アウトローの不良がなんでモテるのか。その理由が知りたければ『シャンタラム』を読め
不良がなんでモテるのか。その理由が知りたければ『シャンタラム』を読め。
以下はグレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ著『シャンタラム』を読んでの私の感想です。
明治時代の日本文学によくあるタイプの高等遊民が書いた「今日も暇で、なすこともなく、そこはかとなく不安で自殺しちゃおうかと思う」みたいな作品よりも、不良の語る喧嘩とドラッグと違法ビジネスの話しのほうがずっとおもしろいんですよ。
だいたい退屈だから本を読むのに、そこで退屈の愚痴を聞かされたんじゃたまらない(笑)。
高等遊民の書斎暮らしよりも、インドのスラムの暮らしのほうがよっぽどスリリングで興奮します。牢獄とリンチと拷問と戦争の世界のほうが、机を前に書物を読む思索生活なんかよりもずっと面白いと感じる者たちがこの世にはいるのです。私もその一人です。
牢獄ものという文学分野。『イワン・デニソビッチの一日』の内容、書評、あらすじ、感想
『シャンタラム』の内容、あらすじ、魅力。
私はオーストラリアの最重要指名手配犯だ。武装強盗罪による二十年の刑期から逃げた男であり、インターポール国際指名手配犯。
→本書は一人称小説になっています。物語としても超一級なので三人称小説にしてもよかったと思いますが、心境を描くのが小説なので一人称にしたのでしょう。たぶんに作者の実体験が投影されているものと思います。その証拠に主人公は「物書き」です。作家が主人公の小説には作者の実体験が投影されていると考えて間違いありません。
刑務所を脱獄したことで私は家族も知り合ったすべての友人も失った。が、同時に友人もまた私を失ったのだ。帰る望みもなく、人生のすべては思い出の中に、愛の誓いの中にあるだけだった。
→いわゆる「過去を失った男」です。この男が白人であることが重要で、のちにアメリカ人に見えるという理由からマフィアにスカウトされるのでした。周囲は基本的にインド人なので色黒の人たちばかりで白人というだけで重宝された時代でした。
【白人はすごい】バックパッカーの安宿ルートを開拓したのは白人さんたち
文筆家であるという曖昧な理由さえあれば、ある場所に長く滞在しても、突然そこを発っても、充分そうした行動の説明がついた。違法な行為のやり方を聞いても、取材という広い意味を持つ言葉を用いることで理由の説明ができた。
→脱獄囚である主人公にはパスポートとビザの問題がつきまといます。混沌のインド・ボンベイにとりあえずは身を潜めますが、ビザ問題は避けて通れません。そういったところがファンタジー作品とは違ってリアルなのでした。
猫はぜったいに好きになるべきだわ。もし世界が完璧なら、すべての人間が午前二時には猫みたいになれる。
→ネコの語源は「寝る子」だそうです。シェスタがとれる、という意味ですね。
今何が必要か。列車の席をめぐる激しい争いも、そのあとの礼儀正しさも、インドで遭遇する当初は困惑させられた側面がそれほど不可解には感じられなくなった。
→私は世界中を旅していますが、今までで一番カルチャーショックを受けた国はインドです。なんというか……すさまじい混沌なんですよ。そのイメージをつかんでから読むと『シャンタラム』はよりよく読み込むことができるでしょう。
頭を左右に揺する、小刻みに横に振る仕草は、うなずくのと同じ意味。ほかに代わるものがないほど有用な仕草。私は温和な人間です。誰にも危害を加えたりしません。という相手の敵意を除く友好的なメッセージを伝えるためのもの。
→文化の違い、の例によく出てくるヤツです。うなずきはイエス、首を振るのはノーと思っていると、世界には逆の文化があるのでした。
あまりに悲しくて、自分のために泣いてくれるのは自分の魂だけといったことも世の中にはあるのだ。
→ 自信というのは自分で自分を信じてあげることだといいますが、ここでの「自分のために泣いてくれるのは自分の魂だけ」とは、みじめな自己憐憫の涙ではありません。ハードボイルドにただ悲しいのでした。過去をなくしたさすらい人の孤独です。アウトローの不良がなんでモテるのか、あなたにもすこしわかってきたのではないでしょうか。
