アマゾンキンドル書籍の作者だからこそわかる、西野亮廣『革命のファンファーレ』の珠玉の言葉たち
アマゾンキンドル書籍でいくつかの著作を出版しています。それほど成功しているわけではありませんが、業界に足を突っ込んでいるという意味では、まあいちおう作家、物書きの端くれです。そういった旅路の中で、いろいろと考えていたことがあります。それらのことが西野亮廣さんの著書『革命のファンファーレ』という本に、私よりもより明確に言語化されていたので、彼の言葉を借りつつ、私が出版する意図、意義などを述べていきたいと思います。
これまでアマゾンキンドル出版をしてきた中で感じてきたのは、およそこんなことでした。
著者にとって、キンドル本って、本屋の一般書籍よりもメリットが大きいのではないか?
その理由は、
①注文が入ってから製本するので、在庫がない。
→ 一般書籍は在庫をかかえます。そのコストゆえに書店からはやがて撤去されてしまうさだめにあります。ところが在庫のないキンドル本はいつまでも店頭(アマゾン)に陳列しておくことができます。こういうことは、じっさいに書籍をデジタル本棚に陳列している経験者でなければ気づかないことではないでしょうか。あるいは、だからこそ、西野さんの言葉が響いたのかもしれません。
→ベストセラーしか陳列されない本屋。売れない本でも陳列しているアマゾンデジタル書籍。どちらが覗いてみたい本屋さんでしょうか。西野さんの分析によれば、アマゾン書籍は、ロングテール戦略だそうです。ロングテール戦略とは、少量の販売しか得られない商品(またはコンテンツ)を多く取り扱い、全体の売上や利益を大きくするという考え方のことです。ベストセラーが100冊売れても、ニッチな本が100種類各1冊売れても、100冊売り上げたことに変わりはありません。
②一般書籍には絶版があるが、キンドル本には絶版がない。置いておいても、アマゾンにとってはマージンこそあれ、損はないから。倉庫代もかからない、売れるときに儲かるだけの商売なので、このデジタル書籍の陳列は永遠に続けられるのではないだろうか?
→ アマゾン次第ですが、そうなるだろうと思います。儲けのネタで、コストがかかっていないのだから、絶版する意味がありません。サーバーのストレージ保持のコストがかかっていますが、本がベストセラーにならなくても、ときたま売れてくれれば、全体としてペイできてしまうはずです。黒字のものを切り捨てはしないでしょう。
→ 一般書籍だと、刷った分だけ売れないと損失が発生します。しかしキンドル本のシステムならば、そもそも売れてから刷って製本すればいいので損が発生しません。もちろんこれは紙ベースの話しであり、デジタル書籍の場合は、ただ電子データを端末に開放するだけです。それでお金がチャリンチャリンと入ってくるのですから、KDP側は笑いが止まらないでしょうね。
③基本デジタルデータ。紙ベースの本には将来性はない。
→ 日本には図書館がありますが、アフリカの貧しい国には図書館はありません。だからアフリカでは紙書籍をすっとばして、デジタル書籍にリープフロッグしているそうです。私自身も紙の新聞なんて読みませんし、今後、わが国でもデジタル書籍が主流となっていくことは間違いないでしょう。
④私の場合、システム上、アマゾンでは無料にできないが、楽天kobo電子書籍では無料化しています。
→ システム上可能ならば、キンドル電子書籍も無料化したいと思っています。すでにものすごく有名人だったり、ものすごく売れるならば話は別ですが、無名でたいして売れないぐらいだったら、いっそ無料化して、たくさんの人に読んでもらった方がやった甲斐があるというものです。
→ 西野さんは「ネタバレを恐れるな。人は確認作業でしか動かない」と言っています。この一文に出会ったときに、ああ、なるほど、彼の方が表現がクリアだけど、おれと同じ考えだな、と思ったものでした。有名なアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』『オリエント急行殺人事件』など、私は推理小説を犯人がわかったうえで読んだりします。これなどはまさに確認作業をしているのでしょう。文章テクニックでどうやって犯人をごまかしているか、そこを確認するために作家修行の勉強のために読んだのです。
西野さんは自作絵本『えんとつ町のプペル』を無料公開しています。無料公開したら本が売れなくなるじゃないかという反論にこたえたのが上の文章です。人が時間やお金をさいて、その場に足を運ぶ動機は、いつだって確認作業で、つまりネタバレしているモノにしか反応していない。ルーブルに行く人はすでにモナリザを知っているし、グランドキャニオンに行く人はすでにグランドキャニオンを写真や動画で見ている。つまり確認しているだけ。人はけっこう冒険しない。生で見るのは確認作業である。
→私はモナリザもグランドキャニオンも本物を見ていますが、まさしく彼の言う通りでした。西野さんは、行かないと中身がわからないものには手を出さない、というのです。ミステリーツアーのようなものには参加しない人が多いということです。私もどこに行くかわからないミステリーツアーにはまず参加しません。がっかりしたらいやだもの。
すでにある程度の実力が図れているものにしか人は反応しない。ベストセラーほど読まれるのは、そこまで評価の高い作品を自分の目で確認してみよう、というわけですね。
