映画『ジュラシック・ワールド』

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『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?

みなさん恐竜は好きでしょうか。

女性ですと「あんなハチュー類なんかにまったく興味ないわ」という方も多いかと思います。

しかし、少年たちは恐竜が大好きです。あ、あと、心が少年のオヂサンも恐竜が大好きです。

なにがそんなに好きなのか? 恐竜の何が少年を惹きつけるのか。それを知りたいと思いませんか?

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恐竜映画は機内モニターで見てはいけない

私は迫力が命のアクション映画、とくに恐竜映画は映画館で見るべきだと思っています。

かつて手の平サイズの飛行機の機内エンターテイメント用モニターで初代『ジュラシック・パーク』を見て、ちっとも面白くなかったことがあります。Tレックスがトカゲに見えてしまって、主人公の恐怖感がまったく伝わってこないのです。片手でひねりつぶせそうな小さいトカゲを怖がる主人公たちが滑稽ですらありました。

結局、デカいからこそ迫力があるのであって、恐竜にもっとも必要なのは『大きさ』です。

大きいからこその恐竜。これだけは譲れない絶対条件です。ジュラシックパークにいる恐竜がすべて人間よりも小さいサイズしかいなかったら、そんなパークに誰がわざわざ行きますか?

かつて地球を支配した種族だが、もはや滅び去っている。そういうロマンもあります。しかしそれは画家の絵の値段が死後に跳ね上がるようなものです。失われたものへの郷愁はたしかに特別な味付けをしてくれますが、滅び去った動物は他にもいくらでもいるにも関わらず恐竜だけが特別扱いなのはやはり『デカい』からに他なりません。

『強いからじゃないのか?』と思う方もいると思いますが、同じ意味です。『デカい』から強いのです。ホオジロザメよりもシャチの方が間違いなく強いのは、単純にデカいからです。

少年は、大きくて強いものに憧れるのです。たとえば父親に、ライバルに。強敵に打ち勝とうとする、乗り越えようとすることは少年の永遠のテーマです。少年漫画の多くはこのテーマで描かれています。このテーマ抜きに爆発的にヒットすることは難しいのだそうです。

世界的なヒット作品・漫画『ドラゴンボール』は初期の夢を叶えてくれる如意宝珠(ドラゴンボール)を探し求める冒険ものだったころはそれほど人気がなかったのに、天下一武道会で最強を目指してライバルや強敵としのぎを削る「強さを追い求める展開」になったら爆発的な大ヒットをしたのだそうです。

 

 

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聡明なネズミも愚鈍なクジラにロマンで負ける。

巨大なものにはロマンがあります。人はロマンを求めて映画館に行くのであって、別に現実の厳しさを教えてほしくて映画にお金を払うわけではありません。そんなことは仕事をしていればいやというほどわかるのであって、お金を払って再確認する必要なんかありません。

最初の作品『ジュラシック・パーク』には滅びた巨大な生き物の圧倒的なロマンがありました。失われた歴史に対する壮大な夢がありました。こんな動物園があったらどんなに素敵だろうと少年たちはわくわくしたものです。残念ながら琥珀に閉じ込められた蚊の血から恐竜のDNAを復活させるという『できそうな夢』は現在では否定されています。

 

作品というものはたいてい「追う作品」か「追われる作品」かに分かれます。映画『ジュラシック』シリーズは、結局のところ、恐竜たちに追われて逃げる作品でした。「食われちまうんじゃないか」というスリルを味あわせるところにエンターテイメント性があったのです。

太古の滅び去った恐竜を人間が科学技術でよみがえらせることができたとしても、人間が生命を意のままに操れる神のような存在になれると思ったら大間違いである。やがてしっぺ返しを食らうであろう。

過去のシリーズには終始一貫このテーマが貫かれていました。だからどうしても命を閉じ込めて見世物にする「ジュラシックパーク」のような動物園を否定するような雰囲気にならざるをえなかったのが、私としては残念でした。