女たちは平均すると一日四時間ぐらい働き、男たちは週四日、一日六時間働く。
もうひとつの川のことを考えていた。世界中のあらゆる人間の中に等しく流れる川のことを。それは心の川であり、願望の川だ。それまでの人生で私はずっと闘士だった。おれをナメるな。私の人生そのものが威嚇のメッセージになってしまった。しかし村ではまるで通用しなかった。人を寄せ付けないほど怖い顔をしても、人々は笑い、励ますように背中を叩いた。私がどんな表情を浮かべても、彼らは私を穏やかな男だと思った。
→作者は犯罪を犯して本当に牢獄にいたことがある人間のようですが、作家を名乗る通り文章力にも秀でたものがあります。物語が面白く、文章が読ませる。最強です。
私に新しい名前を、マハラシュトラの名前を授けることに決めた。それはシャンタラムという名だった。平和を愛する人、神の平和を愛する人という意味の名だ。
→作品のタイトルはここから来ています。「主人公の名前=作品のタイトル」系列の命名です。日本にはあまりこういう作品はすくなく、西洋の作品のは多いのですが……本作は後で述べますが、主人公の名前でしか作品タイトルをつけられないような作品でした。
私はゆっくりと……遅すぎはしたものの……生まれ変わり始めていた。
悪い人間に痛めつけられるのならわかる。受け入れることもできる。が、善い人間に、手錠で壁につながれ、踏まれ、蹴られたなら、それは全制度に、全世界に、骨を砕かれているようなものだ。
→こんなこと書けます? 体験した人にしか書けないんじゃないでしょうか。
刑務所に入らないためなら人殺しさえするのだろうか? 村人たちが私に向ける笑みは私が彼らから騙し取ったものだ。逃亡生活はすべての笑い声のこだまに偽りの響きを加える。そしてある意味、あらゆる愛の行為を盗品に変える。
スタンディングババというのは生涯二度と坐らない、そして二度と横にならないと誓った男たちのことだ。寝る時ですら、倒れないように吊りひもで体を吊って立ったまま寝ていた。足は腫れ鬱血し巨大化し、紫色の静脈瘤で覆われるようになる。痛みは激烈で釘のように矢のように足を刺し貫く。ババの顔は極度の苦痛に輝いていた。苦悩が生み出す光。彼らの笑みほどまぶしい光源を私はほかの人間に見たことがない。そしてとことんラリっていた。世界一のハシシを昼も夜もずっと死ぬまでずっと吸うからだ。
私は彼女を愛していたが、そこまで信用してはいなかった。
→過去を明かせないからです。本名すら教えていません。何も共有できないからです。それは彼女も同じでした。何かから逃げてボンベイに流れ着いたのです。
まずは便です。若者たちが突堤で待っています。あなたが便をするところを見ようと。彼らはあなたに夢中なんです。映画に出てくるヒーローみたいに思ってて、どんなふうに便をするのか見たくてしかたがないんです。
→さすがインド! ウンコの国。インドの路上には牛や何かのウンコが必ずあります。インドで旅行者が下痢するのはこのウンコのせいだと私は確信しています。インドで私も例にもれず人生史上最強の下痢をしました。
来なさい。意味不明で思いがけないそうした誘いには、必ずそれだけの価値がある。自分の直感を信じることも学んだ。こういう誘いに従って後悔したことはこれまで一度もなかった。
スナックを買いに出かけるという月並みな行為に、ちょっとした禁断の魅力と冒険のスリルがつけ加わる。
→主人公が逃亡者だということもありますが、異国を旅すると恐怖というスパイスでこの気分を味わえます。私もモロッコの空港で周囲が全員爆弾テロリストに見えて、まるで恐怖のダンジョンにいるかのように思ったものです。
政治の腐敗(袖の下、賄賂)の最大の問題点は、それが実にうまく機能していることだよ。
彼といると私は強くなれ、何ごとにも対処できた。私にそんな影響を及ぼす男に会ったのはこれが初めてだった。友達と認めた相手のためなら命を賭けられる男、どんな不利な状況でも何も訊かず、文句も言わず、味方になり、肩を並べて戦ってくれる男だった。
なるほどそういうことか。だから彼女は訪ねてきたんだ。彼女は私が恋しかったわけではない。私から何かを手に入れたかったのだ。ほかならぬこの私の助けを求めていた。