そのためには無料公開が有効です。無料公開すると実力が可視化されて売り上げが上がる人間と、実力不足が露呈して売り上げが落ちてしまう人間が存在しますが、西野さんは、インターネットは物理的制約を破壊した、ありとあらゆるものを無料化した、と言っています。無料化は実力の可視化であるといいます。無料化しても、読まれない本は読まれません。読まれても、買ってもらえないものもあります。でも本当に実力、集客力があれば、次の仕事に繋がったり、広告の依頼があったりして、お金につながるそうです。著作権の必要度は人口に左右される。「使わせてくれてありがとう」という信用を稼いだ方がいいと西野さんは言います。質の高いものが、たくさんの目にふれれば、そのうち何人かは買ってくれます。こういうのをフリーミアム戦略というそうです。たとえば、スーパーの試食。まずは無料で提供して、まとめて一袋欲しい人はお金を払ってね、という戦略です。
→ 西野さんは言います。絵本はネタバレがスタートライン。そもそも十分にネタバレしている作品しか、子供に買い与えない。そういえば私の出版した書籍たちは、これまでブログで書いてきたことをまとめて構成し、推敲しただけのものがほとんどです。ひとつひとつのブログ記事は無料で読めますので、要するにすべてのネタを無料で読めるのですが、そんな本でもお金をだして購入してくださる人がいます。これがつまり西野さんのいうフリーミアム戦略なのでしょう。そんな戦略や言葉は知りませんでしたが、自分の直感で実践していたというわけです。
ユーチューバーだからこそわかる西野亮廣さんの言葉。西野亮廣『革命のファンファーレ』が語るキンドル出版のメリット
→ 議論ほどコストパフォーマンスのいい宣伝はない。反対派のエネルギーほどつかえるものはない。アンチを手放してはいけない。感情にまかせた下手なツッコミは自然淘汰される。角はおさえているのだから、最後に一つだけ石を置けばいい。
私はYouTubeもやっています。そのなかで、自分でも「どうかな?」と思うような物議をかもしそうな登山中の遭難の動画を上げています。遭難といっても滑落、大怪我、ヘリ出動などではなく、ただの道迷いで、本人がひたすら焦っているだけの動画です。悲惨な絵を期待して視聴している人はまずガッカリするか、肩すかしに怒りを覚えるような内容です。それが見えているから削除してもよかったのですが、アンチを承知で動画をそのままアップしたままにしています。「ただの道迷いで、遭難じゃない」という批判がもっとも多いのですが、遭難出動するレスキュー隊の統計によると、もっとも多い出動は「道迷い遭難」だそうです。つまり道迷いは遭難だということは証明されていることなのです。そういった問題提起も含めて、動画はアップしただけの価値があるものと判断しています。これも西野さんの言っていることを直感的に肌感覚で理解していたことの証明ではないかと思います。自分の感じていたことを、言葉にしてくれる人がここにいたな。という感触がしました。おかげさまでたくさんの人に見てもらっています。アンチよ、ありがとう。
さらに向こうへ。キングコング西野亮廣の言葉
これまで、私が感じていたことを上手に言葉にしてくれたな、という文脈の中で西野亮廣さんの言葉を紹介してきましたが、ここから先は私が思っても感じてもいなかったところで感銘を受けた言葉たちです。
⇒ モノは売れなくなっているが、おみやげは売れる。人は体験すると「おもやげ」を買う。体験×おみやげ、という販売方法がいい。商品は体験に紐づけされれば確実に売れる。
→ なるほど。たしかに私もラスベガスのカバンや、ニューヨークシティーマラソンのランニングジャケットを持っています。実用というよりはお土産として買ったものです。
⇒ 奪い合うからお金が発生する。世界に一人きりだったら地代は無料。エンタテインメントは時間の陣取り合戦だ。時間を一番奪った人間が勝つ。
→ なるほど。対価とは製作費(材料費と人件費)のような気がしますが、本質は「奪い合い」かもしれません。とくにこれからの世界は、農業などが機械化自動化されると、しなければならない労働というものがどんどん減って、人はたくさんの時間的自由を手に入れるでしょう。そんな世界で稼ぐということは他人の時間の奪い合いになります。車をつくることでドライブ時間を、料理を作ることで食事の時間を、サブスクを視聴することでの視聴の時間を、プロダクトの性質は違いますが、消費者の時間を奪っていることは同じです。しかし、ここに大いなる矛盾が生じることに気づく必要があります。
たくさん稼ぐ人は、自分の時間を創作活動に費やして他人の時間をもらうことでお金を得ますが、そのことで自分の自由時間を失っています。逆に一般人は創作活動をしないことで、かわりに自分の時間をふんだんに使えるのです。多くのお金を得ることはありませんが飢え死にすることはありません。そう考えるともうどっちが正解だかわかりませんね。自分の好きなことしかやらない。これが唯一の正解なのかもしれません。
⇒ 自分で運営しない。ひとにやらせることを考える。自分一人で公告してはいけない。広告させることが大切だ。ワイドショーに出るのではなく、ワイドショーの出演者に自分の話しをさせるように。たとえばInstagramまでの導線をデザインすることで、いかにほかの人に拡散してもらえるか。自分の時間を使った宣伝ではなく、他人の時間を使った宣伝。
→ 私はこのようなブログの更新を、自分が好きで楽しいからやっています。が、ついでに自作書籍の広告になるだろうなとは考えていました。しかし他人の力で拡散されるようにと考えたことはこれまでに一度もありませんでした。なるほど、芸能界で成功した人はさすがに違いますね。
→ こうして彼の言葉を引用して、私がブログを書くことも、西野さんにとっては想定範囲内、むしろのぞむところ、戦略のうちだということです。もしこの記事を西野さんが読んだら、ネタバレに怒るなんてことは100%なくて、ニッコリとほほ笑んでくれるだろうと思います。ここにも俺のファンがいたか、ありがとう、と。
というわけで、この記事を読んだ皆さん、西野さんが本記事に気づいてくれるように、拡散にご協力をお願いいたします。
みなさんに読んでもらえるだけでうれしいですが、いちばんうれしいのは西野亮廣さんがこの記事に気づいてくれることだったりします。