動物園の倫理問題は別にして、カミナリ竜が生存している動物園アイランドがあるのなら、世界の果てにだって見に行きたいと私は思います。

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『ドラゴンボール』的な強さのインフレを起こすと最後にはゴジラ映画になってしまう

追われる映画をシリーズ連作として作ろうとすると、どうしても強さのインフレが起きてしまいます。

初代『ジュラシックパーク』でいきなり恐竜王Tレックス(暴君竜ティラノサウルス)を登場させてしまったために、続編でも同じ恐竜に追われる展開になるとマンネリ感が否めません。同じ敵が相手では恐怖感も薄れてきます。もっと恐ろしい恐竜を登場させないと「逃げる映画」として成立しません。インパクトに欠けます。

ジュラシックパークでもこの苦悩は見えていました。仕方がないので、巨体だけならTレックス以上のスピノサウルスを敵として登場させたこともあります。

 

しかしこのスピノサウルスは顎の形状から魚を食べる恐竜だったのではないかと言われています。水辺でクマがシャケを獲って食べるように、魚を食べていた恐竜だったというのが通説です。体重30トンのカミナリ竜(アフリカ象は7トン程度)を襲って食うような荒くれものではなかったようなのです。

しかし映画『ジュラシックパークⅢ』ではスピノサウルスは恐竜王Tレックスに食いついて倒してしまいました。旧作の強敵よりも強いことを示さないと盛り上がりに欠けることから、仕方がない演出だったと思います。現実には魚食性のおとなしいやつだったかもしれないのに、積極的に人間を食おうと襲い掛かってきます。

こうして強さのインフレが起きるのです。インフレとは経済用語で「モノの値段があがり、お金の価値が下がる」インフレーションのことですが、強さのインフレとは同じ人間(孫悟空)の強さ指数が当初は1000ぐらいだったのに、最終的には1兆2000億になるというアレです。

アニメ『ドラゴンボール』が強さのインフレで有名ですが、強さを「追う」少年漫画はどうしても強さのインフレから逃れられません。漫画『キン肉マン』の超人強度とかも完全なインフレでした。

 

ドラゴンボールは強さを「追いかける作品」になってから爆発的な人気が出たために、視聴率や関連グッズの販売など莫大なお金が動くことになり、作者が止めたくても止められない状態になってしまい、作者の意図以上に長期連載になってしまいました。そのために新たなる敵はどんどん強くなります。

さらに地球を滅ぼすクラスの敵が現れて、人類滅亡から「逃げる作品」になってからも人気はとまらず、神レベルの敵でないと地球は滅ぼせないことから強さのインフレは止まらずに、とうとうベトナムドンを遥かに超えるレベルでの強さのインフレが起こってしまったのです。

このように一般に新作には前作よりも更に強い敵を持ってこなければ盛り上がりに欠けるのです。

ところが「ジュラシック」シリーズはゴジラやドラゴンボールのような創作作品と違って、恐竜という現実ベースの作品なので、ムチャクチャな奴は登場できません。ではどうやってこの難問を解決したらいいでしょうか。

映画『ジュラシックワールド』はものすごいことを考えつきました。それは禁じ手でした。

なんと遺伝子操作によるハイブリッド恐竜、インドミナス・レックスという架空の恐竜を登場させて暴君竜Tレックスを強さで超えてきたのです。

コウイカの擬態能力を組み込んでいるのでカメレオンのように体の色を変えて周囲に溶け込んで存在を隠せるとか、アマガエルの能力によって赤外線放射を抑制して赤外線センサーを潜り抜けることできるとか。インドミナス・レックスは、すごい能力を持っています。

でも、でも………

「やっちまったなー」

これはヤバい状況です。遺伝子操作による架空の化け物を持ち出してきたら、強さのインフレーションは止まりません。最後にはゴジラの登場です。

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モササウルスのお陰でジョーズやゴジラにならずに済んだ

ところが現実の魚竜モササウルスにインドミナスレックスを食わせることで、ゴジラになる前にストーリーをまとめることができました。ゴジラではなくジュラシックであることをギリギリのところで守ったといえるでしょう。

