2022年のゴールデンウィーク。ひさしぶりに海外旅行に行った人もいるようです。3年ぶりにコロナによる移動規制のないGWだったようですね。
しかしわたしたちは相変わらず車中泊をしていました。移住先を探す車中泊の旅です。7泊8日でした。
天武天皇、持統天皇の古墳は合祀?
こちらは日本史の謎のひとつ。日本書紀の編纂を命じたという天武天皇のお墓です。妻である持統天皇と一緒に合祀されているようです。天武・持統天皇陵と呼ばれています。
ご夫婦で一緒の墓というのも珍しいのではないでしょうか?
先帝の妻というだけで何もやらなかった天皇なら別ですが、持統天皇は持統天皇で特別な天皇のひとりなのですが、なんかとてもいい話しのようで心がほっこりしました。
天皇が朝鮮にルーツをもつとしたら日韓併合は韓王朝が交代したぐらいのことだと思ってもらえないかしら?
天智天皇(中大兄皇子)の墓が京都にある謎
天武天皇は、天智天皇(中大兄皇子)の息子だとされています。GW車中泊の旅の京都からの帰路に天智天皇陵というのがありました。
わざわざ寄りませんでしたが、なんで中大兄皇子のお墓が京都周辺にあるのでしょうか。
時代的に京が都だったのはもっと後代のはずですが……。
誰でも知っている年代の、大化の改新ムシゴロシ645年前後に活躍した天皇のお墓が、鳴くようぐいす平安京794年から都になった京都周辺にあるというのは謎ではないのでしょうか?
飛鳥から大津京(近江)に行く途中だったのかしら???
いろいろ調べてみましたが、確実なことは何もわからないそうです。風水的な位置に墓をつくったとか、暗殺された場所だとか、諸説あるようですが、伊勢神宮がなぜ伊勢にあるのかわからないように、天智天皇陵がなんで京都にあるのかはわからないのです。
それなのに「いやそもそも天智天皇のお墓じゃないんじゃね?」という人はいないんだそうです。そこは確定しているのか! とツッコミたいところです。
謎ですね。
日本語で注意事項を書いても外人に読めないでしょうが
益田岩船という巨石遺跡を見に行きました。観光っけのない山の上に突然あらわれます。
この遺跡、あきらかに人の手が加わっているのですが、いつ、誰が、何のために作ったのかわかっていないそうです。
でも岩を砕く削岩機が発達した比較的近代のものではないかと思いました。周囲で飛鳥時代の古墳ばかり見た後で益田岩船を見ると、こいつも飛鳥時代のものだと思ってしまいますが、実際にはもっと近代遺跡なのではないかと思います。
そもそも観光っ気がなく人がすくない場所なのですが、いちおう「上に乗らないで」という標識がありました。しかし人が上に登ってしまっています。
乗っているのは外人さんでした。きっと悪気はないんだろうと思います。上に登るなと日本語で書いても読めないでしょうが。せめて英語で書いてあげなさいよ。
無人の巨石を撮りたかったのですが、しかたがないので外人さん混みの写真となってしまいました。
しかしおかげで岩の巨大さがよりわかりやすくなっているのではないでしょうか。