※このブログは前回の「結婚の本質は妊娠・出産・子育て。どこで妊娠し、どこで子育てするか」の続きです。
鎌倉・江の島あたりには、やたらと二世帯住宅が多い
人それぞれである。やはりこの問題も人によって正解が違う。親元で一緒に暮らすといったって、親の家が「誰にも遠慮なしに子づくりできるほど離隔のとれる大豪邸」か「うさぎ小屋」かで全然違う。
鎌倉から江の島あたりを散歩していて驚いたことがある。あの辺りはびっくりするほど二世帯住宅が多いのだ。表札に「佐藤」「池田」と複数の苗字が書いてある家がたくさんある。もちろん理由はそこが「鎌倉」「江の島」だからだ。いい場所だから子供が出ていきたがらないんだろうな。
二世帯住宅も新しいタイプは出入口からトイレ、お風呂まで完全に別々のタイプがある。そういう家なら妊娠に必要な行為も遠慮なくすることができる。
建築費用は柱や壁などが共有できるから二軒建てるほどにはかからない。親子二世帯で折半して払えば半額である。
もっとも表札で二世帯がわかるということは娘が嫁に行っているのかもしれない。娘が夫の姓を名乗って親の鎌倉・江の島の敷地に二世帯で済んでいるとしたら……親世帯が全額負担しているかもしれませんね。かわいい娘が隣に住んでくれるなら父はよろこんでそれぐらい払いそうだ(笑)。
しかし『例外を語ると何も語れない』ので、このようなケースは例外として、一軒家か賃貸か、一般論として考えてみたい。それでもやっぱり「人による」ので、私の場合として語ることをお許しいただきたい。
西天取経。三蔵法師は物見遊山ではなく悟りの書を求めて旅をした
もう15年以上も「さすらいのバックパッカー」としての生活を続けてきました。私の場合、西天取経の旅と名付けたこの放浪は、物見遊山の観光旅行ではありません。
西遊記で三蔵法師が西の天竺インドへ悟りの書(お釈迦様の経典)を取りに行く旅のことを西天取経といいます。そのように私は旅の中でいつも何かを探してきました。
どう生きるかを、どこで生きるかを。どう死ぬかを。自分の死に場所を。
私はこのように表現したことがあります。
「一夜妻ならニューヨーク。数か月の不倫ならパリ。嫁にもらうならバンクーバー」。
私が男なので女性にたとえましたが、もちろん「暮らすなら」という比喩です。
派手で魅力的だがずっと一緒にいると疲れちゃうニューヨーク嬢よりも、派手さはなく安上がりだが快適なバンクーバー嬢と結婚した方がいい。終の棲家ならNYよりもバンクーバーの方がいいという意味です。逆に言えばほんの数日旅行するだけならニューヨークに行った方がバンクーバーよりずっと楽しいという意味でもあります。
そのような私の場合ですから、一軒家を購入する意志は全くありません。今住んでいる町は職場が近いから住んでいるだけで、なにも退職後も住み続ける必要はないのです。
退職したら、海近の賃貸か、山近の賃貸か、草津温泉とか京都とか沖縄のようなわざわざ人がお金を払って訪問するような場所に住みたいと思っています。
賃貸アパートは、考えようによっては一泊数千円の安宿に泊まっているようなものです。放浪の旅のなかで一泊いくらかのお金を払って泊まらせてもらっている宿泊施設。長逗留しているだけでそれと賃貸アパートは同じではないでしょうか。そう考えると「今この瞬間」も旅の途中なのだという気がしてきます。
所詮はお金を払って一泊の宿を確保しているだけ。それが我々旅人の人生です。
ローンを組んで自分の家などもってしまったら、その場所に住み続けることを宣言した農耕民族のようです。
どこで死ぬかはわかりませんが、いつでも他の場所に移れるスタンスに立つことは、実際に移動するしないは別として、常にさすらいの気持ちを忘れないことにつながっています。
「家賃を払うのも、賃貸料を払うのも月額は同じ」はウソ
一軒家の住宅ローン問題です。よく住宅メーカーの売り文句に「家賃を払うのも、賃貸料を払うのも月額は同じ」「買えば自分のものになるが、賃貸はいつまでたっても自分のものにはならない」というものがあります。
若い人はこの言葉に騙されてはいけません。よく検討した方がいいですよ。
まず会社に家賃補助はありませんか? 持ち家だと出ないのに、賃貸物件を借りている場合、月数万円の家賃補助が出ている場合があります。このお金はバカになりません。けっして「家賃を払うのも、賃貸料を払うのも月額は同じ」ではないのです。
また固定資産税や近隣自治会費など戸建てならではの出費のことも住宅メーカーは言及しません。こういうものは賃貸アパートの場合、免除されていることがあります。
一軒家の場合、草刈りなどの庭の手入れが必要な場合があります。お庭いじりが大好きならばいいのですが、そうでない場合、蚊に刺されながら日焼けで真っ黒になって庭の草刈りをしなければならなくなる場合があります。
「買えば自分のものになるが、賃貸はいつまでたっても自分のものにはならない」という住宅メーカーの売り文句そのものに魅力を感じればいいのですが、世の中にはこの言葉に一切魅力を感じない人がいます。
なるべくモノに執着をなくす悟り系男子の私としては、持つことよりも持たないことの身軽さに魅力を感じます。ミニマリストを自称していますが、一軒家を所有するミニマリストなんて言葉の矛盾ではないでしょうか。
大地震が起きたとき、身の回りの家持ち氏はみんな自分の家の心配をしています。東日本大震災のような最悪の場合、住宅ローンだけが残って家を失い、更なる二重ローンで家を建て替えなければならないのです。
賃貸アパートの人はどんな大地震が来てもケロリとしていますよ。アパートが倒壊しても、引っ越せばいいだけです。自分のものじゃありませんから。
受け入れられなかったら、卑屈になって受け入れてもらわなくたっていいのです。出ていけばいいのです。
その時、銀行に借金があったらいやな仕事でも辞められませんが、旅人にブラック企業に自殺するまで務めるような人は一人もいません。何も日本で暮らさなくたっていいんですから。会社なんてやめてしまえばいいのです。
どこでだって生きていけると思えば、この地球が故郷になります。
だから私は賃貸の味方です!