別府湾と鶴見岳に挟まれた温泉の街。別府市

拙著『海の向こうから吹いてくる風』という小説で、主人公は海沿いの漁村の出身なのですが、海を背にして空を仰ぐとそこには山があったと気づくシーンがあります。
別府市も似ています。基本的には海辺の街なのですが、振り返ると背後には鶴見岳が控えています。この山のおかげで温泉が湧くという別府の源のような山です。
鶴見岳には、ロープウェイを使って登ることができます。そのロープウェイの中での出来事です。
英会話を勉強しているというオバサン・イングリッシュ
えらく大儀そうなお爺ちゃんがロープウェイに乗り込んできました。ロープウェイにはたくさんの外国人が乗っていたのですが、そのうちのひとりの女性が席を立ってすかさず老人に席を譲りました。
おじいさんの娘は感激して”Thank you.”と英語で語りかけました。
“Where are you from?”
なんと果敢にも英語で国際交流を試みようとします。私は耳を傾けました。
“I come from Singapore.”
席を譲ってくれた相手は、年長者を敬う気持ちが残っている国、シンガポールの出身だそうです。友人たち5人で旅をしているようでした。
”I’m learning English.”
なんとそのおばさんは英語を勉強しているんだそうです。なるほど、それで物怖じせずに英語で話しかけているんですね。
”He is nineteen years old.”
あれ? という空気がシンガポール人たちのあいだに流れました。席を譲ってもらった自分の父親の年齢を教えて感謝を伝えようとしているのですが、十九歳のはずがありません。おそらくninety years oldの間違いでしょう。シンガポール女性は困惑したように曖昧に笑っています。
“We came here from Dazaifu. Do you know Dazaifu?”
父親に席を譲ってもらった大宰府から来たというオバサンは、感謝の気持ちをこめてか、果敢な国際交流を続けました。おばさんといっても、父親が九十歳ですから、自身もそうとうな年齢です。
“Oh I don’t know. How long does it take from here?”
話しかけられている以上、無視するわけにもいかず、シンガポール女性が簡潔に聞きました。
“It takes three minutes by car”
おばさんは”私の英語はどうだ”とばかりにニッコリと笑いかけます。
しらーっとした雰囲気がシンガポール人たちのあいだに漂いました。そしてうつむいて会話を打ち切ってしまいました。だめだこりゃ、と思ったのでしょう。
見知らぬ他人の会話に、全力でツッコミを入れたくなることってありませんか?

いや、それはスリーミニッツじゃなくて、スリーアワーズの間違いだろ!
見知らぬ他人の会話に、私は強めのツッコミを入れそうになりました。おそらく車で大宰府から別府まで三時間ぐらいかかるのでしょう。三分で着くわけありません。それぐらいのことはシンガポール人にだってわかります。

そんな失礼なことはしませんでしたが、狭いロープウェイのゴンドラの中なので、逃げ場がなくて、ツッコミたくてたまりませんでした。
みなさんも、見知らぬ他人の会話に全力でツッコミを入れたくなることってありませんか?
このときがそうでした。私のツッコミ欲がウズウズしました。
【語学】生兵法は大怪我のもとって本当か?
おそらく初老になってからはじめたであろうおばさんの英会話。それを果敢に試そうとする姿を見ていて「生兵法は大怪我のもと」という言葉が思い浮かんだのは私だけではありますまい。
しかし同じ英会話を学ぶ者としては、このおばさんのスピリッツを見習いたくもありました。こと語学に関しては、未熟でもいいから果敢に話しかけていくゲリラ戦のようなスタイルの学習法のほうが、上達は早いと言われています。
そもそも生兵法は大怪我のもとって本当でしょうか?
そりゃ兵法ならそうでしょう。負けて死んでしまっては元も子もありません。しかし語学の場合、中途半端でもいいから、実際に会話する人の方が上達は早いと言われているのです。なんとなくその構造が私にも理解できます。使いものになるまで使わない語学よりも、子供のようにつたなくてもいいから使う会話術のほうが、はやくものになるに決まっています。
鶴見岳のゴンドラの中で二度ずっこけそうになり、ツッコミを入れたくてたまらなかった英語学習者のひとりとしては、おばさんの英会話にいつか追い抜かれてしまわぬように、その果敢なスピリッツを見習って、観光客に積極的に話しかけていこうと思ったのでした。
