まえがき
「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」
藤原定家のこの言葉を知って以来、ながらく私はこの言葉を座右の銘にしてきました。政治情勢だとか円高・円安だとかに一喜一憂して、浮世の都合に左右されて、日々不安定に暮らす人生は送るまいと若い頃に決意して生きてきました。
そんな私がテレビに釘付けになってしまうような事件が起こりました。それがロシア・ウクライナ戦争です。これだけ情報化社会になって、戦争の悲惨さが人々の常識として知れ渡り、争いなんて嫌だという人々の声が上げやすい世の中になっているのに、まさか国と国との古典的な戦争が起こるとは。
衝撃をもってこの戦争をわたしは受け止めました。
「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」とは、政治とか戦争みたいな争いは自分には関係ない、よそで勝手にやってくれ、という生活信条です。そんなことよりも芸術だとか自分自身を真摯に追求しようという人生態度が「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」だと私は理解しています。
紅旗征戎、吾が事に非ず。これまでそのようにして生きてきました。悪くない生活態度でした。人生は短い。もしかしたら最高指揮者として関わるならば政治や戦争というものは面白いのかもしれません。だから人類史からなくならないのでしょう。人類の歴史は政治と戦争の歴史です。そういうものは全身全霊を賭けて行うべきでしょう。どっぷりつかるか、一切関わらないか。
紅旗征戎、吾が事に非ず。私は一切関わらない道を選びました。実は選挙にすらほとんど行ったことがありません。はじめて選挙に行った時の結果を見て自分の一票のあまりの無力さを思い知って投票に行くのをやめてしまいました。他人に投票なんかしている時間があったら自分自身の人生を充実させることに集中しようと考えて生きてきたのです。
私は戦史に詳しいブロガーです。戦争のコラムをたくさん執筆している軍事オタクですが、軍事に特化したブロガーではありません。戦争には無条件で反対します。戦争に反対する立候補者を応援して政治活動するよりも、むしろいつか頭上に核ミサイルが落ちてきたときにジタバタすることがないように心を整える方に精力を向けた方がいいとするのが、紅旗征戎吾ガ事ニ非ズのスピリッツです。これまでそのようにして生きてきました。
ところが、そんな私ですが、ロシア・ウクライナ戦争だけはどうしても無視することができませんでした。毎日、テレビの画面を食い入るように見つめました。こんなに熱中してテレビを見たのは東日本大震災以来のことです。
なぜ戦争が起こったのかとか、どうしてこういう軍事的勝敗になったのかといったことは私よりもふさわしい筆者がいるはずです。その手の専門家におまかせします。そういうことではなく、なぜこの戦争は無関心、無関係の私をひきつけるのだろうか。それを解明するのが本書の主たる目的です。そこにはきっと人類普遍的な何かが含まれているでしょう。私の問題は、きっとあなたの問題です。人類全体の問題です。
戦史に詳しい市井のブロガーが見たロシア・ウクライナ戦争。どう思い、何を考えたのか。それをここに書き記しておきたいと思います。それには意味があると信じて。
なお本書を出版する時点(2023年12月)でまだロシア・ウクライナはまだ続いています。決着は見えていません。このような書物は本来、決着がついてから出版すべきものかもしれません。そうすれば答えを間違えずに執筆することができます。
たとえばこの本にはウクライナがロシア軍を圧倒していた頃「戦争に勝つのはウクライナだ」と軍事専門家はじめ多くの人が信じていた頃に書かれた記事がそのまま採用されています。もしも戦争がロシア有利に終結したら、記事としては意味のないものになってしまいます。なぜなら記事の前提が成立しないから。
もしもロシアが有利にこの戦争を終結させたとしたら、これらの記事は削除するしかありません。「間違った記事」だったとすらいえるかもしれません。
しかし私は可能性というものを消してしまいたくありませんでした。結果が出てから執筆するのでは、可能性を語っている記事の価値は消えてしまいます。それがまだ戦争が決着していないのに本書を出版する理由です。
戦争の結果を知っている未来人の目線から見ると、過去の戦争というものはみな同様のことが言えます。たとえば関ケ原の合戦で徳川家康ではなく石田三成に味方をする武将は「先見の明がなく愚かな武将」であるかのように見えてしまいます。それは我々が戦いの結末を知っているからです。しかし事件の渦中にある武将たちにはどちらが勝つかまったくわからなかったのです。その証拠にその当時最も優秀な武将といってもいい真田昌幸でさえ石田三成がわに立って参戦しているのです。渦中の判断とはこういうものです。ロシア・ウクライナ戦争も同じです。今の私にはこの戦争がどのように決着がつくのかわかりません。しかし結末がわからないからこそ書ける記事というものがあります。この時点だからこその記事を残しておこうと私は決意しました。それは「可能性の記事」だと言えるでしょう。
本書は筆者が運営するブログ『ドラクエ的な人生』から、ロシア・ウクライナ戦争に関するコラムをまとめて再構成したものですが、執筆時の日付を各コラムの最後に入れることにしました。その日付に語ったからこそ意味があるというコラムがいくつも存在することに気づいていただければさいわいです。
過去、終わらなかった戦争はひとつもありません。ロシア・ウクライナ戦争もいつかは終わるでしょう。決着が分かった時点から見返すと「なぜこんな無駄なことを考えたのか」と思うのはよくあることです。それでもリアルタイムで考えたこと、感じたこと、可能性を書き残すことには意味があると思います。
「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」
普遍的なものばかり求めてきた筆者が、はじめて時事的なコラムを残そうと考えました。
読んでいただければ、なぜそう考えたのか、お分かりいただけるはずと思っています。
2023年12月16日
アリクラハルト
- ロシアの軍事ブロガーって何者だ? なんでブログにそんなに影響力があるのか。
- 言葉には視点がある。日本人の誰もがウクライナからの視点で語る。
- ロシアがこんなに弱いとは。
- ウクライナ美人がウクライナを救う。
- ロシア軍は兵装が古すぎる。ソ連製の戦車って。
- ウクライナ戦争後の世界。ロシアの細分化と北方領土返還
- 国家をやめて世界連邦、世界政府のようなものをつくる以外に恒久和平の道はない
- ロシアがNATOに加入すればいいんだよ
- ウクライナ「ロシアは冬の寒さを大量破壊兵器にしようとしている」は言い過ぎ。誇張しすぎ。
- 独裁制はアカン。絶対的権力は絶対に腐敗する
- ウクライナ戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか?
- ウクライナ戦争。水上ドローンの元祖は日本の特攻モーターボート震洋。「震洋」と水上ドローンの違い。
- ロシアの兵士を救え。兵隊は独裁者の犠牲者に過ぎない。
- 決戦! 「戦車の拳」部隊による大戦車戦
- 反戦平和運動こそが最高の地球温暖化対策だ
ロシアの軍事ブロガーって何者だ? なんでブログにそんなに影響力があるのか。
ロシア・ウクライナ戦争をウォッチしているアリクラハルトと申します。
いつ戦況が変わるのか、どんな戦略が展開されているのか、いつ核兵器がつかわれるのか、と連日テレビにくぎ付けになっています。この戦争のニュースばかり眺めているので、ちょっとした軍事評論家なみに意見が言えるようになってしまいました。「その意見はもう聞いたよ」とか「先日はこう言っていたのに日和見な態度ですね」とか「ウクライナが押し切ると予想していたのに、何食わぬ顔してロシアが有利に戦っている状況を当然であるかのように解説していますね」とか専門家たちにツッコミを入れることができます。
普段はそれほどテレビを見ない人間なのですが、ウクライナ戦争だけは食い入るように見てしまいます。やはり人間が命を賭けてリアルタイムで戦っているからでしょう。弱い者いじめのような紛争は過去にいくつもありましたが、このような戦争はこれまでになかったのではないでしょうか。
わたしにとっては新型コロナウィルス関連ニュースは、どうでもいいほどちっぽけなニュースになってしまいました。ウクライナ戦争にくらべたら、まるで視界に入って来ません。
独裁者プーチンが、なんで軍事ブロガーの意見を無視できないのよ?
ところでテレビの識者、軍事評論家の意見を聞いていて矛盾を感じることがあります。
それはプーチン大統領の意思決定についてです。プーチン大統領は独裁者でものすごい権力をもっているので「戦争反対」や「徴兵反対」といった意見を無視、圧殺することができると言われています。テレビの識者は「独裁者で、誰も止められない」と言っていました。だからこの戦争は「プーチンの戦争」だといいます。戦争をはじめたのもプーチンなら終わらすことができるのもプーチンだそうです。核を使うも使わないもプーチン次第だといわれています。まあ、そうなんでしょう。21世紀にもなって、庶民はみんな反対しているのに、戦争をしかけるような男ですからね。
でもそう言う一方で、専門家たちは、30万人もの予備役の徴兵や、核ミサイルの使用圧力、現場司令官の任命や更迭について、右翼、強硬派の意見を抑えきれないで、プーチンが彼らの顔色を見て政策を実施している可能性があるなんてしゃあしゃあと言うのです。
「右派の政治家や、軍事ブロガーの意見を無視できなくなって、それに押されるかたちでプーチンは戦争拡大に舵を切るかもしれない」とテレビの識者たちが平気な顔していうのです。言ってることがおかしくないですか? 誰にも止められない独裁者だとさっきまで言っていたのに、誰かの顔色をうかがうなんて。徴兵しろとか、軍備増強しろとか、全面戦争しろとか、核ミサイルを使うべきだという軍事ブロガーの意見に、誰にも止められない独裁者が影響されるってどういうことなんでしょう。
右派左派どちらもガン無視できるというのならわかりますが、「プーチンが強硬派のご機嫌取りのような政策をとる可能性がある」って平気な顔して主張するのは、自分で言っていることが矛盾しているって気づかないのかな?
ロシアの軍事ブロガーとは何者か? なぜ誰も解説しないのか?
それともうひとつ。ロシアの軍事ブロガーって何者ですか?
力のある軍事ブロガーがロシア世論を形成しているかのようなことを、ロシア通の識者たちがテレビで言うのですが、この軍事ブロガーというのは何者なんでしょうか?
かくいう私もブロガーのひとりです。ブログに関してはド素人ではありません。軍事的な記事に特化したブログを書く人のことを軍事ブロガーというのでしょう。他の定義、ありますか?
でもブログが独裁者の政策に影響をあたえるってどういうことでしょうか。日本じゃ考えられないんですけど?
この謎のことを質問する司会者も、解説するロシア通の人も誰もいません。すこしも疑問に思わないのか、あるいは説明できないのか、どちらなんでしょう。
ユーチューバーならわかるが、ブロガーでそんな実力のある人がロシアにはいるのか?
そもそも2022年の現在(執筆時)に、ブログにそんな力あります? 日本じゃ考えられません。今の日本の現状から考えると、YouTuberならまだわかりますが、ブロガーで国政に影響をあたえるような人(純粋なブロガー)は誰もいないのではないでしょうか?
ユーチューバーのインフルエンサーのような影響力のあるブロガーなんて日本にはひとりもいないと思います。たとえば亡くなった小林麻央さんが書いていたブログは社会的に大きな話題になりましたが、それは彼女がテレビに出ていたタレント・有名人だからであって、純粋にブログ畑の出身者ではありません。有名人が書いたブログなら、まだわかりますよ。たとえばゼレンスキーの書いたブログなら、そりゃあ影響力があるでしょう。でもロシアの軍事ブロガーって、そういうもともと有名人が書いたブログのことを指しているのではなさそうなのです。有名人なら「××が言った」という表現をとるはずです。テレビのロシア通の識者はそういう言い方をしていません。単純に閲覧数の凄い、軍事に特化したブログの書き手(素人)がいるんでしょうか?
