ でました! 少女マンガおきまりの「不幸な境遇(孤児)」「いじめられ設定」です。
リード氏(母の兄)の亡霊が、わたしの眼前に現れるかもしれない。
→ 亡霊といえば『嵐が丘』ですが、ジェーン・エアにも亡霊的なシーンがいくつか登場します。
〈ローウッド学院〉
もし正しくない人に、いつも親切に言うとおりに従っていたら、その人たちはしたい放題のことをするわ。何の理由もなしにわたしたちが打たれた時は、思い切り打ち返さなくてはいけないわ。私たちを殴った人が決して二度とそんなことはしまいと悟るほど、それぐらいしっかり打ち返してやらなくてはいけないと思うわ。わたしがどんなに気にいろうと努めても、あくまで私を嫌い続ける人なら、こちらからも嫌ってやらなければならない。不当にわたしを罰する者には手向かわなければならない。
→この女の気の強さは、刊行当時、衝撃をもって受け止められたそうです。現代の核抑止力理論に通じるものがありますね。
夫人の厳しい仕打ちを、それによって引き起こされた、あなたのはげしい、たかぶった気持ちと一緒に忘れてしまうようにつとめたら、あなたはもっと幸福になれるんじゃないかしら。人に怨みを抱いたり、まちがった仕打ちをいつまでも忘れずに過ごすにしてはこの人生はあまりに短すぎるように思えるのよ。わたしたちはみんな欠点の重荷をしょってこの世に生きているし、生きていなければならないのだわ。
わたしは眠っており、ヘレンは——死んでいた。
→友達と一緒にベッドで眠っていたら、翌朝、友だちは冷たくなっていた、という衝撃シーンです。
束縛が、表情を押さえつけ、声をしずめさせ、手足を拘束している。
〈ロチェスター邸・ソーンフィールド〉
わたしが生まれつきふしだらでなかったように、あなたも生まれつきはきっと厳格ではなかったのです。ローウッドの束縛が、表情を押さえつけ、声をしずめさせ、手足を拘束している。人の前であまり陽気に笑ったり、自由に話したり、活発に動いたりすることを怖れている。しかしそのうちわたしに対して自然な態度がとれるようになると思います。
あなたは嫉妬を感じたことなどないのでしょうね、エア先生。
訊くまでもありませんね。恋をしたことがないのだから。
目を閉じ、耳を覆って、漂っていけば、流れの底近くそそり立つ巌も見えず、岩すそにたぎる白波の音も聞こえない。だが、お聞きなさい。あなたはいつか岩だらけの海峡の水路にさしかかる。そこでは人生のどんな流れも、渦巻きや荒れ狂う怒涛の中へ、飛沫や騒音の中へ、砕け散ってしまうだろう。
→ これは恋愛の暗示でしょう。『ジェーン・エア』を少女マンガの元祖だと指摘した通り、本書のメインテーマは恋愛と結婚です。恋愛狂騒を荒れ狂う怒涛に例えるあたり、さすがですね。
ロチェスターの顔はわたしが何よりも見たいものとなってしまったのだ。部屋の中に彼がいるということは、どんなに温かい火にもまして、喜ばしいことであった。
美は、見つめるものの目の中にある。主人の顔立ちは原則的には美しくはなかった。けれどもわたしにとっては、はるかに美しさ以上のものであり、完全にわたしを支配してしまうような興味と作用に満ちていた。
彼らの階級はすべてこのような主義を奉じているのだ。
→ でました! 「身分違いの愛」。これも少女マンガ、韓流ドラマの定番ではないでしょうか。このように「ジェーン・エア」は王道を行くのです。
もしわたしが彼のような紳士であったならば、自分が愛することのできるような女でなければ、娶りはしないであろう。しかし私のまったく知らない反対意見があるのに違いない。さもなければ世の中の人はすべて私が欲するところと同じ行動をとるに決まっているからだ。
→ そうですよね。世の中には「なんでこんな行動するのかわからない」という人がたくさんいます。その人たちの考え方を私たちは理解することができません。みんな同じ考えだったらいいのに、どうしてこんなに世には意見と感じ方があるんだろう。
彼女は振り向いて、傲慢な態度でこちらを見た。その目は〈いま時分、この虫けらが、何の用があるんだろう?〉と言っているようであった。
横柄な表情や、冷ややかな態度、無関心な語調など、言葉や行為にあからさまな不躾なことをしてみせなくても、彼女の気持ちを遺憾なく表現しているのである。
→ 女同士のいやがらせ、いじめ行為です。少女マンガの王道ですね。
侮蔑はかつてわたしに対して振るっていた力をまったく失っていた。エリザが私の感情を害することも、ジョージアナがわたしをいらいらさせることもなかったのである。彼女たちが私の心に引き起こすよりもはるかに強い感情がわたしの内部に呼び起されていたのだ。彼女たちの力よりもはるかに鋭く激しい苦痛と喜び——だから二人の態度が良かろうと悪かろうと、わたしにはぜんぜん関係がないほどであった。
その石のような目を見て、彼女が最後までわたしを悪く思おうと決めていることを知った。わたしは苦痛を、そして怒りを感じた。そして彼女に打ち勝とう——彼女の性格や意思がどうあろうとも、こちらはその上手に出ようと決心した。
→ 少女マンガ特有の「心のたたかい」が展開されます。まだ少女マンガのなかった時代、女たちは『ジェーン・エア』に熱狂したんでしょうね。
遺骨が納骨堂に運ばれたその日から、あなたとわたしは、おたがい、まるで見も知らぬ人間みたいに離ればなれになるのです。わたしは、あなたを古い世界に残して、自分は新しい世界に行きます。
→ 仲たがいする姉妹が描かれています。ブロンテ姉妹は仲よかったのかな? 気になりますね。
かわいそうな女! いまはもう習慣になって身についている考え方を変えようと努力することは彼女にはすでに遅すぎた。生きている間、彼女はわたしを憎み続けてきた——そして死にのぞんでも、なおわたしを憎まなければならないのだ。
→ 少女時代の最大の敵、育ての母(虐待おばさん)との最後の対面シーンです。
このような形で死ぬことの恐ろしさに対して起こる暗い無常な失望感があるだけであった。わたしたちは誰も涙一滴こぼさなかった。
結婚を決意した相手のロチェスターは妻帯者だった!