死人が競争相手になる心配はない。そう思ったのだ。死に別れた恋人ほど強力な恋敵もいないのに。そのことを知るには私はまだ若すぎた。
→現実が教えてくれることがあります。頭で考えると不合理なのに、現実はその不合理がまかり通っていることが。その場合、経験によって不合理を受け入れざるを得なくなるのでした。死んだ恋敵にかなわないというのもそのひとつでしょう。なんで死人に心惹かれているんだ、と叫んでも無駄です。現実には勝てないのです。
この任務が私たちを結び付けてくれることを切に願っていた。それが私たちの間にある本名さえ教えていない嘘と秘密を打ち壊してくれるほどのものであることを。
ほんとうの苦しみは愛や自由や誇りが生まれるのと同じ場所からくるんだ。そこはまた感情や理想が死ぬ場所でもある。
苦しみとはいかなる種類のものであれ、喪失の苦しみなのだ。
獄中記以上の獄中記でもある。
一億の臆病者たちは何が起こっているのか知っていても、声を上げようとはしない。百万の民をゆるやかな死へと追いやっている。ただ命令に従っているだけだと常に言い訳をする。自分がやらなければ、結局、他の誰かがやることになるのだからと。
→戦争でよくこの言葉がきかれますね。自分は任務を果たしただけだ、と。
マルクスは間違っている。政治とは階級の問題じゃない。すべての階級の実権はほんの一握りのものの手にあるんだから。世界に戦争を引き起こし、また逆に世界に平和を強いる力にもなっているのがこの公式だ。
人間を信頼したばかりに拷問を受けた小さな鼠。最悪の惨事は物事を変えようとする人々によって引き起こされる。
→秦の始皇帝を思い出しました。国を統一し法治国家をつくろうという大理念で大惨事を引き起こしました。
人間たりうるのは赦すことができるからだ。赦しという希望がなければ、芸術もまた存在しない。なぜなら芸術作品とはある意味で赦しの行為だからだ。私たちが生き続けているのは愛することができるからであり愛するのは赦すことができるからだ。
カルチャーショックといえばインド。インドといえばウンコ
鞭打ちの刑のことならよく知っていた。ここではない国にも同じように存在するからだ。棍棒を振り下ろされ、蹴られ続けるのだ。恐怖は人の口を乾かせ、憎悪は人の咽喉を締め付ける。だから憎悪から偉大な文学は生まれないのだ。本物の恐怖と本物の憎悪は言葉を持たない。
肉体が刑期のあいだ長らえるだけではなく、それと同時に精神と意志と心も生き延びなければならない。それらが損なわれたり壊されたりすれば、生き長らえた体が門を出たとしても、その人間は生き残ったとはいえない。つまるところ、心と精神と意志のささやかな勝利のためには、それら大切なものを宿す肉体を危険にさらさなければならないこともあるということだ。
→この肉体のリアルさも、明治の書斎派高等遊民の持っていないものです。人生は肉体、肉体こそが生きがいだと私は信じています。この箱舟を失ったら、心も精神も失うのです。
残酷さとは臆病さの裏返しでもある。悲しむ代わりに他人に苦痛を与えようとする。
不安こそ最後にわれわれの多くをまいらせるものだ。
私はよく心得ていた。嫌というほど学んでいた。刑務所の職員が権力を乱用した時には黙っているのが一番なのだ。こんな時には何を言っても彼らを怒らせるだけだ。何を言っても事態を悪化させることにしかならない。被害者の正当性ほど独裁者が忌み嫌うものはない。
欲と規制が出会ったとき、闇市場が生まれるのさ。
闇市場の両替商。銀行の為替レートよりも高くドルを買う。外国人旅行者はよろこぶ。そのドルを闇両替はインド人ビジネスマンにもっと高く売る。インド人ビジネスマンもよろこぶ。なぜなら申告できない脱税などのブラックマネーでドルを買えたからだ。そのルピーをまた外国人旅行者と両替する。これが不正外貨両替ビジネスの根幹をなす単純な方程式だ。
→私はよく両替屋を利用しますが、こんなことははじめて知りました。なぜ街中の両替屋のほうが銀行よりもレートがいいのか? 「銀行のほうが商売にがめついから」ぐらいに思っていました。アンダーグラウンドを経験した人間にしか書けないことです。
海外ATM事情。現地両替とATMキャッシング、どっちがお得か?