ロシア情勢に詳しい識者には、ただ単に「右派の軍事ブロガーがプーチンに影響をあたえている」というだけではなく「どうしてそんなことができるのか? 軍事ブロガーとはどういう存在なのか」を解説してほしいと思います。なぜこの大事なことを言わないのかといつもテレビの前でイライラしていました。
軍事的なことは解説できるくせに、軍事ブロガーがどうやって独裁者の国策に影響力をあたえているのか、そこは一切の解説がないのです。私は不思議でなりませんでした。
ブログ全盛期? ロシアと日本でインターネットのお国柄、事情が違うのか?
日本ではLINEや、インスタグラム、TwitterなどのSNSが主流ですが、ロシアではテレグラムというSNSがいちばん人気なのだそうです。このように国によってインターネット状況は違うことから、ロシアではまだブログ全盛時代なのでしょうか? 残念ながらわたしはロシア語を読めず、ロシア通ではないので、ロシア情勢はわかりません。
日本人で著名ブロガーというと、何人かの顔が思い浮かびますが、みんなひと昔前の人という感じがします。全盛期の影響力をいまだに持っている人は一人もいません。でもロシアではまだブログ全盛期なのでしょうか? ドストエフスキーとかトルストイを生み出した国だから動画よりも活字を読むことに日本人よりも適性があるんでしょうか?
そこが知りたいんですよ。テレビで解説しているロシア通の先生がた。
ブログとYouTubeの媒体の差。日本は活字よりも動画の時代
テレビ出演などを背景とした元々有名人が書いたブログは別として、素人が軍事のことに特化して運営しているブログ(軍事ブロガー)の意見が、プーチンの決定に影響をあたえているとロシア通の識者たちが平気な顔して言うので、あえてここで疑問を呈させていただきました。そこを司会者がツッコまずスルーするのも、解説者が当然の顔してスルーするのも、視聴者の疑問を無視した態度ではないでしょうか?
今どき個人がいくらブログを運営しても、今のYoutube動画ほど影響力をもったコンテンツにはならないと思います。それはもうブログとYouTubeの媒体の差というしかありません。日本では確実に活字よりも動画の時代になっています。それなのにウクライナ戦争の報道特集を見ていると「ロシアの軍事ブロガーが……」という発言が頻繁に登場してくるのです。それって誰? なんでブログにそんな力があるの? なぜロシアのユーチューバーがと言わないの? なんでそのことを誰も解説しないのよ。なんで司会者は質問しないの?
軍事ブロガーなんて言葉が2022年に存在していること自体が、ちょっと不思議じゃありませんか? そこをどうしてツッコまないのでしょうか。
情報の信ぴょう性にかかわります。情報元が信じられるからこそ情報を信じることができるのです。それなのに「解説のない、よくわからない人」の情報をもとにニュースが解説されているのです。まずは軍事ブロガーとは何者なのか? その解説をするべきではないでしょうか?
ロシアの軍事ブロガーとはミリタリーの特化したインフルエンサーのこと
ロシアの軍事ブロガーが何者なのか、あいかわらず日本のテレビ番組では解説しないのでずっと謎のままでした。しかしイギリスBBCニュースを見て、彼らが何者なのかなんとなくわかったので解説させていただきます。
ロシアの軍事ブロガーというのは、ミリタリーに特化したインフルエンサーのことでした。もちろんブロガーというからにはブログも運営しているのでしょうが、記事を書いて文字媒体(ブログ)だけで世間にインパクトをあたえているのではなく、ロシア軍と一緒に進軍してそれを映像におさめて、テレグラムなどの媒体に発表することで影響力を得ているようです。
その軍事ブロガーが発表した記事の位置情報などから、ロシア軍がウクライナのどの位置でどんな装備でどんな活動をしているのか知ることができるため、彼らの情報は重宝されているのです。
なるほど「戦争当事国の外から、文字のみで活動」しているだけではないのですね。いわゆる日本で定義されて想像されるような「ブロガー」と、ロシアの軍事ブロガーはまるで性質が違います。ブログもやっているからブロガーといちおう呼ばれていますが、彼らの主戦場は文字媒体から映像媒体に移行しているようです。ブログというよりはテレグラム上のインフルエンサーが「ロシアの軍事ブロガー」の正体なのです。
ブログがプーチン政権に影響をあたえるなんて、言っていることがおかしいと思っていたのです。なるほど、やっぱりね! そうだったのか。やっとロシアの軍事ブロガーの正体がわかりました。英語のニュースのおかげで。
日本のテレビにも、やたらと口にする「ロシアの軍事ブロガー」の正体について、きちんと解説してほしかったなと思っています。
(2022.11.8)
言葉には視点がある。日本人の誰もがウクライナからの視点で語る。
ロシア・ウクライナ戦争のテレビ報道を見ていて気付いたことがあります。それは誰もがこの戦争をウクライナ側から語る、ということです。
私たちは文化的には親ロシアではないでしょうか? 私たちはロシア人ならたくさん知っています。ドストエフスキーやトルストイ、レーニンやスターリン、エカテリーナなどたくさんの人を知っています。しかしウクライナ人の誰を知っているでしょうか? ウクライナのことなんて全くと言っていいほど知りません。
ロシア文学(ロシア語で書かれた)はたくさん読みましたが、ウクライナ文学(ウクライナ語で書かれた)はまったく読んだことがありません。出身がウクライナ地方だというゴーゴリはロシア文学に範疇分けされています。個人的にはウクライナ人で知っている人は鳥人セルゲイ・ブブカぐらいです。
このような私たち日本人がロシア側ではなくウクライナ側から戦争を見るというのは普通に考えればありえないことだと思います。しかし実際にはテレビを見ていても識者たちは常にウクライナ側から戦争を語っています。そして視聴者はそのことに何ら違和感を感じていません。このブログでもロシア・ウクライナ戦争のことをウクライナ側から語っています。これはいったいどういうことなのでしょうか。考えてみればこれは一考に値することだと思います。なんでこんなことが起こるのでしょうか?
言葉というものの宿命。言葉には視点が必要。神さまの書いた文章なんて読んだことがない。
そもそも文章には視点・目線というものが必要なのです。誰の視点でもない文章なんてまずありえません。誰かの視点でもない言葉なんて存在しないのです。神様が書いた文章なんて見たことがありません。聖書だって人間が書いているのです。だからこのウクライナ戦争を語るときにも、必ず目線というものが必要なのです。それが言葉というものの宿命だからです。ではなぜその文章の目線が文化的に親しいロシア側ではなく、ほとんど知らないウクライナ側からになってしまうのか? なぜみんなウクライナ側からの視点でものを語るのでしょうか。
女子大生と見るか、キャバクラ嬢と見るかで評価が変わる。
先日インターネットを見ていたら、おもしろい記事を見つけました。
「女子大生が夜キャバクラでバイトしていると聞くとふしだらに聞こえるけど、キャバクラ嬢が昼間は大学で学んでいると聞くとまじめに聞こえる」
この例は視点がどこにあるかで評価が変わるといういい見本です。よく考えてみたらやってることはどっちも同じじゃありませんか? もしかしたら同じ子のことを語っているのかもしれません。同じ相手を女子大生視点で語るか、キャバクラ嬢の視点で語るかで評価が180度変わってしまうのです。これが視点の問題ということです。誰に目線を置くかでものごとは感じ方が変わります。
ウクライナ側から語ることにはメリットがある。正義の側から語ることができるから
ところで現在のロシア・ウクライナ戦争は、ロシアがウクライナに侵攻したという文脈が世界的に受け入れられています。つまり被害者はウクライナ、加害者がロシア。正義はウクライナ、ロシアは悪というレッテルが貼られています。だからウクライナ側から語ることにはメリットがあるのです。正義の側から語ることができるからです。誰も自分を悪の側においてそこから語りたくないんですよ。これが識者たち、テレビの専門家たちがウクライナ目線でこの戦争を語る理由です。明確なメリットがあるからウクライナ目線になるのです。正義の味方の立場で発言できるからです。
本当は中立な立場で報道できればいちばんいいのでしょう。しかし言葉というものは視点が必要な宿命だから、そうすることはできないのです。せいぜいできるのは「ウクライナは××と主張した。それに対してロシアは〇〇と主張している」と両論併記することぐらいです。双方が大本営発表をしていると思われる戦果発表のようなケースではこのような両論併記をつかって報道していますね。
そろそろ地球視点でものを語ろうか。
現実におこなわれている戦争に対して、人類の視点で語ることは難しいことかもしれません。だってウクライナ人も、ロシア人も、どちらも同じ人類ですから。しかしウクライナの正義と、ロシアの強者の理論が意地を張り通せば、最後は核ミサイルで地球は終わります。妥協するには相手の目線に立つことも必要です。
言葉というものは宿命的に視点が必要です。でもできるだけ自分を殺して語ろうとするならば、地球目線で語ることは可能です。ウクライナ戦争も、西側のリーダーたちがウクライナ目線で考えたり語ったりすることをやめて、地球目線で考えたり語れば違った見方になるのになあ、と思わずにいられません。
(2022.12.18)
ロシアがこんなに弱いとは。
第二次世界大戦のことを、日本とアメリカの戦争だと思っている人がいます。実際はぜんぜん違います。WorldWar2というのは、ドイツとロシア(ソ連)の戦争でした。日本は主演俳優ではありません。
アメリカは、史上最大の作戦といわれる「オーヴァーロード」作戦でD-DAYにノルマンディーに上陸しています。しかしナチスドイツに決定打をあたえたのはこの上陸作戦ではありません。史上最大の作戦というのは盛り過ぎです。むしろ史上最大の戦争だったのは独ソ戦でしょう。
第二次世界大戦の最大の激戦地はドイツ東部戦線でした。この東部戦線のことをロシアでは「大祖国戦争」と呼んでいるそうです。パシフィックウォー(大平洋戦争)のことを、日本側が大東亜戦争と呼んでいたようなものですね。
戦死者の数で比較してみましょう。諸説ありますが推計データによると、独ソ戦のソ連側戦死者は1450万人だそうです。1450万人ですよ! ちなみに日本の戦死者は、東京大空襲で10万人だといわれています。広島原爆では推定14万人。長崎原爆では7万4千人。沖縄戦では9万4千人ぐらい戦死者が出たと推計されています。ヒロシマは死者数だけでカウントするなら、独ソ戦の1/100の被害でしかありません。まったく桁が違います。
ノルマンディー上陸作戦に参加したのは17万6千人。上陸軍が全滅しても死者数17万ですが実際の戦死者は1万人弱だそうです。それに対してドイツ東部戦線(独ソ戦)で、ドイツ側戦死者数は390万人。勝ったほうのソ連側の死者が1450万人です。人的損耗だけ見るならドイツの勝ちですが、ご存知の通り首都ベルリンを陥落させて最高指導者ヒトラーを自殺に追い込んだのはソ連でした。
ちなみに日本の戦争全体の死亡者数は230万人です。あの焼け野原の廃墟日本ですら戦死者230万人です。ソ連の1450万人がどれだけ多いかわかりますか? ドイツの戦死者数は日本よりも多いのです。第二次世界大戦というのは、実質的にはドイツとロシアの戦いだったのです。
独ソ戦というのは戦車戦
この史上最大の戦争である独ソ戦の天王山は戦車戦でした。日米戦争が艦隊戦だったのに対して独ソ戦は戦車戦でした。その最強ロシアの戦車部隊がウクライナに侵攻しているというのに、まあ弱いこと弱いこと。あのロシアがこんなに弱いとはビックリしました。
独ソ戦ではウクライナ地域をドイツ軍はほとんど無人の荒野を行くが如く進軍しました。スターリングラードなどでソ連軍が迎え撃ち、クルスク大戦車戦(6000輛の戦車による合戦)によって世界大戦の帰趨を決したのです。その最強のロシアが戦車部隊を投入してウクライナに侵攻しているのに……撃退されています。これはいったいどういうことなんでしょうか? 見ているものが信じられません。第二次世界大戦の勝者であるソ連戦車部隊と今のロシア戦車部隊のイメージがあまりにも違いすぎてびっくりしてしまいます。