友だちの家でその小さなさすらいの足のつかれを休めなさい。
仲間の人たちから愛され、自分の出現が、その人たちの楽しみを増すと感ずることほど幸福なことはない。
わたしは未来に対し、きっぱりと目を閉じた。
われにもあらず涙が溢れ出た。けれども声を立てて泣きはしなかった。わたしは嗚咽を抑えていた。
わたしがあなたにとって何の意味もないものとなってもなおここにとどまっていられるとお考えなのですか? 私を感情も持たぬ機械だとお思いになるのですか? わたしが貧乏で、名もない身分で、不器量で、ちっぽけな女なので、魂もなければ愛情も持たないとお思いになるのですか?
私の受ける征服は、自分の手にする、どんな勝利よりも魅力があるのです。
怒った時のあなたは火の精のようになる。そうです。わたしはイングラム嬢に求婚するふりをしたのです。
その目は、わたしがその顔からも視線からも避けようとしていたのに、しつこくわたしの目を追い求めていたのであった。
ロチェスター氏には現在存命中の夫人があります。これまで雷鳴に震えたことのないわたしの神経だが、この低い声で言われた言葉にはわなわなとふるえた。いまだ霜にも火にも感じたことのないような名状しがたい激しい痛みをわたしの血は感じた。
→ 結婚しようと思ったロチェスターは妻帯者でした。「ジェーン・エア」はイギリスの作品ですが、イギリス国教会の信徒ではないのですね。1534年成立したイギリス国教会なら離婚できるんですが。「神が結び付けたものを、人が引き離してはならない」というやつでしょう。ロチェスターの妻はまともじゃない女性(気ちがい)だったのですが、離婚もできず、閉じ込めて生活の保護、介護だけをしていたのです。
ジェーン。あなたにとって大事だったのはわたしの地位とわたしの妻としての身分だけだったのですか? 夫になる資格がないと、それでわたしがさわるのをいやがるのだね?
→ 結婚できないことを悟ったジェーンはロチェスターの元を去ります。ひとつのシーンが終わり、別のシーンとなります。
× × × × × ×

(本文より)
カプチーノを淹れよう。きみが待っているから。
カプチーノを淹れよう。明るい陽差しの中、きみが微笑むから。
ぼくの人生のスケッチは、まだ未完成だけど。
裏の畑の麦の穂は、まだまだ蒼いままだけど。
大地に立っているこの存在を、実感していたいんだ。
カプチーノを淹れよう。きみとぼくのために。
カプチーノを淹れよう。きみの巻き毛の黒髪が四月の風に揺れるから。
「条件は変えられるけど、人は変えられない。また再び誰かを好きになるかも知れないけれど、同じ人ではないわけだよね。
前の人の短所を次の人の長所で埋めたって、前の人の長所を次の人はきっと持ちあわせてはいない。結局は違う場所に歪みがでてきて食い違う。だから人はかけがえがないんだ」
金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。
夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。
夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。
あの北の寒い漁港で、彼はいつも思っていた。この不幸な家族に立脚して人生を切り開いてゆくのではなくて、自分という素材としてのベストな幸福を掴もう、と――だけど、そういうものから切り離された自分なんてものはありえないのだ。そのことが痛いほどよくわかった。
あの人がいたからおれがいたのだ。それを否定することはできない。
人はそんなに違っているわけじゃない。誰もが似たりよったりだ。それなのに人はかけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。
むしろ、こういうべきだった。
その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と。
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少女マンガの王道を行く展開。
ジェーンは牧師セント・ジョンとその妹、ダイアナとメアリーにホームレス状態のところをひろわれて同居することになります。やがてその三人は従兄弟であることが判明します。そして親族から遺産を相続してお金持ちになるのでした。
→ 出自の謎が明らかになっていくという、これも少女マンガ特有の展開ではないかと思います。
いまはぎりぎりのところまで追いつめられていた。窮乏と面と向かっている。手段もなく、友もなければ、お金もない。
→ 貧乏暮らしも少女マンガの王道のひとつです。
わたしは自分をはねつけた人たちをとがめだてはしない。それは当然予期されたことではあり、助けてもらえるはずもないと、わたしは感じていたのだ。彼女の方が正当なのだ。
家を持たぬ窮乏の恐ろしさを、もういちどあじわうことは、わたしにはもう耐えられません。
結婚して一年もたたぬうちに、わたしは気づく。十二カ月の恍惚感の後には、おそらく終生後悔が続くだろう。
→「ジェーン・エア」は女性の作品らしく「恋愛」そして「結婚」が大きなテーマとなっています。三角関係もテーマになっています。
あなた方三人はわたしの従兄弟ということになるのですね。わたしたちは、お互いに血の半分は、同じ源から流れ出ているのですね?