拷問を受けている最中におれが彼らを赦したということだ。ただ憎むだけだったら救出されるまでもたなかっただろう。憎悪がおれを殺していただろう。
いや、リン。むしろ憎悪がおれを救ってくれたんだよ。憎悪というのは回復力に富んだものさ。どこまでも生き延びる。おれには憎悪が必要なんだよ。憎悪はおれよりも強く、おれより勇敢なものだ。おれの憎悪はおれのヒーローなんだよ。
→負の連鎖。なぜ戦争がなくならないのか、これほど見事に言い切ったものもないでしょう。
わたしはあなたに見切りをつける。ボンベイに戻ったら、わたしたちはそれで終わり。
理由も告げずに最後通牒を突きつけてだた従ってくれと言われても、それは無理な話だ。おれはそれを黙って受け入れられるような人間じゃないよ。おれに指図することは誰にもできない。理由もなく何かをしろなんて命じることは誰にもできないんだ。
インドでは外国人は必ずじろじろ見られる。歴史のどこかの時点で、さりげない無関心な視線はインドの文化から消えうせた。
→そして物売りは追い払っても追い払ってもひたすらしつこく付いてきます。歴史のどこかの時点で、さりげない無関心な商売はインドの文化から消え失せた(笑)。
宇宙は複雑化をたどる。複雑化を助けるものは善であり、妨げるものは悪である。人殺しは人類の複雑化を妨げるから悪。不安に駆られて多くの時間と金を無駄に費やすことになり、究極的には複雑なものにはなれなくなる。神である究極の複雑さに近づけなくなるからだ。
過去を否定することはできても、それによってもたらされる苦痛から逃れることはできない。過去というのは、私たちの真の姿に死ぬまでつきまとうおしゃべりな影だ。
自分が嫌いでなくなれるのは、直面している危険が大きすぎて何も考えたり感じたりせずに行動しなければならなくなったときだけだ。
→こういうことも、おそらく現実にそういうことを経験していないと言えないことではないでしょうか。つまりハードボイルドな作風なだけでなく、作者の生きざまがハードボイルドだということでしょう。
生き延びるために戦うものが常に勝利をおさめる。殺し屋タイプのものは形成が悪くなると戦う理由をなくす。生き延びるために戦うものは形成が悪くなると戦う理由がそれまでになく強大なものになる。
いい戦士かどうかを決めるのは、どの人間にどんな攻撃ができるかではなく、何に耐えられるかだ。
→ 私の「覚えておきたい言葉」リストに残したい一言ですね。
相手が死んでしまった後でさえ自分がその相手を愛することをやめられないことだ。あたえることのできない愛が、胸を押しつぶすことがある。きみがいなければ星も見えず、笑い声も聞こえず、眠りも訪れないことがある。
→『シャンタラム』はけっこう男の友情を描いています。この言葉は女性に向けたもののようですが、実は友達に向けたものだったりします。
友達をなくし、それとともに自分はここにいると示してくれる精神的な地図の座標も失ったのだ。人格や個性というのは、ある意味、交わる人との関係によって描かれた地図上の座標のようなものだ。私たちは愛する人々自身や、彼らを愛する理由によって、自分が何者なのかを知り、自分自身を定義する。友の死によって居場所を失い、自分自身を定義できなくなった。
私はそれまでこらえていた涙を思うがままに流した。涙というのはある種の男たちにとっては殴られるよりも痛いものだ。ブーツで蹴られて負う傷より、涙を流すことで負う傷のほうが深い。心がしゃべりだすと、百もの悲しみの声を断腸の思いで聞くことになる者がいる。涙はからまった根っこごと地面からわれわれを引き抜く。この世には泣くことで倒木のように崩壊してしまう者もいるのだ。
愛してないし、愛せない。愛するつもりもない。
パキスタン派兵士を育成している。タレブと呼ばれるその兵士たちは、今起こっている戦争が終わったらアフガニスタンに送り込まれるはずだ。
→このタレブ。いわゆるタリバンでしょう。後の世の争乱を想像させる一文でした。
ソ連に過信させ、深入りさせて、しかるのちにスティンガーが投入されれば、ソ連は戦争に負けて人員と物資を大量に失い、ひいてはソビエト帝国の崩壊につながる。
→ロシア・ウクライナ戦争でも使われた携行対空ミサイル・スティンガーがここにも登場します。
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このブログの筆者の著作『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての感想と提言。
『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか?