もしもドイツがソ連(ロシア。以後、ロシアで統一します)に勝っていたら、第二次世界大戦は枢軸国側が勝っていたかもしれません。すくなくとも北方領土を占領されることはなかったでしょう。その第二次世界大戦の勝利者だったロシア戦車部隊が出撃しているのに、ウクライナに撃退されています。侵攻に大義なく、兵士に士気がないのが原因なのでしょうか? 謎です。
わたしたち日本人はかつての大日本帝国の軍隊がとても強かったように錯覚しがちです。しかしかつてのソ連軍戦車部隊よりも弱かったことも事実です。ウクライナ戦争をきっかけに、日本でも自衛の論争が盛んになっています。自衛隊がかつての強い日本軍のイメージを思い描いて準備しても、実際にはまったく弱い別の軍隊になっているだろうと思います。かつての面影はまったくない、今のロシア軍のように。
(2022.3.29)
ウクライナ美人がウクライナを救う。
「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」主義の私が、ロシア・ウクライナ戦争からは目が離せません。なんでこんなに注目してしまうのでしょうか。
この戦争は一般市民がSNSなどのソーシャルメディアを利用して世界に戦争中継を同時中継的に配信しています。ベトナム戦争などでカメラマンが切り取った動画をテレビが中継するということはありましたが、戦争被害者の一般人が動画配信して状況をじかに伝えるなんてことはこれまでにありませんでした。まさに二十一世紀の新しい戦争となっています。
しかし……それだけではないと思います。正直に言います。これがアフリカのA国とB国の戦争だったら日本のテレビ局がここまで情勢を気にかけるかなあ、と。黒人どうしが戦争しても、世界はここまで関心をもたないんじゃないかと思うのです。
アフリカ人どうしの黒い戦争だったらここまで情勢を気にかけないだろう世界が、ウクライナ戦争からは目が離せない。そして実際に世界の視線は確実にウクライナの力になっています。たくさんの人の見ている前で、犯罪者はおおっぴらに犯行を犯せないからです。ゼレンスキー大統領が各国の国会で演説しているのは、人々の注視がウクライナの力になっていることをじゅうぶんにわかっているからでしょう。
どうして世界はウクライナ戦争のことが気になるのか? それはウクライナの美女たちのせい(おかげ)だと思うのです、はっきりいうと。
ウクライナというのは美女が多いことで有名です。美人が多い国といえばウクライナ。これが世界旅行者の常識です。私は世界各国を旅してきましたが、ウクライナにはまだ行ったことはありません(この戦争が終わったらぜひとも行ってみたいと思っています)。だから個人的な思い入れはない国のはずです。それでもウクライナ情勢が気にかかるのは、ウクライナ美人のせい(おかげ)だと思うのですよ。美女のピンチは放ってはおけない、というのが大半の男ではないでしょうか。
ウクライナ美女というのは、スラヴ系民族をベースに混血しているそうです。スラヴ系美女というのは、ロボットみたいな整い過ぎた美女をイメージすれば典型的です。これは侵攻しているロシアも同じですが。そういう美女たちが住む街が攻撃されて彼女たちの暮らしが壊されている。美女が悲惨な目にあっている。美しい女性の幸せが壊されようとしています。男たちは怒りをもって映像を眺めているに違いありません。
実際にメディアにうつるウクライナ人は美女ばかりではありません。太ったおっかさんも、老婆もいます。ウクライナといえども必ずしも美女ばかりではないんだなあ、とわかります。それでもときおり美女が映ります。彼女たちが泣いています。美女の幸せを奪うなんて許せない、と思うのです。とくにヨーロッパの男たちはそんな目でウクライナ戦争を見ているのではないでしょうか。そうでなければ中東やアフリカの戦争にくらべてここまでウクライナに注目と支援が集まる理由が説明できません。地政学的な要因というよりは、もっと人間の根源的なもの。自分たちと似た人、同じ白人が悲惨な目に遭って困っている、とりわけ美女が悲しんでいるという要因が西欧の注目と支援の本当の理由なんだと思います。
日本にとってもウクライナにとっても、ロシアは国境を接した隣国です。戦争の行方いかんによっては核兵器を使われる可能性があり、世界が滅亡に瀕していることも注目を集める理由のひとつだろうと思います。しかしそうであっても、やっぱり黒人どうしのアフリカの戦いだったら、こうまでテレビにかぶりつかないだろうし、こうまで世界の注目を浴びないだろうし、こうして私が記事を書くこともないだろうと思うのです。もし私たちがこうしてこの戦争を注視することで国際社会の非道を掣肘できるとすれば、それを成し遂げたのはひとりのゼレンスキー大統領ではなく、ウクライナ美女たちの存在のおかげです。ウクライナ美女たちのおかげで、男たちはウクライナを放っておけないのです。
たくさんの人の見ている前で、犯罪者はおおっぴらに犯行をおかせません。世界に見られることがウクライナを救うというのならば、国を救ったのはウクライナ美女たちです。美人が国を救うのです。
(2022.3.23)
ロシア軍は兵装が古すぎる。ソ連製の戦車って。
圧倒的な兵力差をもつロシアがウクライナを攻めきれないのにはさまざまな理由が考えられますが、そのひとつには兵器があまりにも古いということがあるでしょう。兵器(マシン)というのは寿命・耐用年数があるのです。鉄の武器だからって永遠に使えるわけじゃありません。鉄にも寿命があります。最終的には鉄は酸化してサビになって砂に戻る宿命です。ソ連製の戦車をいまだに現役で使っているってどれほど古い車両をつかっているんでしょうか。完全に賞味期限切れといってもいいでしょう。
たとえば私たちがよく使っている旅客機の耐用年数は30年ほどだといわれています。ちなみに日本の法定耐用年数はわずか10年です。ソ連は1991年に崩壊していますのでソ連製の兵器を使うというのは31年以上前の兵器を使っているということになります。兵器としては古すぎます。
太平洋戦争中、日本海軍にはたくさんの戦艦がありましたが、戦艦山城とか伊勢などは、旧式戦艦、旧型艦としてもはや主力扱いされていませんでした。日進月歩で武器が進化していく中で山城や伊勢はもはや主力ではないという烙印を押されていたのです。これが最先端の戦争、軍事技術というものです。技術はどんどん進歩しているのです。それがソ連製の戦車って……古すぎませんか?
ジェットエンジンも、原子力発電所も、インターネットもGPSも、もともと軍事技術
ジェットエンジンも、原子力発電も、軍事技術の進歩の中で生まれてきました。インターネットもGPSも元はといえば軍事技術です。そんな時代にソ連製の戦車ってどれだけ古いの使ってるんでしょうか。黒海艦隊の旗艦だというミサイル巡洋艦モスクワは艦齢40年の老朽艦です。ありえないほど老人です。旧帝国海軍を見習ってほしいものです。退役させなさいよ。
このことはマイカーで考えるとわかりやすいんじゃないでしょうか。30年前の車に乗る気になりますか? スピードも燃費も快適性もすべてにおいて最新車と勝負になりません。エアコン壊れてるんじゃないか? いやそもそもエアコンなんかついてないか。もちろんカーナビもありません。それをやっているのがロシア軍なのです。兵装が古すぎるんですよ、はっきりいって。金属だって疲弊して弱くなるのです。ロシア軍は何を考えているんだろう、と不思議でなりません。
(2022.5.14)
ウクライナ戦争後の世界。ロシアの細分化と北方領土返還
戦争の行方が見えません。現在、核戦争の危険度は、キューバ危機以上の状況にあるといってもいいでしょう。このまま行くと通常兵力だけならNATOの支援を受けているウクライナが勝ちそうです。
しかしロシアは核保有国です。その気になったらウクライナ全土を燃やし尽くすだけの火力を持っています。ウクライナ全土どころか地球全土を灰にできる力があります。
まあロシアが核兵器を使って全人類が絶滅した場合、ここで何を言っても無駄なことです。そのときはおとなしくみんなで滅び去りましょう。
「ロシアを大国ではなくす」の意味は、ロシアの分割統治ではないか
問題はロシアが中途半端に威力弱めの戦術核を小さく使った場合です。この場合、国際社会がロシアを許すはずがありません。アメリカなどは「ロシアを大国ではなくす」と公言しています。二度と戦争できないように国力を弱体化させようとしているのです。これがどういう意味なのか、具体的なビジョンはまだ出てきていません。
わたしの予測ですが、アメリカがやろうとしている「ロシアを大国ではなくす」という意味は、ロシア連邦の各民族を国として独立させて、大ロシアを分割してコントロール下におくことではないかと思います。
北方領土の解決案。ウクライナの戦後処理で回復すればいい。
ひろゆき(西村博之)など一部の人間が、ロシアがウクライナでてこずっているあいだに日本は北方領土に兵をすすめて不法占拠状態から解放すべきだと主張しています。冗談じゃありません。北海道に核ミサイルが撃ち込まれますよ。白人の国ウクライナにはつかわなかった「滅びの火」を東洋人の国には容赦なく使うでしょう。
プーチンが生きているあいだは出兵(不法占拠されている日本国内だけど)なんて自殺行為です。ロシアでふたたび革命が起こってプーチンが失脚するなどの混乱したタイミングで出兵すれば大丈夫という人もいますが、武力による原状回復は将来に遺恨を残すだけなのでするべきではありません。もちろん憲法、法律的にも違反です。
それよりも今はおとなしくアメリカ(NATO側)に従ってお金を出して、戦後処理に戦勝国サイドとして参加できるように賢くふるまうべきだと思います。
わたしはアメリカがいう「ロシアを大国ではなくす」の意味は、ロシアの分割ではないかと思います。ロシアは巨大すぎるゆえの問題を抱えています。アメリカはロシアの小国化、分割を考えていると思います。その戦勝国会議の際に、日本は北方領土を返還してもらいましょう。いちばん東の小さな弱い国とコワモテの交渉すればいいのです。それで一切の軍事力を使うことなく北方領土返還がかないます。
そのためには今はNATOの側で貢献するべきです。話し合いや署名なんていくらやっても北方領土が返還されるはずがありません。ウクライナ戦後が千載一遇のチャンスだと思います。
核保有国が世界の警察のようにふるまうことで国連安保理は機能してきました。しかしロシアのように核保有国が世界のギャングのようにふるまうようでは安保理は機能しなくなります。この先、ロシアは道義上、安保理常任理事国としてふるまえなくなるでしょう。超大国でもなく、戦争責任が追及され、ウクライナがそうだったように核放棄を迫られるかもしれません。世界がどうなるかわかりませんが、大きく動くことは間違いないでしょう。いろいろ考えるとウクライナ戦争から目が離せないのです。「紅旗征戎、吾が事に非ず」どころではありません。
(2022.5.12)
国家をやめて世界連邦、世界政府のようなものをつくる以外に恒久和平の道はない
「敗戦したらロシア連邦は細分化されるのではないか」という記事を書きました。大国(世界)が細分化されるという方向で考えた次第です。しかし私は戦争をなくすためには世界連邦、世界政府のようなものをつくる以外にはないと思っています。大きな統合、統一こそが希望です。国家があり続ける限り、戦争はなくならないと思うからです。
過去の遺恨で国家と国家は争います。おたがいに相手が絶滅すれば平和が来ると思っています。肉親を殺された怨みは消えません。復讐の炎が次の戦争を引き起こします。戦争が時代を経てまた繰り返されるのです。この負の連鎖を断ち切るためには、国家という存在をなくしてしまうしかありません。
国家対国家の争いは、どちらかが善、どちらかが悪という単純な図式ではありません。自分たちが生き残るためには相手をやらなきゃならないという正義の使命感を背負って民族・国家は戦争に突き進んでいきます。どちら側にも正義があります。戦争というのは、どちらかの国が主張を妥協すること以外に落としどころはありません。武力で相手の主張を粉砕してしまうために戦争はあります。ロシア・ウクライナ戦争も同じです。双方の主張が満たされる和平案はありえません。誰かが自分の意見・感情を抑えて相手に花道を譲る以外には落としどころはありません。
