第二の故郷、南房総市、館山市がだんだんさびれていっていると感じる。アロハガーデンたてやま、2025年3月31日で閉園
私には第二の故郷と呼べるような場所がいくつかあります。外国では幼い頃を過ごした韓国ソウル。ソウルのことは書籍も出版しています。
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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国内では南房総市、館山市です。そこに住んだことはありませんが、とても気に入って、毎年のように遊びに行っており、夫婦の婚姻届けは南房総市役所に提出しました。行きつけのお店もあります。関係人口というよりは交流人口といった関係性です。婚姻届けまで出したのですから、いちおう第二の故郷と呼んで差し支えないでしょう。
さて、その第二の故郷、南房総、館山(以下、まとめて南房総と呼ぶ)ですが、毎年のように通っていると、ちょっとした変化が目につきます。
つい先日も、アロハガーデンたてやまの閉園のニュースを聞きました。毎年通っていた場所だけに残念です。南房パラダイスの頃から知っている私としては、けっきょく駄目だったかと残念でなりません。毎年のように通っていただけに。
その隣にはかつて「館山ファミリーパーク」という広大なポピーの花畑があるいい公園があったのですが、2021年に閉園となってしまいました。今ではRECAMP館山というキャンプ場になっています。キャンプ場も悪くないのですが、キャンプ場が南房総ならではの施設かと言われるとそうではありません。
ジャングルパレスというよく使っていた日帰り入浴施設も、閉館してしまいました。斜面で建築上の危険があるために、その場所に何か新しいものが建つ予定はないそうです。
こういう閉園ニュースに接するたびに、南房はハワイになるどころか、ちょっとづつ廃れていっているなあ、と感じるのです。南房総は黒潮の影響で暖かいために、一足先に春が訪れます。その時間差こそが最大の魅力。他の地域に花が咲いてないときに、南房総だけが咲いているという時間差があるのです。花の出荷なども時間差があるからこその産業となっているのでした。
南房総市、館山市の欠点。どん詰まりで、けっこう遠い。日帰り温泉がすくない
私が愛する南房総の欠点を、冷静に先にあげておきましょう。
まず第一は「遠い」ということがあげられます。東京都内から見て、かなり遠くにあります。大宮などからだと日帰りは無理といっても過言ではありません。地図で見るとあまり感じないのですが、房総半島ってけっこう大きいのです。そして南房総はその突端にあります。陸地のどんづまりにあるのです。
私などは同じ千葉県人なのですが、日帰りで往復しようという気にはなりません。車で5時間ぐらいはふつうにかかります。一泊か、せめて二泊ぐらいしないと、行く気になれません。私の場合、車中泊が趣味なのでそこは問題あないのですが。むしろ車中泊の旅のスタート地点が南房総でした。車中泊という趣味へと導いてくれたのは南房総だったともいえるのです。車中泊が楽しかったのか、南房総が楽しかったのか、今となってはよくわかりません。しかし宿泊前提の人には敷居が高いでしょう。遠くて、日帰りは厳しい場所です。
陸地のどん詰まりにあるために、何かのついでに寄るという「ついで需要」を満たせません。わざわざ行くところ、最終目的地になってしまうのです。湘南鎌倉などは、たとえば都内の人が静岡や名古屋に行く途中で立ち寄るということが可能ですが、南房総は、そういう使い方はできません。どうしても最終目的地になってしまいます。
もうひとつ。車中泊族から言わせてもらうと、南房総には「日帰り入浴施設」が足りません。南房のライバルといっていいはずの伊豆半島にはたくさんの日帰り入浴施設があるのですが、南房にはこれがほとんどないのです。昔はもっとたくさんあったのですが、廃業したり、コロナを機にやめてしまったり、日帰り入浴施設の数がどんどん減っています。
もし南房総の市役所や観光協会の人や前澤友作さんがこのコラムを見ていたら、ぜひ考えていただきたいと思っています。
お金持ちになりたかったら学べ前澤友作ZOZOTOWN興隆物語
南房総の魅力は、「海」と「ひとあし先の春」のふたつしかない
南房総は遠くて、「なにかのついて需要」を満たすことができない陸の突端にあって、最終目的地にしかなりえないという特性を説明しました。それゆえに強力な集客力、吸引力が必要なのですが、その魅力はひっきょう「海」と「ひとあし先の春」のふたつしかありません。その二つが超強力なので、私は南房総を唯一無二の場所と考えているのですが、現状多くの人にリーチできていないから、施設の閉館が続いているのでしょう。
まずは「ひとあし先の春」についてですが、黒潮効果で、ほかとくらべて暖かいといえば暖かいのですが、常春といえるほど、そこまでいつも春の気温ではありません。しょせん日本国内、冬は冬です。東南アジアのように常夏だと、思い切ってレンタルパラソルなどの海産業に仕事を振り切ってしまえるのですが、そういうわけにはいかないのです。冬場に海水浴場で水着になっている人は誰もいません。冬の海ほど寂しい場所はありません。残念ながらハワイになりきれないのです。
花が名産なのは、「ひとあし先の春」の時間差を利用して、春の花の出荷を他の地域に先駆けて儲けたことが伝統になっているからです。今でも河津桜を植えて頑張っているのを感じますが、桜勝負では伊豆半島にはかないますまい。
正直、私たち夫婦も、毎年、南房総に出かけますが、行くのはいつも冬ばかりです。南房総には春にしか来ない、という人もいるはずです。正確にはまだ冬ですが、ひとあし先の春を感じるために来るという人たちがいます。もちろん海水浴ができる夏場のほうが観光客の総数は多いのですが、それはもう他地域と差別化ができません。
魅力のふたつめの「海」です。私の場合、海といって想像するのは「千倉の海」です。南千倉海水浴場が海のイメージのベースとなっています。千倉の海をベースに、ほかの地域の海を見ると、がっかりすることが多いものです。私が富士市あたりの駿河湾の海にがっかりするのは、千倉の海とくらべているからです。
こんなの、ほんとうの海じゃない……。
広島あたりの瀬戸内海の海にがっかりするのも同じ理由です。千倉の海とくらべると、ほかの海を見るとガッカリすることがほとんどです。それほど南房総の海はすてきです。
国内で、千倉の海よりもいいかもと思ったのは、南紀白浜、伊豆白浜、そして湘南あたりの海だけです。別府のあたりの海、尾道あたりの海は違った意味で魅力的ですが、南房総よりもすてきかというとドッコイドッコイという感じです。
それほどすばらしい場所が南房総ですよ。
わたしの第二の故郷、愛する南房総(館山市、南房総市)に心からエールを送りたいと思います。
また遊びに行くぜ。黒潮パワーで頑張れよ!