●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか?
●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。
●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか?
●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。
ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすることが、人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。それに反する行動は人類全体に否決される。いつかそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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自分自身が——自分の凍りついた顔と心臓が——砕け、自分のまわりに飛び散ってしまったような気がした。ふいに体の中が冷たくなった。その冷たさが体中の血管を駆けめぐった。まるで雪でできているかのように眼も冷たくなった。
カーデルが私を刑務所に入れたままにした。私が刑務所で抱いていた希望はどれもむなしく意味のないものだった。希望そのものに意味がないことがわかると、人は愛されたいと願う明るい心も人を信じる心も失う。
あんたは……おれがまちがいなく……あんたに感謝するようにしたかった。だからおれを刑務所に入れておいた。そうなんだな?
→主人公リン・シャンタラムはボンベイの牢獄で苛烈な拷問をうけました。マフィアのボスのカーデルが救ってくれることだけが希望だったのですが……。
人は利益や主義のために戦争を起こす。が、実際には土地と女のために戦っている。彼らを死なせ続けるものは、土地と女を守ろうとする意志だけになる。
愛している相手が土に還り、もう二度と話すことも笑みを浮かべることもなくなってしまうなら、愛になど何の意味もないことになる。今ならわかることが当時はわからなかったのだ——愛は一方通行だということが。
さいころの一振りにすべてを、生死を、賭けようとしている男の高揚感。われわれは自由になるか、死ぬのだ。ネズミのように捕らわれたまま死ぬより、戦って死ぬ方がいい。
あらゆるドアは空間だけでなく、時間に通じる入口だ。ドアを通って人はその部屋の過去と、刻々と姿を現す未来にも足を踏み入れることになる。アイルランドから日本に至るあらゆる文化圏において、今でも戸口を飾り、戸口に対して恭しく敬意を表す人々がいるのはそのためだ。
カレドへの思いで頭の中が真っ白になった。過去から——雪と夜の中へ歩き去っていく彼の最後のイメージ、最後の記憶から——白い感情の吹雪が湧きおこった。意志の力で、どうにかその吹雪を抜けた。
遅かれ早かれ私は彼らのもとを去り、自分自身の思い出と血でつながった別の世界へ戻っていく日が来るだろうと思っていた。故郷につながる橋などすでにひとつ残らず燃やしてしまっていた。
私にはカーデルを愛するがために犯罪を犯したのだという嘘偽りのない、確かな感覚があった。
彼らの同胞愛が保証してくれる身の安全だけのために、ギャングになる道を選んだのだ。
赤の女王競争という。鏡の国のアリスからの命名だ。この国では同じ場所にいるために、とにかく一生懸命走らなくちゃならない。あっちは偽造しにくくし、こっちは新しい偽造方法を考え出す。同じ場所にとどまるためだけに、全員がものすごいスピードで走っているようなもんだ。
ただ戦おうとした。人が痛みと絶望と戦うように。その敵からは誰も逃れられない。なぜなら、その敵とは嘆き悲しむ自分自身の心だからだ。敵は我々のあらゆる動きの先を読み、一歩一歩につきまとう。