しかし現在、ロシア・ウクライナ両国のリーダーは「妥協はありえない」と主張しています。これでは和平への道は開けません。どういうふうにこの戦争が終わるかわかりませんが、国が国として残るかぎり、遺恨は残ります。それは将来の戦争の火種となります。
「川中島の戦い」は無意味は地方戦。国があるから戦争になる。
将来の戦争の火種を解消して恒久平和を実現するには、民族国家をやめて世界連邦、世界政府のようなものをつくる以外にはないのではないか、と私は思います。かつて日本の戦国時代に「川中島の戦い」という大激戦がありました。ものすごい死傷者を出した戦争だったのですが、現代の私たちから見ると「そのいくさ、本当にやる必要ある?」という感覚がつきまといます。天下の帰趨を決めた「山崎の戦い」「関ケ原の戦い」などは時代の必要悪かもしれませんが、川中島の戦いなんて、天下の行方と何の関係もない地方戦です。今でいう山梨県と新潟県が長野県の領有をめぐって争いました。正直どっちが勝ってもよかったと思うんですよね。争わないのがいちばんよかったんじゃないかな。
将来、日本国という大きなまとまりになったから、現代の目線から見ると戦う必要のない無意味な地方戦だと感じるのです。甲斐の国、越後の国という国が今はもうどこにもなくなりました。
ロシア・ウクライナ戦争がどういう決着となるか現段階でまったく想像もつきません。しかしどんな結論になっても遺恨が残るのだけは間違いないと思います。将来の火種なく恒久和平の道をさぐるならば、ロシアとかウクライナとかいう国家をやめて世界連邦、世界政府のようなものをつくる以外にないのではないでしょうか。
国家は虚構。認知変革によって世界政府は可能です
ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』では、我々ホモ・サピエンスは認知革命によって虚構を信じることができるようになったことで、大きな集団が協力することが可能になったとしています。先祖の伝説を信じ、同じ神を信じ、同じ貨幣を信じることで、多くの人が協力して生きていくことができるようになりました。先祖の歴史的な虚構の物語を信じることで生まれたのが国家です。日本のような島国に暮らしていると国家というのは絶対領域のように感じてしまいますが、国というのも虚構の認知に過ぎません。国境線なんてものは実際にはどこにもなく、日本人なんてものも人間の頭の中にしか存在しません。世界政府なんて絵空事のように思う人がいますが、そんなことはありません。ただ現在、強力な世界的な物語がないだけであって、ユヴァル・ノア・ハラリは歴史は統一に向かって進むとしています。
日本国ができて甲斐国と越後国がなくなったように、世界政府ができれば戦争はなくなるでしょう。世界政府という虚構を全人類が認知すればそれは可能です。そうなればロシアとかウクライナにこだわる必要もありません。パスポートなんかなくして世界中どこにでも住めるようにすればいいのです。人間ひとりひとりが統治機構(世界政府)とネットでつながればいいのです。言語も統一すればいいのです。みんなが同じ言語を使うならば喋るのは英語でも中国語でも何語だっていいじゃありませんか。どこに日本語にこだわる必要がありますか?
日本語にこだわるのは、日本人という虚構を信じる教育のたまものです。日本語しか話せないから日本という国に執着するのです。英語しか話せなくなったらもはや日本にこだわることはなくなるでしょう。それだけ世界市民に近づきます。
世界に国が散らばっているかぎり戦争はなくなりません。それは歴史が証明しています。大ロシアと大モンゴルと、大中華と、大日本帝国と、みんなが各国の栄光の時代の再現を夢みたら戦争になるに決まっています。それぞれの領土は被っているんですから。地球はそれほど大きくありません。
世界政府ができてどこにでも住めるようになったら、貧しい人が移民となって流入するから困る、とか考えるのも過去の国にとらわれた感覚です。そういう感覚は実際に人々を混在・混血させて、教育でなくしていくしかありません。
たとえばこの日本だって、みんな鳥取とか島根とかよりも東京とか京都に住みたいはずです。でも何とかなっているではありませんか。みんながイタリアとかギリシアに住みたいと押し寄せたとしても世界政府だってきっと何とかなります。人が密集している都市を嫌う人もいますし、そういう場所は地価が跳ね上がるので経済的な事情によって人は分散するのです。
ロシア・ウクライナ戦争だって、未来人から見たら川中島の合戦のような意味のない領有権争いに見えるかもしれません。国をなくして世界政府をつくることが、問題解決の最善手ではないでしょうか。小豆島の領有権を香川県と岡山県で争うなんてありえません。そのぐらいの感覚で、ああロシア・ウクライナ戦争なんてやめておけばよかったのにと思うかもしれません。
宇宙人が地球侵略しにきてはじめて旧人類に理解できる価値観
ときに私たちは未来人の目線をもつことが重要です。たとえば大平洋戦争だって原爆や東京大空襲をくらってこっぴどく焦土と化すことがわかっていたら、ハルノートを速攻で呑んで満州の権益なんてよろこんで差し出したに違いないでしょう。国があるからこんなことになるのではありませんか? 血を流した英霊に申しわけがないというナラティブがあるから自縄自縛になってしまうのです。
旧時代の価値観のままにウクライナで戦争していますが、ホントに争う必要あるんですか? 必要ないんじゃありませんか?
両者が納得するためには「世界政府」が必要です。併合、連邦では昔の繰り返しです。強力な世界連邦、世界政府をつくるためには、世界の大国の自己犠牲と献身がぜったいに必要です。しかし大国のリーダーには自己犠牲と献身ができません。そういうタイプの人間はリーダーの地位を争う中で脱落してしまうからです。権力闘争を勝ち抜いた果実「おいしい地位」ですから、それを手放せないのです。
でも一方で人類はイエスや釈迦のような人間を生み出しています。そういう人が人々のリーダーになって、世界政府の指揮をしてくれれば、核兵器なんて本当に必要なくなります。米軍がアメリカに核ミサイル打ち込みますか? ありえません。そういうことです。軍隊だっていりません。警察力だけで十分な世界になるのです。
世界政府。こういうことを書くと「国際関係や現実がわかってないバカ」みたいに批判する人が必ずいるのですが、そういう人は宇宙人が地球侵略しにきてはじめて世界が一つになる必要性を理解できるのでしょう。そのときには人類の生存を賭けた戦争という新しい強力な世界的な物語が生まれるからです。逆にいえば人類滅亡寸前まで追い詰められないと新しい認知に変革できないんでしょうね。
(2023.5.1)
ロシアがNATOに加入すればいいんだよ
そもそも論ですが、そもそもどうしてこのような戦争が起こってしまったのでしょうか?
NATOが拡大し、かつてのソ連邦の国々までがNATOに加入することで、ロシアが危機感を覚えたというのが、ロシア・ウクライナ戦争の発端だとされています。NATOというのは対共産主義(対ソビエト)軍事同盟ですね。
ロシアはアメリカに「ウクライナがNATOに入れないようにしてくれ」とお願いしたそうです。しかし「入る入らないの意志は主権国家の自由だから」と断られたといいます。なるほど理屈は通っています。だったらロシアもNATOに入っちゃえばいいじゃん。
だって「入る入らないの意志は主権国家の自由」なんでしょ? 主権国家ロシアとしてNATOに入りたい意志を表明すればいいんじゃないか? そうされたら正論の国アメリカは嫌とは言えないでしょう。それが理屈です。核の保有国である最強国ロシアが「仲間に入れてよ」といえば、NATOだって軍事同盟の端くれなんだから拒否はしないんじゃないの? それだけ世界政府の実現が近づきます。
今さら共産主義の拡大に対抗する軍事同盟(NATO)なんて時代遅れなんだから、そんなものに囲まれたって怯えることはありません。それよりもそんな集団にいつまでも敵視されるポジションにあまんじているからダメなんですよ。ロシアがNATOに入れば戦争理由そのものがなくなります。ロシアがNATOに加入すれば、別にウクライナがNATOに加入したって別にどうでもいいことです。戦争する理由がなくなるのです。NATOも誰かを敵視する組織ではなくなります。なんのために存在しているのかわからず、ただのお友達クラブになるのです。
どうしてロシアはいつまでもNATOの敵のポジションでいつづけるのでしょうか?
共産主義の理念をひろめて世界同時革命を起こす夢に燃えているなら、夢のために譲れない一線もあるでしょう。しかしそんな夢はもうないのだから敵視されたまま、いじめられっ子のようなポジションに居続けることないじゃないの。
現在の国際連合(国連)の英語表記は、第二次世界大戦中の「連合国(戦勝国)」と同じなのを知っていますか? 戦勝国連合がそのまま国連となったのです。だから枢軸国(敗戦国)のドイツや日本は、すぐには国連に加盟できませんでした。はじめは仲間はずれだったのですが、頼み込んで入れてもらったのです。NATOだって同じようなものでしょ。最初は仲間はずれだったとしても、お願いすれば仲間に入れてもらえるはずです。だって「加盟するもしないも主権国家の自由意志にもとづく」んでしょ? ウクライナが加盟したいと言った時、そう言ったじゃないの。ロシアにだって「おびやかされたくない、生きのびたい」という主権国家の自由意志があります。それをNATOが拒否するようなことがあったら、そのときは是非を公明正大に堂々と世界に問えばいいんですよ。
そのときはきっとNATOが批判され、ロシアが賞賛されることでしょう。
(2022.3.2)
ウクライナ「ロシアは冬の寒さを大量破壊兵器にしようとしている」は言い過ぎ。誇張しすぎ。
『ゆるキャン△』というアニメがヒットして、キャンプブームが到来しました。わたしはこのアニメは「冬にキャンプする」というところが新しかったと思っています。古くからのキャンパーは「キャンプというのは夏がシーズン。冬はオフシーズン」という認識だったのではないでしょうか。ところが「虫が出る」「キャンプ場が混んでいる」という理由で、主役格のシマリンちゃんは冬にしかキャンプしないという変わった子です。これは新しいな、と昔からキャンプしていたわたしは思ったものでした。
『ゆるキャン△』に教えられたのは、シーズンというものの曖昧さです。
私は昔から「縄文遺跡は世界遺産になり縄文ブームが来る」とブログで予言していました。予言の通り三内丸山など縄文遺跡は世界遺産になり、縄文ブームは来ませんでしたが、代わりにキャンプブームがきました。実はふたつはほぼ同じものです。縄文人は今でいうキャンプのような暮らしをしていました。そして縄文人のアウトドア暮らしは冬だからといってやめることなどできませんでした。たくさん着込んだり、焚き火で暖をとったりして、寒さをしのいでなんとか暮らしを楽しんでいたことでしょう。ちょうど「ゆるキャン△」のシマリンたちがそうしているように。
夏は裸になっても暑いが、冬は着こめばあたたかい。
アラスカのドキュメント映像などを見ていると、夏場の蚊の大襲来に耐えるよりも、冬の寒さをしのぐ方がよっぽどマシだという気がします。あまりにも暑いとテントの中が蒸し風呂のようになって眠れません。あれにくらべたら冬の寒さの方がまだ眠れます。俗に「夏は裸になっても暑いが、冬は着こめばあたたかい」といいます。冬の寒さは着こめばなんとかしのげます。石油がなければ薪を焚けばいいのです。
ウクライナではロシアとの冬の戦争が続いています。ロシアは電力などインフラ設備を攻撃して、ウクライナでは電力不足、停電が常態化しています。ゼレンスキー大統領は「ロシアは冬の寒さを大量破壊兵器にしようとしている」と非難しています。でもさあ……着こめば何とかなるんじゃないの? 私の住む千葉県よりもウクライナの方が寒いのはわかっていますよ。でもその分、さらに一枚か二枚、羽毛のジャケットを羽織れば死ぬようなことはないんじゃないかな?