モササウルス類というのは上野の国立科学博物館に展示されているので日本人にはなじみの深い魚竜ではないかと思います。

 

少年たちの憧れの超巨大生物です。本当に大きな魚竜ですが、しかし映画で描かれるほど巨大ではありません。いくらなんでもデカすぎます。これも強さのインフレーションの一種で仕方がないのでしょう。

インドミナスレックスを丸のみさせるのならば、むしろモササウルスではなくメガロドンを登場させるべきだったと思います。歯の大きさが全然違う本物の怪物なのですが、メガロドンを見送ったのは、映画が『ジュラシック』ではなく『ジョーズ』になってしまうためでしょう。

強さのインフレとは、本当に悩ましい問題ですね。

ちなみにジュラシックパークのジュラシック「jurassic」は「ジュラ紀の」という意味です。「恐竜の」という意味ではありません。恐竜は英語で「dinosaur」。ダイナソーです。

私たちは「恐竜」ということで、ひとまとまりにしがちですが、本当は生きた時代が全然違ったりします。カミナリ竜の多くはジュラ紀の生き物で、白亜紀のティラノサウルスに食われたりすることはなかったのです。源義経が織田信長に討たれることがなかったように。

強さのインフレでゴジラ並みの強さを発揮する恐竜たちですが、実際にはそんなに強くはありませんでした。映画ではバズーカ砲みたいなランチャー弾つかってますけど、ゾウ用の猟銃で簡単にカタがつくはずです。骨の強度が生物の強さの限界であり、ゾウ用の猟銃は皮膚を貫き骨まで砕きます。鉄より固い骨はありません。人類こそ地球史上最強の動物なのです。

さて次作の怪物はいったいどんな奴を持ってくればいいでしょうか。ジュラシックをダイナソー映画のとどめ、ゴジラ映画にしないためには?

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『ジュラシック・ワールド 炎の王国』のストーリーを予想する

新作『ジュラシック・ワールド 炎の王国』が公開中です。

まだ私は見ていないのですが、見た人にしか書けないことがあるように(映画評)、まだ見ていない人にしか書けないことがあります。それは新作のストーリー予想です。

テレビのプロモーションしか見ていないのですが、どうやらジュラシック・アイランドが噴火するようです。

ジュラシック島に大噴火の兆候が表れて、恐竜たちの生死を自然に委ねて滅びるにまかせるか、あるいは危険を冒してでも救い出すか、人間たちが判断に迫られるという「追われる」映画になるのだとテレビのプロモーションで知りました。

これ以上ゴジラ映画にしないために「恐竜」に追われるのではなく、もっと巨大な敵「火山」に追われることにしたのですね。

地球史上最強の人類でも叶わない大敵。それは天災です。

非常に少年漫画的な展開だと思います。

おそらくかつての敵(恐竜)はもっと巨大な敵(噴火)を前にして、仲間になるのだと思います。ピッコロ大魔王がフリーザを前にして孫悟空の仲間になるように。

恐竜は隕石による天候の変化によって滅んだとされています。

「大きなロマンをもつ恐竜たちに生き残ってほしかった。生きてる姿を見たかった」

そんな少年の夢をかなえるように、火山から恐竜たちを助ける映画であってほしいと思います。

しかし大半の恐竜は火山で滅んでしまうのではないでしょうか。

それがこの地球が決めたこと、恐竜たちの運命だったからです。

しかしごく一部の恐竜は生き延びるのではないでしょうか。滅んだ現実とは別の夢を生き延びるのです。

そういうロマンの作品であってほしいと思っています。

こうしてストーリー予想を書いていたら、映画が見たくてたまらなくなりました。次の週末に見る映画は『ジュラシックワールド 炎の王国』で決まりですね!

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

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●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
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韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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