友人以上の存在——犯罪という絆で結ばれた兄弟だった。たがいに対する無条件の責任で固く結ばれていた。彼らは私があてにできる人間だということを知っていた。私が彼らと一緒に戦争に行き、命を賭けて戦ったことを知っていた。
脅し屋だ。逆らってこないことがわかっている相手を殴って、欲しいものを手に入れるやつのことだ。弱いやつを見下ろすように立って脅し取るからだ。
おれを脅そうとした。おれはそいつらを刺した。そしたらそれっきり誰も二度とそんな真似はしてこなくなった。噂が広まったんだ。あの男を脅すな、腹に穴が開くぜ。で、誰もおれに手を出さなくなった。
遅かれ早かれ勢力拡大が諍いの種となり、やがて戦争に発展するのは眼に見えていた。勝ってもヘロインと売春とポルノの商売を取り込まざるを得なくなる。それがわれわれの未来だった。避けられない未来だった。あまりにも多額の金が絡みすぎていた。戦いを回避するか、第二のチュハになるか、そのどちらかしかないのだ。
選ぶべき運命と、実際に選ぶことになる運命と。
血だらけのベッドの上に彼を置き去りにして見殺しにしようとした彼女が——どうして戻ってくるなどと考えられるのか? たとえ戻ってきたところで、泣き男の仮面のように成り果てた彼の顔(切り刻まれた顔)を前に、恐怖以外のいったいどんな感情が彼女の心に湧くというのか?
彼があれほどの痛みと折り合いをつけることができたのは、自分にも否があると認めたからに他ならない。
かつては私の人生もあんなふうだった。彼らと同じように幸せで、健康で、希望にあふれていた。そんな彼らに出会えてうれしかった。彼らがここにいるのは正しいことだと思った。マウリツィオがいなくなり、ウラとモデナがいなくなり、いつの日か私もまたいなくなるのが正しいことであるように。
愛情をこめて無条件に受け入れてくれたことがどれほど嬉しかったか——
互いに無条件に助け合い、絶対的に支えあう心だった。それは私がスラムをあとにしたときに、より快適でより豊かな世界へと移ったときに失ったものだった。それでも一度知ってしまったら……永遠に求め続け、探し続けずにはいられないものだった。
権力抗争に勝てば、力を手に入れることができる、彼らはそんなことを信じていた。そんなことはないのに。王になどなれないのに。人を王にする唯一の王国とはそのもの自身の魂の王国だ。
死を恐れていたわけではなかった。私が恐れていたのはケガをして歩けなくなることだった。捕まって檻に閉じ込められることだった。今日がその日になりますように。無事ここを出られるか、さもなければ、ここで死ねますように……
戦争をやっていない人間なんていない。戦争をやってない場所もどこにもない。おれたちはどっちの側につくか決めることしかできない。俺たちに選べるのは誰のために戦うか、誰を相手に戦うか、それだけだ。
私たちは生き続ける。神よ、助けたまえ。神よ、赦したまえ。私たちは生き続ける。
→このとおり名作『シャンタラム』には明確なオチはありません。ハッピーエンドでも、アンハッピーエンドでもありません。このまま物語が続くといえば続くし、一段落といえば一段落ですが、そんな段落区切りはいくらでも今までにあったのです。
しかし、人生ってのはそういうものですよね。たぶんほとんどの人に明確なオチや区切りなんてものはなくて、その後にも生きていくことは続くのです。そして物語の途中で死が訪れる。
主人公はいろんなものと戦っています。おいたちや、国を逃げた逃亡者であることや、友情と貧困、恋愛と秘密、犯罪と正義感、憎悪と復讐と赦し、そういうものをまるごと抱えて生きています。
たった一つの感情にケリをつける物語ならば『愛と青春の旅立ち』とか『博士の異常な愛情』とか、それっぽいタイトルがつけられるのでしょうが、そういう物語なので小説のタイトルは『シャンタラム(主人公の異名)』、それしか名付けようのないものでした。