「冬の寒さを大量破壊兵器に」というフレーズが誇張しすぎに聞こえてしかたがありません。そういっているゼレンスキー自身がかなりの薄着です。寒かったらもっと着こめばいいじゃん。いくら攻撃されているといっても、まるっきり吹きさらしのアウトドア生活ってわけじゃないだろうし、そもそもそのぐらいの寒さで人が死んでしまうようだったら、とっくの昔に人類は絶滅しているはずです。人類は今よりもはるかに寒い氷河期という時代を経験しています。氷河期を羽毛ジャケットもなしで生き抜いてきたのです。
カナダなど一部の白人たちのあいだに見られる光景ですが、外はマイナス40度だけど部屋の中は暖房が効きまくっていて20℃以上。外は氷結しているけれど部屋の中の人はTシャツ一枚で暮らしている。そんなライフスタイルの人たちがいます。
日本語ペラペラのウクライナ人ユーチューバーのボグダンさんが「停電中です。暖房が効かなくて寒いです」とウクライナから動画で訴えているのを見ました。しかしボグダンさんの服装はかなりの薄着です。日本で視聴している私の方がよほど厚着をしています。部屋内でたくさん着こむという発想が白人にはないのかしら。ウクライナ人のボクダンさんと、日本人の私、両者の映像を見て「どっちが寒そう、どっちがかわいそうに見える?」と聞いたら、たぶん私の方が寒そうに見えるのではないかと思います。たくさん着こんでいるから。
ゼレンスキー大統領が本当に言いたいことは「もっと支援を」ということなのでしょう。それはわかっています。しかし「ロシアは冬の寒さを大量破壊兵器にしようとしている」という言葉を聞くと、どうも誇張しすぎているなあという気がしてしかたがありません。だって大量破壊兵器ということは、多くの人がそれで死ぬということでしょう?
薪という燃料を人類は知っています。人類最古の燃料で、それを焚いて何万年も人類は冬を生きのびてきました。つらい思いをするかもしれませんが、それで多くの人が死ぬなんてありえないと私は確信しています。冬の寒さを大量破壊兵器に……というのは、いくらなんでも誇張しすぎではないでしょうか?
(2022.12.2)
独裁制はアカン。絶対的権力は絶対に腐敗する
日本では呑気にサバイバルゲームに興じている人がいますが、ウクライナではリアル・サバゲーが日夜展開されています。ゲームは一回きりで、リセットしたり、日を改めたりすることはできません。死んだらゲームオーバーです。
ロシア・ウクライナ戦争は、核戦争の危機、人類の滅亡を感じさせる事件です。この戦争をウォッチしていて、つくづく思うのは、やっぱ民主主義って大事だよなあ、ということです。独裁制はアカンな、と。
この戦争はロシアのプーチン大統領が彼独自の歴史観にしたがって起こしたものです。プーチン大統領は、20年以上も権力の座に座り続けていて、独裁者だといわれています。アメリカでは大統領が何人も変わっているのに、ロシアの大統領はずっとプーチンが居座っているのです。
ロシア男性の平均寿命は68歳です。70歳のプーチンはロシア男性の平均寿命を超えています。夭折して惜しまれるという年齢ではありません。いつ寿命で死んでもおかしくない年齢なのです。そういう人が独裁者だとどういうことになるか? 核戦争がリアルに心配となってくるのです。
自分がいつ死んでもおかしくない年齢になったら、世界が滅んだって別に怖くないじゃないですか。むしろ絶対権力が大きければ大きいほど「この偉大な自分が死ぬのに、臣民どもが笑って生きのびるなんて不届きだ」という発想になってもおかしくありません。お隣の国の独裁者もそうですが、自分の寿命がまだあるうちは自滅のボタンは押さないだろうと思います。でも寿命がなくなったら死なばもろともで核ミサイルのボタンを押さないとも限りません。権力者であればあるほどそういう思考になるのではないでしょうか。プーチンは地球の未来のことなんか考えていません。せいぜい考えているのはロシアの未来のことだけでしょう。
絶対権力は絶対的に腐敗する、という言葉があります。絶対権力というのは、人権意識もなく他者の生殺与奪の権を握り、誰も掣肘する人がなく、権力が奪取されたりする可能性がない状態のことです。我がまま勝手、悪いことをしても誰にも裁かれません。今のロシア大統領はそのような状態にあります。プーチンの戦争は21世紀現代の良識からいえば正気の沙汰とは思えません。そうなったのは彼に戦争を嫌悪する庶民感覚や世界統合のゆるやかな流れを説くことができる人が誰もいなかったことが原因でしょう。つまりプーチンが絶対権力の持ち主だからこそ、この戦争ははじまってしまったのです。政権交代があれば(絶対権力ではない)、良識が勝って戦争は起こらなかったのではないでしょうか。
パリは燃えているか? ヒトラーの焦土作戦
ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーは、連合国に押し込まれて、いよいよ敗戦そして自分の死を意識せざるをえない状態にありました。その当時、フランスのパリはドイツの支配下にありました。フランス人はパリを戦火に巻き込みたくなかったため、無防備都市宣言をして無血開城、ドイツに支配権を明け渡していたのです。そうまでして守りたかった美しいパリをヒトラーは「破壊しろ」と命令します。どうせドイツも負けるし、ベルリンも爆撃されて自分も生きのびられない中で、パリだけが美しいままに残されることが我慢なりませんでした。これは焦土作戦という伝統的な軍事作戦ですが、西側諸国とくに無防備都市宣言までしてパリを守りたかったフランス人のショックははかりしれません。その大ショックこそが狙いだったのでしょう。それが負けた独裁者のこの世への復讐でした。しかしその命令にヒトラーの部下たちは従いませんでした。パリの破壊をせずに撤退したのです。結果としてフランス人が無血開城した心意気にこたえたようなかたちになりました。独裁者ヒトラーは自分の残りの命を気にしながら部下に「パリは燃えているか?」と結果を尋ねたというエピソードが残っています。ウクライナ戦争をウォッチしながら、私はいつもこのヒトラーのエピソードを思い出します。「世界はおれとともに滅ぶべし」ヒトラーがそうであったように、権力者はいつの時代も同様なことを感じるのではないでしょうか。
国の元首にとって戦争のあるなしは歴史に名前が残るかどうかの大事。「戦争もなく平和ないい時代」は忘れ去られる
国の元首にとって戦争のあるなしは歴史に名前が残るかどうかの大事です。たとえばエジプトのファラオやローマの皇帝なんかでも戦争のあった時代の皇帝の名が後世まで長く語り継がれる傾向が如実にあります。
平和な治世をおこなった皇帝こそじっさいには名君ですし、そんな時代を民衆は生きたいはずですが、どうしても後世からは忘れ去られる傾向にあります。
NHKの大河ドラマでも戦国時代と幕末維新時代ばかりが繰り返し描かれています。戦争のない平和な時代が描かれることは滅多にありません。
プーチンのウクライナ戦争もけっきょくは独裁者が歴史に名前を残すという一点で開戦に踏み切ったのだと思います。存命中に歴史に残る業績を残したいと願う。それはつまり戦争ということです。
明治、大正、昭和、平成、令和で、天皇誕生日が休日になっている場合となっていない場合があります。どういう基準なのか気になりますね。
ここでクイズ。天皇誕生日が休日になっているのは何時代でしょうか?
答え。明治と昭和は天皇誕生日が今でも休日です。明治には日清戦争、日露戦争がありました。大正に第一次世界大戦がありましたがこれは日本の戦争ではありません。昭和には太平洋戦争がありました。平成には戦争がありませんでした。
露骨ですね。戦争のあった時代は記念に記憶され、平和な時代は休日あつかいされないというわけです。平成も大戦争でもあれば歴史的な時代になったでしょう。しかし平成を生きた我々にはさいわいなことに戦争は起こりませんでした。
しかしもしも私が後世、歴史を研究したいと思ったとしたら、平成ではなく昭和を選ぶでしょう。それはつまり戦争時代こそ研究する価値があり、戦争もなく平和ないい時代は忘れ去られるということを意味しています。
もしも私が超大国の指導者だったとしたら、ぜひ歴史に名前を残したいと思うに違いありません。それには戦争です。残念ですが、歴史が証明しています。
庶民の多数決ならば、世界が滅ぶ選択などするはずがない。
民意で国の戦争指導者・リーダーをすぐに変えられるシステムならば、まず人類が滅亡する核戦争になることはないと思います。なぜなら多くの庶民は、家族を愛し、自分たちの暮らしを愛しているからです。大切なものを炎で焼き尽くす選択をするはずがありません。いっしょうけんめいに子孫を残そうとするのは、世界を滅ぼすためではないでしょう。
しかし独裁者は普通の庶民とは違った判断をしてもおかしくありません。スペシャルな自分と一緒に世界が滅んでもいいと考える独裁者がいてもおかしくないと思うのです。独裁的な人間って、そういう性質のものじゃありませんか。
もしもヒトラーのパリ破壊命令のように、独裁者が核のボタンを押せと命じたら、どうなるのでしょうか? ヒトラーの部下たちのように、プーチンの部下は、命令に従わないことができるでしょうか?