思わず口をすべらしてしまったものらしい。なぜならそう言った途端に彼女はその逃げ出した言葉を呼び戻したいようなそぶりを見せたからである。
彼を喜ばせようとすれば、自分の性質を半分押さえつけ、自分の才能を半分押し殺し、自分の趣味を本来の性質から捻じ曲げなければならぬ。それは私の緑色の目を、海のように青い荘厳な光を帯びた彼の目の色に染め直すことができないのと同じように不可能なことであった。
あなたは勤労のために形づくられたのであり、恋愛のためにつくられたのではない。
わたしは露骨に挨拶まで抜きにされ、涙ぐむほど心を傷つけられた。
わたしはいつも、もったいぶるよりも、楽しそうにしている方が好きなのだ。
もし結婚したら、あなたはわたしを殺してしまいます。
あなたと和解しようとしても無駄でした。わたしはあなたを永久に敵にしてしまったことを知りました。
人間を便利な道具としてしか認めない男の人と一生つながれているのは、不自然ではないでしょうか? 私の生涯はいいようのないみじめなものになります。
あの方は小さな人間どもの愛情や要求をすっかり忘れておしまいになります。
ああ、このやさしさ! 力などより、なんと、はるかに効果的なことであろう!
→ 結婚を巡る三角関係とは、高潔だが非人間的なキリスト教伝道師を選ぶか、野蛮で愛情ゆたかな人を選ぶか? というジェーンの葛藤にあります。尊敬できる仕事のできるタイプを選ぶか。自分を情熱的に愛してくれる野人を選ぶか? はい。少女マンガフアンのみなさんならもう答えはおわかりですよね? 理知的なインテリは負け、衝動のままの子供のようなわんぱくが選ばれるのはヴィクトリア時代から決まっているのでした。
ラストは『冬のソナタ』盲目まで登場するサービスっぷり。元祖は偉大だ

旦那様はまるっきり目が見えないのです。まったくの盲目なのですよ、あのエドワード様が。
→ でました、盲目! 韓流ドラマ展開の元祖か? このシーンで私は『冬のソナタ』の最終回を思い出しました。
ジェーンの声は、わたしのしぼんだ声を明るくし、わたしの心に命を吹き込む。
わたしのような盲目の不具者に身を捧げることを許してはくれないだろう。
生きている限りわたしはあなたを置き去りにはいたしませんわ。
彼とともにいると、うっとうしい遠慮もなく、浮き立つ気持ちを抑制するものもなかった。彼という存在の中にこそ、わたしは生き、わたしの中にこそ彼は生きるのだ。
あの強かった人の無力さが痛いほどわたしの胸をうった。鳥の王者である鷲が止まり木につながれて、一羽の雀に向かって餌を恵んでくれるようにと哀願しているようにも思われた。
万一、運命がわたしの身体をあなたから引き離す時が来ても、心だけはいつまでもあなたのおそばに残っています。
シャーロット・ブロンテは現代日本に生まれていたら、作家ではなく少女漫画家になっていたんじゃないかな、と思います。それほど『ジェーン・エア』は少女マンガに欠くべからざる要素が詰め込まれた元祖のような作品でした。
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『ギルガメッシュ叙事詩』にも描かれなかった、人類最古の問いに対する本当の答え
(本文より)「エンキドゥが死ぬなら、自分もいずれ死ぬのだ」
ギルガメッシュは「死を超えた永遠の命」を探し求めて旅立ちますが、結局、それを見つけることはできませんでした。
「人間は死ぬように作られている」
そんなあたりまえのことを悟って、ギルガメッシュは帰ってくるのです。
しかし私の読書の旅で見つけた答えは、ギルガメッシュとはすこし違うものでした。
なぜ人は死ななければならないのか?
その答えは、個よりも種を優先させるように遺伝子にプログラムされている、というものでした。
子供のために犠牲になる母親の愛のようなものが、なぜ人(私)は死ななければならないのかの答えでした。
エウレーカ! とうとう見つけた。そんな気がしました。わたしはずっと答えが知りたかったのです。
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