どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?
【この記事を書いている人】
瞑想ランニング(地球二周目)をしながら心に浮かんできたコラムをブログに書き綴っているランナー・ブロガーのサンダルマン・ハルトと申します。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。
初マラソンのホノルル4時間12分から防府読売2時間58分(グロス)まで、知恵と工夫で1時間15分もタイム短縮した頭脳派のランナー。市民ランナーの三冠王グランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。海外マラソンも完走多数(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ユングフラウ、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ホノルル)。月間走行距離MAX600km。「豪脚自慢に工夫で走り勝つことができるか?」その答えを書いたハルトの【サブスリー養成講座】を展開しています。
また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。
そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。江戸川左岸の撃墜王(自称)。スピードが目的、スピードがすべて。ロードバイクって凄いぜ!!
山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。
その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。インドネシア。マレーシア。ニュージーランド。タイ。ベトナム。カンボジア。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の27ケ国。パリとニューカレドニアを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。ソウル日本人学校出身の元帰国子女。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。
登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。
千葉県在住。夢の移住先はもう決まっています!!
※この稿の内容は以下のとおりです。
メキシコシティーの標高は、山の頂上よりも高い
メキシコシティの標高は海抜2,250m。九州最高峰の宮之浦1,936m、四国一の名山、石鎚山1,982mよりも高いのです。鳥海山の山頂2,236mよりも高いところにあります。
こういう場所へ飛行機で一気に降り立つわけですから、酸素の薄さに苦しむことになります。
メキシコシティでは市街地のリッツホテルに泊まったのですが、久しぶりに日本アルプスの山小屋での息苦しさを思い出しました。ビールを飲んでは酸素を求めて喘ぎ、階段を登っては喘ぐ。喋っても息苦しくなりました。
立山黒部アルペンルートの最高地点にあるホテル立山が標高2,450mですから、ほぼホテル立山に泊まるのと同じ覚悟でメキシコシティでは過ごす必要があるのです。自分の足でなくアルペンルートであっさり登ってしまうと、ホテル立山では高山病の症状が出るがあります。
起きているあいだは息苦しさを自分で自覚できるため深い深呼吸を自分で行えるのですが、問題は眠った後です。寝ると普段の下界での呼吸に戻ってしまうため、酸素が足りずに翌朝、頭痛がします。これが高山病の主たる症状です。
メキシコシティーオリンピックの君原健二
かつて1968年にメキシコシティーオリンピックがありました。サッカーでアジア人初の大会得点王になった釜本邦茂さん(日本チームとしては銅メダル)や、月面宙返りの塚原光男さんがメキシコ大会で活躍した有名選手ですが、当マラソン系サイトとしては忘れてはいけない人は君原健二さんです。私は何度か君原さんと同じ市民大会を走っています。敬意を込めて頭を下げて抜きましたが。
前回1964年の東京オリンピックで、全国民注視の中、マラソンランナー円谷幸吉がトラック勝負でイギリス人に抜かれて銅メダリストになりました。2時間16分22.8秒でした。センセーショナルな負け方だったうえに日本人が陸上競技で獲得した唯一のメダルが円谷の走りだったために、次のメキシコシティ五輪では金メダルを期待されていたのです。しかし円谷は故障に苦しみ有名な「食いものばっかりの遺書(疲れ切ってしまって走れません)」を残して自殺してしまいます。国民全員の期待に応えられないことが辛かったんでしょう。
その円谷の代わりに国民の期待に応えたのが君原健二でした。メキシコ五輪では見事銀メダルを獲得します。2時間23分31秒でした。
メキシコシティ五輪では、空気の薄い高地で行われた事から、トラック競技や跳躍競技で多数の世界記録が誕生したと言われています。男子幅跳び記録は現在でもオリンピック記録として残っているとか。
ロードバイクに乗って高速走行するとよくわかりますが、空気の抵抗というのはまるで壁のように前に進もうとするロードバイク乗りの前に立ちふさがります。その壁のような空気が酸欠にあえぐほど薄くなっているわけですから、一瞬で勝負が決まる瞬発系競技では相当有利に働いたことでしょう。
しかしマラソンのような有酸素運動ではそうはいきません。給水の間、ちょっと酸素を吸わないだけでも喘いでしまうような高地で好記録が出るはずがありません。君原の銀メダルのタイムは円谷の銅メダルのタイムよりも劣るものでしたが、ずっと苦しかったのではないかと思います。友を思い、必死に走った末の銅メダルでした。おそらく親友だった円谷が背中を押してくれたのでしょう。
その後、日本の男子マラソン界は、君原以上(金メダル)を目指して奮闘しますが、もっとも金メダルに近かった瀬古利彦がモスクワ五輪ボイコットにより全盛期での勝負を逃し、バルセロナ五輪では森下広一が韓国人選手に競り負けて金メダルを逃します。
そうこうしている内に、女子では高橋尚子と野口みずきが金メダルを取るのです。
生きているだけで高地トレーニングになる
マラソン愛ゆえにマラソンの歴史を語ってしまいましたが、ここでの主題はメキシコシティーの高所ゆえの酸欠、高山病の症状に注意を喚起することでした。
光化学スモッグ注意報が出たからって呼吸を止めるわけにはいかないように、高山病症状に注意喚起するといっても、せいぜい起きている間に深い呼吸をすることで、はやく体を高所に順応させるしかないのですが。
日本のマラソンランナーが高地トレーニングをする場所として有名なアルバカーキが標高1,619m、ボルダーの標高が1,624m、昆明の標高が1,891mです。メキシコシティーの標高2,250mは、アスリートの高所トレーニング場所よりも標高が高いのです。
ではどうしてメキシコシティが高地トレーニング地として日本のアスリートに選ばれないのか?
その答えは、アップダウンが少ない平らな場所であること、空気がきれいではないこと、そしてメシがまずいこと、が原因だと思います。
生きているだけで高地トレーニングになる場所。それがメキシコシティーです。
記事がマラソンに傾きすぎていますが、メキシコシティーでは高山病の症状に注意ということは十分に伝わったものと思います。
私も、朝、目覚めたらすこし頭痛がしました。どうかご注意を。
※市民ランナーのグランドスラム達成者・アリクラハルトの『脳ミソで脚力自慢に走り勝つ方法』については、プロフィールページをご確認ください。