軍隊組織は上官の命令が絶対であり、そういう中で生きてきた人たちは、やっぱり最高司令官の言うことをそのまま聞いてしまう可能性が高いだろうと思います。出世する人ほどその傾向が強いんじゃないかな。これまであらゆる理不尽な命令に従ってきたのに核だけ急に命令拒否なんてできるかしら? なかなか難しいんじゃないでしょうか。
だから核が使われるかどうかはプーチン次第だといわれるのです。そう考えると「言うことをきかない人」「上司に反抗できる人物」こそが、いざというときに役に立つ人物だ、ということになります。そういう人物が側近に選ばれるかどうか。そういう人物が出世できるかどうか。それが問題ですけれど。
プーチンの核兵器使用命令があったとしても、ロシアの部下が従わないことを願っています。
独裁者が、使える(そして確実に勝てる)核兵器を使わないまま敗戦を認めることは無理ではないか。
独裁者には人一倍のプライドがあります。また失脚はそのまま自分の処刑だったりします。ウクライナ人の復讐も怖いし。つまり使える(そして確実に勝てる)核兵器を使わないまま敗戦を認めることは難しいんじゃないでしょうか。
この戦争がどんな形に終わるかわかりませんが、核さえ使わなければプーチンを許してやる、といった提案をしないかぎり、人類が危急存亡の秋にあると思います。
ウクライナ戦争の終わり方に関しては、いろいろな識者が議論していますが、容易に解決策が見いだせません。核ミサイルを持っているプーチンの言うことを聞くしかない、というロシア寄りの人もいます。
しかしアメリカや日本、台湾などは「プーチンに反省させなければ、侵略戦争を認めることになる」という立場です。ウクライナ侵略が正当化できるならば、中国の台湾進攻も正当化できるという理屈です。だから未来のためにも侵略者は罰しなければならない、という立場をとっています。
人類を滅ぼす力を持っている人を本当に罰することができるのか、わたしは疑問に思います。市民ひとりひとりが法律を守るように、みんなが国際ルールを守るべきだ、という考え方もあるでしょうが、無法者がルールを守っているのは警察力という超パワーに罰せられるのを恐れているからです。ヤクザが好き勝手に大暴れできないのは、もっと強い警察がいるからです。改造銃をこっそり所持している組織と、あからさまに正式拳銃を腰に下げている組織とどっちが強いか議論の余地はありません。
国連の安保理で、ロシアの拒否権を認めていたら何ら機能しないから、ロシアの権力を剥奪しろという議論があります。でも相手は「世界を滅ぼす力」を持っているのです。そういう人たちが一堂に会しているから安保理は力があるのです。はっきりいってキーウ(キエフ)に核ミサイルを打ち込めば、ロシアはゼレンスキーごとウクライナを打ち滅ぼすことができます。それをやらないだけまだ冷静なんじゃないでしょうか。黒海の穀物輸送船を潜水艦で雷撃するようなこともしていません。いまだ自制心をもって戦っています。そこは評価に値するのではないでしょうか。戦争を仕掛けたのが悪だからといって後に起こったすべてを否定したら相手だって素直になれないでしょう。「そんなに不良あつかいするのなら望みどおり本当の不良になってやる」というぐれた少年みたいな態度にロシアを追い込むかもしれません。
核ミサイルが発射されてから後悔しても遅すぎる
先日テレビを見ていたら「ウクライナは領土を割譲するかわりに、NATO加入をロシアが認める」ことで停戦できないか、という識者がいました。双方のメンツを立てようという配慮ある和平案でしたが、ウクライナ人はこの条件は呑めないんじゃないでしょうか? 敗けているならともかく、勝っているのに領土の割譲なんて冗談じゃない、と。その気持ちはよくわかるんですが……頭上に核ミサイルが落とされてからでは何もかも手遅れです。「ああ。あそこまでプーチンを追いつめなければよかった」と後から後悔しても遅すぎます。
プーチン大統領の寿命も永遠ではありません。もうすでにロシア人の平均寿命を超えているんですから。死ぬまで待とうホトトギス。そうすればいろんなことが丸くおさまります。とにかく核ミサイルさえ打たせなかったら勝利に等しい、ぐらいのスタンスで西側諸国は対峙してもらいたいものだと思っています。
ひとりプーチンだけの問題ではなく、独裁制の問題だ
この問題はひとりプーチンだけの問題ではなく、独裁制の問題だと私は思っています。
絶対権力は絶対的に腐敗する。独裁者の心理を考察するほど、この世に独裁者が存在する限り、確実に今後も戦争が起こるでしょう。
われとともにきたり、われとともにほろぶべし。
未来の人類のためには、世界中が独裁は認めないこと。民主主義よりも独裁の方が決定が早く経済効率がいいなどと言って独裁制を擁護する論調があります。でも人類が滅亡したら、経済成長もへったくれもありません。「子孫たちが幸福な世界を謳歌してほしい」万国に共通する庶民の普遍的な願いが独裁者には通じません。北朝鮮の独裁者なんかも非常に危ないんじゃないでしょうか。核ミサイルも持っていますし。独裁制は過去の悪しき政治体制として葬り去られることを希望します。そうでなければ、近い将来、人類は確実に滅び去ると思います。
(2022.10.21)
ウクライナ戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか?
ロシア・ウクライナ戦争については多くの専門家が「平和にみちびく和平案」に頭をひねっていますが、決定的なものは何もないようです。戦争を始めたプーチンが軍隊を引くのがいちばんなのですが、彼の政治生命や、ロシア軍のプライド、法律ですでに領土を編入してしまっている既成事実などの絡みがあって、誰もが「いい解決策」を提示できないでいます。
世界中の誰も言わないので私が言うのですが、この戦争の和平案の最終手段は「領土売却」ではないかと思います。すくなくともこの案ならば両者の顔を立てることができます。
かつてロシアは国土アラスカをアメリカに売ったことがある。
アメリカの歴史を見ると「国土を買い取った」という記述がよく出てきます。たとえばアラスカはロシアがアメリカに金で売った土地だって知っていましたか?
クリミア戦争に敗れて財政難になったロシア帝国が、資金ほしさに自国領アラスカをアメリカに金で売ったのです。土地の所有権を売ったのではありません。国土を売り払いました。この購入によって国境線が変更になりました。
クリミア戦争です。クリミアってなんか聞いたことありますよね? そう。ウクライナ戦争でも焦点となっているあのクリミア半島です。
アラスカだけではありません。アメリカの歴史を見ると「国土を買い取った」という記述がたくさん出てきます。たとえばアリゾナのあたりはメキシコ1853年からお金で領土を購入しています。フロリダのあたりはスペインからの購入です。メキシコとはその前に戦争をしていますが、戦争の賠償としてもらい受けた土地ではありません。戦後に商行為(条約)によって領土を買い取っています。このように国際社会では「領土を買う」ということがあるのです。この「国が国の領土を買う」というのは「土地を買う」のとはまったく別です。
べつに「禁じ手」ではない領土を金で買うという手段。
「それは昔の話しでしょう?」「今はありえない!」と思うかもしれません。でもべつに領土を売り買いするのは国際社会の「禁じ手」ではないようです。その証拠に2019年にトランプ大統領がグリーンランドを島ごと買うことに食指を伸ばしたという話しがあります。宗主国デンマークにとってグリーンランドは出費ばかりかさむ遠方の氷に閉ざされた島です。それに対してアメリカにとっては近くの島で、将来的にはアラスカをゲットして得したように鉱物資源などメリットになる可能性がありました。だから絶対にありえない滅茶苦茶な話しではなかったのです。結局この話しはデンマークに拒否されたようです。アメリカにアラスカを売り払ったロシアは後悔しているようですから、デンマークに商才(見る目)があったということでしょう。このように商取引では売るのも買うのも相手の意向次第というのが原則です。
買えないなら奪うしかない。「領土」を金で買えるシステムは有効な方策
むしろ「領土」を金で売り買いできるシステムは「禁じ手」ではなく「有効」としておいた方がいいのではないかと思います。商売(お金)で買えないとなると、どうしても欲しかったら強盗・強奪するしかなくなります。つまりはそれが戦争です。
しかしもしもお金で買えるとしたらロシアも「あそこを売ってくれ」と言ったかもしれないじゃないですか。断ったにしても「そこを欲しい」という相手の気持ちが商売交渉の中でわかります。ウクライナだってサンクトペテルブルクと交換ならばクリミアを手ばなしたかもしれません。戦争するよりも交渉のほうがましです。
ウクライナ戦争のいい和平案を世界中の誰も思いつくことができないのは、ロシア・ウクライナ双方にメンツがあるからです。どちらかの顔を立てると、どちらかの顔を潰すことになるからです。でも商売ならメンツをつぶすことにはなりません。金銭取引は対等だからです。
ウクライナ戦争の和平案。買戻し特約つきの領土売買
私の和平案はこうです。ウクライナの領土をロシアに金銭で売ったことにして、その商取引(条約)にアメリカなど世界各国が裏書をします。つまり保証人ですね。そしてその商取引(条約)には「買戻し特約」をつけます。つまり短い期間(たとえばプーチンが生きているあいだはロシア領)が過ぎた後にはウクライナはその土地を買い戻すことができるという特約にするのです。こうすれば双方の顔が立ちます。
(ウクライナ)奪われたのではない。売ったのである。
(ロシア)脅しに負けて返したのではない。買った土地の条件通りに転売しただけだ。
こうすればただの金銭取引です。安く売っても、高く買っても、商人の恥にはなりません。商取引に失敗はつきものですからね。
この商取引には第三国をあいだに挟んでもいいでしょう。たとえばウクライナがアメリカに土地を売ってアメリカがロシアに売るといったような。もちろん買戻し条件をつけてアメリカはロシアから土地を買い戻す約束です。その際、色をつけてあげてもいいでしょう。ウクライナにばく大な財政支援をしている分、買い戻す時にロシアに上乗せしてあげても同じことじゃありませんか?
これまでの有識者の案では、どちらかの側のメンツがあまりにも傷つきすぎます。そして将来に禍根を残します。解決できるとも思いませんし、いい解決案だとも思いません。
でも金銭取引にしてしまえばロシア・ウクライナ双方のメンツが傷つくのをやわらげることができます。「戦争に負けた弱い国」のレッテルを貼られるよりも「商売下手な国」と言われるほうがよっぽどマシです。
たくさんの人が犠牲になっているウクライナ側はなかなか納得できないでしょうが、その場合は、ロシアに売るときは500億ドルで、買い戻す時には100億ドルといったように、売買差額で調整すればいいのです。それが実質的な賠償金となります。どのみち失われた生命はどうあっても戻りません。お金で補償するしかないのです。
(2023.6.8)
ウクライナ戦争。水上ドローンの元祖は日本の特攻モーターボート震洋。「震洋」と水上ドローンの違い。
「終末時計」という時計があります。この時計は世界がどれほど人類滅亡に近づいているかを測定してカウントダウンしています。零時になったときに人類が滅ぶというもので、現在その90秒前だということです。ロシア・ウクライナ戦争で過去もっとも分針が滅亡に近づいてしまいました。ロシアが脅してはなく核ミサイルをつかう。西欧との全面核戦争によって人類が滅び去る、というバッドエンドに対して、終末時計はアラートシグナルを鳴らしているのです。
水上ドローンという自爆特器を見て小型特攻ボート「震洋」を思い出す
ウクライナ戦争ではほぼ海軍がないウクライナ軍が「水上ドローン」というモーターボート型の自爆特攻兵器を使ってロシアの軍艦に損害を与えているそうです。これはちょっとハッとするような出来事です。なぜならかつて日本にも同じような兵器があったからです。「震洋」と呼ばれる特攻兵器です。これはカミカゼ兵器の一種です。飛行機に爆弾を抱えて突っ込むのが神風特別攻撃隊、桜花。潜水艦に爆弾を抱えて突っ込む回天。それらとならんでモーターボートに爆弾を抱えて突っ込む「震洋」がありました。
日本各地を観光旅行する中で、海辺に謎の人工の洞穴を見たことがあります。そこが震洋の隠し場所でした。そこからモーターボートを出撃させて、本土進攻のために近づいてくる米艦艇に自爆特攻を仕掛けるという発想でした。これは現在活躍中のウクライナの水上ドローンとまったく同じです。違うのは人が乗っているかいないかだけ。それはシャヘドとかバイラクタルといった空中ドローンも同じことです。違うのは人が操縦して死ぬかどうかの違いだけでしょう。
ところがこの震洋はほとんど戦果をあげなかった、といわれています。それなのに同じ発想の水上ドローンは成果をあげています。そこが謎なのです。どうしてテレビの「ウクライナ戦争」番組ではそれを解説しないのでしょう。なぜ震洋のことを水上ドローンに関連して言わないのでしょうか。ウクライナは陸軍国なので、テレビで解説する元自衛隊の軍事専門家は陸上自衛隊出身者であることがほとんどで、海軍の歴史に詳しくないからでしょうか。あるいは触れてはならない黒歴史、タブーになっているのかもしれません。
特攻モーターボート「震洋」と水上ドローンの違い
特攻モーターボート「震洋」は、貧弱なモーターボートなので自力で外洋を航行することができませんでした。そこまでの航行力はなく、海辺に潜んで敵を迎え撃つという特殊な秘密兵器でした。ところが本土決戦をするまえに日本が降伏してしまったために、敵の上陸を迎え撃つという活躍の場がなかったというのが震洋の戦果がほとんどなかった最大の理由のようです。
大平洋戦争当時の米軍は上陸前に執拗な空襲をするのを常道としていました。その空襲によって破壊された震洋も多かったそうです。木造ベニヤづくりのモーターボートはあっという間に船底に穴が開いて使い物にならなくなったし、すぐに燃えてしまいました。
また秘密兵器だったために、秘密を保持するために、陸路から攻められた場合、日本側がむなしくも自ら海底に破棄したケースも多かったそうです。それらが震洋がまったく太平洋を震撼させることなく滅び去った理由でした。
ところが震洋とまったく同じ発想で製造された「水上ドローン」が黒海でロシア軍あいてに大活躍しているのです。これは解説が必要な謎だと言ってもいいでしょう。
水上ドローンは無人リモート運転なので、震洋にくらべて操縦士の訓練や死を克服する勇気が必要ありません。また震洋にくらべて小型で航続距離も長くなっています。なによりもGPS誘導なので夜間に特定の場所に特攻することができます。軍港など敵の場所がわかっている地点には文字通り目を閉じても進むことができます。カメラを搭載しているので操作者が目視することもできますし、戦果を画像確認することができます。無人機であれば震洋より冒険的な攻撃をすることができます。それらが水上ドローンが大きな戦果をあげている理由なのでした。
日本海軍は秘密兵器「震洋」を過小評価していたのではないか。
ロシア・ウクライナ戦争を通じて未来の戦争を予想し、過去の戦争の反省をすることが必要です。戦争しないのが一番ですが、起こってしまった以上は、そこから何かを学ぶ以外にはありません。学べば次の世代に生かすことができます。
こう考えると自爆モーターボートの元祖「震洋」は惜しかったですね。黒海での水上ドローンの活躍を見ていると、太平洋でもうすこし大暴れしてもよかったのではないか、と思ってしまいます。大型艦艇をモーターボートで撃沈するという発想は現代にも通じるものがありました。日本の海軍は戦艦大和のような圧倒的巨大な軍艦があったために、震洋のことはまともな戦力として捉えてはいませんでした。竹槍程度にしか思っていなかったでしょう。しかし逆にウクライナには巨大軍艦がひとつもないために、小さなモーターボートを海上の主力兵器と捉えています。そして実際に戦果をあげています。ありし日の日本海軍は、主力艦どうしの砲の撃ちあいによって雌雄を決しようと考えていました。しかし戦艦は航空母艦に敗れ、航空母艦は潜水艦に敗れました。空母信濃も大鳳も潜水艦の雷撃で沈んでいます。日本海軍は戦艦から空母主力へは戦時中ギリギリなんとか頭を切り替えたようですが、潜水艦や特攻モーターボートが主力兵器になるとまでは頭を切り替えられなかったようです。ウクライナ軍ぐらい柔軟な頭の使い方をしていれば、震洋はもうすこし活躍できたのではないかと思います。すくなくとも「水上ドローン」の元祖は日本の特攻秘密兵器「震洋」であると、いささか誇らしく語ってもいいのではないでしょうか。それほど「震洋」は忘れ去られています。テレビで軍事専門家が解説しているのを見たことがありません。
「震洋」はウクライナの水上ドローンのご先祖様、元祖です。原爆を落とされた史上唯一の国であることも、水上ドローンの発祥の国であることも、この国の抑止力に貢献すると信じるがゆえに、ここにそう記しておきます。
(2023.8.7)
テレビの評論家はなぜ疑問に思わないのか。なぜ解説しないのか?
ロシア・ウクライナ戦争のウォッチャーである私が見ていて、なんでこのことを軍事の専門家は解説しないんだろう、と思うことがいくつもあります。テレビでは軍事評論家や政治評論家が登場してたくさん解説しています。何度となく眺めているうちにすっかりウクライナ情勢に詳しくなってしまったのですが、それでもいくつかわからないことがあります。
テレビ番組をどれだけハシゴしても「どうしてこれについて疑問に思わないのか?」「なぜだれもこのことに誰もふれないのか?」といった謎です。こういうことを解説してほしいと視聴者(を代表する私)は思っているのに誰も解説しようとしないのです。不思議だなあと思います。私が疑問に思うことは、他の多くの視聴者も同じように思うはずなんですけどね。なんで解説しないんでしょうか?
ウクライナの穀物は陸路で輸送すればいいんじゃないか
世界有数の穀物生産国であるウクライナの穀物が海外に輸出できずに困っているというニュースが流れてきます。通常であれば黒海からボスポラス海峡、マルマラ海、ダーダネルス海峡を通って、エーゲ海から地中海へとタンカーによって輸送されるはずの小麦などの穀物が、ロシアとの戦争によって港湾封鎖されているために運ぶことができない、というニュースです。このことによって小麦価格の上昇どころかアフリカなどでは飢饉が起こるという話しもあります。たいへんな問題で詳しく報道するのはよくわかるのですが……いや、小麦は陸路で運べばいいんじゃない?
NATO西側諸国が供与する武器は、ポーランドを経由して陸路でウクライナ国内へと届けられています。戦車が自走していくはずありませんから、鉄道とか大型トラックで運んでいるはずです。とすると、行きは兵器でいっぱいでも帰りはカラッポなんだからそこに積めばいいじゃないの。
なんなら穀物は武器の代金(の一部)として西側に差し出せばいいじゃないの。虫に食われるよりはマシでしょう。他国で避難民としてくらすウクライナ人への食糧として無償供与すればいいじゃないの? どうして港が封鎖されただけで穀物を腐らせちゃうのよ? どうして陸路で西側に運ぶルートはダメなのか、テレビでは誰か解説しません。なぜ専門家の誰もこういうことを言わないんでしょうか?
その情報が信用できるか、という情報が必要だ
ア ゾフスタリ製鉄所の兵士たちが降伏し、マリウポリが完全に陥落したとされています。確実に死刑、拷問が予想されるアゾフ大隊の指揮官はまだ降伏していないようですが。
このニュースを聞いてしばらくしたとき、完全制圧されたマリウポリから腐乱した死体が200体ほど発見されたというニュースが届きました。それがマリウポリ市長のSNSで判明したそうです。ところでいったいこのマリウポリ市長はどこにいるのでしょうか? マリウポリを完全制圧したのならロシア軍としては真っ先に確保したい重要人物のはずです。それが呑気にSNSで発信とは?
ひょっとしてキーウなど市外の安全地帯にいるのかしら? だとしたら完全制圧された街からこっそりと発見された遺体の情報をどうやって知ったのでしょうか? ロシアとしては外に出したくないはずの情報、秘匿したい情報であるはずです。
情報はどういう経路からもたらされたのか? その情報が信用にたる情報かどうかはそこにかかっています。この戦争ではロシアもウクライナも偽情報、フェイク動画など駆使してサイバー空間においても自軍が有利になるような戦争をしているからです。つまり「その情報が信用できるか、という情報」が必要なのです。
しかし日本のメディアの報道は、視聴者が「その情報は誰がどのようにして手に入れたんだ?(それは信用できるのか?)」と感じるようなニュースの信ぴょう性のウラについては詳しく報道しません。その情報が信用できるか、という情報がなく自分の頭で判断することができないのならば、ロシアテレビの大本営発表をそのまま信じ込んでいるという情弱ロシア人とまったく同じではないでしょうか。
あたりまえの疑問のはずなのに、なぜ誰も解説しないのか。こういう素朴な疑問に対してテレビではあまり問題にしません。視聴者としてはそこが知りたいんだけどな。疑問を呈している人もあまりいないようです。
ちなみにマリウポリ市長はどこにいるのかという疑問はネットで調べてわかりました。マリウポリ市長は市外に避難しているそうです。だから捕虜にならないんですね。そして部下すじから集まってきた情報をSNS発信しているようです。なるほどもっともですね。
報道によってマリウポリ市長の居場所がバレてロシア軍に確保されてしまったら大問題となります。だから秘匿しているのかと思ったのですが、そういう理由ではなさそうです。
なぜ完全制圧下の情報が外に漏れてくるのか、その素朴な疑問にテレビ報道は応えてほしいなと思います。それがはっきりしない限り情報の信ぴょう性が疑われます。フェイクニュースじゃないのか、という疑念を払うためには、なぜそんなことがわかるのか、その仕組みを解説することが大事だと思うのです。それが自らの報道を信じてもらうことにもつながっているのです。まさかソースの信ぴょう性も検証せずに情報を垂れ流しているんじゃありますまいな?
(2022.6.7)
ロシアの兵士を救え。兵隊は独裁者の犠牲者に過ぎない。
昔、友人にプロ野球ニュースをハシゴしている人がいました。ジャイアンツのファンで試合のある日はプロ野球ニュースをハシゴして深夜までずっと見ていました。
「紅旗征戎わが事にあらず」の大指針を完全放棄して、ウクライナ戦争ウォッチャーになっている私もその人と似たようなものです。日本のニュースに飽き足らずBBCなどの英語ニュースまで見てしまうほどです。何度見たって試合の結果は変わりません。
プロ野球はベースボールというルールの中で試合しているのでそれほど新しいことに日々出会うことはないと思いますが、ルールのない戦争では日々新しいことに出会います。とくにハイテク技術をいくらでも投入してもいい戦争では、過去にはなかった新兵器がいくつも登場しています。ドローン兵器がその最たるものでしょう。
その中で、5月23日に、ウクライナに捕虜となったロシアの兵士が裁判にかけられて、終身刑になったというニュースを見ました。いやいやいや、それはおかしいでしょ。いくらなんでも。
軍隊というのは上官の命令に従わないと処罰されるところ
そもそも軍隊というのは上官の命令に従わないと処罰されるところです。末端の二十歳前後の子はそりゃあ上官の命令に従いますよ。あなたが若い頃だったらどうですか?
自分が二十歳前後の頃、平気で部下を撃つとわかっている銃を持った上官に命令されて、参戦を拒否できますか? もちろん命令を拒否したら督戦隊に背後から撃たれるか、ロシアの軍法会議で裁かれます。
わたしはあまり世間のルールに従わない人間ですが、そんなわたしでも簡単に命令拒否はできないと思います。進撃の命令が通らなければ軍隊は崩壊します。実際にウクライナ戦争中、ロシア軍の上官が部下を撃っているという報道がありました。
戦争をやっているのです。敵も味方もいたるところで人が死んでいます。もう「やっちゃいけないことの心の壁」はとっくにぶっ壊れています。人命尊重のモラルなんて通用するはずがありません。命令無視の部下を撃つことぐらい何でもないことでしょう。
慈悲を! ロシアの兵士だってかわいそうじゃないか。
戦争中に上官に「殺せ」と言われたら、敵を殺すか、自分が殺されるか、逆に上官を撃ち殺して逃亡するか。選択肢は三つしかありません。いずれにしても誰かが死にます。敵を殺す選択しか取りようがないのでは?
ロシア兵の立場になって考えてみれば、その場は従うしかないだろうと思うのです。ロシア兵で最初に裁判にかけられた二十歳前後の子ですが、なんか若い頃のプーチンに顔が似ていませんか。みせしめにわざとそういうツラの兵士を選んだんじゃないでしょうか。それともスラブ人はわたしにはみんな同じ顔に見えるだけなのかしら。
顔はともかく、彼の状況を考えたら「終身刑」というのはヒドイと思います。罪を問うべきなのは命令した彼の上官ではないでしょうか。人権意識が行き届いた現代の感覚からいうと、命令に従わざるを得なかった二十歳前後の子を終身刑にするのは、ちょっとかわいそうじゃないかな。
勝者が敗者を裁く「(罰の)みせしめ裁判」ではなく、まだ戦争途中で、勝者と敗者がはっきりしない中で一般裁判をひらくというのは、ロシア軍にたいする「(抑止力を期待した)みせしめ裁判」なのだろうと思います。たとえ上官の命令であっても、ウクライナ民間人を殺すな、というメッセージなのでしょう。その抑止のために二十歳前後の彼が犠牲になっているようにしか見えません。はっきりいえば私だって経験値の足りない二十歳前後で彼と同じ状況ならやったと思います。祖国を愛していたら、自分が殺されることも、上官を殺害して逃亡することも選択できません。はじめから選択肢はひとつしかなかったのではないでしょうか。むしろそのような状況をこそ憎むべきでは?
今は暫定的に終身刑でもいいから、戦争が終わって、民間人殺害の抑止力を求めなくてもいい時代が来たら、減刑して彼を助けてあげてください。ほんとうは非道な命令の犠牲者に過ぎないのに、終身刑だなんてあまりにもかわいそうです。
(2022.5.25)
決戦! 「戦車の拳」部隊による大戦車戦
かれこれ一年九カ月近くロシア・ウクライナ戦争をウォッチしてきました。ウクライナではゼレンスキーが西側の戦車を集結した「戦車の拳」部隊を結成してロシアと決着をつけると息巻いていました。なるほど……戦車戦ですか。ウクライナは独ソ戦の古戦場です。私はそのうち戦車による決戦が行われるのだろうと思っていました。
クルスクのような大戦車戦が、ウクライナの地でも繰り広げられるだろうと私は待っていました。できれば弱く虐げられた国がジャイアントキリングする姿を見たかったです。
しかし現在、ロシアは塹壕戦を選んで戦線は膠着しています。塹壕を挟んで火砲の撃ちあい、そんなことがずっと続いています。このままでは戦車戦なんて起こりそうもありません。そもそも塹壕を突破するために戦車というのは開発されたのですが、なんで塹壕を突破できないんでしょうか? 塹壕を突破できない戦車なんて! 戦車の当初の使用用途を果たしていません。
おそらくそれは携帯用対戦車ミサイルと対戦車地雷が強力すぎるためだと思います。対戦車ドローンと呼べる新兵器さえ存在します。塹壕から撃ってくる機銃なんてものともしないのが戦車ですが、どうやら現代の戦車は塹壕を突破できないみたいです。塹壕は最強なんですね。ベトナムがアメリカに勝った地下トンネルも一種の塹壕です。
戦争はそんなに都合のいいものじゃない。スカッとするものじゃない。格好のいいものじゃない。
戦争はそんなに都合のいいものじゃない。スカッとするものじゃない。格好のいいものじゃない。ウクライナ戦争をウォッチしているとつくづくそんなことを思い知らされます。
相手の嫌がることをするのが戦争ですから、そうそう都合よく描いたシナリオ通りにはならないものなのです。大平洋戦争だって多くの人が期待していたような日本海海戦のような巨大戦艦どうしの艦隊戦は起こりませんでした。予想もしなかった対空母戦、対潜水艦戦だったのです。
ウクライナ戦争も同じです。塹壕戦での膠着なんて誰も予想していなかったのに現実はそうなっています。あれほど煽りまくっていた戦車戦はどうしたのでしょう。
すでに終わった過去の戦争だと決着がわかっているので、「この先どうなるんだろう」と深く思いをはせることがありません。一日で全部の資料を読み終わってしまって、それで思考停止となります。そういった意味でロシア・ウクライナ戦争は私がはじめて「この先どうなるんだろう」とヤキモキしながら見たリアルタイムの戦争でした。いろいろなことを考えさせられました。
ゼレンスキーは天寿をまっとうできるのだろうか?
はたしてゼレンスキー大統領は天寿をまっとうできるのでしょうか?
過去の戦争だったら一瞬でわかることが、リアルタイムだからわかりません。ヒトラーがどうなるか、昭和天皇がどうなるか、リアルタイムだったら先がわからずいろいろな思いが心によぎったことでしょうが、過去の戦争だから数時間以内にヒトラーの死にざまや昭和天皇のその後を知ることができます。すぐにわかることは、あまり心に残りません。あったかもしれない可能性に思いをはせることもありません。
しかしロシア・ウクライナ戦争は違います。考えたり、感じたりした時間が長いぶん、いろいろな可能性について考えました。戦争と一緒に私も成長したといっていいかもしれません。
もしかしたらこの戦争は、認められないことを認めることでしか終わらせられないかもしれません。それに対して私はどうすることもできません。ただ、戦争が終わったら、ウクライナの黒海沿岸地域を旅行してみたいなと思っています。戦争がなかったら、黒海の北側なんて行ってみたいとは思わなかっただろうと思います。
世界は、ウクライナ戦争は、いったいどうなるのでしょうか?
(2023.11.9)
反戦平和運動こそが最高の地球温暖化対策だ
私たち庶民のささやかな地球温暖化対策をあざ笑うかのように、現在進行形の戦争が人や森や街を破壊しています。砲兵重視の軍隊が火力主義で貴重な資源を燃やし尽くしているのです。戦争とは火を使って資源を燃やすことだといえるでしょう。
もったいないなあ、と感じます。死んだ人も含めて。それだけの資源があればもっと有意義なことに使えるはずなのに。世界の指導者たちは何をやっているのでしょうか。
なにが脱炭素でしょうか。なにがSDGsでしょうか。隣であれだけバンバン火を燃やされたら、何の意味もありません。なにが環境運動でしょうか。なにが電気自動車でしょうか。
反戦平和運動こそが最高の地球温暖化対策ではないでしょうか。
(2023年12月16日)
あとがき
ロシアのウクライナ侵攻を見て、私はこう思いました。「こりゃあいつか確実に人類は滅びるな」と。ロシアでもウクライナでも多数をしめる庶民は戦争なんてしたくないと思っています。にもかかわらずそんな多くの庶民の気持ちを踏みにじる格好で老いた独裁者が強権を振りかざして戦争が始まってしまいました。そういうのは今にはじまったことではありません。歴史上ずっと繰り返されてきたことです。つまりこれからも同じようなことが起こるでしょう。
ロシア・ウクライナ戦争で核ミサイルが使われる使われないに関係なく、いつか誰かの手によって確実に核ミサイルは使われてしまうでしょう。いつか確実に人類は自らの手によって絶滅すると私は思います。
そんなことはありえないと思いますか? 果たしてそこまで人間は信用できるでしょうか。権力を失う寸前の独裁者を信用できるでしょうか?
この先、数千年のあいだに、いつかのタイミングで核ミサイルは人々の頭上に確実に落とされるでしょう。それが武器というものの宿命です。武器が存在するのは使われるためです。飾り物ではありません。いつまでも核が抑止力のままで終わるとは私にはとうてい思えません。核ミサイルを使えば勝てる戦争を独裁者たちがそれを使わずにむざむざ負けを認めるとは思えないのです。
ロシアのウクライナ侵攻よりも、北朝鮮の東京核攻撃の方がずっと確率は高いはずです。ロシアはウクライナが憎いわけではありません。それに対して北朝鮮は日本を憎んでいます。どっちが起こりうる未来でしょうか。
これは確率の問題です。ゼロパーセントではありません。私たちが生きている間には無事かもしれません。しかし将来の人類は無事ではないでしょう。いつか核ミサイルは使われて、そして人間は壊滅的な被害を被るでしょう。第三次世界大戦という言葉では手ぬるいようは悲劇がきっと待っているに違いありません。
人間をいちばん殺しているのはライオンや熊ではありません。人間をもっとも殺すのは人間です。これまで核兵器の抑止力おかげで大国間の戦争はなくなったと言われてきました。しかし現在、核大国ロシアが率先して他国に戦争をしかけています。そして核武装した国々がウクライナを応援しています。
かつてウクライナは核武装されていた地域でしたが、独立と同時に核を放棄しました。あのとき核を放棄しなければロシアも攻めてこなかったのでは……ウクライナがそう考えたとしても不思議ではありません。核で武装すべきだという議論はこれからも世界中で起こるでしょうし、インド・パキスタン・北朝鮮のようにいつのまにか核武装する国はどんどん現れるでしょう。技術は進歩していますし、情報は拡散しています。かつての超兵器をどの国でも簡単につくれる日がくるでしょう。なかには独裁者が支配する国もあるでしょう。そのような人たちのすべてを信用できるでしょうか。歴史の中で狂った独裁者はいくらでも登場しました。
この先、人類の危機は何度も何度も起こります。核が戦争を抑止できない時代が来ます。ロシア・ウクライナ戦争がその先鞭をつけたのかもしれません。
戦争は外交のひとつだといいます。あっという間に戦争で占領できるような小国と対等な立場で議論しなければならないというのは大国のリーダーには受け入れられない現実でしょう。比較にならないほど力の差があるのに対等な顔をする生意気な小国に対して、独裁者は手元の駒(軍事力)使いたくなるに違いありません。そして幾千年のうちにいつかは人類は自らの手によって壊滅的な被害を被ることでしょう。
お釈迦様の弓矢のたとえ話をご存知でしょうか。刺さった毒矢がどこから飛んできたかとか、どのような人物が毒矢を放ったのかとか、そんなことを気にしているうちに傷ついた者は死んでしまうだろう、と。人類の未来なんて考えるだけ無駄なことだと私は思います。
「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」それが私の人生態度だったと本書の冒頭で述べました。いつまでも他国の戦争なんかウォッチしていないでそろそろ自分の人生に戻りましょう。
人類の未来なんて考えるだけ無駄なことです。本来の自分の暮らしに精一杯取り組みましょう。ウクライナ人が見せてくれたように、自分の命をたいせつなもののために使いましょう。一日一日を大切に今日を生きましょう。死ぬときに後悔しないように、やり残したことがないように。
私たち市井の一般人には自分の人生を大切にすることしかできません。それを命がけで取り組むことが私たち庶民の反戦運動です。ひとりひとりが自分の暮らしを大切にすることが、人類共通のひとつの価値観をつくりあげ、それに反する行動はいつか人類全体に否決される。いつかそんな日が来ると信じましょう。
本書の中に著者の平和への思いを感じ取っていただければ幸いです。
アリクラハルト
(2023年12月16日)
